人気ブログランキング | 話題のタグを見る
👽💚🐸🐛🍀📗🤢😱5月11日(土)、京都河原町三条下るLive House『DEWEY』にて👻『ザッパニモヲ 💐母の日LIVE』午後5時開場、6時開演。3500円👽筆者の語りあり。
●今回は初めての別会場での、そしてザッパ/マザーズの結成日である1964年の「母の日」から60年という節目における、ザッパニモヲの演奏です。チラシ画像はここ。恒例の手製のお土産をくじ引きで配布します。

●書写山圓教寺、その4
を最近どこで見かけたのか記憶が曖昧になっている。書写山圓教寺の食堂(じきどう)はその名前からして、僧たちが食事をする建物のことで、いくつもの竈を並べた、京都で言う「おくどさん」があって不思議でないどころか、台所があってしかるべきだろう。



●書写山圓教寺、その4_d0053294_14260804.jpg
それで記憶をたぐり寄せると、どうも1階の突き当りに台所があったような気がして来る。それを見ながら伏見人形の「おくどさん」を思い浮かべていたことも思い出すから、最近竈を見たのは確実だ。だが、書写山ではないような気もするので、家内に昨夜訊いた。すると、詩仙堂を入って左手にあったと言う。確かに詩仙堂で見かけたが、筆者の記憶にあるのはそれとは違ってもっと広い台所で、竈も3,4個並んでいた。はっきりと思い出せないのがどうも気色悪い。ひょっとすればTVで見た京都の杉本家の台所かもしれないと思ってみるが、やはりそうではない。こういう場合、圓教寺の食堂の内部について誰か詳しくブログに書いていないかと他人に頼ってしまうが、そういう記述を探すのは面倒だ。それに、ブログの記述は誰しも短く、内部について詳しく書いている人はほとんどいないのではないか。それはさておき、ごく最近の経験がもう記憶が曖昧になっているのはいい気分ではない。軽い認知症の始まりとは思いたくないから、別の理由を探し出す。それはさほど日数を隔てずに非日常的な行動を重ねると、思い出が混じり合ってしまう場合が多くなることだ。1年にひとりしか来客がない人はその客のことをよく覚えているが、毎日異なる100人と会う人は、よほどの美人や男前、あるいはいやな経験をさせられた場合を除き、たぶん誰も覚えない。8月下旬は日帰り旅行や展覧会、映画など、いろいろと非日常的なことが重なった。それぞれ別の体験であるから記憶が曖昧になることはおかしいと言えるが、あまり意識して見なかったものは淡い記憶になるし、それは2週間も経てばどこで実見したものかわからなくなることはあるだろう。それにしても家内がよく覚えているのはなぜか。筆者は毎晩こうして長文を書くことでボケ防止になっていると思っているが、文章を書くことはその抑止にはならないかもしれない。さて、今日は圓教寺の食堂内から撮った写真を載せる。「コ」の字型に並ぶ三つの堂のうち、両端は立ち入ることが出来ない。食堂のみが1,2階とも無料で入ることが出来る。ここは宝物館として使われ、前々回に書いたようにちょっとした企画展が開催されていた。NHKの大河ドラマ『軍師官兵衛』のロケに食堂が使われ、その様子を写真パネルを並べて紹介していた。筆者はNHK大河ドラマには関心がなく、黒田官兵衛についても無知同然だ。NHKが日本の各都道府県を毎年舞台にして大河ドラマを製作することは公平でいいこととは思うが、もうとっくにネタ切れしているのではないかと思う。ま、それでも今年の大河ドラマによって兵庫県に光が当たって書写山を訪れる人も増えたであろうし、文化貢献は侮れないものがあるだろう。今日の1枚目は靴を脱いで1階に上がってすぐ、3枚目は急な階段を2階に上がり、奥に進んで撮った。2枚目は1階大河ドラマの写真パネルの手前から1,3枚目と同じく、食堂の前に広がる矩形の広場を覗いた。戸は鴨居に蝶番があって、食堂内に跳ね上がる仕組みで、この木戸は食堂の全長にわたって等間隔に具わっている。全部閉じれば堂内は真っ暗だ。反対方向すなわち西側にも明かり取りの窓が並んでいて、その隙間から撮ったのが4枚目の写真で、200メートルほど向こうに奥之院がある。
