斧で規則正しい音を立てながら木を切ることはもうないだろう。今では電動鋸で簡単に切り倒すことが出来る。木にすればどちらがいいだろう。斧でじわじわと傷が広げられるのは、「オー・ノー」と叫び続ける拷問かもしれない。
電動鋸なら切腹時の介錯のようか。こんなことを書いていると、「イスラム国」で次々に行なわれる欧米人の首切りだ。その残酷な映像がネットにあるらしいが、ナイフで首は比較的簡単に切り落とせるようだが、ギロチン台のように一瞬ではないから、切られる方は自分の首にナイフが食い込み、それが半分ほど切り進んだ段階でも意識ははっきりとあるはずで、切られる者の立場を想像すると寒さが襲う。それで木の場合はどうかと無理に話を逸らせるが、木も切られるのはいやに決まっている。木に人のような意識はないかもしれないが、生きようとする意識はあるから、伐採されるのは処刑と同じで、切られる間は人には聞こえない悲鳴を上げているかもしれない。そんなことを考える筆者なので、雑草は抜くには平気でも、太い木となると切る木がせず、せいぜい枝を払うだけだ。木にとって人が一番の敵かと思っていると、山崩れでは根こそぎされることが多く、木も人と同じで自然災害で呆気なく死ぬ。さて、今日は書写山の最終回を書くつもりが気乗りしないので、ヤフー・ボックスに保存している写真を順に見て、2か月ぶりに半ばシリーズ化する可能性のある切株写真を使うことにする。今日の最初の写真は松尾橋東詰めから桂川上流を眺めたもので、去年9月下旬の撮影だと思う。台風18号によって河川敷は流木類でとても荒れた。左端に電動鋸で切られた切り口が白い木が何本か見える。中央やや右寄りは洪水で運ばれて来た草や藻が木に絡んでいる。またどの木も下流に向かって大きく傾いていて、根がほとんど剥き出しになったから、そのままでは枯れる可能性が大きい。それでいっそのこと全部切り取り、トラックで搬出しようということになった。どうせ植えた木ではないから、数年もすればまた木は生えて来る。そうそう、今日はバスに乗って市内を回ったが、四条大宮の交差点でバスが止まっている時、南から北に向けて大型トラックが直径1メートルかそれ以上の太い木を3本積んで走って行った。枝は一切ないが皮がついたままで、製材所に運ばれて材木にされるのだろう。そのような貫禄のある太い木なら使い道があるが、最初の写真に見えるような何の木かわからない、つまりどこの馬の骨木は全くのゴミ扱いだ。その点でも木は人と同じだ。筆者が大嫌いな評論家の女性Sは、天皇崇拝者で、天皇家のように長らく続いた家柄は世界においてないと言っている。このことに関して昔筆者は友人Nと酒を飲みながら話したことがある。友人は父の墓を買いたく、そうすることで自分の家柄を息子がより自覚するのではないかと言った。そういう面はあるかもしれないが、筆者はNが墓を買うか買わないでおくかに関しては意見しなかった。その時Nは何代も続く家というものに一種の憧れの眼差しを持っていることを口にしたが、筆者はNが存在していることは先祖があってのことで、その点では天皇と全く変わらず、家柄といったものを気にすることは愚かなことと言った。Nはそれはわかるが、それでも3,4代前の先祖の名前や顔がわからないのは何となくさびしいと返し、また墓の話をした。Nは息子をふたりもうけたから、Nの遺伝子は絶えることがまずないだろう。また絶えたとしても人間がいる限り、人の遺伝子は残って行くから、そう考えればいいではないかといったこともNに言った。
どこの馬の骨かわからない人でも現在生きていることは、何万代も前の遺伝子が生き続けて来たためだ。つまり現在の天皇と馬の骨人は同じように逞しい。家柄のよさを吹聴するのがたまにいるが、筆者から見れば醜悪そのもので、馬の骨人以下だ。そういう連中は血がどんどん濃くなって生物学的には退化の道を進んでいる。そういう家柄は外国人の血を混ぜることで生物学的に進化の活性化が促進される。ところがどこの馬の骨かわからない人間と婚姻を結ぶのを拒否するから、救いようがない。日本民族などと言っている間に劣等遺伝子が増殖し、結局国が早く滅びるだろう。これは筆者の意見と言うより、1年ほど前に自治会のある婦人と話をしていて聞かされたことだ。医者の奥さんで、たぶんご主人とそのような話をしているのだろう。それはさておき、昨日は久しぶりに桂川沿いの自転車道路を少し歩いてみた。あることを訊ねるために河川敷に近い住民の家を訪れたのだが、不在であった。来た道を引き返してもよかったのに、土手に上がって自転車道路を歩いてみる気になった。それは今年6月に投稿した
