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●詩仙堂、その4
書は何となく簡単に思え、また格好いいので、自己流で戯れに書くことがある。詩仙堂には丈山の書がいくつか見られるが、そのひとつに「既飽」の二字を彫った扁額がある。その拓本を持っているが、詩仙堂で見るより大きい感じがする。



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それほどにわが家が狭いのだが、丈山の本物の書が入手出来にくいのであれば、拓本で我慢したい。偽物の書よりはるかにその方がよい。「既飽」はまだ読めるが、それでも学校で習った字とは少し違う。それで本当に「既飽」なのかと不安になるが、ネットで調べると間違いない。それに意味も書いてくれている。「すでに満腹であり、腹八分目をよしとする」との意味だ。そのほかにも丈山は「食」に対する戒めの言葉を書いている。90まで生きたからには、よほど体が頑健であったことと、「食」に気を配った。好きなものを好きなだけ食べるのがよいとよく言われるが、軟弱な精神では過剰に栄養を摂取し、早く病死するだろう。だが、筆者はカロリーを計算して食事することはいやで、どちらかと言えば好きなものを好きなだけ食べる。その好きなものがだいたい健康によいものが多いようで、菜食主義ではないがそれに近いだろう。先日小学校で健康診断があり、その結果はまだ届いていないが、例年どおり、何かの数値がひとつふたつ悪いはずで、それは食事のせいであることがわかっている。ムーギョやトモイチでよくフライものを買って食べて来たが、それが大きな原因で、動物性油脂で揚げてあることを今年の春に保健所の健康管理の栄養士から聞かされた。春からこっち、フライものをほとんど買わなくなったのはそれが理由ではない。家内が仕事を定年になっていつも家にいるから、スーパーでおかずを買わなくてよくなった。そのため、健康診断の数値は多少は改善していると思うが、丈山の時代のようにはならないだろう。丈山の時代より栄養がよくなったので平均寿命が延びたと言えるだろうが、食べ物の添加物で癌になる割合が増え、本当に現代が江戸時代より食生活が豊かになったかどうかはわからない。たとえば、詩仙堂は今もほとんどそのままにあるが、そこでの居住がマンションよりいいかどうかは意見が違う。断然詩仙堂の方が自然豊かで、住めるなら住みたいと思う人は多いだろう。都心の高層マンションの最上階は眺望がよく、億ションと呼ばれる物件がたくさんあるが、そういう住まいと詩仙堂とでは、筆者は詩仙堂の方が庭が豊かでまた眺めもよく、高齢になればゆっくり隠居して暮らしたいと思う。だが、現実は詩仙堂のようなところには住めず、ゴミゴミした都市に密閉同然で暮らすしかない。本当にそれがいやなら田舎に住めばいいと言われそうだが、買い物その他、不便なことを考えると、静かな自然というものは真っ先に犠牲にするしかない。それでごくたまに詩仙堂やそれに似た場所に行って心を洗うという人が多い。江戸時代も似たようなものであったかもしれない。話を戻して、「既飽」は健康を保つ第一原則で、63になったばかりの筆者は大いにそのことに同調する。前にも書いたが、食べ物を思い浮かべると、それだけで食べた気分になれる。そのため、何が楽しみでこれから生きるかだが、そのことを丈山も毎日考えたはずで、結局は詩を作るなどの創造行為であったろう。これには定年がない。そう考えて筆者は早々にサラリーマンを辞めて友禅の世界に入ったが、時代はキモノ離れにまっしぐらであることは当時熟知していたから、技術は習得したが仕事がないという状態に嘆くことは今までなかった。収入のある仕事がなければ食うに困るが、それも今までどうにかなって来たのは、丈山ではないが、「既飽」の思いを若い頃から知っていたからであろう。食費は知れたものだ。問題は心の栄養にするために使うお金で、それが筆者の場合は狂気じみている。ただし、筆者の収入に比してであって、世間一般の大人の趣味ではもっと高額を費やしている人はいくらでもある。
●詩仙堂、その4_d0053294_18195072.jpg
 心に「既飽」がないのは困ったことか。グルメは絶えず新しい食べ物を探し求めるが、「食」では満足出来ない心のグルメもあって、飽きるということがない。また飽きてしまえばもう呆けるしかないが、必ずしも知を追い続ける人が呆けないとは限らない。そこが恐いが、なるべく呆けないようにいろんなことに興味を示し、こうした雑文でも書き続けるのがいいのではないか。とはいえ、以前書いたことをまた書いていることによく気づき、もういい加減「既飽」との思いがないではなく、もうそろそろ別の新しいことを習慣づけたい気もしている。そこでまた丈山が90近い頃にどうであったかと想像するが、TVで元気な90代や90近い80代をよく見かけ、年齢では一概に老け具合はわからないことを思う。となると、高齢で呆けないのは遺伝に関係した運のようなもので、じたばたしても始まらない。ところで、定年を迎えた家内は終日家でゆっくり出来るのはいいが、することがなく、時に筆者に不満を漏らす。筆者はひとりで3階に上がった切りで家内と話をするのが食事の時くらいであるからだ。それでも話す時間は多いと思うが、もっと相手にしてほしいらしい。