●書写山圓教寺、その4_d0053294_0292669.jpg
 4枚目は2階から撮ったが、6,7人の男性が固まってこちらにやって来る。2階には仏像や瓦など、圓教寺にかつて使われていた古いものが展示されていて、それらを見ている間にその人たちは食堂前の広場にやって来た。そして広場を後にするのかと思って見ていると、広場の口付近に立って語り始めた。うちひとりは黒い僧衣を着ておそらく住職だ。他の人たちはTVやマスコミ関係かと思ったが、それらしくはなく、檀徒のような気がした。それはいいとして、食堂2階から奥之院を遠目に見ると、右手前が工事中らしく、そのすぐ前に軽トラックが停まっていた。ウォーキングマップによれば「不動堂」のようだ。また、奥之院の奥には和泉式部の歌塚が記されるが、前に書いたようにこのマップを開かなかったので、当日はそのことがわからなかった。わかっていても奥之院に行ったかとなると、4枚目の写真からわかるように何となく雑然とした雰囲気があったので行かなかったであろう。食堂内は無人かと言えばそうではない。靴脱ぎ場を上がってすぐのところに年配の僧侶がひとりいた。ただし、参拝客の男性と話が弾んでいて、筆者らが食堂を後にする時までそのままであったから、筆者らに無関心であった。ふたりともよく通る声で、話の内容が伝わって来たが、なるべく聞かないようにして堂内の展示を見て回った。大河ドラマの写真パネルは食堂やその前に広場をどのようにして撮影班が陣取ったかがわかりやすく説明されていた。「ラスト・サムライ」から10年、さらに日本中に書写山が知られることになったと思うが、官兵衛の意見にしたがって秀吉は書写山に本陣を置いたとされ、官兵衛を主役とすることが決まった時点で書写山のロケの必要性も決まったであろう。先日書いたように、秀吉はこの寺から仏像その他を奪って行き、寺領も取り上げたので、書写山にすれば秀吉は迷惑な存在として記憶されていると思うが、そういうところは大河ドラマでどのように描かれているのだろう。今日の3枚目の写真の中央やや左寄りの奥に5つの同じ形の四角い屋根の建物が並んでいるのが見える。ウォーキングマップによれば本多家の廟所とあるが、本多家は姫路城主のひとつだ。その前を写真で言えば左、すなわち北に少し行けば突き当たる。そこ付近が秀吉が本陣を築いた跡地で、現在は金網で囲った貯水漕になっているため、建物を復元するにはその貯水漕を移転する必要がある。圓教寺の財政がもっと潤えばそれも考えられるだろう。話を戻して、食堂内部は全体が黒光りして心地よい。1階は畳が部分的にあったような気がするが、2階は全面板敷きだ。鉄筋コンクリートの味気ない建物とは違って、歴史の重みがひしひしと伝わる。かなり細長い建物で、小さな子どもなら奥に向かってはしゃぎながら走って行くだろう。2階は中央にガラス・ケースが奥まで続き、その両面に寺宝が展示され、また収まり切らないものは壁際に置いてあるので、触れるのは簡単だが、もちろん禁止だ。だが、監視カメラはなさそうで、そこは鑑賞者の良心に訴えるということだ。熱心に寺宝を見ればいいのに、たいていそうした役割は家内が担当し、説明書きなどは全部読む。家内によれば弁慶の逸話が面白かったそうだ。弁慶は諸国の寺を巡り、この寺にも来たそうだ。ウォーキングマップには摩尼殿の手前に「弁慶石」と記された石のイラストがある。力士のような力持ちであったことは確かなようだ。食堂の1階にあった説明書きは筆者も注目した。それは常行堂の軒下で催された、あるいは毎年開催されるのかもしれないが、能楽などの上演で、多くの人が広場に集まって鑑賞する。夜に行なわれるものもあるようで、帰りの夜道がどうなのか心配になった。また、常行堂の内部は使われないのかどうか、どのような空間であるかが気になる。
