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●「NE ME QUITTE PAS」
敬すべき音楽家としてジャック・ブレルはスコット・ウォーカーにとって最初にして最後の偉大な才能ではなかったか。今日は昨日の続きとして邦題で「行かないで」と訳され、60年代にヒットしたブレルの曲を取り上げる。



●「NE ME QUITTE PAS」_d0053294_18145225.jpg

筆者はこの曲をイギリスの女性歌手ダスティ・スプンリングフィールドの歌で知った。1967年のことだ。彼女のシングル盤は「この胸のときめきを」と「風のささやき」を発売された当時買っただけで、今も所有していないが、「行かないで」はその後スコット・ウォーカーもカヴァーし、そのシングル盤は買った。ジャケット見開き内部にその日付が書いてある。1970年4月12日で、18歳だ。それから44年経ってこうしてこの曲について書くことになるとは夢にも思わなかったが、本当を言えばブログを始めた頃からいずれ書くつもりでいた。もうそろそろと思ったのが2年前で、去年は気づけば季節が秋になっていて、「また来年」と書いた記憶がある。秋ではなぜ駄目かと言えば、歌詞に「On this summer day」や「In the summer sky」があって、夏に恋人が去った悲しみを歌っている。9月30日はかろうじて夏としてよいから、今日投稿しなければまた来年の夏まで待たねばならない。それはさておき、昨日取り上げたウォーカー・ブラザースの「孤独の太陽」のジャケットには「ビートルズはもう古い!」となかなか勇ましい謳い文句が書かれていて、当時の彼らの人気ぶりがわかるが、特に日本で人気があったと言ってよく、レコード会社の鼻息の強さを示している。彼らがビートルズと同じ東芝音楽工業からレコードを出していればこういう表現はされなかったはずで、ビクターがビートルズ級のミュージシャンを抱えていなかったことの悔しさがうかがえる。あるいは、騒々しいロックンロールの時代が終わり、じっくりと歌を聴かせる大人の音楽が流行るという目算があったのかもしれない。筆者がスコットの「行かないで」を買ったのは名曲と思ったからだが、当時このシングル盤の解説などで、この曲のオリジナルはシャンソン歌手のジャック・ブレルが書いて歌ったことを知りながら、今のように簡単に音楽を無料で楽しめるYOUTUBEがあるはずはなく、ブレルのアルバムを買う必要があった。だがそれは小遣いに乏しい10代にとっては無理な話で、また金があってもほかのミュージシャンのレコードを買った。それにシャンソンのレコードを常時置いている町の小さなレコード店はまずなかったのではないか。つまり、ブレルの名前を知っても興味はそこで留まるしかなかった。それを一歩乗り越えてレコードを買う10代はよほどの金と暇のあり、また周囲にシャンソン好きの年配者がいてその感化を受けていた場合に限るだろう。筆者の周囲には洋楽のレコードを買う大人や友人もいなかったから、大阪より小さな都市であればなおさらスコット・ウォーカーの「行かないで」を買って次にブレルのアルバムを買うという10代はいなかったと思う。それはともかく、長年ブレルの名前は気になっていたが、70年代以降、日本でシャンソンないしブレルの人気が急激に高まったことはない。一部には熱烈なシャンソン・ファンはいるが、筆者の周囲には皆無で、シャンソンは長年未知の領域であり続けた。以前このカテゴリーでエディット・ピアフの曲を取り上げたが、それは純粋に感動したからで、そのきっかけはNHKのFM放送でシャンソンの大御所が数人紹介され、それをカセットテープに録音したものを家内が聴き始めてのことだ。80年頃に録音しながら筆者は相変わらず関心が持てず、何年もそのままにしていた。だが、そのカセットにはブレルは含まれていない。ではどうしてブレルの歌声に接したか。それはパソコンを買い替えてYOUTUBEを楽しめるようになってからのことであるから2年ほど前か。全くいい時代になったもので、ブレルのライヴで歌う映像が見られる。そしてそれを見た途端に驚嘆した。これほどの歌手は今後も生まれないに違いない。ただちにそう確信させるほどの熱唱で、40年ぶりにスコット・ウォーカーがブレルを強く意識して数曲カヴァーしたことの理由がわかった。
●「NE ME QUITTE PAS」_d0053294_1816910.jpg 「行かないで」はブレルの原曲の題名を訳したものだ。英語の詩はブレルのものとは少し意味が違って、省かれている箇所もある。また題名も「If You Go Away」で、意訳されている。歌詞の内容は本当は女性が歌えばいいような感傷的過ぎるもので、エディット・ピアフは男が書いてはならない詩とブレルに苦情を言ったそうだ。10代の筆者でもそう思ったほどで、この曲が好きとは人前では言えない気がしていた。あまりに女々しく、こっそりとレコードを楽しむというのが当たっていた。だが、ブレルが心の底から感じたことを書いて歌ったのであって、真実味が籠る。ブレルの曲はどれもそうで、真実とは何かを知るには最適な例と言ってよい。この曲はたちまちカヴァーされることになって、スコットが知ったのはブレルのオリジナルを聴いたからではないかもしれない。オリジナルは1959年の発表で、その10年後のカヴァーはかなり遅いからだ。スコットの「行かないで」のシングル盤の解説には彼の3作目のアルバムについて書かれている。1,2作目よりはるかによい出来栄えで、また今後はシングル盤を出さないと発表したともあるが、「行かないで」は日本向きに特別にその3作目のアルバムからシングル・カットされたのかもしれない。ちなみにこの3作目の最後に本曲が収められている。