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●『夢の超特急展-みんなの夢をのせて半世紀』その2
罪相半ばするという言葉がある。鈍行列車の旅を好んだ内田百閒は新幹線に否定的であったようで、同じように思った人はたくさんいたが、工事は始まった。新幹線が開通する何年か前、筆者は少年向きの月刊雑誌かで新幹線よりさらに高速の鉄道が将来は出来そうであることを知った。



●『夢の超特急展-みんなの夢をのせて半世紀』その2_d0053294_2354379.jpgリニアモーターカーだ。新幹線がまだ開通していないのに気の早いことだと思ったが、その原理を使ったリニア新幹線がそれから半世紀以上経ってもまだ営業しておらず、気の長い話だと思っている。新幹線が「夢の超特急」だとすれば、リニア新幹線は「夢々の超特急」で、その言葉どおり、筆者が生きている間には東京と大阪間は開通しそうにない。だが、どのようなものであるかはさんざん喧伝されているので充分想像出来る。一昨日もネットに山梨で時速500キロを出したリニア新幹線に試乗した人の感想が載っていた。騒音と振動が凄いようで、快適とは遠いようだ。まだまだ改良の余地がある状態で、全戦開通までにどのようにそれがうまく進むのだろう。東京大阪間が1時間となると、忙しいビジネスマンには好評だろう。内田百閒のように電車に乗り続け、車窓からの景色を楽しみたい向きには用のないもので、新幹線の時よりもっと否定的な考えを抱く人が多いのではないか。それでも工事が始まり、開通するが、それはその技術を海外に売ることが出来るという目算があるからだ。新幹線がそのようになって来た。初めは東京大阪間を高速で結ぶということが前提であったが、今はその技術を海外に売り込むことに余念がない。十河信二にそういう考えが当初あったのかどうかだが、なかったと思う。この半世紀に新幹線が安全で運転し続けることが出来、また日本に大勢の外国人が観光で訪れ、新幹線の速さに驚いたことによって自国にもほしいという考えが芽生えて来た。そこには新幹線が日本の各地を走ることになって、その土地ならではの問題を解決する必要があったことも技術の蓄積に役立った。筆者は新幹線ですらさして関心がないから、リニア新幹線と聞いてもピンと来ないが、技術を高めるという考えは理解は出来る。順序は忘れたが、オリンピックの標語に「より速く、より強く、より高く」があって、それを知った筆者の世代はがむしゃらにそうした競争でトップを走ろうとして来た。東京オリンピックと新幹線開通が同じ年の同じ秋にあったことは意味がある。「より速く」の考えを鉄道に持ち込み、新幹線はそれを実現した。そうなればさらに「より速く」で、リニア新幹線の実現に向かうのは必然だ。それが実現すると時速1000キロ、そして本物の弾丸に人が入る2000キロの乗り物が発明され、最後はタイムマシンだ。冗談で言っているのではない。リニア新幹線の車内や車窓からの眺めの味気なさは、タイムマシンの発明の数歩手前にいることを思わせる。そんなタイムマシンは筆者が想像するに、乗客がある箱に入ってイメージした途端に目的の場所へ着くというもので、乗客の頭脳とつながれた装置が動く。つまり、乗客は日本の地下鉄や市バスの運転手のようにほとんどロボットの行動を強いられる。だが、面白いことに、どんな人間でも想像することは出来るから、タイムマシンを実現させなくても、いつでも好きな場所にいることを思い浮かべることが出来る。人間は技術の限りを尽くしながら、結局のところ人間の想像を越えることがない。それはさておき、新幹線を好ましく思わなかった百閒は、列車の目的にはいろいろあることを思っていたからだ。最大のそれは早く目的地に着くことだが、どのようなものでも楽しみ方はひとつということはあり得ない。電車や汽車の写真を撮りたいという人がいれば、その模型を走らせたいという人もいるし、早く目的地に着かないことを望む人もいる。新幹線は食堂車で食事が出来ることが当初大きな話題になったが、それも新幹線がただ早く着くことだけを目的にしたものではないことを示す。ところが東京大阪が1時間となれば食事の必要はもうないだろう。早く着くということだけに絞り込まれた蛸ツボ列車で、楽しみ方の選択肢が乏しく、百閒ならば呆れて物が言えないだろう。それでもそれが走るようになるのは、新しい技術の大きな成果であり、それを外国に売り込むと儲かるという算段だ。だがそれは取らぬ狸の皮算用であり、期待し過ぎない方がよい。