●書写山圓教寺、その4_d0053294_14264091.jpg
 食堂内部では写経が出来るようで、これは1階の奥を使うはずだ。2階は前述のように宝物の展示が奥まで続くが、1階奥は筆者と何もない空間で、跳ね戸を上げて光を取り入れた状態で、広場に面して写経する。極寒や豪雨の日は中止になるのかどうかだが、修業体験と考えればそういう日もいいかもしれない。2階の宝物は家内がゆっくりと鑑賞しているので筆者は二度回ったが、写真を数枚撮った後に「撮影禁止」の貼紙を見つけた。だがそれは宝物全体ではなく、その貼紙のあった箇所のみと解することにした。また前述のように監視カメラはなさそうで、撮影してもわからないだろう。今ではスマホで気軽に撮影出来るから、撮影禁止は半ば意味がなくなっている。三つの堂は圓教寺のホームページによれば雷によって1331年に焼失したとのことで、現在のものはその後の再建ということになる。その時期については書かれていないが、たぶん14世紀中であろう。その古さは食堂内部に入れば充分に味わえる。また今日の3枚目の写真からわかるように、広場を見て右端は常行堂の軒がほとんど手の届く近さにあって、常行堂の屋根に降り注いだ雨は食堂の軒下を濡らすのではないか。設計ミスなのか、それともそうすべき理由があったのか気になって仕方がなかった。常行堂と対面する大講堂は食堂とはそれほどには接近しておらず、「コ」の字型の配置は左右対称性がさほどでもない。また、大講堂と食堂の間を抜けて食堂の背後に進む道があり、そこを辿ると奥之院に着く。前述した住職を含む数名の男性はその道を通って広場に出た。「コ」の字の三方は背の高い樹木が迫り、そのことでなおのこと三つの堂はひっそりとしながら密着した印象を与える。これが京都市内であれば樹木の向こうに高層マンションが見えるという問題に直面する。書写山はその点はいつまで経っても大丈夫で、同じたたずまいのまま今後も保存され、そのうちに世界遺産になるだろう。ロープウェイを利用しても圓教寺全域を見るには2時間は必要で、山道を歩くのが苦手な人は敬遠するだろうが、山道を歩いてこそ味わえる感動がある。筆者は今回見ていないところがいろいろとあるので、家内にもう一度いつか書写山に行くかと訊いたが、家内はもう充分と答えた。そうは言っても筆者がまた行くとなるとついて来る。書写山についてはもう1回投稿する。
●書写山圓教寺、その4_d0053294_0301939.jpg

by uuuzen | 2014-09-15 23:59 | ●新・嵐山だより
●復元され得るもの >> << ●嵐山駅前の変化、その350(...

 最 新 の 投 稿
 本ブログを検索する
 旧きについ言ったー
 時々ドキドキよき予告

S M T W T F S
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30
以前の記事/カテゴリー/リンク
記事ランキング
画像一覧
ブログジャンル
ブログパーツ
最新のコメント
言ったでしょう?母親の面..
by インカの道 at 16:43
最新のトラックバック
ファン
ブログトップ
 
  UUUZEN ― FLOGGING BLOGGING GO-GOING  ? Copyright 2024 Kohjitsu Ohyama. All Rights Reserved.
  👽💬💌?🏼🌞💞🌜ーーーーー💩😍😡🤣🤪😱🤮 💔??🌋🏳🆘😈 👻🕷👴?💉🛌💐 🕵🔪🔫🔥📿🙏?