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●『あにいもうと』
渇に近い流れの状態の間に河川工事を行なうのがいいが、10月になれば台風の上陸がないというのがだいたいの常識なのに、今年はそうではなかった。だが下旬になるとさすがにもうやって来ないだろう。



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それで昨日書いたように今月下旬から去年の台風18号によって損傷を受けた堤防の補修や堆積土砂の撤去が始まる。つまり、緊急を要する工事は春の観光シーズンまでに終えるが、そうではない箇所に関しては丸1年待ってからという計画が去年の台風18号の後に立てられたのであろう。そして去年の台風18号は50年に一度の規模であったので、今年はそれほど大きな台風はやって来ないというのが地元住民の思いでもあったと思う。それが案外そうではなく、こうなるとまた来年も大雨で渡月橋が冠水しそうになるかもしれず、それは地球規模の異常気象のせいだと諦めている人が多いのではないか。それはさておき、今年の夏は熱帯夜がとても少なく、とても過ごしやすかった。いつの間にか夏が終わったという感じで物足りない。京都文化博物館のフィルムシアターは今年も家庭の節電に貢献しようと、7月12日から8月末まで無料で開放した。それを知ったのは8月に入ってからで、出来る限り映画を見に行こうと思ったが、凌ぎやすい暑さであったこともあって、見た映画は8月下旬に入っての4本に留まった。4月から家内が終日家にいるので、以前のようにふたりで河原町界隈を歩くことがうんと減ったことも理由だ。映画が無料はいいが、出かけるとなると交通費もかかるし、また何となく面倒だ。そのようにして誰しも年を取って行く。だが、4本見たどの回も満席状態で、しかも9割は70代以上の高齢者で、自分たちが若かった頃の映画を懐かしさから見たいのか、あるいは家にいても暑いし退屈なので出て来たのか、ともかく熱心で活動的な高齢者は多い。今後はもっとその傾向が高まる。無料期間のフィルムシアターにやって来る高齢者は映画好きの点だけが共通項だろうか。無料で見ようとするからには経済的にはあまり豊かでないかもしれないが、そうとは限らない。金持ちでも金を支払うのは嫌な人は多い。高級ブランドものを着ているような人はいないか、とても少ないと思うが、身なりだけで経済状態はわからない。ま、どうでもいい話だが、高齢者は高齢という点で共通していて、その共通項は充分に意味が大きい。貧乏の高齢者と金持ちの高齢者が違うかと言えば、確かにそうだが、どっちも高齢で人生の残りが枯渇しかかっている。それが一番大きな特徴で、もはや金のあるなしはさほど関係がない。金を出しても若さを買うことは出来ない。医学の発達でそうでもなさそうだが、肉体が多少若返って心もそうなるかと言えば大いに疑問だ。長年生きて来るとそれなりに心もいろいろと傷を負っている。そして老いがそのことに追い打ちをかける。今日取り上げる映画を確か8月21日に見た。室生犀星の小説が原作で、そのことを毎回無料で配布されるプログラムの文章で知った。室生の小説は持っているが、読んだことがない。関心が今ひとつ湧かない。つまり縁がないが、この映画の原作は読みたいと思う。小説は昭和9年(1934)に書かれ、その2年後に最初の映画化があった。戦前のことで、原作どおりの風景があってロケもしやすかったはずだ。文化博物館がそのフィルムを持っているのかどうか知らないが、今回上映されたのは戦後のもので、昭和28年(1953)、筆者は2歳であった。まだその当時は戦前とさほど景色も変わっていないはずで、原作の世界が観客に受け入れられやすかったに違いない。小説は人気があるのか、76年にも映画化されているし、TVドラマ化も何度も行なわれている。あたりまえのことだが、原作が書かれた年から隔たるほどに映像化は困難になり、原作を大幅に書き換えるということも必要になるだろう。それは主人公の父親の仕事だ。時代とともに職業は変わって行くが、本作では「川師」という職業が取り上げられる。川師一家の、特に長男と長女の関係が物語の中心になっている。
