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●『きかんしゃトーマスとなかまたち』
沈させられるほど魅力にはまるということはないが、何となく気になるのが機関車トーマスで、これは子ども向きの絵本であるから、日本では「機関車」は平仮名で表記される、本国のイギリスでは「きかんしゃ」に相当する言葉がなく、今日の最初に掲げる本展チケット右上に見える吹き出し内の、単に「トーマスとともだち」だ。



●『きかんしゃトーマスとなかまたち』_d0053294_22411534.jpgそれでは日本ではわかりにくいということで「きかんしゃ」が頭につけられた。少々長いが「きかんしゃ」は幼児にも発音しやすく、またきっぱりとした印象を与えて覚えられやすい。だが、吹き出しの左にイタリック体で大きく「The Railway Series」とあって、これが「きかんしゃトーマスとなかまたち」の原題であるようだ。この辺りの事情やややこしく、ネットで調べると、原作の絵本とTV用のアニメとは題名が異なる。「きかんしゃトーマスとなかまたち」は後者の題名で、絵本では「The Railway Series」というえらく堅苦しい題名がついている。それだけでもかなりの時代もので、しかもイギリスや機関車のイメージにふさわしく感じる。「The Railway Series」は「鉄道物」と3字で訳すことが出来るが、それではなお堅苦しく、また意味が把握しにくいので、日本では「汽車のえほん」と訳されている。それはいいとして、「The Railway Series」という題名は、作家の自負が大きく表われている。自分以外に鉄道物語を書く人物がいないという断固とした覚悟がうかがえ、またそれは見事に実現して世界的に有名な鉄道絵本のシリーズとなった。「Railway」を「鉄道」と言っているが、それはイギリスでは汽車が最初であるし、またこの絵本は汽車を主役にしたもので、「Railway」を広義に「鉄道」とせず、あくまでも「汽車」と限定的に認識する必要がある。これも「汽車」こそが「Railway」の代表であるという作家の自信が見えている。「汽車」は「Locomotive」という正確な言葉があるが、あえてそれを使わずに「Railway」としているのは、現在や未来の子どもたちが「鉄道」全般に関心を持つという予想と、またそうした子どもにイギリスこそが「汽車」を発明したという自尊心を与え続けたいからだろう。さて、今日は展覧会のジャンルに投稿するが、本展を見たのは去年のお盆前だ。図録を買わなかったこともあって当時感想を書くのをやめた。それに筆者は熱心なトーマスのファンではない。子ども向きと馬鹿にしているのではなく、イラストを描いた人が数人いて、歴史が長い。そう簡単に感想を書くことは出来ない。少絵本のシリーズをざっとでも読んでからにしようと思った。そしてアマゾンで英語版を買おうかと思いながらそのまま月日が経っている。それを今日思い出して書くのは、昨日トーマスについて触れたからだ。イギリスでは機関車、日本では新幹線というのは、同じ鉄道ながら新旧の対照が鮮やかで、イギリスの子どもたちは新幹線をどう思っているのかと考えてしまう。そして日本ではトーマス人気は去年展覧会が各地で開催されたこともあってか、人気はさらに高まり、今年の夏休みには静岡でトーマスの顔を先頭に被せた機関車が走り、大人気を得た。そのニュース映像を見ながら筆者はそれに乗りたいと思ったが、乗車券はすぐに完売したとかで、トーマス人気の強さを今さらに知った。それほど人気があるならば年中走らせればいいが、そう出来ない事情があるのだろうか。ひょっとすればトーマスの版権を持っている会社との契約に縛られて年中は無理なのだろう。それも金次第と思うが、夏休み以外は利用客が減るはずで、赤字になっては困るから、話題が大きい短い期間しか走らせることが出来ないのだろう。それはそうと、イギリスでも同じように本物の機関車にトーマスの顔をくっつけて走らせたことがあるのかどうか。日本が最初とすれば、日本の方がより器用で、またキャラクター商法が上手ということを示す。
