呂律が回りにくい「書写山」だ。筆者はこれを「しょしゃさん」と読むと思っていた。それが訛って家内相手に「しょしゃしゃん」と連発したが、志納所でもらったリーフレットには「Shosyazan」とある。
なるほど。昔の人もきっと「しょしゃしゃん」と口に出やすかったのだろう。「しょしゃざん」なら「しょしゃじゃん」とは言いにくい。いや、そうでもないか。韓国ドラマを見ていると、「ピザ」のことを必ず「ピジャ」と発音するが、韓国人に「Shosyazan」を読ませると、「しょしゃじゃん」と発音するだろう。「しょしゃじゃんでもわかればいいじゃん」で、筆者は相変わらずふじゃけて「しょしゃしゃん」と言う。あまりふじゃけていると、それが他人相手につい口に出そうな場合がある。それで今思い出したことがある。書写山の麓からバスに乗って姫路駅前に向かいながら、姫路城に近いバス停で下りるのにそれがどこがいいかわからない。京都の市バスなら、運転席の背後にバスの路線地図がある。そうした類を探しても神姫バスにはないようだ。印刷して持参した地図は役に立たず、車窓からの風景を気にしながら、姫路城に最も近いバス停で下りる頃合いを見計らった。結局下りたバス停は「大手前」で、どうにか望みどおりとなった。書写山を徒歩で下山したこともあってまず腹ごしらえをどこかでしようと考えた。バス停からは姫路に行けば必ず歩く商店街は目と鼻の先だ。まず目に入ったのは「御座候」の店だ。前に書いたように、姫路名物のひとつで、大阪では昔から太鼓饅頭や回転焼きと呼んでいる餡子入りの厚さ3センチほどの円柱形の焼き菓子だ。鯛の形をしたものは昔はほとんど見かけなかった。鯛焼きの方が美的センスがあるが、実質で言えば回転焼きの方がずしりと重くてよい。筆者はたまにこれが食べたくなる。おはぎにしろ、太鼓饅頭にしろ、筆者は餡が好きで、缶入りを買って来て朝のトーストに載せることもよくある。それはさておき、まさか昼食に「御座候」はない。それで商店街を少し北上して右手にあった間口の広い食堂に入った。開店20周年か何年か忘れたが、記念セールをやっていて、どのメニューも同じ値段であった。刺身定食かトンカツ定食か、ま、そのような類しかなく、確か毎日20食限定の「本日の定食」を注文した。筆者の斜め右前5メートルにジーンズ姿の30代の母親と小学3,4年生の息子がいて、食べ終わった母親は筆者と何度か目が合った。美人というほどでもないが、色気があった。8月27日はたぶんまだ夏休み中で、姫路の親類の家にでもやって来たのか、あるいはたまには外食という気分になったのだろう。家内はその母親に背を向け、その母親の息子は筆者に背を向けていたので、筆者とその母親が何度か目を合わせたことは誰も知らない。このように書くと何となく背徳の匂いが漂うが、向こうにすれば「おっさんが何をじろじろと見ているのか」と訝っていたはずで、妄想はしない方がよい。それに筆者はその時は変な妄想は全く思い浮かべなかった。同じ世代の母親は自治会で10数人知っていて、なかなかの美女も混じっているが、筆者はそうした女性を見るたびに、「なかなか疲れているな」という色気とは無縁の感情が先に立つ。それは彼女たちに生活苦が見えるからというのではない。裕福な暮らしをしていても、子どもを産んで30代になればそれなりの疲れが見えて来る。絶世の美女も同じで、世間に存在する年月に比例して「くたびれ度」が増す。だが、それに反比例して色香が減少するとは限らない。ただ、年齢は隠しようがないと言いたいだけだ。
太鼓饅頭のことを「まいこたんじゅう」と出鱈目に組み替えて「舞妓胆汁」を思い浮かべると、きれいな舞妓さんでもいやなことがあって胃を傷め、胆汁を過剰に絞り出すイメージが湧く。そんな時は太鼓饅頭も食べられず、一気に年齢以上に老けて見えるだろう。何の話か。さて、
「姫路城と商店街」と題して投稿したのは3年前の9月だ。その時に載せた姫路城の写真は大きな囲いに覆われている。姫路城の大改修が終わったのは今年4月だろうか。たぶんその頃だ。昔息子と一緒に天守閣に上ったことがある。家内は3年前に筆者と姫路の商店街を歩いただけで、姫路城そのすぐ近くには行かなかった。それで今回は時間があれば天守閣に上ることにしたが、その前に姫路市立美術館で展覧会を見る。筆者の行動はいつも展覧会を第一に考える。ただの観光というものがほとんどなく、ましてや豪華な料理つきの温泉に行くことには無関心だ。それでは家内の鬱憤が溜まるので、家内の希望に合わせてわが家を起点に東西南北どこへでも連れて行くと8月に宣言した。結果は西の姫路と南になったが、どちらも展覧会主体の行動だ。日帰りであればそれも仕方がないが、日帰りでも豪華な食事は出来る。それをしないのは、何度も書くように、ほかに多大な出費が毎月あるからだ。その出費は簡単に言えば資料代で、家内にすれば筆者だけが勝手なことをしているが、どうしても必要なものは食べるものも犠牲にする。それはさておき、姫路城はきれいになったはいいが、あまりに真っ白になって以前と印象が違い過ぎると評判がさほどよくない。城の周囲の樹木を大規模に伐採したことも素っ気ない眺めの原因だと最近のニュースにあった。今回は時間がなくて天守閣に入らなかったが、遠目にも白過ぎることはわかった。だが、城であるから白はいい。それにどうせ大気によって汚れて行くのであるから、最初は真っ白がいいではないか。若くてきれいな女性でも30代になるとどことなく疲れ、やつれが見えて来る。それと同じで、姫路城が真っ白になったのは喜ぶべきことだ。今日の最初の写真はGOOGLEのストリート・ヴューから先ほどダウンロードして加工した。2013年2月の撮影とのことで、まだ囲いがある。撮影地点は姫路城東の車道で、写真の城寄りの奥に、車道と平行して歩道がある。その突き当りに市立美術館があるが、3枚目の写真と見比べてほしい。3枚目は市立美術館のすぐ前から左を向いて撮った。城のわずかな角度の違いから、最初の写真の撮影位置は美術館前よりもう少し南の東寄りであることがわかる。2枚目は3年前の9月の「姫路城と商店街」に使用した写真と同じく、姫路城を遠くに見ながら、彫刻のように据え置かれた一対の瓦製のしゃちほこを撮ったが、姫路城は改修が完了したはずなのに、大型クレーンが2基見えている。その理由を家内は筆者に訊いたが、たぶん城の周囲の整備だろうと答えた。3枚目の写真は公園内の動物園の真横の歩道を直進し、美術館前まで来た時に初めて見える城の姿で、写真ではあまり感じられないが、かなりの威容で家内は声を上げた。そのまま城に接近すればすぐに天守閣を間近に仰げる場所に着くが、時計を見ると3時頃で、展覧会をまず見ることにした。呂律が回らないのはまだよいが、時間切れになるともったいない。