アルバムのジャケットはアイシャドウを施した女性の片目を画面いっぱいに拡大し、その瞳にスコットの顔が映っているもので、ビートルズでは考えられないものに仕上がっているのがよい。このアルバムは名作と呼ぶにふさわしく、スコットの名声を確立したもので、3曲がブレルのカヴァー、残りがスコットの作詞作曲で、ブレルのような歌手になりたいと思っていた様子がわかる。ブレルの3曲はどれもよく出来てはいるものの、ブレルのオリジナルと比較すると物足りない。それほどにブレルのヴァージョンは不滅の光を放っている。こう言えばスコット・ファンから怨まれるかもしれないが、ブレルとスコットでは格が違い過ぎる。だが、声の質は別で、スコットの深みは唯一無二で、男でもその声にうっとりしてしまう。ブレルの声はさほどよくないし、また彼の顔は決して男前とは言えないが、そういう彼がなぜ偉大な歌手として評価されるかと言えば、もうそれは歌を聴くしかない。彼の名曲「アムステルダム」はスコットやまたウテ・レンパーもカヴァーするが、足元にも及ばない。ブレルの名は「アムステルダム」1曲でも永遠に記憶されるはずで、そこにはブレルが人生のすべてを費やして獲得した思想が短い詩に凝縮されている。簡単に言えば命と引き換えにその曲を生んだ。そういうことが出来るのは天才だけで、ブレルは真の天才であった。それを20代半ばのスコットはひしひしと感じ、カヴァーすることにしたが、当時ブレルは自作曲がたくさんの外国の歌手に歌われることをどう思い、またスコットの本曲を聴いたかどうかは、何か資料が残っているのだろうか。ブレルは1978年まで生きたから、スコットの歌声はレコードを通じて充分聴くことが出来た。では、スコットはいつブレルの影響から逃れ得たのだろう。あるいは今なお心酔しているかどうかだが、そのことで筆者は気になったことがある。ウテ・レンパーが2000年に発売したアルバム『PUNISHING KISS』はなかなかの意欲作で、時折筆者は聴く。その中の1曲クルト・ワイルの「Tango Ballad」は以前このカテゴリーで取り上げた。同じアルバムの最後に11分という長い曲がふたつ収録されている。「N.S.Engel」という作曲者で、これはスコット・ウォーカーの本名だ。何とウテはスコットと組んで彼の新曲をカヴァーし、それを新作に含めた。同アルバムはワイルのほかに、エルヴィス・コステロ、トム・ウェイツ、ディヴァイン・コメディなどの曲を歌っているが、スコットは別格の扱いだ。ウテとスコットがどのような交遊をしているのかは知らないが、スコットは女性歌手としてウテは現在最高クラスのひとりとみなしているのは確かであろう。またウテも先輩歌手としてスコットを見ているのだろうが、そこにはブレル好きという共通項もありそうだ。
 『PUNISHING KISS』は最後の大曲によってウテのアルバムでも最も個性的で畏怖すべきものとなっている。筆者は最初にその2曲を聴いた時、かつてのスコット・ウォーカーがここまで変化して来たのかという驚きで面食らった。その次に思ったのは昨日取り上げた「孤独の太陽」で、その歌詞にある絶望感はその後もスコットに保ち続けられたという確信だ。「太陽はもう輝かない」も否定的な歌で、本曲もそう言ってよい。スコットは自分が歌う曲をプロデューサーから押しつけられたのか、あるいは自分で選んだのかはわからないが、20代半ばで歌って大ヒットした曲の雰囲気はその後自信のオーラになって持続して来たとみなすのは間違った考えとは一概に言えないのではないか。つまり、他人の作品であっても自分の思いに沿ったメロディや歌詞であったので、思いを充分込めて歌い上げることが出来、またそのことによって大ヒットした。その後の歌手としての活動は、たとえばブレルのように名曲を書いて歌い続けるというのが本道だが、ブレルの才能にかなう曲作りはもう不可能、あるいはもはやそういう時代ではないとスコットは時代を読んで来たように思う。『PUNISHING KISS』に収められるスコット作曲の2曲はほかに例がない個性を持っている。簡単に言えばアヴァンギャルドだ。そして面白いことにその2曲をスコットは自作のアルバムに収めていない。まずウテに歌わせて反応を見ようとしたのかもしれない。筆者は聴いていないが、彼の1995年のアルバムが前衛的なもので、その次の11年ぶりに発売された『Drifts』はさらにその傾向を深めたものとされる。今月新作が発売される予定で、その中にはウテに歌わせた2曲のうち「Lullaby」が収められる。しかもそれは暗黒サウンドとでも言えばいいか、ギター・バンドの「SUNN O」(サン)とのコラボレーションで、スコットはいつの間にか大きく脱皮し、また最も先端を走る音楽家に変貌していた。そうした近年のスコットの曲を知るには、YOUTUBEで見られる「Bish Bosch」がよい。50歳を超えてなおも革新を続けるスコットは、ブレルとは違った意味で天才と呼ばねばならない。そして、現在の前衛的な作品は気まぐれから生まれたものではなく、奥底では20代半ばの活動とつながっている。さすがに加齢による声の衰えはあるが、どこにもない、誰も聴いたことがない音楽を作ろうという果敢な考えは見上げたもので、かつて「孤独の太陽」のジャケットに書かれた「ビートルズはもう古い!」のキャッチコピーはまさにそのとおりだ。現在最も意欲的な仕事をしている音楽家のひとりとしてスコットを評してよい。ブレルのことを書くつもりがスコットのことが多くなった。そうそう、ブレルの全集が何年か前に発売され、数万円出せば中古で買える。何度も買おうかと考えながら、一方でスコットやサンの新しい音楽を聴く方が楽しいと思ってしまう。
by uuuzen | 2014-09-30 23:59 | ●思い出の曲、重いでっ♪
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