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●夕焼けの頃
静薬というのがあるそうだ。筆者はめったなことには薬を飲まないので、薬の知識は皆無に近い。興奮剤というのもあった気がするが、鎮静剤にしても心と体にどう作用を及ぼすのだろう。



●夕焼けの頃_d0053294_0384213.jpg今日は家内と電車に乗ってあちこち出かけ、考えさせられる場面にいくつか遭遇した。家内は嗅覚がよく、悪臭漂う人物を筆者にこっそりと知らせることがよくある。風呂に1か月は入っていないような臭いで、10メートルほど離れても臭うといったことをたまに聞く。今日もそんなことがあった。前を行く70代の男性がそうだと言う。それでその男性がずっと先に歩いてもうその男性のことを話しても聞こえないほどになった頃、筆者らは歩き始めたが、筆者はその男性の悪臭には気づかなかった。後ろ姿を見ると、それなりにしゃんとした服装で、サラリーマンを勤め上げた雰囲気だ。筆者が想像したのは、奥さんに先立たれ、身の周りの世話をする人がいないことだ。奥さんがいれば悪臭を発する下着や衣服を用意しないだろう。その男性は家事が面倒になっていて、そこそこ見栄えがよければ臭いは多少どうでもいいと思っているのではないか。そういう男性には誰しもなり得る。老人だけではない。まだ20代や30代でも同様の悪臭を漂わせている場合がある。高齢者になると、何をするにも億劫になり、また人目を憚らなくなりがちだ。そういう老人を筆者は身近でも見かける。最近の老人は切れやすいとネットで以前に読んだことがあるが、人間を樽にたとえると、老人になるとそれが緩んで来る。肉体的にも精神的にもだ。若い頃なら自制が働いたことでも、もうどうでもよくなる。その気分は筆者にはわかる。とはいえ、筆者はまだ若い方と思っているので、他人の目を気にする。他人の目を気にする必要はないという勇ましい意見があるが、あまりにも気にしなくなって気づけば周りに知り合いがひとりもいないということになりかねない。そういう高齢者は少なくないだろう。親子であっても同じで、高齢になるほどに親が怒りっぽくなると、子どもは老化のせいとわかっていながら、一歩距離を置きたくなる。親であってもとばっちりはいやであるからだ。他人ならなおさらで、いつも怒っているような人には誰も近寄らない。それでますますその人は怒りっぽくなる。親切に接する人に対しても疑ってかかり、遠ざけてしまう。そういう老人が怒りながらも他人に迷惑をかけずに死んで行くならいいが、切れやすい老人が多いということは、関係する他者にいちゃもんをつけることで生きている自己主張をすることで、怒りを買う方はいい迷惑だ。そして時にはその老人以上の怒りを返す人があって、老人を殺してしまうという事件も起こる。怒るのは何もいいことなしで、自分も心を鎮静化させた後、とても気分が悪いものだ。筆者は自治会長をしていた4年間、自分より目上のある人にどういうわけか嫌われ、事あるごとに言葉の攻撃を受けた。目上であるし、また地元に長年住む人なので、黙って耐えたが、一度だけたくさんの人がいる場で、はっきりと物事を言ったことがある。面白いことに、その人は今の会長にも嫌われるようなことを口にしたが、嫌われる老人は誰しも同じ感情を抱いている。そして当人はそのことに本当は気づいているが、もう心を改められない。またその必要はさらさないと思っている。嫌われ人としてそのまま死んで行くが、そのことをわかりながら、また怒りをぶちまける「優しい」相手を物色している。そのように老人とは厄介なもので、これからの日本は未曽有の嫌な雰囲気が満ちて行く。嫌われ老人にならないためにはどうすればいいかを考えればいいのにと若い人は思うが、先に書いたように、もう心身ともに緩んで他人にどう思われようと威張り散らして生きることがストレスの解消になると思っている。
●夕焼けの頃_d0053294_03858100.jpg

