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●姫路市書写の里・美術工芸館、その3
むと言えば大げさ過ぎるが、毎晩こうして書き始める時はそのような気分で自分を鼓舞するところがある。そうでないと、いかに好き勝手なこととはいえ、眠たいのを我慢してパソコンの画面を見続ける気にはなれない。



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それに筆者は両方の人差し指だけでキーを打つが、翌朝5本の指の調子がおかしいことがままある。これは人差し指だけに力を入れるからで、画面を見ながら5本、いや10本指を使って打てばそんなこともないだろう。今からでもブラインド・タッチを覚えることは出来るだろうが、もう面倒だ。それはともかく、今日は別の話題について書こうかと昼に思った。姫路美術工芸館について3回に分けて書くと宣言すると、2,3回目は自分でもつまらないと思うから、ましてやこれを読む人はなおさらだろう。明日はどんな内容が投稿されるのかがわからない方が期待感があってよい。読者を驚きで喜ばせたいというよりも、自分が退屈しないようにだ。それが思い直したのは、些細な理由だが、これと同じカテゴリーに投稿すべき内容であるからで、この画面の右端欄のカテゴリーの文字をクリックして現われる索引画面の最下段が、「その1」「その2」と来て次に別の題名、そして明日「その3」と並ぶのがどうも面白くない。明日と交代した方が字面もきれいだ。そこで今日の昼に思ったことは明日投稿するかと言えば、明日は明日の風が吹いてたぶんそうはしない。それはさておいて、美術工芸館の常設展示だ。昨日兵庫県の郷土玩具の展示はないと書いたが、今日載せる写真を見てそこに「兵庫の土人形」と題があるのを知った。「土人形」と断っているところ、そのほかの素材の人形もあるはずだが、何かテーマを決めて展示した方がリピーターを期待出来る。筆者はせっかくこの館を訪れたというのに、特にこの常設展示はあまりじっくり鑑賞していない。昨日書いたように、筆者が好きで集めている郷土玩具はごく限られていて、大半が伏見人形だ。もちろん土人形で、伏見人形が全国に伝播し、その模倣から初めてやがて独特なものを造るに至ったと言ってよい。兵庫の土人形は拡大写真からでもおおよそわかるように伏見人形とよく似ている。そしてそう思った途端、もうあまり見る気がしない。京都が何事においても洗練された土地で、そこで生まれた伏見人形を凌駕することはまず無理というものだが、田舎には田舎のよさがあるから、その味を醸し出した伏見人形以外の土人形はどれもそれなりの熱心な収集家があるだろう。郷土の玩具であるから、自分の出身地のものには見方が甘くなり、あばたもえくぼに見えるのは仕方がない。たとえば筆者が兵庫に生まれ育っていれば、伏見人形より先に兵庫の土人形に魅せられ、その味を伏見人形にはない香り高いものと思うことになり、その後に伏見人形を見て、その完璧さを却って面白くないと否定したかもしれない。たぶんそのような気がする。昨日の話を繰り返すことになるが、結局は好きか嫌いかが先に立って、造形的により優れているかどうかは個人にとってはどうでもいいことと言える。また造形的に優れているから好きになるというのもおかしな話であろう。それに造形性が優れているとはどのように判定するかだ。あばたもえくぼであって、好きになる何かがまずあって、その思いに支配されるとあばたもえくぼに見えてしまう。また造形性が優れているのは退屈とも言える。美人は3日で飽きるという諺がそうだ。造形的に完璧な芸術と言えばギリシア時代の彫刻を、しかもクラシック時代のそれえを真っ先に思い出すが、ではそれだけがあれば人類は永遠に幸福かと言えばそうではない。
