書き忘れないうちにこの展覧会について触れておこう。立命館大学の国際平和ミュージアムで10月いっぱい開催されていた。
予め入手していたチケットを持参して会場を訪れると、受付の初老のやや太ったおばさんが、半券を切らずにチケットを受け取り、そのままどうぞご覧くださいと言った。地下に常設展があり、1階の奥にあるホールでこの展覧会が開催されているようなので、半券がなければ後で困ると思い、また半券は記念で保管しておきたいので、「あのー、そのチケットの半券をいただけませんか。ちぎれるようになっていますから」と言った。するとおばさんはあっそうかという表情をして、箱か何かに収めたチケットをもう一度取り出し、必要部分をちぎって半券を手わたしてくれた。先に下を見て、後で1階を見ると言うと、「それなら、1階の会場に入る時にこの券が必要です」と言いながら、別のうす緑色のチケットをくれた。広々とした1階に学生の姿はそこそこ目立ったが、大人はあまり来ないのか、係のおばさんもあまり要領を得ていないようであった。それで地下に降りて常設展示を1時間ほど観たが、このことは以前に書いた。つまらないことをここで断っておくと、毎日こうして書いている文章はワープロを使用している。ブログは当然パソコンで投稿する必要があるが、ワープロは3階、パソコンは1階に置いてあるため、ブログの内容を確認するのがかなり面倒だ。いつどのような内容を投稿したかはパソコンのスイッチを入れて確認しなければならない。「以前に書いた」といった曖昧な表現にしているのはパソコンで確認するのが面倒であるためだ。さて、チケットの半券、それにチラシにもだが、砂漠のような砂地にインドのサリー姿の女性がひれ伏して嘆き悲しんでいる写真が印刷されている。写真の上下が砂の色に似た濃いベージュで、それが女性が身につける紫色のサリーと実によく合っている。そのためチラシのデザインはシンプルでありながら、よく写真を引き立てて印象に強いものにしている。最近は京都国立博物館がその代表だが、とてもゴテゴテとデザインのチラシが多く、盛りたくさんはいいが、かえって印象にうすいものが多い中、この展覧会のチラシはとても目立つ。
さて、肝心のその写真だ。女性の左には男の右手が見える。その手の下に鎖のような黒い紐状のものがあって、これに男がくくりつけられていたのかと一瞬思うが、実はこれは録音テープのからまった束だ。男の手の上方に少し見える紐は古ぼけたロープで、男は死んでいるのは明らかだが、その原因が拷問によるものかテロの爆撃の巻き添えによるものか、写真を一見するだけではわからない。だが、チケットにもチラシにも題名が印刷されている。「スマトラ沖地震による津波で親族を亡くし嘆き悲しむ女性」。インド・タミルナドゥ州カッダロールで12月28日に、インド・ロイターのアルコ・ダッタという人が撮影した。会場のホールに入って正面、まず最初にこの写真が大きく引き伸ばされてパネルに貼ってあった。改めてよく見ると、画面左下から右上の対角線に沿って地面に数センチの段差がある。それがこの写真を一幅の絵として見た場合、絶妙の構図を形づくっている。現実の一瞬を写し取ってもこのような構図の写真が生まれることはごくごく稀なことだろう。あるいは、写真家は冷静に構図を決めてシャッターを切ったかだ。上方から撮影しているが、女性と同じ地面上にカメラマンは立ってはおらず、ずっと下に見下ろせる建物か何かから撮影したに違いない。望遠レンズを使用したことも考えられる。それがなおさらこの写真からカメラマンの冷静さを伝える。またよく見ると、女性が広げる両手の指には砂がついていて、地面をこすったことはわかるが、そのこすった跡がはっきりと写っている。しかも最低でも数回はこすった跡があって、この写真の前に女性がどういう姿をしていたかがはっきりと想像出来る。女性は背中を丸出しにし、その右上にはサンダルが片方落ちている。女性は裸足であるので、これは女性のものかと思うがそうではないに違いない。また男性のものでもないはずだ。つまり、被害者がもっとほかにいるということをこの片方のサンダルが暗示している。そしてさらによく見ると、男の腕は白っぽく見えるが、これは皮膚が1枚ペろりとめくれてしまって、手首あたりで集まり寄ってしまっているためだ。