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 去年のいつだったか忘れたが、自治会の大志万さんとトーマスの話になった。彼女が言うには、イギリスは「サンダーバード」やトーマスなど変なアニメを作る国で、なるほどと思った。「サンダーバード」は60年代半ばに日本のTVで放送され、筆者と同世代では知らない人がいないだろう。顔がかなり濃い人形劇で、昔筆者は家内の兄に顔を見つめられながら、「サンダーバードみたいやな」と言われ、周囲が爆笑したことがある。顔というより、全身がそのような雰囲気なのだろう。自分ではそう思わないが、家内は今も名言だと言う。それはさておき、トーマスは機関車の先頭車両のヘッドに人間の顔をくっつけて個性を出す一種異様さにおいて「サンダーバード」は比ではない。見慣れてしまうとそうは感じないが、最初に見た時は違和感があった。それは、機関車は線路上しか動けないからだ。人間が線路上しか移動出来ないとすればそれはたとえはよくないかもしれないが、車椅子に乗った人を思わせる。つまり不自由を連想させる。したがってトーマスの絵本は人間や動物が登場する絵本と決定的に違って線路上での動きしか表現出来ず、物語はごく限られたものになるように思える。もっと言えば変化に乏しく、また不自由な行動を見せられて身障者を思い、何となく楽しめない。そこで内田百閒をまた持ち出すと、彼は『阿呆列車』のシリーズでいわばえんえんと同じことを繰り返した。つまり、列車に乗ること自体を楽しみ、目的地で下車して温泉に浸かるといったことについては一切書かなかった。座席に座ったままで、その固定した視座でのみ思いを綴る。その態度は列車が線路から外れないことと同じと言ってよいが、にもかかわらず、面白い随筆となった。トーマスの絵本もそれに似るかもしれない。機関車が線路を外れて動き回ると物語はとめどなく多彩になりはするが、そこまで空想を働かせずとも多彩な物語を書くという自信が原作者にあったのか、あるいは汽車と線路は一体のもので、線路から外れることは機関車の死を意味し、線路上に常にトーマスやなかまたちがいることがあたりまえで、その絶対条件下でいくらでも物語を紡ぐことが出来ると思ったのだろう。自由とは何かという深い命題がそこには横たわっている。自動車からすれば汽車は不自由だ。より大きな自由を求めて来た資本主義からすれば、トーマスが主人公の物語など時代錯誤と決めつけかねないが、自動車はあまりに溢れ過ぎ、もはや童話の対象にはなり難くなった。また「より速く」を追求してその目的を最大限に遂げた新幹線も子ども向きの物語の対象にならず、かえってもはや滅びたも同然の汽車が歓迎される時代が訪れた。トーマスが日本で大きな人気があるとすれば、それはいいことだ。「より速く」が絶対的な価値を持たないということを子どもたちが実感すれば、心の豊かさの意味も知ることにつながる。汽車が石炭を使い、その石炭は地球にとっては優しい燃料ではないといったことを言う人があるだろうが、どんなエネルギーでも功罪がある。
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 筆者がトーマスを最初に意識したのは前にも書いたと思うが、京都市立中央図書館に2週間に一度通っていた頃だ。30年ほど前になる。その図書館は別の場所に大きく建て変わると言われながら今もそのまま使われているが、七本松通りを隔てて東に手芸店があった。今も営業しているかどうかわからない。丸太町七本松のバス停を下りると、西に向かって歩き、信号をわたる手前でその手芸店の前で立ち止まる。自然と目はウィンドウを眺めるが、台紙に袋入りのワッペンが売られていた。それがトーマスの絵本に登場するキャラクターで、大半はトーマスなどの汽車であったが、1枚だけスーツを着て帽子を被った男性の立ち姿があった。それが面白く、数か月経っても売れないので、ついに買った。500円であったと思う。捨てるはずがないのでどこかにあるはずだが、保管場所がわからない。それらのワッペンは明らかに若い母親が幼稚園児に買い与えるもので、絵本もきっとそういう類のものだろうと思って中央図書館1階の児童書コーナーで探すことはなかった。