 今日は心斎橋を歩いていると、西の空の夕焼けが見事であった。その写真を最初に掲げる。先ほど加工しながらがっかりしたのは、感動した色具合とは全然違うからだ。現実はもっと輝いて美しかった。人生の夕焼けとは高齢者で、しかも死ぬ少し前と言ってよい。死の少し前に誰しも夕焼けのように輝き、自分でも生きて来てよかったと思えるのであれば人生は本当に生きて来た甲斐がある。だが、そのように感謝出来る老人がどれほどいるだろう。あるいはたいていの老人はそう思いながら、そのことを顔に出さず、いつもぷんぷんして怒りを巻き散らすかもしれない。老人は心がねじ曲がりやすいので、それが現実かもしれない。昨夜のNHKの教育TVで、元グループサウンズのギタリストであった井上堯之が出ていた。途中から見たが、最初はどこの老人かと思ったほどに過去の面影がない。顔に染みがたくさん出来、どこにでもいるような痩せた老人だ。ギタリストを辞めて小樽に移住し、そこで親交のあった医師から日本の童謡の楽譜をある日手わたされる。そして高齢者を慰問する場でギターを弾きながら童謡を歌うと大人気で、初めて日本の童謡に美しさを理解した。それからは人が変わったようにまたギターの練習を積み、東京に戻ってライヴハウスで活動を続けるようになった。ギターの弾き過ぎで指が腱鞘炎になっているが、それほどにまたギターを弾くことを楽しいと思えるようになった。今は70代半ばだろうか、人生で最も充実していると語っていたが、それは顔の表情からわかる。ちょうど今が彼の夕焼け真っ盛りで、そういう彼の姿に感動させられる人が多い。格好いい老人にはなかなかなれない。それには努力が必要で、気の緩みを自覚しなければならない。また、怒るのは損であるという気持ちのゆとりも欠かせない。だが、ギター一筋で生きて来た彼のような幸福な老人はごく少ない。大部分は夕焼けの輝きを周囲に認めてもらえるのに、雨でそれを台無しにしてしまう。今日は展覧会に3つ訪れたが、その最初の会場では学芸員が作品解説をした。ちょうど筆者らが館内に入ってすぐに説明が始まり、30人ほどが群がって各作品の前をゆっくりと移動した。筆者は家内にその説明を聞かせ、自分は必要がないので、その集団より先に作品を鑑賞することにした。集団に限れるとせっかくの作品がよく見られない。また学芸員の声は離れていてもよく聞こえるほどの小さな美術館だ。2階の展示もほとんど全部見終えた時、突如背後で老人男性の怒声が響きわたった。解説するのはいいが、たくさんの人が集まっているのでその背後を歩くことも出来ないというのだ。学芸員はすぐに謝り、集団に対して道を少し空けるようにと注意した。それでも老人の怒りは収まらず、それから2分ほどはまるで喧嘩のような不穏な空気が漂った。筆者は老人や集団から15メートルほど離れていたので、詳細はわからなかったが、筆者のもとにやって来た家内によれば、最初に老人が発した怒声に対し、集団の中のひとりが、「館内では静かにしてくだい」と注意書きが随所に貼ってあると切り返したそうだ。それに対し老人は怒り、なおかつそれがなかなか鎮まらなかった。逆に注意されたことがよほど頭に来たのだろう。本末転倒という言葉も発していた。それに、解説など必要のない人に絵をしっかり見させないように場所を塞ぐとは何事かと、正論めいたことをわめいていた。立派であったのは学芸員だ。そのことがあっても声色を変えず、最後まで笑顔で説明を続けた。筆者ならそこまで出来なかったかもしれない。
 老人の声は異様に大きく、また怒るほどにそうなった。切れる老人の代表を見た気がした。そして驚いたことに身なりはきちんとしていて、どこかの大学の総長のような風格と顔つきだ。そこで思ったのは、たぶん社会的に地位のあった人で、今までの人生では誰にも文句を言わせなかったのであろう。自分ほど偉い者はいないという考えで定年まではやって来れたに違いない。その頃の威張りが抜けないどころか、かえって年を重ねるごとに強まっている。そして何か機会があればすぐに怒りをぶちまける。こういう老人が一番厄介かもしれない。誰からも相手にされないので、ますます孤立し、ますます怒声を発する。憐れな人を思えばいいが、大勢の人が静かに鑑賞している雰囲気をぶち壊して平気で、場所が違えば切れる若者に袋叩きにされるだろう。美しい夕焼けの年頃であるのに、なぜそのようにちょっとしたことで怒り、相手を打ち負かそうとするのだろう。だが、確かに学芸員の説明は必要ないと考える人はあって、そうした鑑賞者の妨げになることは館としても慎む配慮はあってよい。帰りの電車で家内は切れる老人に今まで何度も出会ったことを言った。ある百貨店でのことだが、身なりのいい老婆が若い店員に向かって切れていたらしい。「いらっしゃいませ、いらっしゃいませとあまりにうるさい!」。その様子を見かけた家内は、金持ちの老人でもそのような威張った態度に出るかと思ったそうだが、確かにその老人の思いももっもとなところがあると感じたそうだ。百貨店にすれば売り子の挨拶は奨励しているが、客にとってそれが口先だけに聞こえることはよくあり、何だか買い物を強制されている気になる。老婆の立場に立てばそうだ。だが、「いらっしゃいませ」というサービス言葉に対して怒りをぶちまけられると、売り子はいい気分ではない。売り子は「このババア、何を偉そうに」と思うはずで、またそのことを顔に出せないので、その売り子はいつかその老婆と同じように怒りやすい人格になる。つまり、怒りは全くいいことなしだ。だが、怒りは老人だけのものではない。ストレスの多い社会とやらで、若者にも蔓延している。権力者に対する怒りならわかるが、弱者や優しい人と見るやいじめの気持ちが湧くのか、怒って気分を発散するというのがいる。本人はそれで本当に怒りが収まって気分がすっきりしているのだろうか。そういう若者は老人になると、切れる老人どころではなくなるかもしれない。ここには書かないが、今夜ネット・オークションでここ10年では最大のいやなことがあった。いつかそのことを詳しく書くつもりでいるが、出品時や取引ナビの文面からでも常軌を逸している人物であることがわかった。そういう人物と出会わないようにしたいが、ネット社会ではある程度はそうした人物と擦れ違うことを覚悟せねばならない。さて、今日の2枚目の写真は今年の正月に中山観音に出かけた帰りに阪急電車内で撮った夕焼けだ。家内の顔がぼんやり写っている。3枚目は4月に松山市に行った帰りのJR車内から撮った夕日だ。きれいな夕日や夕焼けの瞬間が人生が終わろうとしている時に誰しも用意されているとすれば、怒りを抑え、周囲に美しい輝きを見せるように心がけるべきだ。老化とともに何でも緩むが、そうであるからこそ、心の緩みは引締めて不快感を他者に与えないようにしたい。それが無理な人はさっさと早く死んだ方が自分のためでもあるし、周囲の人のためでもある。怒り狂う老人に鎮静剤を投与するという時代が早々に来ないとも限らない。触らぬ老人に祟りなしで、老人はそのことをもっと自覚した方がよい。
●夕焼けの頃_d0053294_039143.jpg

by uuuzen | 2014-10-04 23:59 | ●新・嵐山だより
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