腕の白い部分には赤い斑点が生じていて、しかもたくさんの虫がたかっている。腕が腐敗し始めて膨れている様子もわかる。皮膚がめくれ上がっているのは、水死した後の高気温のせいだろう。女性にも男の手にも影が写っていて、この写真がほぼ真上に近いところから撮影されていることを考えると、影の角度からして正午の前後2時間ほどの時間帯だ。津波による被害ということがわかってふたたび写真を見るとそのことがよくわかる。それは録音テープのからまった束だ。それはゴミであり、そんなゴミが死体と一緒に転がっているところに、何もかもくたに飲み込んでしまった津波の被害を端的に示している。
男の右腕の半分ほどしか写していないが、全体を見なくてもどういう状態かは充分に想像出来る。その酷たらしい姿を全部写さず、その身内の死に嘆く女性を中心に捉えた方が写真には自然災害の残酷な面がよく伝わる。死は常に死んだ本人よりもその人と関係を持っている人々の問題であり、その意味でもこの写真が死者を大きく捉えるよりも嘆き悲しむ者に重点を置いているのはよくわかる。だが、明らかに去年末の世界を驚かせた天災を撮影した写真ではあるが、ここには不意に身内を失うものの悲嘆がはっきりと写されていて、どんな災害、あるいは事件によって死んだとしても、同じ写真がそのまま転用出来るような、いい意味での普遍性と、あたかも映画のワン・シーンのようなドラマ性ゆえ、やらせ写真かもという懐疑心を起こさせる危うさもある。それは人間の嘆きというものを抽出して典型的に示しているからだが、もしこの写真から題名を省き、そして男の右手の下にあるからまったテープ屑を消せば、写真を見る者は男がどういう状態で死んだかわからず、あるいは写真は俳優による演技かとも思うかもしれない。役者を連れて来て同じような写真を撮ることはいくらでも可能だろう。この写真にはそういう作りものめいたところが少なからずある気もする。その感情は写真家が冷静にシャッターを切っていることから必然的に惹起されるものだ。迫り来る津波に向かってシャッターを切る場合とは違って、津波が引いた後の静けさが戻っての悲しみを撮影した場合、それは不可避的に入り込む冷静さというもののあらゆる側面だ。だが、実際に写真は正しくスマトラ沖に取材して得られたもので、題名もそのとおりにつけられ、しかもしかるべき公の場所で展示されているから、この写真に対峙する人は安心してこの写真によって津波の被害がどういう傷跡を残したかの一旦を認識、記憶することになる。そして報道写真というものは、報道されてなんぼのものであり、即時性が大きな要因だ。
報道は毎日、何時であってもTVやネットで伝え続けられている。そんな中にあって、写真家は撮影したものを新聞社に売ったりして生活をしているが、新聞や雑誌にただちに載らない写真もあることだろう。このスマトラ沖の大津波の写真が当時のインドのマスコミにすぐに掲載されたのかどうかは知らないが、こうして1年ほど遅れていわゆる展覧会という形で写真を見つめると、被害の残酷さよりも写真がいかに芸術的にうまく撮れているかに関心が向く。即時性の要因はもうすでに不要になっており、今大事なのは写真が芸術として見ても優れているかどうかだろう。そしてここに報道カメラマンの瞬時に判断してシャッターを切る能力の冴えが求められる理由があり、そのことがカメラマンの真剣勝負に常に晒されている過酷な日常を改めてうかがい知るという畏怖の念に似たものが写真を見る者の内部に湧き起こる。それは命を賭けた美の追求と言えばいいだろう。そして運が左右する。やらせ写真を撮るのでない限り、どんなに腕のいい、そして美的感覚に優れたカメラマンがいても、事件に遭遇する場にいなければいい写真に巡り合う機会はない。そう思えば画家とは比較にならないほどの無鉄砲で刹那的な職業と言える。それでも報道カメラマンでもいろいろだ。前にも書いたがマルク・リブーには非常事態下にある突発的な事件をスクープするような写真はなかった。人がさまざまであるならば報道写真家もそうあって当然で、誰もがこのスマトラ沖地震の現場に向かうことはない。会場でもよくわかりやすくしてあったが、200点ほどの作品はいくつかのカテゴリーに分けられていた。そのことはチラシの裏面に紹介される8点の作品からもわかる。