譲り受けたはいいが、保存や展示に困る美術館が少なくないのではないか。どんな分野でも競争があって、郷土玩具の収集も万単位の数を集める人から百を超えて千までという人もある。筆者は後者だが、それでも全部を飾ることが出来ない。
それでは持っている意味がないのに、ほしいものが出現すれば気になる。そうして集めたものは、よほどのことがない限り、筆者が死んでから処分されるが、そうなれば無料同然で誰かに引き取ってもらうことになろうから、生きている間にそれなりの価格で売ってしまう方がいい。それがわかっていながら、せっかく苦労して手に入れたものをわずかな金額で手放す気になれない。収集家とはみなそうだろう。万単位の数を集めた人は専用の館を自分で作るか、それが無理ならば公的な機関に寄贈することを考える。だが、公的機関が寄贈された場合、数が万単位となれば収蔵庫は大きなものが必要だが、その前にそのコレクションにどれほどの価値があるかを計算し、税金を使って展示するほどのものかどうかを決める。寄贈となれば無料だろうが、万単位も集める人は金持ちであるし、それにもう高齢に達し、お金よりも名誉がほしい。公的な美術館にもらってもらえれば、半永久的に自分の名前はコレクションとともに残り、多くの人の眼に触れる。それは収集家冥利に尽きるだろう。だがそんな人はごくわずかで、その他大勢が没後には収集品は散らばって行く。集まっては散らばるを絶えず繰り返しているのが物だ。集まりながら散らばっているのはほしい人からすればとてもいいことだ。しかるべき機関に全部収まってもはや手に入らないでは個人の楽しみが大きく失われる。超名品は美術館に入ったままでも、その次に位置するような作品は一般人が手元に置いて楽しみたい。美術品ではそうだ。では美術工芸品はどうか。姫路美術工芸館はその名にあるように、美術工芸品を展示する。これは馴染みのない言葉かもしれないが、ただの工芸品とは違って美術的価値のあるものを指す。美術品と同格と言ってよいが、工芸というよけいな文字がくっついているので分が悪い。それにただの工芸品とは違って美術がついている分、価値がいかにも高そうだが、それは胡散臭さでもあって、実態がつかみにくい。姫路美術工芸館は郷土玩具を専門に展示すると筆者は思っていたし、実際訪れてみると企画展以外はやはりそうで、そうなると郷土玩具を美術工芸品と捉えていることになる。これは京都では多少違う。京都にも伏見人形という郷土玩具の代表格があるが、それは美術工芸品には含まれない。含まれると主張する人もあるが、伝統産業品とした方がわかりやすい。京都で美術工芸品と言えば、日展に出品する作家が作るものだ。その中心を陶芸や染織、漆芸が担っているが、当然彼らの作品は非常に効果で、その点ではまさに美術品と変わらない。一方の郷土玩具は伏見人形もそうだが、高いものでも数万円程度だ。したがって万以上の数を集める人がざらにいる。1点で数億、数十億する絵画に比べるとまことにささやかなもので、まさに玩具であり、美術品ではない。ではなぜそうした郷土玩具をわざわざ立派な美術館を建てて展示するのか。京都でも美術工芸館はない。それが姫路にあることに驚くが、さらに驚くのは郷土玩具を展示することだ。京都にも大きな郷土玩具のコレクションは府立総合資料館や嵯峨芸術大学にあるが、めったにわずかでも展示されない。これは収集家がせっかく寄贈しても死蔵されると言ってよい。それでも散逸するよりましと寄贈者は墓の下で思わねばならない。となると、姫路美術工芸館の郷土玩具はとても幸福と言える。
