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👽💚🐸🐛🍀📗🤢😱5月11日(土)、京都河原町三条下るLive House『DEWEY』にて👻『ザッパニモヲ 💐母の日LIVE』午後5時開場、6時開演。3500円👽筆者の語りあり。
●今回は初めての別会場での、そしてザッパ/マザーズの結成日である1964年の「母の日」から60年という節目における、ザッパニモヲの演奏です。チラシ画像はここ。恒例の手製のお土産をくじ引きで配布します。

●書写山圓教寺、その3
若心経が摩尼殿内部でよく響く声で唱えられ始めた。その直前に筆者はそのふたりの背後にいて彼らを見るともなしに見ていたが、ふたりは目配せして0.5秒後に唱え始めた。西国三十三か所巡りをしているのだろう。



●書写山圓教寺、その3_d0053294_23411734.jpg
上は白の装束の40歳くらいの夫婦で、ひょっとすれば親や子を亡くしたのかもしれない。霊場巡りは若い人もやるが、霊場の本堂に入って般若心経を唱えるのは珍しいのではないだろうか。あるいは筆者が知らないだけか。それはともかく、堂内で無意味に騒ぐのは駄目だが、読経は咎められない。筆者は般若心経をよく覚えていたとしても彼らほど大声で唱えるほどの度胸はない。読経に度胸がいるかとなると、慣れない人はそうだろう。少しくらい間違えてもほとんど誰もわからないようなものだが、仏様が聴いていると思えば誤魔化す気になれない。さて、摩尼殿の写真が残っているので、昨日の続きから始めた。京都の最初の写真は読経が続く間、摩尼殿を後にしようと、清水寺の舞台状の出っ張り部に出て堂内を撮ったもので、またもや家内が写っている。これは偶然半分、意図半分だ。家内が何をしていたのか知らないが、1分ほどは写真のままの姿で膝をついていた。土産物はまだ買っていなかったので、紙袋の中はほとんど空っぽであったと思うが、たぶん手荷物の整理をしていたのだろう。家内の右手に前述の夫婦が直立して読経していた。どうでもいいことだが、女性が右で、男性より背が20センチほど低かった。摩尼殿は圓教寺の本堂と呼んでいいのかどうかわからないが、本堂としての建物だろう。ならばそこに本尊があるはずで、その前で読経が始まった。昨日書いたように、この寺にあった仏像は秀吉によって持ち去られたならば、今の摩尼殿には代わりになる何かがあるのだろうか。調べればわかると思うが、面倒なのでこのまま書き進む。摩尼殿を充分見たので、もう書写山を下りようかと思いながら、家内が堂内にいる間、靴を脱いだ場所に行くと、2枚目の写真の古い境内案内図があった。それを見ると、摩尼殿はほぼ中央で、ロープウェイの駅とは反対方向にまだ多くの建物がある。そこまでは10分ほどで歩けそうな感じで、せっかく山に登ったのであるから、そこにも行こうと考えた。その段階で志納所でもらったウォーキングマップを広げればよかったかもしれないが、境内の地図なら2枚目の写真のものを見たばかりであったから、あまり意味はなかった。道に迷うかと言えば、その心配は全くなかった。昨日の最初の写真に見えるように、赤い矢印のある立て看板の前まで戻り、その矢印方向に歩けばよかった。ただし、歩き始めてすぐに筆者は多少後悔した。急な上り坂が続いたからだ。だが道幅が広く、タイヤの轍が目立った。そこは昨日書いたバス道ではないが、その延長上にあって、バスでも充分走ることが出来る。また、一般の参拝客は車ではそこは走ることは出来ないはずだ。映画「ラスト・サムライ」の俳優たちやスタッフたちはその道を利用したのは間違いがないが、昨日の最初の写真に写る立て看板に書かれているように、今はNHKの大河ドラマ『軍師官兵衛』が放送中で、この寺がロケ地として使われている。もうロケは終わったと思うので、筆者が見た轍の跡はNHKのドラマ班のものではないだろうが、その関係でこの寺はいろいろと取材を受けることが多くなっているのだろう。
