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👽💚🐸🐛🍀📗🤢😱5月11日(土)、京都河原町三条下るLive House『DEWEY』にて👻『ザッパニモヲ 💐母の日LIVE』午後5時開場、6時開演。3500円👽筆者の語りあり。
●今回は初めての別会場での、そしてザッパ/マザーズの結成日である1964年の「母の日」から60年という節目における、ザッパニモヲの演奏です。チラシ画像はここ。恒例の手製のお土産をくじ引きで配布します。

●詩仙堂、その1
子ではなく、鹿を脅すための「ししおどし」で最も有名なものは詩仙堂にある。昨日書いたが、京都市内北部に生活圏のある人は市内の別の場所に引っ越しを繰り返すにしてもずっと北部である気がするが、わずかな例で断言しては笑われる。だが、筆者の知る北部の人は南部より北部の各地をよく知っている。



●詩仙堂、その1_d0053294_23355336.jpg
あたりまえだろう。京都市を北と南に分けるとすれば三条通りか四条通り、あるいは御池通りがいいかもしれない。筆者は西北の果ての嵐山にいるので北部に属すると言えるが、他の北部地域に行くには桂川をわたる必要があり、北部の飛び地になっている気がする。そして他の北部地域はあまり知らないので、どの地域がどことどうつながっているのかよくわからない。鴨川と高野川の合流地から特に北東部はさっぱり土地勘がなく、とても遠い気がする。そのためにめったに訪れることがない。10年ほどになるだろうか、蕪村の墓がある金福寺に息子の車で出かけたことがある。地図を持って行ったと思うが、すっかり道に迷い、狭い山手の道をのろのろと走り回った。雪が積もっていて危ないことと、初めての土地であったからだ。ベンツを運転する若い女性の車と擦れ違う際に道を尋ねたところ、親切にも目的地まで誘導してもらった。その後金福寺に訪れていないが、バスや電車では行く気になれない辺鄙な場所という記憶があるからだ。ところが、7月13日は源光庵と詩仙堂を訪れることにし、まず前者を拝観し、千本北大路まで歩いてそこからバスに乗って東に向かった。正確に言えば乗り間違えたことに気づき、千本丸太町で下車した。そこから西大路千本に行き、また乗り換えてわら天神前で下りて「天使の誘惑」で食事を済ませてから詩仙堂に向かった。1日乗車券を使ってのことで、それが使える範囲の北東端まで行った。造形大学前だ。そこは何度か行ったことがあるものの、その先は一度だけ7,8年前に古書店に行ったことがある程度だ。ネットで地図を印刷して行こうと思ったが、さすがの筆者でも迷わないほどそこから詩仙堂までの道のりはわかりやすい。真っ直ぐ北に300メートルほど行き、交差点を東の山手にまた同じくらい歩けばよい。地図を見ながらその付近が一乗寺で、その北が修学院であることを今さらに知った。だがその程度で、一乗寺や修学院は今後も筆者にはまず縁がない。たぶん死ぬまでに数回も訪れないだろう。それはさておき、交差点を右に折れると坂道だ。暑い陽射しに家内はいつものように50メートルほど遅れて歩いて来る。その方がいいのだ。というのは筆者はしばしば道を間違えるからだ。筆者と並んで歩いて道を間違えたことを知れば、家内も同じだけ歩き損をする。道を間違えて立ち止まったり、方向転換するのに必要な時間が、家内が50メートルほど歩く距離で、筆者より遅れて歩くことで家内は余分な道を歩く必要がない。詩仙堂への道は間違うはずがなかったが、坂を上り始めてしばらくすると斜めに道が交差する四辻があった。それを越えて振り返って撮ったのが最初の写真で、左端に黒い傘を差すのが家内だ。筆者が立ち止まって振り返っているので、たぶん道に迷ったのだろうと考え、家内も立ちすくんでいる。こっちへ戻って来るなら来いという雰囲気が滲み出ている。筆者が立ち止まったのは、2枚目の写真を撮影するためであった。その立ち位置から360度を撮影したかったが、3枚で終えた。2枚目の写真は間が少し欠けてしまったが、実際はつなげて撮ろうと思った。
