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👽💚🐸🐛🍀📗🤢😱5月11日(土)、京都河原町三条下るLive House『DEWEY』にて👻『ザッパニモヲ 💐母の日LIVE』午後5時開場、6時開演。3500円👽筆者の語りあり。
●今回は初めての別会場での、そしてザッパ/マザーズの結成日である1964年の「母の日」から60年という節目における、ザッパニモヲの演奏です。チラシ画像はここ。恒例の手製のお土産をくじ引きで配布します。

●書写山圓教寺、その1
や忍者は外国で日本の代表的な格好いいイメージになっているが、どちらも今はない。またそれほど格好いいものではないと思うが、刀を振り回し、腹を切り、手裏剣を投げるといった行為を、戦闘好きな男性はほれぼれするのだろう。



●書写山圓教寺、その1_d0053294_2349101.jpg
貴族に仕えていた武士はやがて権力の獲得を目指し、為政者となって行くが、学校で下剋上について習った時は、武士たちにやむにやまれない事情があったにせよ、上下関係も何もあったものではなく、親子でも殺し合いをする強い者勝ちの、つまり弱肉強食丸出しの戦いで、現代のやくざを連想したものだ。そのことを10年ほど前に家内に言うと、武士をやくざと比較するとは何事かと憤ったが、その後家内も筆者の見方に染まったのか、日本の社会構造は大昔からやくざの世界と似ていることを言うようになった。やくざは60年代からは暴力団と呼ばれるようになった。武士が暴力団ではなかったかと言えば、刀で庶民を精神的に威嚇したことはそれに似たものだろう。もっとも、武士は時代とともに変化したからひとまとめに言うことは出来ない。だが、切腹の潔さはやくざ社会の小指を切り落とすことと似ているし、いい意味でも悪い意味でも武士社会はやくざ社会と似ている気がする。北朝鮮で最近日本のやくざが格好いいと思う青年が増加し、やくざグループが跋扈していると先日のネット・ニュースで知った。それもやくざと武士が似ていることを示唆するのではないか。絵金の絵に武士が切腹する様子を周囲の人が笑いながら見ているものがある。1枚ではなしに何枚もある。それらを見ながら筆者が思ったことは、武士に対する恨みとまでは言わないが、おかしな階級で、自分とは無縁であると絵金が思っていたであろうことだ。「切腹するなら勝手にどうぞ、そうなったのはあんたのせい」とでもいった冷ややかな眼差しがそうした絵には見える。そしてそれは当時の庶民の「触らぬ神に祟りなし」の思いの本音でもあったろう。その武士をやくざに置き換えても同じような見方が出来る。武士といい、やくざといい、普通の庶民には無縁の社会で、「勝手にどうぞ」と無視するしかない。だが無視し続けられるならいいが、現実はそうではない。武士は人斬り包丁の刀を見せびらかせて大多数の庶民を恫喝し、やくざのみかじめ料と同じようなものだが、自分たちが作った法度によって税金を徴収し、それで生活した。また武士は世襲制であるから、ぼんくらな息子や殿様が出て来ても庶民から謗られることがない。戦さがあると先頭に立って命を張るという危険があった頃は、ライオン的な暮らしも大目に見られるところはあったが、江戸時代になって戦いがなくなるとどんどん腐敗して行くしかない。今の日本の与党と同じようなものだ。もちろん武士の中にはそういう腐敗を忌々しく思う少数はあった。たとえば幕末の大塩平八郎がそうだが、腐敗はもはやそうした少数ではどうにもならないくらいに進行していて、そのまま明治に雪崩れ込み、腐敗の構造は温存された。一方で大塩に私淑する者がいるが、大塩と同じように汚名を着せられて滅びる。そういう人物を本当の武士と言うのだろうが、現実はそれはごく少数派で、武士をやくざと同様に見る態度も出て来る。したがって、武士、侍を恰好いいと無条件に思うことは素朴過ぎて、悪い部分を見ていない。現在「サムライ」と言えば日本の最も誇るべき精神を持った人々のように欧米だけではなく日本でも思われているが、世襲性であったことを忘れた考えだ。先日柳沢淇園について少し触れた。彼は純然たる武士であったのに多芸多才で町民と親しく交わり、幕府からお咎めがあるほどであった。また、彼のもとから日本を代表する池大雅などの文人画家が輩出して行くから、江戸の誇るべき文化は町民が作ったようなもので、武士は何をしていたのかと思うほどだ。