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 郷土玩具についてよく思うことに、作者の数がある。伏見人形は最盛期には30や40の製作軒数があった。若冲時代はもっと少なかったと思うが、これについては誰もわからない。逆にもっと多かったかもしれない。ただし型の種類は明治に近づくにつれて多くなって行ったであろう。伏見街道は全国から大勢の人が集まったから、土産品としてよく売れたが、となると伏見人形の生産数は他の地域の土人形のそれを圧倒していたであろう。製作者が多いことは競争が激化し、作品の質が高まる。伏見人形が造形的に完璧であるとしてもそれは当然と言うべきだ。それに引き替え、他の地域の土人形は伏見ほどに携わった人の数が多かったとはとても思えない。販路が限られていればそうならざるを得ないし、また伏見人形のような完成度は求められない。それに作り手たちも伏見そのままでは自尊心が許さないし、また手慣れるにしたがって土地柄や製作者の個性が出て来るし、またそうならねば売れ行きも悪いと思ったであろう。それは伏見に挑戦するとの思いを育み、その過程で各地に独特なものが生まれて行った。だが筆者が重視したいのは作り手の数だ。姫路の美術工芸館ではどうやら県別に郷土玩具を展示しているようだが、ある県に10や20種の郷土玩具がある場合と、ひとつやふたつの場合もあるのではないか。そして後者では携わる人がひょっとすればひとりやふたりの場合もあって、そうした個人の作るものが郷土玩具に含まれると一気に県を代表するものとなる。そうした作を伏見人形と比べることは土台無理があるように感じる。つまり、質も量も圧倒的に劣るものが郷土玩具の名の下にまとめられているところに胡散臭さのようなものを感じる。郷土玩具であるからどれも素朴で面白いという見方をするのではなく、美術工芸の立場からすれば、やはり造形的に見るべきものがあることが最重要ではないか。それと伝統だ。その両方において現在はもはや郷土玩具は途絶えたと言える。一旦廃絶した郷土玩具を再興する人がたまにあるが、過去のものに劣らぬ仕上がりを保ちながら、現代性が表現されているべきで、そうであってこそさらに未来に伝わって行く。だがそういうものがどれほどあるのだろう。まずは再現だが、それとて心許ない気がする。6月の郷土玩具の会に出席し、その後の飲み会で言われたことがある。去年筆者は伏見人形の「飾り馬」を自分で10数個作った。初めて石膏を扱い、苦労しながらの作業であった。そのことについては詳細にブログに経過を書いた。その作品を去年郷土玩具の会の人たちに見せたが、飲み会で来年の干支の羊を作ってはどうかとの意見をいただいた。伏見人形の干支人形は羊が最も種類が少なく、またどれも仕上がりが素っ気ない。つまり面白くない。それでおそらく十二支のうち最も人気がないと思う。筆者ならどういう形にするかを去年の秋にそれなりに考えた。だが、伏見人形ですらあまりいいものがないのに、筆者がそれを上回るものが創造出来るはずがない。そこで思ったことは、新しい伏見人形というものがどこまで可能かだ。伏見人形の単調さに飽き足らずに写実的な博多人形が生まれて来たが、筆者はそれをほしいとは思わない。これはいいとは思わないことと同義だ。では、昔の伏見人形をなぞるだけではなく、現代の新しい伏見人形が可能かどうかと言えば、ほとんど不可能なように思う。出来たとしてもその途端に伏見人形ではなく、一個人の作った「作家物」という位置づけになる。そしてそういう作品は市場にいくらでもある。いくらでもありながら伏見人形の貫禄がさっぱりないのはどうしてか。単に造形的に弱いというだけの問題ではない気がする。その一方で郷土玩具の名前を冠した現代の作家の作ったものもまた筆者は評価したくない。今東京でリサ・ラーソン展が開かれている。日本でも人気の彼女の人形だが、それから感化を受けて似た陶製の人形を作る人、またその才能のある人は日本にそれなりにいると思うが、そうした作品を筆者はやはりほしいとは思わないだろう。造形的に優れているかもしれないが、作家の個性が前面に出過ぎてそれが鼻につく。その点伏見人形は誰がいつ原型を作ったのかわからない。その無名性がよいのだ。作家が自己主張したものは嫌味が先立つ。そう思う筆者は来年の干支の羊の伏見人形を作ってほしいと言われても、手も足も出ない気がしている。造形的にどこから見ても伏見人形でありながら、自己主張せず、またかつての伏見人形に同じものがない。そういった作品が可能だろうか。
