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👽💚🐸🐛🍀📗🤢😱5月11日(土)、京都河原町三条下るLive House『DEWEY』にて👻『ザッパニモヲ 💐母の日LIVE』午後5時開場、6時開演。3500円👽筆者の語りあり。
●今回は初めての別会場での、そしてザッパ/マザーズの結成日である1964年の「母の日」から60年という節目における、ザッパニモヲの演奏です。チラシ画像はここ。恒例の手製のお土産をくじ引きで配布します。

●和歌山城、その2
戸を帰りがけに見かけたが、今はもう使っていないし、また水は涸れてしまったかもしれない。天守閣への出入り口前に売店があり、その間の土地は100人ほどが勢揃いすればいっぱいになりそうな空地で、当日は段ボール紙に絵を描かれたものが何枚か野外展示されていた。



●和歌山城、その2_d0053294_014424.jpg

学生による美術展のつもりであったのか、別の理由があったのかわからない。それほどに学生たちは声をかけるのでもなしで、やる気が感じられないものであったが、そののんびりした雰囲気が和歌山に似合っている気がした。その天守閣際の広場の片隅に井戸があるのだろうか。下まで降りて水汲みするのでは毎日作業をする者は大変であった。だが、それがあたりまえの仕事と思えば出来るものだ。今は水道があって蛇口をひねれば水が出ることを当然と思い過ぎだ。昨夜のTV番組に、フランス領のニューカレドニア島に住む日本人妻の特集があった。海外在住の日本人妻を紹介する番組はほかにもあると思うが、日本人女性は逞しい。世界中いないところはきっとないはずで、番組を作るのに不自由することがない。日本人夫がどうかと言えば、たぶん日本人妻の10分の1も例がないだろう。女が強くなったと言われるが、そのことは海外在住の日本人妻の多さからわかる。結婚して女性が夫の住まいに移住するのはどの土地でもそうだが、独身の時の便利な日本での生活を捨てて、不便な暮らしをせねばならなくなっても、女は潔く決心して男の土地に赴く。愛の力と言ってしまえばそれまでだが、国別で見ればそういう女性が割合として多いのは日本が世界一ではないか。それほどに日本人女性は従順であり、また働き者として世界中で認められ、求められてもいるのだろう。ただし、日本人男性は別だ。外国人と結婚するとなると、いわゆる玉の輿に乗るのでなければ絶対に嫌だと考える日本人女性は今もいるはずだが、そんな結婚を夢想している間に婚期を逃す。それはともかく、ニューカレドニア島の日本人妻の住まいが紹介された時、VTRを見るスタジオの芸能人たちは顔をしかめ、自分なら絶対に嫌だと言ったりした。まず便所がない。すぐ近くの林の中にある自分専用の場所で用を足すが、その最中に家族がすぐ際を通って別の場所でしゃがみ始める。電気も水道もなく、雨水を溜めてそれで生活すべての水を賄う。そのため、雨が降ると家中の容器を持ち出してそこに水を溜める。そういう生活にもすぐに慣れたようで、それは若さと、愛する夫がいつもそばにいるという安心からだろう。彼女は日本で生まれ育ったので、電気や水道の便利さに骨の髄まで馴染んでいるはずだが、それでもそういう文化の手段がない場所での暮らしに慣れることが出来る。そうであれば、江戸時代の人たちは水汲みのために天守閣とその石垣下の井戸を日に何度も往復することは辛いどころか、井戸という便利なものに感謝していたであろう。そう思えばまたニューカレドニアに嫁いだ日本人妻はとんでもなく順応性のある女性と思ってしまう。郷に入れば郷にしたがえ。その言葉を当初は何度も思い返して現地での生活に慣れようとしたと思うが、慣れてしまうとさして不自由を感じない。日本とニューカレドニアの対比は案外日本の中でもあり得るもので、大金持ちと貧しい人とではあらゆるものに差があって、大金持ちは貧乏人の生活を絶対に嫌だと拒否するだろう。だが、金持ちでも貧乏人でも生きていることには変わりがなく、それなりにどのような人も感動もあれば怒ることもあって、人間にとって一番大事なことが何かとなれば、金ではないと思う。ただし、それは貧乏人の考えで、金持ちは金と思っているだろう。
●和歌山城、その2_d0053294_013960.jpg