●『夢の超特急展-みんなの夢をのせて半世紀』その2_d0053294_23541337.jpg
 なぜかと言えば、新幹線で培って来た点検や整備などがリニア新幹線に応用されるとしても、時速500キロという未知の速さで走るからには、想定し得ない障害や事故があって当然で、それがうまく克服出来るかどうかということと、克服するために使われる手段が、また想定外のたとえば地震やテロによってかえって人間への被害を大きくする可能性が大きいことだ。どういうことかと言えば、時速500キロで走る車両が脱線すれば新幹線以上の大被害となる。脱線しないようにあらゆる手を尽くすが、それらを越える何かに対しては抗うことが出来ず、手を尽くしていたことが車両やその内部の人間に被害を及ぼす。大震災のあった東北では高さ15メートルの巨大な堤防が出来ている地域がある。それをリニア新幹線と比べてしまう。巨大堤防は1000年に一度の地震、津波でも大丈夫だろうが、1500年に一度の規模ではひとたまりもない。そしてそういう津波が起これば堤防が破壊され、その瓦礫が民家や人を襲う。堤防がなければ人々はすぐに高台に逃げることを身をもって学んでいたのに、巨大堤防の安心さから逃げることを考えず、安心を保証していた堤防によって下敷きになってしまう。地震があれば新幹線は停車するが、リニア新幹線では停まるまでにより時間がかかるし、その間に脱線するかもしれない。ま、自然災害の多い日本では逃げるが勝ちで、精密に組み立てた機器に人の命を預けるのは常に実験に晒されているも同じということを知っておいた方がよい。百閒は鈍行列車を好んだが、それは列車のない時代の人から見れば、筆者がリニア新幹線を何となく怖いと思うのと同じという人があるかもしれない。だが、鈍行列車はまだ馬車に近い感覚だ。では百閒は古い人間で、新しいものが理解出来なかったかと言えば、そうとも限らない。今でも鈍行列車はあるし、それで長距離を行くことを好む人がある。運賃は安いが、時間がたっぷりかかり、暇のある人でない限りは無理で、「時は金なり」で言えばその暇は大金に相当し、鈍行旅行を楽しむ人は金持ちという理屈になる。リニア新幹線代を支払うから鈍行に乗らせろと言う人も将来は出て来るかもしれない。これは、速度だけが列車の価値ではないことを示す。そう考える人が増えると、リニア新幹線の採算が取れるか心配になるが、前述のように日本で駄目なら世界に市場が広がっているとJRは思っているのだろう。そこで思うのは何でも金次第かということだ。そういう話は百閒の列車の旅について書かれた本にはないだろう。それほど日本が変わって来たのかもしれない。それを言えば十河信二が苦労したのも金の問題であった。ここでまた思い出すのが、先日の国会中継でも議員が発言していた「個人の命の次に大事な個人の財産」だ。この場合の財産は「金」だ。「物」でもあるが、保険屋はそれを金に換算する。命の次に金が大事というのは正論か。悪徳商人になった気分がするほどに嫌な質問で、自分の命と財産さえ守られれば後はどうなろうと知ったことではないという臭いが漂う。先日ネットで寂聴とホリエモンの対談が出ていて、ホリエモンは戦争は経済的に得しない限り起こらないと言い、またそれが勃発すれば国外に逃げると発言していた。ここでも金本位の考えが見える。だが、それは日本を初め、経済大国に顕著なことであって、貧しい国ではそうではないだろう。明治維新以前の日本がそうであったように、命や金より大事な何かがあると信じていた人たちが大勢いる。イスラム国の戦士は死を全く恐れていないとこれも先日ネットで読んだが、彼らは命の次に金が大事と思っている人間を嘲笑しているだろう。