「その1」に載せたスイカ型の木片を思い出したからだ。以前に書いたように、その木片を筆者は自転車道路のアスファルトの端から50センチほど土手の斜面の叢に半ば隠す形で置いた。その正確な場所は覚えていないが、自転車道路上のある部分を目印にした。もう1年近く前なので、そのままあってもかなり茶色に変色しているに違いない。だが、土手に上がって驚いた。雑草も樹木もきれいさっぱり丸裸にされたのに、やはり予想どおりに全面葛畑になっている。しかも葛の臙脂色の花が満開で、それに混じって露草の青い花が点在し、また黄色のキク科の大きな花も咲いている。そのほか萩もあれば名の知らぬ小さな花もいろいろあって、秋虫の音がBGMになっている。空は真っ青で白雲がところどころに浮かび、理想的な河川敷と言えばいいか、自然の逞しさを実感した。葛はアスファルトを浸食してはいないが、そのギリギリまで茎や葉を繁茂させ、数年放置すればたぶんアスファルトの端を崩しているだろう。下流100メートルほどの自転車道路上に2台の小型トラックと制服姿の作業員が10名ほど固まっているのが見えた。何をどうするのか興味が湧き、そこまで歩いて行き、そして50メートルほど通り過ぎて様子をうかがった。アスファルトの端が一部かなり土手に向かって崩れている箇所があり、そこを土砂を詰め込んで崩れないように補修工事をしているのであったが、頑丈に見えるアスファルトの道路も豪雨に遭えば土台から崩れて行くようだ。自転車が走る程度なので大きな事故にはならないが、早めに手入れして被害を最小限に抑えようというのだ。これは定期的にパトロールしているのか、朝夕にこの道を散歩する人が多いので、誰かが役所に補修を依頼いたのだろう。補修工事現場から50メートルほど南にスイカ型の木片を置いた。その場所で立ち止まって探そうとしたが、葛の繁茂に気分が萎えた。葛を踏みつけて斜面に入ったはいいが、隙間なく斜面も河川敷も雑草が生い茂り、小さな木片など探しようがない。それに見つかったとしても切られてすぐに新品ではなく、キノコ類がこびりつくなりしてもはや元の面影はないだろう。そういうゴミ化したものを家に持ち帰っても家内が憤るだけだ。見つけた時に持って帰ればよかったものを、そうしなかったのは何が何でも手元に置きたいものではなかった。自分が斧で切り取ったものなら持ち帰ったかもしれない。電動鋸で切り取られたものは即席ラーメンのように味気ない。
最初の写真に話を戻すと、写真の向こうに見える河川敷でバーベキューが盛んに行なわれる。それをさせないために台風18号の後、堆積した砂利をブルドーザーが1メートルほどの起伏のある波状に加工した。最初の数か月はそこを歩き回る人はまばらであった。そのうち、川の流れに近い部分から平らにされ始めた。足で少しずつ砂利の山を崩し、谷を埋める。どんな高い山でも人間の手にかかればいつかは平らになる。そして今年の春はまたバーベキューをする人が大挙して押し寄せた。足元は完全に平らではないので、みんな立ったまま食べていたが、砂利の山に座り込むのは平らであるよりかえってよいと思う者もあって、人間は逞しい。8月には二度の豪雨が地元を襲い、その河川敷はまたすっかり水に浸かった。それが引いた後、地形が大きく変わっていた。ブルドーザーによる波状の砂利の山と谷は跡形もないのはもちろんで、大きな湖が出来ていた。最初の写真のちょうど中央辺りに湖らしい形が見える。そこが平らに均されたのに、また土砂が積もって完全な湖が出来たのだ。バーベキュー客はそこをプールのように利用していたが、徐々に干上がってやがて水溜まりというほどの小さなものになった。現在はブルドーザーでも造るのが面倒なほどの砂利の高い台地が築かれているが、そこに登れば川の流れに落下する心配もある。そのためではないだろうが、ついに松尾橋付近の砂利の堆積を取り除くことが決まった。そのためには自転車道路にトラックが下りてさらに河川敷にも下りるための新たな道を造る必要がある。その道は砂利の撤去が済めば元に戻されるが、河川敷への侵入路をどこで確保するかの問題で現在国交省と地元のいくつかの自治会が協議を重ねている。工事は3か月ほどかかるらしい。砂利をどの程度持って行くのだろうか。全部浚うとなると、バーベキューは出来なくなる。良質の砂利と聞くが、どこに運び入れ、どう保管するかが問題で、その費用の方が砂利として売る金額よりも高いだろう。また、昨日Fさんから聞いたが、保津川下りの船着き場の水底は昔はとても透き通って、川底の砂利がきれいであったそうだ。それで泳ぐことも出来た。昨日Fさんとその場所に立つと、川底は流木がいっぱいで、また全面が茶色のヘドロで覆われていた。それは亀岡の上流に日吉ダムが出来たためらしい。よかれと思ってした工事で、またダムはそれなりに目的を果たしているが、何もかもそれでよくなったかと言えば、思わぬところで影響が出る。自然を侮っている人間と言えば簡単に話が済むが、侮っているつもりがなく、万全を心がけても予想外のことが起きる。昨日のシンポジウムで面白かったのは、1000年に一度の大雨でもびくともしない土木工事を施しても2000年に一度の雨ではどうしようもないから、そこそこの工事に留めて、後は豪雨があればみんな逃げればよいという考えだ。その方が安くつくし、また自然にはかなわないという人間のあるべき姿を示している。気仙沼では基礎幅が100メートル、高さ10数メートルの防波堤が築かれ始めている。公共土木工事の名のもと、土建屋を潤わせるのが日本の政治家の役割だ。法律を先に作ってそれが住民をがんじがらめにする。先日書いたやくざ国家云々の話は、役人が一番偉く、住民はそれにしたがうべき存在であるという風潮が日本を覆っていることからも思う。最初に書いた評論家のSは著作が百近くもある。無料でも筆者はほしくないが、考えることが苦手な人たちをよくもまあ煽動することに熱心で、それでがっぽり収入という卑劣な連中を斧でぶった斬りたくなる。その首の断面は今日の2、3、4枚目のように白くはなく、どす黒く汚れている。