●書写山圓教寺、その1_d0053294_23494927.jpg 姫路に行くことを家内に伝えた時、姫路のどこへ行くのかと訊かれた。筆者の答えは「ラスト・サムライ」で、家内はきょとんとし、同じ質問を繰り返した。それにまた同じように答えたが、姫路駅に着いてもなおどこへ行くのかは言わなかった。書写山に登ると言えば猛反対する。だが筆者が質問をはぐらかすので何か悟ったのだろう。当日は運動靴を履いて行くと言った。正解だ。「ラスト・サムライ」の映画を見たのは10年ほど前だ。封切りを見た。もう10年になるかと思うが、この10年間、書写山のことは気になっていた。だが姫路に行くこと自体が少ない。というより5,6年に一度か。ついに書写山に登る機会が訪れたと思ったのは、麓の美術工芸館に行ってみる気になったからだ。その気になれば筆者は素早い。「ラスト・サムライ」を見て書写山が気になったのは、「こんな寺が姫路の山にあるのか」という驚きであった。映画に映ったのはさほど長い時間ではなかったが、とても印象的で、これはいつかは現場に立ってみたいと思わせた。話は脱線するかもしれないが、その映画は筆者には少しも面白くなかった。渡辺謙の演技は関心せず、武士には見えなかった。筆者が思い浮かべる武士はもっと眼光が鋭く、またがりがりに痩せ細っている。渡辺は歩き方からして武士ではなく、田舎の労働者に見えた。だがそれは仕方ないだろう。時代があまりにも違ってしまった。もはや本当の、そしてよい意味での武士と言えるような人は日本には皆無ではないか。いや、そうではなく、そういう人はたくさんいるはずだが、TVや映画に出たり、また政治家になってへらへら笑うようなことはしない。誰からも重視されず、もっと静かに暮らしている。「ラスト・サムライ」は日本最後の侍を渡辺謙に演じさせたが、「ラスト」としているところ、アメリカも日本にもはや侍がいないことを知ってのことだろう。身分制度がなくなって確かに武士は消えたが、それを日本は当然認めたくなく、侍の精神を持った者は大勢いると思っている。そして自分こそそうであるといったことを言う人もあるが、笑わせるなと言いたい。名を売って大いに金を儲けてそれを自慢したがる輩ばかりが目立つ世の中で、先に書いたように真の侍は市井に目立たずに生きている。話を戻して、書写山には円教寺があって、それが西の比叡山と呼ばれていることを姫路に行く前夜に知った。去年の8月は比叡山に家内と訪れた。となれば、1年ぶりに書写山に行くのは理にかなっている。ま、そんなこんなで書写山に行って来たが、今日を含めて何回かに分けて投稿する。筆者は山登りはしんどいので嫌いだ。わが家から最も近い登山に最適な山な愛宕山で、毎年7月のいつであったか、そこに登る風習が京都にはある。梅津の従姉は息子家族と以前は毎年登っていた。数歳の子どもでも一緒に登っていたので、筆者が登れないはずがないが、山頂に雪が積もっている様子を麓から見上げると、とても登る気になれない。だが一度は経験しておくべきとは思っている。隣りの自治会の会長をしていた山好きな男性は70代のはずだが、2日に一度は愛宕山にまるで近所を散歩するように登っている。いつでも一緒に登って愛宕山の隠れた見所を教えてやるよと言われていて、登るならその人が元気な間だ。愛宕山は標高924メートルで、書写山の3倍近い。書写山はロープウェイで一気に山頂に着くが、そこから円教寺までの山道は登山と言えるほど汗が出る。まず思ったのは、「ラスト・サムライ」のロケでどのように機材を運んだかだ。また渡辺謙初め、多くの俳優やスタッフがロープウェイに乗ったのかどうかも気になった。撮影時は大変な騒ぎであったろう。そういうことを全く感じさせない静まり返った境内で、比叡山と確かに似ている。