 川師とは昨日の最初に書いた蛇籠を造って設置する仕事で、戦前までは数十人ほどを抱えて大きな河川の治水を守った。それが室生犀星が小説に書いた頃にはコンクリートで堤防を固めてしまうことが東京の多摩川ではすでにあたりまえになっていて、川師の仕事は衰退する一方であった。若い頃に仕事がたくさんあって自信がみなぎっていたのが、時代が大きく変わり始めてその波に乗ることが出来ないということはよくある。それは、ひとつには時代の流れに沿って仕事の方法を改めないことが理由だが、「師」のつく職業は年季が必要で、またその年季が時代の読みを誤らせる。気づいた時には全く自分とは無縁の若い人たちが全く別の方法で同じ場所で仕事を引き受けている。積み上げた年季はもはや必要なく、それに取って代わる別のものが要求される。ところが、そういう先進的なものを古い人間はまず侮蔑する。そしてさらに自分の経験にしがみつくが、もう出番はない。この映画では主人公の父である川師の赤座という老人は忌々しげに堤防を眺めるが、そこにはダンプカーが走っている。数十人の人夫を抱えて砕石を竹籠に詰める作業はもはや時代遅れで、トッラクの1台を持っている方がよほど収入がよい。それで赤座は仕事がなくて子ども相手のかき氷屋の店番をする始末だ。そしてかつて雇っていた男を相手に安酒を煽り、うさを晴らすしかすることがない。同じような老人はいつの時代でもいる。むしろそういう老人の方が多い。自分の専門がお呼びでないということに限らない。高齢ということの負い目で何かを積極的にする気になれず、毎日しかめ面をする。それはさておき、赤座には3人の子があって、長男の伊之吉が後を継いでいるが、川師の仕事があるはずがなく、墓石造りの親方に雇われている。父が数十人も雇っていたというのに、息子は雇われの身で、しかもまだ一人前にはほど遠い。伊之吉を演じているのは森雅之だ。彼の演技は『雨月物語』で見た。監督の溝口健二やまた共演した田中絹代がその映画での彼の演技を絶賛していたが、筆者はあまり記憶にない。ところが本作では全く印象が違い、また強烈な個性でびっくりさせられた。それは二枚目の優男とは正反対の、全身刺青でも入っているのではないかと思わせるほどに川師の息子そのものであったからだ。まず顔つきが凄味がある。やくざの親分と言えばいいだろう。悪役の顔だ。本作では逞しい肉体が肌着の下に隠されていることがよくわかり、なおさら川師の血筋を実感させ、映画を現実味あるものにしていた。こここで少し話が脱線する。ちょうど1年だけ筆者は所有するガレージの土地をある人物に貸したことがある。近所に1年暮らしただけで転居して行った。若い夫婦で、夫はとび職だ。年齢は22と聞いた。とても小柄で筆者より低いから160センチはないかもしれない。ところが若い者をふたり雇って自営している。顔つきは凄味があり、恐い者知らずという雰囲気をぷんぷん漂わせている。たいていの大人は対面するとたじろぐだろう。そしてあまり親しくなりたくないと思う。だが、しかるべき工事現場に入って毎日仕事をきちんとこなしていて、金の支払いはかえって普通に見える人より大いにきっちりとしていた。30近くにもなってまだ学校に通っている若者は多いし、またニートもわんさかいるが、そういう連中の顔つきとは全く違う迫力をその若いとび職は持っていて、筆者はふと伊之吉を思い出す。それほどに森雅之という俳優の存在感があって、彼抜きでは本作は成立しない。
 伊之吉の妹を演じるのが京マチ子で、名前は「もん」と言う。その妹は「さん」で、こうした女性の名前はいかにも戦前で、本作以外の戦後の映画やドラマ化ではその点はどうなっているのだろうか。また「川師」の仕事や蛇籠作りは理解されず、原作の設定をかなり変更する必要があるのではないか。さんを演じるのは久我美子で、いかにも彼女らしい、真面目で楚々とした女学生役だ。彼女の学費は姉のもんが出しているが、姉が働いて妹を学校に通わせるということは戦前やまた戦後も昭和30年代は普通にあったことだ。もんの職業は何か忘れたが、彼女はいつもキモノを着ていて、奉公先はどこかの金持ちの家であろうか。ともかくもんは奉公先で妊娠してしまう。相手は大学生だ。それを演じるのが船越英二で、そのおどおどしながらもどこか誠実な様子は伊之吉とは別世界の住民だ。妹のさんは実家の近くにある製麺屋の長男と恋仲だが、姉の妊娠が噂となり、製麺屋の両親は息子にはふさわしくない相手と思うようになっている。それでも長男はさんが好きで、ふたりで駆け落ちしようと計画するが、さんはその言葉に乗らない。というのは、その男は意志をしっかりと持っているとは思えないからで、駆け落ちしてもすぐに自分のもとを去るかもしれないと疑っている。結局その男は両親の言うことを聞いて別の女性と結婚し、さんは駆け落ちしなかったことを安堵する。ま、さんの思いは複雑で、駆け落ちして妊娠すれば、自分が姉と同じ立場になってしまい、親不幸をすることになると心配したのだ。それで相手の男を試した。さて、もんが妊娠したことを伊之吉はよく思わず、家に身重で戻って来たもんを激しく罵倒する。妹が憐れで、相手の男が憎いからだ。