●『夢の超特急展-みんなの夢をのせて半世紀』その2_d0053294_23543916.jpg 十河信二は今や世界で売り込める新幹線の生みの親として評価が定まった感がある。だが、彼はリニア新幹線をどう思ったであろう。また、新幹線が出来た当時、線路沿いにある住宅は車両が通過するたびに震動を味わい、小さな地震と勘違いしたが、そういう迷惑は新幹線の勝利によって忘れられる。新しいものはいいことづくめではなく、功罪が相半ばするもので、十河の評価ももう200年ほど経てばまたどう変わるかわからない。どんなものでも不動ではない。いろいろの見方が出来るし、またすべきだ。「夢の超特急」という素敵な言葉に夢を抱いた少年が後期高齢者の仲間入りをするようになった頃、「夢々の超特急」のリニア新々幹線が出来るが、それを目の前にしてどんな薔薇色の夢を見るか、あるいは幻滅を感じるか。東京でまたオリンピックの開催が決まったことはいかに日本が1964年から変わっていないかを示すようだ。何がと言えば、「より速く、より高く、より強く」の意識だ。高度成長期の夢をまだ追い続けていて、人口が減少して行くことに不安を感じている。大金持ちになるほどにさらに金がほしくなるという。筆者にはそれがわからない。それほどに金に縁がないと蔑まれるが、豊かな時間はそう言う人よりたくさん持っているつもりでいる。JRは「より速く」と永遠に追い求めるつもりなのだろう。それに伴って運転手や整備士はロボットのように正確な仕事を求められるが、それを非人間的とは思わず、むしろエリートの自意識を持つ。戦争中に駆り出された若者とどこか似ている気がする。とはいえ、ロボット的正確さは地下鉄や市バスにだけ見られるものではなく、郵便や宅配、病院やファミリーレストランなど、あらゆるところで求められ、それにあまり気づかすに誰もが暮らしている。そしてサービスを享受するのにロボット的完璧さを当然のごとく思い、些細なミスに立腹しがちで、挙句の果てに殺人事件まで起きる。さて、肝心の本展だが、今日の写真でだいたい会場の様子はわかるだろう。最初に新幹線車両の顔である先頭の鼻部分の実物大であろうか、模型が3つ横並びになっていた。64年開通時のずんぐりした鼻は「0型」と呼ばれる。「飛び出しボーヤ」の0系はそれに倣っての表現だろう。筆者は0系に数えるほどしか乗っていないが、そもそも新幹線のプラットフォームはとても長く、先頭車両を見ずに乗り込むことがある。ずんぐり鼻は怪鳥の鼻のように長く伸び、それでデザインの変更は打ち止めになるかと言えば、何でも流行があるから今後も変わるだろう。最大速度に応じて変化していたが、デザインはそのひとつのことだけに囚われない。美的さも大事だ。そしてデザインは時代を反映し、64年当時は斬新と思っていた0型は今ではえらく古く、新幹線の鈍行向きと言えばいいか、遅く走るように感じる。先日郵便局で新幹線の0型から現在までのいくつかの型を網羅した記念切手の特製シートが販売されていた。一瞥しただけで関心を持てなかった。筆者にとって新幹線切手は0型を印刷した64年の開通時に発売された10円のものに限る。何しろ中学生でまだまだ前途に夢があった。本展会場では0型や最新式の新幹線の運転席が再現され、前方の画面を見ながら運転出来るシミュレーターもどきがあった。それを小さな子が陣取っていて、親はその様子を嬉しそうに撮影していた。まだまだ新幹線は子どもたちにとって夢の超特急なのだ。最後はジオラマに模型の新幹線などを走らせるコーナーがあって、たぶん60代の男性が3人ほど奥に立って操作盤をいじっていた。彼らも子どもの頃に新幹線に魅せられたのだ。そうしたことに大いに影響を及ぼしたのが絵本で、それらがたくさんガラスケースに収められていた。今も同じようなものは売っていると思うが、一方では「機関車トーマス」の人気が高く、人間的な機械に人気があるのは好ましい。「より速く」だけが大切なのではない。ロマンがどれほど大きいかだ。ゆっくり走って見えて来るものがある。そういうあたりまえのことを新幹線は忘れさせかねない。
●『夢の超特急展-みんなの夢をのせて半世紀』その2_d0053294_23544069.jpg

by uuuzen | 2014-10-12 23:59 | ●展覧会SOON評SO ON
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