前述したスマトラ沖のは「世界報道大賞」を獲得した作品だが、部門は「スポットニュース」だ。他に「ニュースの中の人々」「スポーツ・アクション」「ポートレート」「アート&エンターテイメント」「現代社会の問題」「自然」があって、作品数はほぼ同じでそれぞれに見応えがあった。写真はカラーとモノクロが半々程度で、どれもみな大きいため、写真集で見るのとは比較にならない迫力があった。だが、部門中、一番どきりとさせられたのは「スポットニュース」だ。それはマスコミで大々的に報道されるニュースに取材したものが主となっているので、新鮮かつ身近に感じるからかもしれない。この部門でもうひとつ目立った写真は、ロシアのベスランにおける学校占拠事件に取材したもので、2、3点あった。多くの子どもがテロによる爆弾の犠牲になっただけに、痛々しい様子がTVで映像を見るより伝わった。こうした事件直後の一端を切り取った写真に接すると、必ずしもTVでの動く映像ばかりが事件の様子をよく伝えるとは言いがたいように思う。それはやはりカメラマンの映像の切り取り方やシャッターを切るタイミングに工夫があって、事件がかなり過ぎ去った後でも、写真そのものが撮影当時の生々しい空気をそのまま閉じ込めるほどに絵としてよく出来ているからだ。
「スポットニュース」の次に「現代社会の問題」が並んでいた。この中で目についたのは中国の躍進する工業に取材した何枚かの作品だ。どの国の人が撮影したのか知らないが、チラシ裏面にある1点はハヒャエル・ヴォルフでドイツ人だ。中国人が告発的な色合いの濃い写真を撮影するのは少し考えにくいので、みな外国人が撮ったものだろう。広東州の南太工場では世界中の有名メーカーの名前をつけて販売される計算機を組み立てる工場があって、そこで働く女工の社員寮は10平方メートル、つまり畳3枚に8人が住んでいる。このあまりの蛸部屋状況は日本では人権問題にすぐになってしまうが、中国では平均的な姿なのかもしれない。昔の日本もそうであったかもしれず、どの国でも成長期にはそうした劣悪な環境での工員の労働が強いられる。しかし、巨大な中国では工場の規模も桁違いに大きく、1枚の写真では収まり切れないほどの広々とした空間を持っており、その中で働く工員はまさに勤勉な蟻のように見える。寮の外観もまるで蜂の巣の整然とした構造を思わせる。そうした非人間的な環境も結局のところ、欧米その他の国々の下請け工場として機能している中国にとっては仕方のない話かもしれず、人権無視を謗るとすれば、それは自分にも跳ね返って来るものであると言える。また、ショッキングな写真としてはずらりと横に並ぶパンツ姿の男たちがみな腕や足がないというものがあった。これには深セン(土へんに川)の工場だけで1日平均27人の労働者が体の一部を失っているという説明がついていた。男たちは無表情でカメラを見つめて撮られていたが、その淡々とした表情がかえって痛々しい。そうした頻繁な事故に支えられて中国の工業の発展があり、また欧米が依存していることを思うと、中国だけが人の命を軽んじてけしからんとは言い切れないものを感じる。だが、そんな中国の実情は突発的にやって来る大地震とは違って国際的なニュースにはなりにくい。そこで報道カメラマンが地道に取材して現状を伝えて行くことは意味が大きい。「自然」の部ではアメリカでの龍巻の接近を果敢に撮影したものが2、3点あって目を引いた。まさに命がけで、平和で豊かなアメリカでもこういう写真を撮ることに命をかけるカメラマンがいるという事実に、改めてカメラで報道するという人間の根源的とも言える興味と関心を思う。今思い出してみると、スウェーデンのまだ20そこそこの若い女性を写した何枚かの組写真も印象的であった。社会保障制度が充実していると思えるスウェーデンでも、若者が麻薬に溺れ、売春婦となって生活をしていることを描写したものだ。これは先進国に共通することかも知れず、日本も人事ではないであろう。時間がなくて、4分の3ほど見たところで終了の放送が流れ、後は駆け足で消化した。そのため「スポーツ・アクション」や「アート&エンターテイメント」の部門はあまり印象にない。毎年この写真展がこの館で開催されているのかどうか知らないが、初めて訪れたこの館はもっと多くの人が一度は訪れるべきもので、もっと広く宣伝されてよい。