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👽💚🐸🐛🍀📗🤢😱5月11日(土)、京都河原町三条下るLive House『DEWEY』にて👻『ザッパニモヲ 💐母の日LIVE』午後5時開場、6時開演。3500円👽筆者の語りあり。
●今回は初めての別会場での、そしてザッパ/マザーズの結成日である1964年の「母の日」から60年という節目における、ザッパニモヲの演奏です。チラシ画像はここ。恒例の手製のお土産をくじ引きで配布します。

●詩仙堂、その2
と呼ばれるには代々受け継がれてこそで、一代限りで目立つことをしても忘れ去られる場合が多い。それをどう勘違いしているのか、人を殺して名を残そうと考える奴がいる。そしてその事件は完全に早く忘れさられればいいのに、しばらく経って真似をする者が出て来て、いつの間にかその最初の人物が祖として崇められることもある。



●詩仙堂、その2_d0053294_18181133.jpg
マス・メディアが出現してそのことが一気に拡大するようになったのは、どんな話題でも面白半分に取り上げるからだ。先日の地蔵盆での雑談の中で、ある人が先ごろの鉄人28号の古い玩具を店から盗んだ人物の顔写真を隠さずに公表すべきだと言った。悪いことをしたことが明白であるからには、そのくらいのことをされて当然という考えだ。そのことで筆者は思い出すことがある。天六から梅田の間のどこかであったと思うが、6,7年前、ある道を初めて歩いた時のこと、大通り沿いにリサイクル・ショップがあった。間口が広く、商品を店の外にもたくさん出してあった。それらよりも目立ったのは、カラー写真入りの貼紙で、店先に置いてあった商品を盗んだ若い男を晒し者にしていた。店主がなぜ犯人であることを知ったかと言えば、店先を常時防犯カメラで撮影していたのだ。貼紙は2枚あって、1枚は男の顔が大きくはっきりと写っていた。20歳くらいの眼鏡をかけたどこにでもいるような男だ。2枚目の貼紙はその男が振り返りながら店を後にしている写真で手に商品を持っている。いかにもやましいことをしたのでこっそりとその場から逃げようとの思いがありありと写っていた。男はまさか誰も見ていないと思ったのだが、監視カメラは男の行動の一部始終を捉えていた。そして店主はそのカメラの映像から男の顔と行動の様子を静止画像として紙に印刷し、店の前に貼り出したのだ。すぐに商品を返さない場合は警察に連絡するといった文言が添えられていた。その時筆者が思ったのは、その男は二度とその店の前を歩かないであろうことだ。あるいは一度歩いて自分の写真が張り出されていることに驚き、二度とその周辺に近寄らない。それだけでもその男は一生傷となって残る損な行為をしたことになる。それはさておき、店主は自分のそうした行為が強迫に当たるとは夢にも思わなかったはずだ。被害者であるのに逆に逮捕される可能性があるとはまるで漫画で、正直者こそ馬鹿であるという世の中だ。たぶん盗んだ男が警察に捕まっても、監視カメラの映像だけでは証拠不十分になる。なぜなら映像は容易に偽造出来ると考えられているからで、悪いのはむしろリサイクル店と言われる。ま、万引きすなわち窃盗に寛容な日本で、それは議員がやりたい放題をして悪いことをしてもその自覚がないこととうまく釣り合っている。話を戻して、地蔵盆の雑談で話題になった先の事件は、店主がモザイクを最初にかけて画像を発表したが、筆者が数年前に見たリサイクル店での貼紙のように、モザイクなしであればどうなったであろう。今はネットで簡単に画像が拡散してしまうので犯人は一生晒し者になりかねないが、身から出た錆としては多少は仕方がない。事件が大きな話題になって警察が動いたので犯人は捕まったが、最初からモザイクなしで画像を公表していればおそらくまだ犯人は逮捕されていない。これはモザイクつきで画像を公表した方が効果があるということではない。それは先の事件限りのことだ。毎日数万件かそれ以上万引きされている状態は、どれも犯人が捕まらないままとなり続ける。その一方で監視カメラが爆発的に増えたから、商店は万引きした人物の行動や顔、姿はわかっている。それをどうにかして公表し、二度と同じ人物に盗まれないようにしたいと考えることは無理もない。ところがそれをすると強迫罪になりかねないから、監視カメラがいくら増えても万引きは減らない。万引きする者に言わせれば、自分たちの何万倍も巧妙に悪いことをしているのが議員ということではないか。
