籠の中に石を詰め込んだものを日本では「蛇籠」と呼ぶが、それを知ったのは学生時代だ。友禅の仕事をするようになって、琳派の図案集などに俵型の竹で編んだ蛇籠模様をよく見かけた。
その実物を見たことがあるが、たぶんTVでのことだ、竹の蛇籠は風情があるが、今ではそんなことはしない。竹でなければならない理由がなく、また竹の網手がいない。去年の台風18号で桂川が著しく増水し、嵐山の渡月橋付近の土手が濁流で削られるなど、50年ぶりの洪水被害が生じた。復旧はすぐに始まり、さすがの日本を代表する観光地の嵐山と思われたようだが、中ノ島の護岸の一部は金網を使った蛇籠で覆われたままで、今年のお盆前にはそこに立ち入らないように高さ1メートルほどの鉄柵が張り巡らされた。それを8月16日の五山の送り火の夜に見たが、ある人に訊くと、もっと前から設置されたとのことであった。近くに住んでも嵐山公園を数か月は歩かないことがままある。高齢者は早起きで、また運動のために嵐山公園を朝の6時頃には散歩することが多いらしい。教えてくれた人もその部類だ。いつまでも蛇籠を晒さず、洪水以前のように石をコンクリートで固めればいいのに、蛇籠を撤去してもその鉄柵はそのままかもしれない。それでは風情が台無しだが、初めて訪れる人はそんなものかと思うだろう。その護岸はかなりなだらかで、幼い子どもが歩いても川の中に落ちる心配がほとんどない。したがって鉄柵は不要だが、現在の蛇籠だらけの状態では金網やまたその内部の砕石に足を取られて転倒する可能性が大きい。その蛇籠がいつ元どおりの姿になるのかと思っていたところ、8月に入ってまた大雨が降り、渡月橋が冠水しかかった。水が引いてその蛇籠がどうなったかだが、お盆の夜も川の水量は凄まじく、蛇籠は見えないほどであった。国交省としてはちょうどよい実験になっただろう。去年並みの豪雨ではなかったが、渡月橋の下すれすれまで水嵩が増え、中ノ島公園の護岸も水没した。水が引いて蛇籠がかなり形が崩れるか、あるいは一部が破れて石が流されたのであれば、早々に蛇籠を撤去して去年の台風以前の姿に復旧するだろう。だが、蛇籠が何ら変化を被っていないのであれば、危険を知らせるために鉄柵も設けたこともあって、護岸工事はあまり急ぐことない。だが、地元住民はその蛇籠は去年の台風の被害の後の応急措置であることを知っているから、早急に復旧工事をしてほしいと思うし、また地元の人でなくてもその蛇籠の周囲は工事中に使う黄と黒の虎縞模様の鉄柵が設置され、嵐山の雰囲気に似合わない。もっとも、中ノ島ではあっても渡月橋付近ではなく、それから200メートルほど下流だ、だが観光客にとって死角になる場所ではない。去年の台風以降、ベンチが増やされ、またそのベンチと護岸すなわち蛇籠との間に黒い鉄柵がコンクリートで固められた。
さて、「嵐山中ノ島復旧」と題して「その19」まで投稿した。これはなるべくその日に撮影した写真を載せながら、台風18号の被害がその後どう復旧して行くかを観察し、報告するものであった。だが、前述のように中ノ島の護岸の一部は蛇籠が置かれたままで、台風以前の姿に戻ってはいない。2,3か月前に聞こえて来たが、渡月橋下流の松尾橋の付近でダンプカーが桂川に乗り入れられるように臨時の道路を造るという話だ。その話は付近のいくつかの自治会長と国交省の役員が話し合いを重ねているとのことで、松尾橋の上流か下流かのどちらにダンプカーの侵入路を造ればいいかで意見が折り合っていないらしい。下流側の土手には花がたくさん咲く花壇がある。それを撤去しなければトッラクは河川敷に下りて行くことは出来ない。上流の方が便利と思うが、公園やまた店があって、トラックが運搬する川底の土や砂利の落下が問題となりやすい。国交省は図面上では進入路をどこにするか決めているが、地元がそれに反対している。だが、それももうそろそろ折り合いをつけねば工事に支障をきたす。進入路が松尾橋の上流か下流のどちらになろうとも、筆者は堆積土砂の撤去の様子を松尾橋の上から定点撮影するつもりでいるが、今月12日の地元の小学校で開催された自治会対抗の体育祭で、会長から資料を手渡された。それを今日の画像で紹介するが、去年の台風18号の被害を完全に復旧するための工事が渡月橋の上流や中ノ島公園、そしてそこから松尾橋に至るまで実施されるとの告知だ、裏表カラー印刷で、裏は写真や平面図がかなり小さいのでじっくり見ないことには事情が呑み込めない。ともかくそれによると、今月下旬から工事が始まる箇所と、来年1月上旬から始まる箇所に図分けされている。また、中ノ島公園から松尾橋の間に堆積した土砂の撤去は今月下旬から始まるものの、本年度中つまり来年3月末までに終わらないと想定されていて、来年度も引き続き行われる予定が書かれている。松尾橋付近の土砂は8月の台風によってさらに増え、それ以前とは様子が一変した。トラックで何千台分ではきかないだろう。どこからそれほどの土砂が湧いて出たのかと思うほどで、高いところでは川面から3メートルほどはあるのではないか。ちょうどその様子が松尾橋上から上流に見える。橋から200メートルほどだろうか。カメラのズームを最大にすればどうにかダンプカーの作業が見えるだろう。このカテゴリーは来年からは「マンション」の副題で投稿が始まる。使う写真はいつものように1年前に撮影したものだ。来年までかなり間があるのでどうしようかと思っていたところ、今日の写真の資料が届けられ、それを自治会の住民に現在回覧している最中だ。筆者にとってはうまい具合にまたこのカテゴリーに投稿すべき機会が訪れた。定点撮影にこだわらずに台風18号で被害を受けた桂川流域の復旧工事の様子を撮影し、そして撮ったその日に投稿するつもりでいる。今日はその再開予告だ。平面図に赤地白抜き文字の「工事用道路」があって、その下に括弧書きで「調整中」とある。この「調整中」とは前述のように、松尾橋付近のどこからダンプカーを河川敷に出入りさせるかがまだ決まっていないことを意味する。この工事に関して筆者は以前に何度か書いた会計監査役のFさんとよく話す。Fさんは毎朝散歩してトラックがどれほど堆積土砂を撤去するか見定めると言う。どれほどの土砂、すなわちトラック何台分の土砂があるかは国交省でも計算出来ないはずで、いい加減な台数分を業者から請求される可能性がある。そうなると、行政側は予算がないと言い始め、中途半端なまま撤去を停止してしまうかもしれない。大いにあり得る話で、工事が終わったとの報せに現地をじっくり見てみると、あちこち土砂が積もっているのではないか。豪雨のたびに土砂は堆積する。終わりのない作業だ。それをいいことに中途半端な撤去作業で復旧完了宣言が出たりして。ともかく、その工事は松尾橋の真ん中辺りからはよく見通せる。その定点撮影をするとして、投稿の題名を「嵐山中ノ島復旧」では内容にそぐわないから、さてどうしようかとどうでもいいようなことを思案している。