だがその言葉を正直に言うような優しさを持っていない。そこは川師という、肉体労働者にありがちな性格であって、またそのことを内心もんも知っている。つまり、顔を合わせれば大喧嘩する兄と妹だが、内面ではわかり合っている。時代が川師を必要としていれば、家業が栄え、もんが奉公に出ることもなかった。そう考えると、時代の大きな変遷が憎いが、それはどうしようもない。どうしようもないので、怒りの持って行き場はつまらぬことを仕出かした妹ということになる。また妹は妹で懸命に働いて下の妹を学校に行かせて、とても健気だ。不甲斐ないのは金があれば酒を飲みに行く赤座かもしれないが、それは責められないだろう。数十人雇っていたかつての自分が今は娘を奉公に出させている。それはほかにどうしようもないからだ。伊代吉がもんを罵って立腹させた数か月後、船越演じる大学生の小畑はわずかな金を持ってある日赤座の家を訪れる。その金を堕胎の費用の足しに使ってほしいというのだ。赤座がどういう態度であったか忘れたが、済んだことは仕方ないといった感じで、怒ることもなくそのまま小畑を帰す。ところが伊之吉はその学生がもんを孕ませた相手と悟り、こっそりと後を追い、途中で先回りして小畑の前に身を乗り出す。多摩川沿いであるから自分の縄張りだ。蛇籠を造る機械のそばで伊之吉は小畑に詰め寄る。そして殴りかかろうとするが、暴力を振るわずにそのまま返す。その場面はもんと伊之吉のとっ組合いと同じほどに迫力がある。伊之吉の恐い表情の前で小畑はまるで縮み上がったうさぎだ。袋叩きにしたいのは山々ながら、そのおどおどした学生服姿の若者を見て、喧嘩にならないと伊之吉は悟ったのだろう。
 またもんが実家に帰って来るが、伊代吉は小畑を袋叩きにしたと嘘をつく。それを聞いたもんは兄に向かって、自分が好きになった男にどうして暴力を振るうのか啖呵を切る。好きでたまらなかったので体を与えたのであって、そのことに悔いはないし、兄から責められることもないと言う。赤座やまた母がいる目の前でもんと伊之吉は取っ組み合いの喧嘩を始める。母が作った大きなおはぎがたくさん載った卓袱台がひっくり返り、その後ふたりは庭に転がり落ちてもまだ喧嘩をやめない。その激しい喧嘩はおそらく何度も練習して一回限りの撮影ではないか。あまりの迫力で、一歩間違えれば京マチ子は大けがをした。彼女は白黒映画を考慮して明暗がはっきりしたキモノを着ていたが、その派手さは結婚出来ない相手の子を妊娠してしまう女性にぴったりで、またそういう女性になって行くしかなかった貧しい境遇を示すが、半分は伊之吉がそうであるように、川師という荒くれ者をたくさん雇う職業の娘にはふさわしいとも思わせる。もんは色気たっぷりで、伊代吉は男ぶりがよく、女はどこまでも女らしく、男もまたそうであった時代、あるいは家業を思わせるが、もはやそういう時代ではなくなった。小畑の境遇は描かれないが、金持ちの息子というほどでもないのかもしれない。小畑はその後の日本ではますます増えたタイプの人間で、その点では伊之吉より新しい時代の若者像で、今は小畑的な男ばかりと言ってよい。戦前でも男子学生が勤労女性を妊娠させることはさほど珍しいことではなかったことがうかがえるが、その男女の問題は時代とはあまり関係がなく、その点で原作が何度も映画化、ドラマ化されるのだろう。もんと伊代吉が激しい性格であるのに対し、妹のさんが知的でまた落ち着いているのは不思議ではない。姉妹でも性格は大いに違うし、また時代の変化もある。それに両親や兄姉の不遇を目の当たりにして妹はしっかりしなければならないと必要以上に思うだろう。そして彼女がまともに就職し、また結婚もしてようやく赤座一家にまた光が射すはずで、家業が傾いた一家でも希望があるという結末になっている。それに、もんや伊之吉は今後も会えばいがみ合うが、それでも血を分けた兄妹であり、心のどこかでは認め合っている。あるいはその辺りは小説の読み手、映画の観客それぞれに委ねられていて、仲の悪い身内を持つ人が本作を見れば、もんと伊之吉は今後も平行線をたどり、挙句の果てに刃物を持ち出して刺し合いをすると思うかもしれない。何度か登場人物が川を越えれば東京と言っていたが、赤座の家はどこにあるのだろう。もちろん60年前なのですっかり多摩川沿いは変わっているはずだが、映画ではとある駅が映った。駅名は忘れたが、同じ駅は今もあるはずで、その周辺の川沿いが舞台だ。同じような土手は日本中どこにでもあったが、今ではビルが映り込んで撮影に苦労するだろう。
by uuuzen | 2014-10-16 23:59 | ●その他の映画など
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