それ以降トーマスの人気が次第に高まって来たことはTV番組で知っていた。先にアニメと書いたが、筆者が近年見たのはコンピュータ・グラフィックスのように見える映像で、日本のアニメのような描画ものではない。またコンピュータ・グラフィックスに見えて実際はそうではなく、「サンダーバード」の影響を受けた実物の小道具を撮影したものに見えたが、実際は知らない。また、たまたま見たそのTV番組は、本展を見た後わかったが、絵本の物語とは全く違って激しい闘争を主題としたもので、絵本の原作者が書いたものではないはずだ。つまりトーマスらのキャラクターを使っているだけで、物語は全く別物だ。いや、これは筆者の想像であって、実際はわからないが、本展で見た絵本はもっと牧歌的で、古い時代を感じさせるものであった。それが今の子どもにはもはや歓迎されないという判断の下、版権を持っている会社が絵本のTVシリーズ用の映像化が終わった頃、ネタ切れのために新しい脚本をに書き下ろしたのではないか。日本のアニメではよく行なわれることで、トーマスも例外ではないように思う。それほどにトーマスは絵本とTVシリーズとでは様相が違うはずで、そうであるから最初に書いたように題名も違っているのだろう。絵本の作者は文学者を志して聖職者となったウィルバート・オードリーで、85歳で1997年に死んだからTVシリーズを見ることが出来た。彼は絵本の物語を書いただけで、挿絵は画家が担当したが、本展によれば最初の挿絵はあまり気に入らなかった。鉄道に関する知識が彼ほどではなく、曖昧な描写があったのだろう。だが、筆者にはどこがまずいのかわからなかった。絵本は予想外に小型で、手帳サイズと言ってよい。本展では歴代の画家の挿絵原画が順に展示され、その緻密な描写が絵本でどう忠実に再現されているかそうでないかの比較が出来た。当然のことながら原画の方が迫力があるが、印刷はかなり忠実で、きめ細かさを再現していた。それは原画とほぼ同じ大きさ、あるいは縮小して印刷しているからで、拡大すると粗く見えるだろう。ウィルバートは最初から絵本にするつもりはなく、自分の子が病気の時に聞かせたものが基となって、3年後の1945年に最初の絵本が出版される。「サンダーバード」より20年前のことで、日本の翻訳本が出始めたのは1973年のことだ。筆者が気づいたのはそれから10年ほど経ってからということになる。息子にトーマスの絵本を見せなかったのは、当時はまださほど有名でなく、ワッペンになる程度以外、キャラクター・グッズがほとんどなかったからであろう。あるいは筆者が無意識に何となく気味悪いキャラクターと思っていたからかもしれない。絵本は挿絵画家が変わるたびに版型が変わり、また一旦シリーズが中断して再開されるなど、かなりややこしい。そういうために図録を買っておくべきであったが、アマゾンで調べると、最後の第42巻全部を分厚い1冊にまとめた豪華本がイギリスで発刊されていて、物語の内容と挿絵の全貌を知るにはそれを買えばよい。本展では没になった挿絵や下絵の類も混じっていたと思うが、大人のトーマス・ファンなら必見ものであった。第42巻は2011年の発売で、半世紀ぶりにシリーズが完結するという息の長さで、こういう態度は日本では珍しいがヨーロッパではさほどでもない。何事にも「より速く」という考えがないからだろう。さて、今日の2枚目の写真は今春松山に行った際、車中から撮った。「アンパンマン」の人気はトーマスより大きいかもしれないが、アンパンマン列車は先頭車両にアンパンマンの顔を持って来やすくとも、きかんしゃトーマスの二番煎じになってあまり面白くない。3,4枚目は今年7月に京都駅で見かけた。本物の機関車ではないが、子どもでなくても大きさに圧倒される。こういう空気で膨らませるキャラクターも日本はイギリスより得意ではないだろうか。
●『きかんしゃトーマスとなかまたち』_d0053294_22412210.jpg

by uuuzen | 2014-10-13 23:59 | ●展覧会SOON評SO ON
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