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 伏見人形以外に筆者がよいと思い、また集めている郷土玩具に岐阜の美江寺の蚕鈴のうち、宝珠型がある。このことについてはもう何度もブログに書いて来たし、筆者のホームページのアイコンにも使っている。ただし、形を複写するのではなく、自分流に描き直している。それはさておいて、姫路の美術工芸館常設展示室では「岐阜県の諸玩具」と題して細長い部屋の突き当りの幅いっぱいに玩具が並べられた。ほとんどが土人形と思うが、筆者が目に留めたのは左端だ。その拡大写真を今日の3枚目に載せる。宝珠型の土鈴は中央右にある。これはさまざまな大きさがあって、色もわずかに塗る箇所が違ったりする。それにどちらが背面なのか知らないが、干支の動物を浮き彫りにしたものがある。毎年製作されたのだろう。12個でセットとなるが、筆者はそれはほしくはない。以前に書いたことがあるが、この宝珠型の土鈴ひとつを作り出しただけで実江寺の蚕鈴の名前は郷土玩具の名がある限り、残って行く。とにかく形がいい。常設展示では日本各地の有名な土鈴を展示するコーナーもあって、その最高峰の位置にこの土鈴が置かれていた。それを撮ったのが4枚目だ。その展示を見て筆者は大いに満足した。日本が生んだ最も素晴らしい土鈴がその宝珠型で、筆者と意見を同じくする郷土玩具愛好家とは話が合うと思う。これも前に書いたが、この土鈴を最初に知ったのは郷土玩具の本で、それを京都市立中央図書館で見た。白黒の小さな写真であった。作者の名前と住所が書いてあったので、分けてもらえないかと手紙を出した。中島一夫さんから返事が届いたが、もう作っていないとあって断念した。そして1,2年して京都文化博物館の玄関前にあった骨董品屋で2個買ったのが最初であったと思う。今も所有していない大きさや形のものを探しているが、なかなか見つからない。そこで考えるのが自分で作ることだが、これは「飾り馬」よりはるかに簡単で、それならばどうにか個性を出すことは出来ないかと思い、そこで止まったままになっている。話を戻して、姫路の美術工芸館の郷土玩具の展示替えはどれくらいの間隔で行なわれているのだろう。また毎回楽しみに見に行く人がどれほどいるのだろう。郷土玩具を展示する場所はほかにもあり、倉敷であったか、10年近く前に見たことがある。そうそう、そこで一番印象に残ったのは「松江のお宮」の見たことのない古い形のものであった。筆者は「松江のお宮」も非常に高く評価していて、また集めたいと思っているが、まだ3個しか持っていない。郷土玩具は膨大な種類と数があって、それ専門に展示する施設はどこに似たようでありながら、じっくり見るとそこにしかない作品があるだろう。そして多くの中から何気なくすっと心に入って来るものに出会えれば後はのめり込むのが早い。だが筆者は収集については最初から諦めている。また自分で作ることに関心はあるが、本職の友禅に時間を充てるべきだ。それを思い始めると、こんな雑文を書いている暇がないことに気づく。人生は短いのにやりたいことは多い。柳沢淇園もそんなことを思っていたのではないだろうか。50代で死んで多芸で名を残した彼は玩具などに興味を示さなかったであろうか。筆者はそうは思わない。郷土玩具は文人が好むものでもあった。
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by uuuzen | 2014-09-05 23:59 | ●展覧会SOON評SO ON
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