●書写山圓教寺、その1_d0053294_23494717.jpg
 今日も4枚の写真を載せる。最初はロープウェイが山頂の駅に着く寸前で撮った。南東を向いているので、遠くには瀬戸内海があることになる。地図で調べると、このロープウェイの真下には獣道はあるだろうが、山登り用の道がない。正しく言えば、真南向きに登山用の道があるが、その真上にロープウェイを通すことは住宅が建っていることもあって無理であったのだろう。山頂駅を下りると寺の参道があってその両脇に店が並んでいるということは全くなく、ひんやりした木立の中をなだらかな坂を上って行く。2枚目は歩き始めて数分であったと思うが、坂が多少急であることがわかるだろう。前方を行くのは山登りの服装の初老夫婦だ。健脚でぐいぐいと筆者を引き離す。家内はと言えば筆者の後ろ50メートルほどで、「何でこんな目に遭うのか」と内心繰り返しているのは間違いない。2枚目の写真は右手にブロンズ製の仏像が奥へと三つ並んでいるのが見える。数十メートル間隔に左右にあって、まだ新しい物に見えた。像はさほど大きくないが、据えてあるのが斜面の中腹で前に立つと見上げる形になる。ゆっくり立ち止まって見なかったが、たぶん西国三十三か所巡りの霊場であることと関係があるのだろうが、筆者の好みとしては何もない山道の方が俗化の気分を味わわない気がする。ずっと同じ調子のきつい坂が続くかと思うと、突如平らな道に出る。そうして撮ったのが3枚目で、進行方向の右手、北側だ。ずっと奥は丹波地方になる。眼下の家が小さく、また少なく、山間の村であろう。田畑の緑が美しい。標高が300数十メートルでもかなり高いように感じるが、登山に慣れている人からすれば地上とさほど変わらない感じか。駅から歩き始めて15分ほどか、「ここから円教寺の境内」という関所のような場所に着く。建物はなく、僧侶が道の両脇にひとりずついて、入山料を徴収する。ひとり500円で1枚のリーフレットを手わたされる。そこからすぐに円教寺かと言えばまだ歩く。しばらく行くと4枚目の写真の山門が現われる。石碑からはその門の奥が円教寺の正式な境内であることがわかる。それをくぐって数分歩くと清水寺に似た摩尼殿が真正面に見えるが、その写真は次回に譲る。たくさん写真を撮って来ると何度かに分けての投稿となり、書かなくてもいいことを書く羽目になる。今日はもう少し書いた方が各段落の文字数の均衡がよい。それでラストに「ラスト・サムライ」のことについてまた書くと、その映画が日本で大ヒットしたのはアメリカが日本の武士精神を描くというところに自尊心をくすぐられたからでもあろう。武士道はヨーロッパの騎士道と同じもので、日本の武士を描いても欧米の人はよく理解出来ると監督は考えた。高貴な精神はどの民族でも理解出来る。それは無私の精神であって、いつでも死ぬ覚悟が出来ていることでもある。いつ死んでもいいことは、常に心を律していることだ。「ラスト・サムライ」の内容はきれいさっぱり忘れたが、監督が描きたかったことはだいたいそういうことではないか。精神を鍛えるために厳しい山で修業することは大昔からあった。書写山もそういう場所として選ばれた。趣味で登山する者は昔の修験者のように悟りを得ようとしているのではないだろうが、しんどい思いをすることの中に修業の一端は存在するはずで、修業僧ではないからと言って俗世間の垢にまみれているとは言えない。筆者は終日埃だらけの部屋に籠って安逸を貪っている。であるから、数年に一度は山に立った方がいい。
●書写山圓教寺、その1_d0053294_23501766.jpg

by uuuzen | 2014-09-08 23:59 | ●新・嵐山だより
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