●書写山圓教寺、その3_d0053294_23413817.jpg
 志納所でもらった三つ折りのリーフレットの表紙部分にこの寺を代表する建物群の写真が使われている。それを一瞥しながらすぐに手提げ袋に放り込んだので、摩尼殿に着いた時はその威容を誇る建物以外に見物となるものがあるとは思わなかった。摩尼殿の外側にあった今日の2枚目の写真の境内地図を見なければ、そのまま麓に下りていたが、家内が堂内でぐずぐずしている間に比較的じっくりその地図を見た。そしてまた堂内に入って家内と5,6分過ごし、ようやく靴脱ぎ場に下りた時、筆者はさらに奥へ行ってみようと言った。堂内で充分休憩したので家内はいやとは言わなかった。急な石段を下り、茶店の前まで来た時、店内に入りはしないが、ウィンドウに飾られていた料金表や焼き物を眺め、何となく納得した気分で立て看板の赤い矢印が示す方向に進んだ。5分ほどで坂の上にある建物の前に着いた。瑞光院で、そこは立ち入れないことがわかった。さらに5分ほど行くと、突如という言葉が全くふさわしいが、今日の3枚目の写真の光景が眼前に広がった。このパノラマ写真は3枚横つなぎで撮る気になったほどに圧倒される眺めで、虚を突かれたと言うにふさわしい。奥にこのような立派な建物群があるとは予想しなかった。だが、一目見てわかったのは、「ラスト・サムライ」で登場した建物であることだ。「ああ、ここか!」と内心歓声を上げた。その時に気づかなかったが、その建物群は志納所でもらったリーフレットの表紙を飾っている。つまり、「書写山圓教寺」と言えば、この建物群を指し、「ラスト・サムライ」の監督もここを見てロケ地にすることを決めた。それほどに古い時代のままの空気が残っている。筆者の記憶で言えば、韓国の山寺に似ている。また、京都の寺はもはや寺とは呼びたくなくなるほどのひっそりとした空気が支配している。この建物群はウォーキングマップには「三つの堂」と括弧書きされているが、その三つとは、大講堂、食堂、常行堂で、「コ」の字型に並んでいる。その囲まれた中庭的部分は3枚目の写真ではあまり大きく写っていないが、女性がふたり筆者の方に向けて歩いて来る。食堂の内部を見ての帰りだろう。3枚目の写真の中央のこちらに出っ張った建物は常行堂で、その東端だ。写真左は常行堂の張り出した部分で、写真左端の細い道は奥之院に通じている。奥之院には食堂と大講堂の間から抜けて行くことも出来る。筆者らは奥之院には行かなかったが、食堂内部からその方向を見つめて写真を撮った。それは明日載せる。圓教寺の代表的な建物はこれら三つの堂で、確か重文に指定されている。ということは、重文指定されない摩尼殿はまだ新しいのだろう。摩尼殿は前に茶店があるうえ、堂内は受付もあって賑やかだが、三つの堂は人気がなく、数百年の間、時間が停まったままのような雰囲気がある。それは「ラスト・サムライ」を見た時にも幾分感じたことだが、実際に現地に立ってみると、よくぞこのような建物が残されたとしきりに思う。木造であるから火事が起こればひとたまりもない。ふと雷が落ちて燃えないのだろうかと思い、避雷針を探したが、見当たらなかった。京都の観光寺のようには収入が豊かではないはずで、昔のままを保存するのにどれほどの努力がなされ続けて来たことか。「ラスト・サムライ」をもじって「ラスト・テンプル」と言いたいほどだ。
●書写山圓教寺、その3_d0053294_14214328.jpg

by uuuzen | 2014-09-13 23:43 | ●新・嵐山だより
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