遁世という言葉が似合うのは何歳になってからだろう。還暦からは「爺」を名乗ってもいいと思うし、世間でもそう見るが、寿命が延びた現在、60代で死ねばまだ若かったと言われる。

それで昨日の最後にも触れたが柳沢淇園が50半ばで死んだことを思うと、60は爺もいいところで、もう役立たず以外の何者でもないように感じ、虚しさ半分忸怩たる思い半分の状態かと気づく。そして遁世者になろうと思わなくてもほとんどそのようになっている自分を見ながら、充実気分半分、さびしさ半分でもある思いだ。筆者はケータイ電話の必要を思わず、スマホにも無縁の生活を送っているが、どういう機能があるかということくらいは知っている。目新しい機能はそれなりに面白いと思うが、それに振り回されるのはいやであるし、また楽しいことはほかにいくらでもある。ケータイやスマホに無料で使えるメールでLINEというものが登場し、以前の絵文字が拡大したようなスタンプという機能があって、そのデザインを個人が出来てしかも審査に通れば販売することも可能という。そうして毎月100万や1000万円を儲けている人もいるそうで、ネット社会では一攫千金がまだ夢ではないような状態だ。筆者は文字や記号のデザインに興味があるから、LINEのスタンプのデザインに挑戦したい気がないではないが、それを作ってみんなに使ってもらうことで大金を得たいという気はない。自分だけが使うのがいい。つまり、昔の花押みたいなものだ。だが、LINEを用いることは一生ないであろうから、ただ思うだけのことだ。それが世間で言う老人で、筆者もそれを認めるが、老人は役立たずとしても役に立つという考えが気に入らない。それこそ老人特有の臍曲がりだろうが、役に立つことを誰しも思い過ぎで、実際はほとんどの人はただ生きているだけで、他人の役に立つどころか、迷惑をかけているという考えも必要だ。そしてただ生きているだけでいいのであって、自分が他人の役に立っていると自惚れる人を筆者は醜悪と思う。政治家などはだいたい人のためを公言するが、ろくでもない話だ。家内が大学に勤めていた時、先生たちの「WHO‘S WHO」をたまに拾い読みしたそうだが、いいことを書いている先生に限って実像とはそうとうな開きがあったらしい。それはさておき、LINEのスタンプで子どもでも大金を得られるようになったとはいえ、同じだけ、あるいはより以上儲けるのがLINEの会社で、これは他人の才能や労力を使ってうまく儲ける仕組みそのもので、人は他人を儲けさせるために生きているようなものだ。サラリーマンは全部そうだ。その仕組みをファスビンダーはおかしいと思って意見したが、では誰もが自分だけのために働くことが出来るかというとそうではない。それどころか、LINEのスタンプのように、一緒に儲けましょうという仕組みは大歓迎される。それがネット社会で、その仕組みを保持する連中には逆立ちしてもかなわないので、儲けの半分は取られても半分は与えられることを大喜びする。ネットがなければただの無名の人がちょっとした才能で大儲け出来るのであれば、ネット大歓迎で、LINEの仕組みを作った人を崇め、本人も人の役に大いに立っていると考える。

薄利多売で儲けることを59で死んだ友人Nは思い続けていた。その話題は酒を飲むと必ず出て、周囲に聞き取られないように筆者の耳元でこっそりとしゃべったほどに、自分のアイデアは大金を生むと考えていた。それが大いに真面目であるところに悲しさが宿っていた。大金を得れば一生気楽に過ごせるし、好きな酒も毎晩飲み、おいしい食べ物も事欠かない。そう思っていたNは大金を得る夢はさほどかなえられなかったが、好きな酒と美食は絶やさず、病気で早死にした。本当に自分のアイデアで大金が転がり込むと思っていたのかどうか。たぶんそうだろう。たとえばヒット曲を放って印税で大儲けすることと変わらず、多くの人々に小さな幸福を与え、その代価を支払ってもらうことは売買の当事者双方が喜ぶことだと思っていた。そして筆者には、「何か月もかかって1点のキモノを作ることなどせず、1日に何百何千と製作出来るハンカチのようなものを作ればはるかに収入が増えるではないか」と意見したが、それには工場の設備と人手を要すると返しても、具体的なことはどうにかなるもので、まずは最初のアイデアが重要だと言った。友禅染めと称して安っぽいプリントのハンカチの類は今もたくさん作られているし、またそうした会社はどこもビルを建てているだろう。薄利多売こそが一攫千金の最短の道だ。そして千金を得ることは誰にとっても望みであるという風潮がネット時代になってさらに広がり、子どもにLINEのスタンプをデザインすれば大金が得られるとまで吹き込む。金儲けの低年齢化を見るにつけ、60を超えている筆者はなおさら隠遁者の気分になるが、本当のそれはこうしたブログを書きはしないであろうから、筆者はまだ世間に多少の色気を感じているといったところで、ブログのネタのためもあって、あちこちうろついては思いをこうして毎晩書き連ねる。で、今日は昨日までの姫路の美術工芸館で見た企画展についてだ。「シンジカトウ」と片仮名表記になっていて、漢字は知らない。また片仮名ではなくローマ字表記でこの作家は売り出しているようで、そこには世界的ブランドを睨んだ態度がうかがえる。先ほどもらって来た美術工芸館の案内を拾い読みしていると、この展覧会は開館20周年記念の夏季特別展示で、「個性あふれるデザインを世に送り出し続ける日本を代表する雑貨デザイナーのシンジカトウ(1948~)」と書かれていて、「雑貨デザイナー」という職業を初めて知った。展示されたのは雑貨に印刷されるイラストの原画や下書き、そして商品としての雑貨で、イラストレイターと呼ぶのがふさわしいだろう。新しい雑貨の形も考えるのかもしれないが、鞄や靴、文具など、その表面に印刷されるイラストが見所で、商品化される雑貨の形や用途を知ったうえでどういう絵やその色がふさわしいかを考えるのだろう。そういう絵は筆者が生まれる前から必要で、それなりにデザイナーがいた。遠足の鞄や水筒、弁当箱、筆箱、その他子どもの用の商品には男子用と女子用のかわいい絵がついていた。それにたとえばディズニーのミッキーマウスが使用されるには、ディズニーの著作権を持っている会社から許可を得なければならないから、昔の弱小業者は自前でそれを模倣し、下手くそな絵をつけたりした。また、日本の漫画が全盛期になると、有名漫画のキャラクターを使うことが始まり、その流れは今も大流行しているが、一方ではグッズ・メーカーが子どもだけではなく、大人の女性もほしくなるようなイラストを配したものを作るようになって、日本は「かわいい」グッズでは世界最先端を走り続けているだろう。そうしたグッズに囲まれて育った世代がLINEのスタンプのデザインを簡単にこなす。シンジカトウはグッズ会社に勤務していて独立したが、それは自分の作品の自信を得たことと、前述のように自分の働きで他人を儲けさせることに矛盾を感じたからではないか。会場に年譜のパネルがあって、韓国や他のアジア諸国にも進出して有名になっているようで、それは日本の「かわいい」グッズが世界的に通用することを意味している。だがそれは彼だけの業績ではなく、雑貨にちょっとした絵を添えるという文化と、アメリカのディズニーが入って来た恩恵を被っている。