 普段坂道を歩かない者にとっては和歌山城の天守閣が建つ広場まで上がって行くのは息が切れる。当日の3日前に姫路の書写山から麓まで歩いて下りたので、それに比べると全くたいしたことのない距離だが、平地に住む平民の方が住まいに関しては便利でよかった。城はどこからも目立つが、平地から上り下りするのは大変だ。よほどの用がない限り、足腰が衰えた高齢者は天守閣に赴くことを嫌ったであろう。武士もそれなりに大変であったということだ。それでも和歌山城と同じような丘の上に家がある人はいくらでいるから、案外丘の上からの景色は便利さを犠牲にしても捨て難い魅力があると考える人は多いか。だがそれは車があってのことだ。車なら坂の上り下りが出来るから、小高い丘の上に家があっても不便を感じないだろう。和歌山城の天守閣前まで馬が上り下り出来たかとなると、さてどうだろう。また、現在の和歌山城は鉄筋コンクリートで、建設のために大型トラックが坂を上り下りしたはずで、その道は特別に設けたのだろうか。たぶんそうだと思うが、天守閣が完成した後は不要となって撤去したのか、それとも大型トラックが利用した道は江戸時代に使っていた馬が利用する道を拡幅したのかもしれない。今日の2枚目の写真は1枚目の写真を撮った位置の右手にあった城の案内図で、赤い線やA、B、Cは筆者がつけ加えた。まずそれを説明すると、Bは美術館を出た後に行った地点で、「不明門跡」(あかずのもんあと)と言う。そこから天守閣に上れるかと思うと、駐車場への出入り口となっていて、人は通行出来なかった。それでA地点まで歩いた。「県庁前」というバス停があり、JR和歌山駅からそこまでバスに乗った。つまり、美術館を一巡した後はまた元の場所に戻った。バス停を少し北上したところが1枚目の写真の門で、「追廻門」(おいまわしもん)と呼ぶ。AからBまではわずかだが、その間にバス停前の国道24号線沿いのいくつかの店の前を通り、脇道に入ってさらに民家などの前を歩く。これがまた和歌山の人たちの生活感があってよい。たばこ屋では風蘭の小さな鉢を数個販売していて、1鉢数百円であったので、ひとつほしかったが、南海和歌山駅の高島屋でどっさりと買い込んでコインロッカーに入れて来たことを思い出すと、もうそれ以上の買い物はとてもする気になれなかった。それに風蘭の育て方がわからず、わかっても筆者なら枯らしてしまう。追廻門を入るとジグザグと歩き、やがて緑色の石を敷いた階段が始まる。その坂の半ばで立ち止まって撮ったのが3、4枚目で、3枚目は下り方向、4枚目は上りを見ている。4枚目前方に見えるのは家内だ。いつもなら筆者が50メートルほど先を行くのに、その時はあれこれ被写体を探していてそのうちに家内が追い越した。昼を食べたばかりなので、家内は元気が戻っていたのだろう。4枚目は天守の石垣が奥に見えているので、最後の上り坂と言ってよい。緑色の石は写真からも多少はわかるだろう。これが吉宗時代から敷かれていたものかどうかはわからない。鉄の手すりは現代のものだが、そのほかは江戸時代のままではないだろうか。あるいは3枚目の写真の奥に街灯が見え、鉄筋コンクリートで城を建てる際に電気や水道をこの石の坂の下に通し、その際に表面の石はきれに貼り直したかもしれない。今調べると、この坂は「新裏坂」で、江戸時代からあったはずだが、現在の姿になったのは天守が鉄筋コンクリートで再建された時であろう。天守再建の際に出入りしたトラックは「不明門」かその東の「岡口門」から出入りし、またその道は江戸時代は馬が通れるほどの幅があったと思う。2枚目の城内案内図で言えば城のイラストが描いてある場所が現在の天守の位置で、その少し上、方角で言えば東に赤茶色で塗られる区画が本丸跡で、その北の緑色に塗られる二の丸跡とともに現在は更地になっている。これらの建物が現存してれば、その内部を美術館や博物館に利用することは充分可能で、そのような案が出てもよかったのではないか。現在の和歌山城はこじんまりとしていて、何となく物足りないが、本丸や二の丸、そして南の丸が建っていればどれほど風格があったことかと思う。今から復元するには財政がまず許さないだろう。
●和歌山城、その2_d0053294_0143539.jpg さて、和歌山城の写真をたくさん撮って来たので、まだ和歌山城について投稿するが、10数年前に家内と訪れた時と同じ坂を上ったはずなのに、その記憶が全くなく、今日の4枚の写真は初めて見る思いで撮った。前回よく覚えているのは、天守を見た後、動物園の傍らを通って麓に下りたことだ。その時のことを家内に言うと、老人男性がハーモニカで童謡を吹いていたと返した。そう言われて初めて筆者もそのことを思い出したが、2枚目の写真を見ながら、どの道をたどって下りたのかはわからない。城内案内図で言えば一番上すなわち東端の東堀の南端にある「岡口門」から出たのは間違いない。その門は重文で、今回も見ればよかったが、前回とは違う道をたどろうと思わなかったにもかかわらず、自然とそうなって初めて踏み込んだ場所が多かった。動物園は「和歌山公園動物園」という名前で、2枚目の写真のBの文字より少し左すなわち北にあって黄色い色が塗られている。記憶では坂の上だが、実際はそうではない。また記憶では動物の臭いや声が聞こえただけで、檻などは目に入らなかった。また保育園児の声が聞こえ、保育園が近くにある記憶があるが、それは10数年の間に作り上げたもののようだ。ともかく、動物園が併設されていることは心が和み、いい記憶になっている。今回はその近くに行かなかったが、動物園の区域はごく狭く、姫路動物園のようにTVで紹介されるほどの動物がいるのだろうか。今調べると、入園無料だ。それに面白い動物や水禽がいて、楽しそうだ。大正15年に出来たというから、歴史は古い。天守はアメリカ軍の爆撃で焼け落ちたが、もったいない話だ。城を狙わずに残そうという考えがなかったのだろうか。そう言えば原爆も当初は京都に落とすつもりであったから、アメリカは世界一の野蛮人国、成金国ではないか。歴史が浅いので、歴史の長い国に憎悪を抱いているのだろう。城内案内図に「○○跡」の文字が5つあって、その分広々としているが、それは物足りなさも感じさせる。名古屋城も戦争で爆撃されたが、何年か前に本丸御殿の再建が始まり、もう数年で完成する。市長の考えで決まったことで、和歌山城も本丸跡がそのまま更地になっているのであるから、本丸を復元するのは費用の問題だけではないか。シャッターを閉めた店が目立つ商店街を思うと、和歌山が朝焼けの勢いを持つのはいつのことかと思う。日本全体が夕焼け時にあるような現状では全く期待出来ない話のようだが、江戸時代の人口は現在の数分の1で、和歌山市内の現在の閑散とした雰囲気はもっとそうであったのではないか。世界有数の金持ち国になったというのに、何にお金が消えているのやら。
●和歌山城、その2_d0053294_0134013.jpg

by uuuzen | 2014-10-06 23:59 | ●新・嵐山だより
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