そこでまた丈山のことを思うと、独身であったのだろうか。詩仙堂では手伝いをする人が数人いたと思うが、妻はなかったのではないか。その方が気楽で長生きしたかもしれないが、それもまた一概に言えない。上田秋成は妻に先立たれ、涙に暮れる日々を当分送った。それは妻帯していたからで、最初から独身であればそんなこともない。その一方で耳にするのが、独身男は早く死ぬということだ。これは寂しさのあまり、生きていても仕方がないと思ってしまうことと、食事や衣服が出鱈目になり、病気になりやすいからだろう。となると、丈山はよほど精神も肉体も強靭であったことになるが、それほどの人なので歴史に名を留めてもいる。第一、「既飽」を書きながら早死にしたのでは様にならない。長生きする覚悟があって長生き出来る。ただし、それは生きていることが楽しいと思える人だけだ。高齢になるといろいろと動きが鈍くなって、生きているのが面倒になるが、それでも楽しみたいことが山積しているという人が長生きする。その楽しみは個人的なものだが、他者が関係すればなおよい。他人の喜ぶ顔が嬉しいからだ。それはこうしたブログでも数値となって現われる。訪問者数や「いいね」の数だ。筆者はその点はほとんど関心がなく、このブログも他者に伝えるというより、ひとり相撲が楽しいという思いが強い。丈山はその点がどうであったかとまた思う。幕府から京都を監視する役目を負っていたと言われもするが、誰からも忘れ去られた存在では長生きは出来なかったのではないか。近所の無学な人もよく訪れるし、たまには画家や儒者など、談笑にやって来る者もいたろう。急な坂を上った山手に詩仙堂はあるので、高齢になってからはそう毎日麓を往復することはなかったと思うが、庭が広く、また土地は高低、凹凸があるので、運動としての散策には便利であった。やはり理想的な暮らしと言うべきで、現在の億ションなど、高価な牢屋に似ている。
●詩仙堂、その4_d0053294_0375694.jpg マンションは密閉された空間で、虫の入りようがない。それで虫を見ただけで虫唾が走るという人も出て来る。詩仙堂は夜には庭に面したところを扉を閉めるが、日のある間は開けっ放しで、虫は入り放題だ。それが自然というものだが、そんな自然は真っ平で、それで億ションが断然いいと言う。今日ふと思ったことだが、部屋に生け花の1本あれば空気ががらりと変わる。切り花であっても、まだそれは完全に死んでいない。花であっても生き物があることは、存在感がとても大きい。そして部屋には生き物が人間以外にある方がよい。虫は困るというのであれば花だ。毎日買う余裕がないならば観葉植物でもよいし、サボテンの類も面白い。今日3階で大きな蜘蛛の死骸を見つけたが、干からびて紙より軽くなっていた。蜘蛛のそういう姿はよく見かけるが、蜘蛛は虫を食べるから筆者の部屋には虫が多いと見える。それらの姿を見ることはないが、筆者以外に生き物がいることを蜘蛛の死骸から実感し、それはそれでいいことに思える。殺虫剤の成分だらけでは蜘蛛も住めないだろう。詩仙堂は庭が見物で、生き物はとても数が多い。昼間は部屋に鳥や蝶が迷い込むこともあるだろう。そういう光景を想像すると楽しい。7月25日に詩仙堂に行き、庭に面して座ろうとした時に眼に飛び込んだのが、大きな蛙であった。その写真を「その1」の最後に説明抜きで載せた。筆者らが詩仙堂にいる間、10人ほどの人がやって来たが、誰もその蛙には気づかなかったのではないか。源光庵ではカメラを手にした男がふたり入って来た。彼らとは別人だが、同じように還暦過ぎたふたりの男が大きなカメラをかまえて盛んに詩仙堂の庭を撮影していた。「もうこのくらいでいいやろ」と、「既飽」のようなことを言って去って行ったが、筆者から見ればシャッターをやたら押し過ぎだ。1,2枚で決めろと言いたい。また、真横の柱にしがみついている蛙には気づかなかったのか、気づいても関心を持たず、無粋であり、もったいない。筆者は真っ先にその蛙と撮影し、帰り際にまた撮った。その写真を今日は最後に載せる。20センチ手前まで接近しても微動だにせず、瞑想中のその蛙は貫禄があった。さすが詩仙堂に生きる蛙だ。今日の2枚目はどこに蛙がいるかはすぐにわかるだろうか。詩仙堂の内部は撮影禁止なので、このパノラマ写真は本当は具合が悪いだろうが、筆者が撮りたかったのは部屋ではなく、小さな蛙だ。詩仙堂は蛙が多いと見え、庭では別の色のを見かけた。3枚目の写真は源光庵の「その3」の最後に乗せた虫食いのある柱と呼応させるためだ。それよりはるかにひどい虫食いで、丈山時代の柱だろう。これが新品であればありがたみが少ない。詩仙堂はどこかからひょいと丈山が姿を見せそうな気配がある。あるいは自分が丈山になった気分になれる。帰り際に10名ほどの中年の西洋人男女と出会った。彼らは詩仙堂の何に最も感動するだろう。六勿銘や「既飽」の意味を充分理解するだろうか。そう言いながら筆者も怪しいものだが。ともかく、蛙が全く同じ姿のまま床柱にしがみついていることに感心し、心の中で別れの挨拶を言って門を出た。
●詩仙堂、その4_d0053294_0391154.jpg

by uuuzen | 2014-09-01 23:59 | ●新・嵐山だより
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