日本ではディスニーに対してディック・ブルーナや「ピーナッツ」のキャラクターのスヌーピーが60年代後半に流行し始めた。筆者はそれに注目した第一世代だ。その後ディズニーは「くまのプーさん」など、ほかの国が生んだキャラクターの著作権を買い取ってディズニー色にデザインし直すことも活発化させたが、キャラクター・グッズが大儲け出来ると踏んだ日本の会社は「キティちゃん」を生む。前にも書いたが、キティちゃんの合成樹脂のランプを高島屋で目に留めて買ったことがある。1980年頃で、キティちゃんグッズの第一世代と思うが、筆者の興味がとっくの昔に失せた頃に人気は全世界に広まった。それはいいとして、グッズの代表的キャラクターの中にあってシンジカトウはどういう代表作を生んだか。それを紹介するのが本展だが、あまりのグッズの多さに1点ずつしっかりと見る気になれなかった。またざっと見ながらおやっと思ったのは、キティちゃんやミッキーマウスなど、世界的に有名なキャラクターのぱくりとでもいうものが混じっていたことだ。中国はディズニーその他の著作権を無視して世界中から非難を浴びているが、それではシンジカトウのどう見てもミッキーマウスやブルーナのうさぎ、あるいはキティちゃんはどうなるのだろう。傍らにいた家内に思わず、「これ、版権を得ているのかな」と呟いたが、著作権侵害ぎりぎりのところでその世界的知名度にあやかって描いているように見えた。これはシンジカトウに才能がないという意味ではない。商品としてたくさん売るには誰でも知っているキャラクターが手っ取り早い。中だが、そのままのコピーは法律に違反する。それでどこかが微妙に違うネズミや猫、犬を描く。あまりに違うと誰もが瞬時に「かわいい」とは思わないので、そこはミッキーマウス風であったり、ブルーナ風であったりする。そういう作品はどうしても一級とは思えない。展示の中で昔お土産店などでよく見かけた陶製の貯金箱か置物のようなものを見かけた。桃太郎の頭部で、大きな口を開けて笑っている。ちょうど筆者の横にいた女性もそれを見て声を上げたが、それほどに誰もがどこかで見たことのあるものだ。そしてそれは郷土玩具のような懐かしい味わいはなく、安物のキッチュ的商品で、中学生が喜んで買うようなものだ。だが、そういう商品も必要だろう。中学生が渋い郷土玩具に関心を示すことはほとんどあり得ず、もっと漫画的な、それでいて数百円程度で買えるものが歓迎される。シンジカトウはグッズの種類で言えば万単位をデザインして来たと思うが、1枚の鉛筆描きのイラストから数十種の鞄が色違いで作られるので、原画を提供するだけで後の作業はほとんど他人任せではないだろうか。そうしたグッズは流行に敏感な消耗品ということを意味している。そういう商品を世に送り続ける彼の名はそれなりに残って行くはずで、また時代に密着しているだけにすぐに懐かしさがまとわりつき、その点において郷土玩具と同じように収集する人が出て来るだろう。展示は全体的な眺めであれば撮影が許された。そうして撮った写真を今日は3枚載せる。撮影禁止の特別室があって、そこにはシンジカトウが本当にやりたい仕事かどうか、大きなキャンヴァス絵がたくさん並んでいた。それらはポスターとして見るには完成度が低く、ましてや油彩画としては全く駄目なもので、彼の真骨頂はさまざまな素材にプリントすることを前提としたカット・イラストにあることを思った。年譜の前には好感が持てる笑顔の肖像写真が飾ってあった。髭を生やし、眼鏡をかけ、がっちりした体格で、いかにもデザイナーといった風貌は充実した生活を感じさせたが、彼のイラストに漂うそこはかとないペーソスも感じ取れた。グッズの世界はディズニーやキティちゃんという巨大なキャラクターに販路を全部持って行かれるというのではなく、まだまだ隙間が多いのではないか。薄利多売で一山当てたいと思う人が続出するのでそれなりに大変だろうが。