●詩仙堂、その2_d0053294_22512087.jpg
 祖の話に戻ると、詩仙堂は煎茶の開祖の石川丈山が造った。このことを筆者が知ったのは7,8年前のことだ。それほどに詩仙堂も煎茶のことも知らなかったし、今も同じようなものだ。詩仙堂でもらった三つ折りのリーフレットには丈山の生涯が簡単に書いてある。それをさらに簡単にまとめると、天正11年(1583)に今の愛知県の安城市に生まれた。代々徳川譜代の臣で、丈山は16歳で家康に仕えた。33歳で大坂夏の陣で巧名を立てた後、徳川家を離れ、京都で文人として朱子学を学んだが、母に孝養を尽くすために広島の浅野侯に10数年仕えた。その後母を亡くし、54歳で相国寺畔に住み、59歳で詩仙堂を造営、10余年を清貧の中に聖賢の教えを自分の勤めとし、寝食を忘れてそれを楽しんだ。丈山は隷書、漢詩の大家であり、日本における煎茶(文人茶)の開祖である。寛文12年(1672)、90歳の天寿を終わった。「清貧の中に聖賢の教えを自分の勤めとし」という下りが最も重要だ。それは文人の条件でもある。清貧を楽しむという余裕が肝心で、それを嘆くようでは文人ではあり得ない。バブルが終わった頃か、清貧を奨める本がよく売れたことがある。それをある評論家が嘲笑した。金あまりの日本で清貧などあり得ないというわけだ。誰もが一山当てて大きく儲けようとの考えで日夜奔走する。また有名人になると本人は偉人と勘違いし、他人も「偉い人」と誉める。この場合の有名人とは金儲けも同時にした人のことだ。清貧についての本がよく売れたことは、著者は金持ちになったのであるから、清貧を云々する資格はないと評論家は言っていたように思う。その評論家は栄養たっぷりに脂切って、醜悪な豚に見えたものだが、自分の本があまり売れないことの腹いせで清貧を否定したのだろう。ともかく、清貧をせせら笑う日本になったと思った。「文人」はとっくの昔に死語になった。昭和になってから駄目になった。隷書や漢詩が上手でも今や誰も誉めないし、またわからない。ということは石川丈山を知る人、関心を抱く人は少数派だ。詩仙堂にやって来ても丈山のことに気づかない人が大半ではないか。だが、丈山の時代、またその後も丈山に関心のある人は今と同じように微量ではなかったか。清貧を楽しむ人は今もいるだろうが、TVに出る評論家はまず駄目だ。彼らは顔を売ることで生活の資を得ている。辻褄の合わないことを口にしても一向に平気で、恥じる心がない。TV局もそのようなタチに悪い輩を持ち上げてよく使うから、日本中が白痴化するが、そう言われたのは随分昔のことだ。今「はくち」と打ち込むと、「白痴」が変換候補に入っていない。これは使ってはいけない言葉であるためか、あるいはそれこそ誰もが白痴になってその言葉を忘れたためか。それはともかく、清貧で生きた丈山が90まで命があったのは、清貧であったからだ。栄養過多で脂切った先の評論家はその後数年で死んだと思うが、食べ過ぎが毒になったことを知らなかったであろう。それに、丈山がおよそ30年詩仙堂に住んで庭作りをし、漢詩もたくさん作って隷書の達人になったことも知らなかったと思う。詩仙堂の床の間には「福禄寿」を一字ずつ書いた丈山の書の掛軸が3幅対で飾られているが、これは日焼けしてしまうので印刷であろう。その「福禄寿」は隷書で、そのほかあちこちに飾られる扁額も見事な隷書で、しかも生活態度を戒める内容となっている。禅僧のようだと言ってよいが、やはり儒学者で、それは老いた母の孝養を尽くすために浅野家に仕えたことからもわかる。これは仕えることによって禄が得られるからで、老いた母のために金が必要であったということだ。そして母がいなくなって自分だけのために生きることが出来るようになった。それは清貧に甘んじることでもあった。今で言えばサラリーマンを辞めて隠居することだが、丈山に年金のようなものはなかったであろうから、どうにか餓死せずに食いつなぐことが出来たという状態ではなかったか。これは上田秋成も同じだ。そう言えば秋成も煎茶を嗜んだから、丈山のことは知っていたに違いない。