●詩仙堂、その1_d0053294_23354897.jpg
 2枚目の写真の右側に筆者は驚いた。「右 蕪村再興芭蕉庵 金福寺」と彫った石碑があったからだ。しかも徒歩5分の距離だ。息子の車で出かけた時はこの坂道を上って来なかったはずだ。それはいいとして、詩仙堂と金福寺がごく近いとは気づかなかった。2枚目右側の写真でもうひとつ注目したのは背後の消火器を入れた箱と消火バケツだ。それはわが自治会でも同じで、生活感があってよい。そう言えば今年の祇園祭では膏薬辻子に気づき、初めて歩いたが、そこでも赤いバケツがあって、数個並べられていた。その写真を撮りながらブログに載せる機会がない。話を戻して、2枚目右側の写真を最初に撮り、そして左側、次に振り返って最初の写真を撮った。これら3枚の写真で360度を代用しようと思った。ぐるりと一周の様子を示しても面白いことはこれら3枚の写真に表われている。2枚目左が面白いのは、もうすぐ詩仙堂であることがわかる看板のほかに4つも見えるからだ。この賑やかさはこの付近に名所が多いからで、曼殊院がこの近くにあるとは知らなかった。名前だけは詩仙堂と同じくらい昔から知っているのに訪れる機会がない。最初の写真の面白いところは別れ道が見え、その中央に「八大神社」の看板が立つことだ。この神社は初めて見る名前だ。八大山人とは関係がないはずだが、ではどういう意味かと思う。とはいえ、いまだに調べていない。またこの神社はその立て看板のある位置にあるのではなく、詩仙堂より東だ。なぜこの立て看板を撮影したかだが、そこには「宮本武蔵 開悟の地」と書いてあったからで、さらにその上には二本の刀をかざす宮本武蔵の上半身のイラストまであったからだ。その立て看板の位置は「一乗寺下り松」と呼ばれる場所で、そこで宮本武蔵は有名な決闘をした。それは映画にもなっているが、筆者は時代劇が昔からあまり好きではなく、宮本武蔵と聞いてもぴんと来ない。だが、さすがの「一乗寺下り松」にやって来ると、「ああ、ここがそうか」という気持ちにはなる。それにこの立て看板のある場所は侵してはならない神聖は雰囲気があって、それほどに人々は大事に保存して来た。ともかく、金福寺、詩仙堂、一乗寺下り松の3か所を示す看板がまとめて見られる場所に筆者は立ち、それで360度写真を撮ろうと思い、結局3枚で済まし、さらに2枚は1枚につなごうとした。最初の写真の面白いところはほかにもある。家内が立つ場所の側の道を上って来たのだが、左に見える道は上り坂になっている。それのどこが面白いのかと言われそうだが、別れ道の一方が下りでもう一方が上りというのはあまりないような気がするからだ。だが正確に言えばこれは別れ道ではなく、四辻だ。話を戻して、写真を撮り終えて同じ場所に立っていると家内がこっちに向かって歩き出した。それを見てこっちもすぐに歩き始めたので、距離はなかなか縮まらない。詩仙堂の前に来て撮ったのが3枚目の写真で、これは2枚がうまくつながっているが、左右で段差がある。それも当然で、右側は麓方面、左はまだ上り坂が続く。右側の写真に収まる女性は家内ではない。女性の足元に男の靴が見えていて、ふたりは詩仙堂を出て来たばかりのようであった。そのふたりの場所から5メートルほどのところにいかにも昔風の茶店がある。まるで昭和30年代で、「冷やしあめ」と染める布が目立ち、詩仙堂によく似合っている。そこに派手なロゴのコンビニがあると興醒めではないか。よく見ると、その店は詩仙堂の敷地内にあるようで、経営者は詩仙堂から雰囲気を壊さない条件で土地を借りているのだろう。近くには飲み物の自販機があったが、詩仙堂に来たからには、喉が渇けばこの小さな店で買いたい人は多いだろう。だが店には主の姿が見えなかった。