元来郷土玩具は幸福を表現したもので、所有者は温かい、ほのぼのとした気持ちになれる。美術工芸館に展示するからには誰が見ても美術工芸品の価値があってほしいが、郷土玩具のすべてがそうだとはなかなか言い難い。だがそこには永遠につきまとう好悪の問題がある。どのような下手くそな絵や作品でも好きという人があってその人が所蔵すると、それで役目を果たし、他人がそのことに立ち入ることは出来ない。世間的評価とは無関係に個人の思いがある。そしてそれは時に鋭い眼を持っていて、その人の主張がやがて広まってそれまで認知されなかった作品や作家が有名になったりする。評価は恒久的なものではないのだ。収集家はそのようにして自分の好きなもの、眼にかなったものを集め続けるが、郷土玩具となれば筆者の見るところ、誰が集めても究極は同じところに行き着く。つまり、網羅的に何でも集め、数万個といった数になって行く。それは面白くないと思うが、郷土玩具を広く後世に伝えるためには欠かせない態度でもあるし、また郷土玩具がほとんど過去のものになった今、そうした徹底した網羅主義が収集家に求められる第一条件にもなっている。そして全国的に網羅された収集品は新しく建つ美術館から求められる。建物のめどは立ったのに、そこに展示する作品に困るという美術館がバブル期以降には多かったのではないだろうか。建物は収集品に比べると安いものだ。確かに郷土玩具は1個ずつは安価で、万単位の数になっても建物の建築費に届かないかもしれない。だが、万単位の数を集めるまでのエネルギーと時間は膨大で、それを金に換算し切れない。金さえ出せば何でも手に入るというものではない。収集家はそれなりに審美眼を持って集めるし、またもはやどこにもない珍品を所有することを望む。そういう収集家の生涯の努力の賜物を、公的美術館は無料で譲り受けるが、郷土玩具の場合、同じものはたくさん作られたから、万単位の数を集めた人も少なくなく、彼らの収集品はしかるべき機関に収まって、どこか新しい美術館はよほど際だって特徴のある収集でない限り、無料でもほしくないと考えるだろう。つまり、早い者勝ちだ。これが高価な絵画の場合はそうではないが、複数生産の版画や郷土玩具となると、数にものを言わせるか、よほど珍しい作品を多く所有するのでない限り、美術館の名声は得にくい。そこで姫路美術工芸館はまず郷土の作家と呼ぶべき清水公照の泥仏その他をメインの展示に据え、次に無名同然の人たちの手になる郷土玩具室を設けたが、今日の2枚目の写真からわかると思うが、独楽を回して遊んだり、面に色を塗る部屋があって、鑑賞者の参加が目論まれている。郷土玩具の面白さを理解してもらうには、玩具であるから実際に遊べなくてはならない。独楽回しは今時流行らないが、この館に来ればけん玉やそのほかの玩具も備えられていて、遊び方を学ぶことが出来る。仮面は有料だが、絵具や筆が用意されているので、体験した子どもは大人になってもよく覚えていて、自分で作ろうとする者が出て来るかもしれない。郷土玩具の収集は大人の娯楽だが、子どもに楽しんでもらうという観点は重要で、また子どもたちに面白さを伝達しなければ郷土玩具の将来は暗い。清水公照の泥仏は郷土玩具ではなく、美術工芸品と呼ぶべきだが、僧侶が作ったものであるから、京都の美術工芸家の作品とは同列に置けない。その点で彼の作品は位置づけが難しいが、100年経てば仙厓や白隠と肩を並べる美的感覚に優れた造形作家の僧侶とみなされるだろう。現時点で彼の作品を見れば、仙厓でも白隠でもなく、また郷土玩具でもない強い個性を持っていて、そのことによって美術や美術工芸と分けることの無意味も教えられる。その枠にはまらないところを好きな人と嫌う人があって、彼の作品は彼のファンだけに強烈に愛されるのではないか。つまり、郷土玩具の収集家はこの館を訪れても目当ては郷土玩具であって、泥仏は仔細に見ないと思う。