●詩仙堂、その2_d0053294_22512834.jpg
 詩仙堂は庭の撮影は許されているが、室内は駄目だ。そこで筆者は庭に出て室内を多少撮影するのはいいのではないかと勝手なことを考えた。今日の2,3枚目はそういう写真だ。床の間に「松竹梅」の3幅がかかっている。その前から眺めた庭が最初のパノラマ写真で、奥が狭いようだが、右手に向かって下り坂になっていて、全体はかなり広い。詩仙堂は詩仙の間があるのでそう呼ばれるが、これは丈山が選んだ36人の詩人の肖像画を鴨居上に並べる。描いたのは狩野探幽で、探幽は丈山の肖像画も描いていて、これは若冲の肖像画のように想像で描いたものでないだけに存在感がある。膝を立て、脇息にもたれ坐り、首を左に向けている。脇息は今も詩仙堂に伝わると思うが、根上がりの松のような木の根元から短い幹、そしてその上の枝分かれした部分を高さ30センチ程度に水平に切り取ったもので、詩仙堂の庭を整備するに当たって伐採した木から造ったかもしれない。その脇息からでも丈山の茶目っ気と言ってよい性格がうかがえる。丈山の隷書の書は詩仙堂に住んでからも30年ほど書き続けられたと考えてよく、掛軸はたくさん伝来しているはずだが、なかなか本物は少ないだろう。数文字を太い筆で紙いっぱいに書いた書はとても力強く、また技巧を感じさせる。太い線は墨で内部が潰れてしまうのが普通に思うが、丈山の書はその線内部に絶妙なバランスでかすれが存在し、一気に書いたものには思えない。にもかかわらず、何度も筆でなぞったような雰囲気はない。丈山の隷書に倣ったものか、隷書で漢詩を書く儒学者が後に出て来る。また、丈山の隷書は何を参考にしたのか、現在活字になっているのと同じ画ではない場合が多く、読みづらい。使った名前にはたとえば「六六山人」「六六山洞凹凸窠夫」「石凹」などがあって、それらを他の文人にはない独特な形に収めて彫り、どれもきわめて個性的で面白い。凹凸は詩仙堂の土地がそうであったからとされる。山の斜面で、水路もあるが、詩仙堂の建物のある部分は割合平坦で、建物は南に面して縁側がある。南東ほど低く、迷路と言うほどではないが、ぐるぐると散策することが出来る。建物は現在寺として使われていて、入ってすぐの右手に大きな木魚ときらびやかな金襴の布があった。そこに住職が座って読経するようだが、筆者らが訪れた時は不在であった。表札は「石川」とあって、丈山の子孫が継いでいるのだろう。「嘯月楼」と呼ばれる2階部分があるが、そこには上ることは出来ない。その外観は庭に出れば見ることが出来る。今日の4枚目がそれだ。わかりにくいが、右手の藁葺の屋根から飛び出た楼閣部分の向かって右側面に円窓がある。それは外から蓋をすることが出来て、その蓋の蝶番は円の上部にあって跳ね上がり形式だ。源光庵の円窓も同じ仕組みかもしれないが、庭の外に出ないことにはわからない。詩仙堂のこの円窓から満月が見られるのは、夕方から午後9時頃までであろう。もっとも、江戸時代はそれ以降は誰しも熟睡中であったに違いない。丈山のことであるから早寝早起きを心がけたはずだ。この円窓から満月を鑑賞させてもらうには住職と親しくなればいいかもしれないが、筆者と同じことを考える人は多いだろう。「ムーンゴッタの祖」と自称したい筆者だが、想像の中で「嘯月楼」からの満月を楽しむ。
●詩仙堂、その2_d0053294_22515532.jpg

by uuuzen | 2014-08-27 22:59 | ●新・嵐山だより
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