姫路の郷土玩具が何であるかを筆者は知らない。姫路美術工芸館に郷土玩具を展示するからには姫路ないし兵庫にかつてたくさんの郷土玩具が作られていたからであろう。そうでなければ建物の建設に認可が下りなかったのではないか。姫路には郷土玩具の愛好家が多いのか、この館以前に同じ姫路に日本玩具博物館が出来たし、有馬にも玩具博物館がある。みな収集品に個性があるはずで、共倒れにならずに済んでいると思うが、姫路美術工芸館は医者でしかも郷土玩具の収集家であった人物から寄贈されたようで、そのことが郷土玩具展示室に書いてあった。その内部の写真は今日の3,4枚目と次回に載せる。細長い部屋で、ガラス越しではあるが間近で鑑賞しやすい。またどの作品も保存がよく、今作られたばかりに見える。汚れた古いものを集めなかったのかもしれない。部屋を入ってすぐ左手のウィンドウ内部が3枚目で、日本地図の上に郷土玩具の産地を印し、その代表的玩具の実物を置いている。日本全国の郷土玩具を網羅的に収集したためにこういう展示が出来るが、同じようにたくさんの数を持っている人は自分の収集の中にはもっと優れたものや珍しいものがあると言うだろう。その意味で、いかにたくさん集めても、絶対に洩れがあり、完璧はないということになる。だが、郷土玩具において完璧な収集はあり得ない。それは美術品でも同じだが、美術品は郷土玩具よりはるかに高価であるから、もともと完璧な収集の概念を抱くべきではない。そこで話が先に戻る。郷土玩具も収集家の好き嫌いで集めるべきではないか。その点を万単位の数を集めている人に訊きたい。郷土玩具を筆者はそれなりに見て来て思うが、どれも味があるのはわかるが、ほしいと思うものばかりでは決してない。つまり、好き嫌いの感情が働く。それは美術品以上で、そのことは郷土玩具は美術品とは違って美的さに必ずしも優れているものばかりではないからだ。筆者は伏見人形は好きだが、それは造形が完璧と呼ぶにふさわしいものが目立つからだ。その伏見人形を範にし、また伏見人形の実物そのものを型取りして作った各地の土人形が多いが、それらはどれも筆者には醜悪とまでは言わないが、じっくり眺めたいものとは決して思えない。これは造形的に優れているものを評価したいからで、郷土玩具であればどれも面白い味があるとは思いたくない。そこには柳宗悦と北大路魯山人の考えの相違に似たものがある。柳の民藝品に対する高い評価を魯山人は「初歩悦」と言ってからかったが、それと同じことが郷土玩具愛好家にも言えると思う。ところがその一方で、先に書いた好き嫌いの感情だ。いかにレンブラントやピカソの名作の素晴らしさを他人に説いても、その人が嫌いと言えばそれ以上話は進まない。そして大多数の人はレンブラントや郷土玩具といった造形品に関心がない。そのため姫路美術工芸館を訪れるのはよほどの郷土玩具愛好家か、暇のある親子連れで、入場料では大幅に赤字であろう。筆者が訪れた日は夏休みで大人は150円に割り引かれていた。100人入っても係員の日当すら出ない。それに当日は100人は入っていないだろう。市の財政が今後苦しくなると、閉館の憂き目を見るかもしれないが、そうなればせっかくの郷土玩具の寄贈品はどうなるか。前述のように今この瞬間でも品物は集合と離散を同時に体験している。美術館に収まったものでもいつかそこから出ることもある。だがそんな先のことを思わずに、この美しい館で色鮮やかな郷土玩具が微笑んでいる様子を見れば心が温まる。そして、高価な美術品ではないので、同じものはたとえばネット・オークションや骨董市で手に入る。またそうして身近に置いて毎日眺めることが郷土玩具の醍醐味で、そのきっかけをこの館でつかむ人もいるだろう。人と物の出会いはいつでもどこでも起こり得る。この館がその機会の一助を担っているのは間違いがない。今日の4枚目は上部に「岐阜県の諸玩具」と題名が掲げられるところ、全国の郷土玩具を順番に展示替えするのだろう。「兵庫県の諸玩具」を常設していないところが公平主義がうかがえるし、また寄贈者が万単位の数を集めたことを匂わせる。医者であったから、金の点では糸目をつける必要がなかったのかもしれない。収集家の先頭を走るには、時間もさることながら、ものを言うのはやはり金だ。特に遅れてやって来た人はそうで、今後はもう郷土玩具を万単位の数で集める人は出て来ないだろう。そう考えると、この館の存在感は年々増す。