記憶が定かではないが、この3枚目の写真を撮った時、家内は筆者の背後にいたのか、あるいはまだこちらに向かって坂を上って来ていたのかわからない。で、最初の写真の右端の家内を見ると、白い大きな紙袋を提げている。そしてもう一度3枚目を見ると、やはり50メートルほど下がったところに同じ家内の姿が見えるが、陽射しがきついので道路の右端ぎりぎりを歩いている。古紙を入れた白い袋がふたつ並ぶ少し後方だ。それにやはり立ち止まっているようだ。きっと筆者がまた立ち止まっているのを見たのだ。家内も詩仙堂は初めてで、筆者がその門前に着いたことを知らない。
●詩仙堂、その1_d0053294_18150942.jpg
 筆者はあまり家内に行先を言わない。黙ってついて来いというわけだ。ところが家内はいつも出かける際にどこへ行くのか教えてくれてもいいのではないかと言う。だが、どこに行くかを言えば、絶対に家内は行かないと言う。歩かされるのがいやなのだ。それを知っているので言わない。それに言っても家内はしぶしぶ着いて来る。しぶしぶでは面白くないではないか。どこへ連れて行かれるのかわからない方が、不安もあるが幻滅は少ない。3枚目の写真の右端の奥に淡い藍色でかすむのは京都市内で、山とその下の街だ。真西を向いているので、筆者は嵐山だと言ったが、家内は愛宕山だと主張した。帰って地図を見ると、嵐山でも愛宕山でもない。緯度で言えばちょうどその間に詩仙堂が位置するが、愛宕山のずっと手前に昨日写真を載せた大文字山があり、それがほぼ詩仙堂の真東だ。ということは、源光庵と詩仙堂は緯度がほぼ同じになり、3枚目に見える坂から眼下に見える市街地は北大路通り界隈ということになりそうだ。この写真の左手をさらにつないで撮影すると、八大神社の大きな看板と鳥居が収まる。詩仙堂の東隣りが同神社だ。だが、今回はその鳥居の前に立つこともなく坂を下りた。詩仙堂内部の写真は源光庵よりたくさん撮って来た。それで今日を含めて4回に分けて投稿するつもりでいるが、途中で他のカテゴリーにも書くので断続的になる。詩仙堂に行きたいと思ったのはいくつかの理由がある。そのひとつは最近家内に『無名の南画家』をまた読ませたからだ。筆者は一度しか読んでいないのに家内に二度読ませたのは、そこに詩仙堂について書かれていると記憶するからだ。ただし、そのことを言わずに読ませたので、読み終えてから訊ねると、家内は知らないと言った。それで筆者は詩仙堂ではなく、真如堂であったかと思い直したが、真如堂については確かに書いてあって、詩仙堂にも触れてあったような気がしている。自分でもう一度読めばいいが、その時間があればほかの本を読みたい。再読した家内はまた感激していたが、それは主人公の南画家がまるで筆者のようであるからだと言う。無名で言えば筆者もそうであるから、筆者もそんな気がしないでもない。それはさておいて、真如堂にも行ったことがないが、そこに行くなら永観堂も行かねばならない。どちらも長年気になりながら訪れる機会がない。その気になればすぐなのに、なかなかその気にならない。詩仙堂についての記憶のうち、最も強いのは、友禅工房で一緒に働いた和歌山出身の年下の男だ。彼は文学には無縁で、展覧会にもほとんど行ったことがないが、ある日、詩仙堂に行って来てとてもよかったと筆者に言った。寺社巡りにも関心がないはずで、不思議であった。30数年前のことだ。そしてその後も詩仙堂をひとりで訪れていたが、何が彼をそれほど気に入らせたのかと当時不思議であった。理由は聞かないままであったが、「ししおどし」のある庭がよいということは聞いた。梅津からバスに乗り、そこから徒歩で詩仙堂に行くには1時間半はかかる。そういう不便なところであるにもかかわらず、そこが気に入ったのはよほどのことだ。それが気になりはしたが、だいたいの雰囲気は想像出来るし、行ってみたいと強く思わせるきっかけがなかった。そして源光庵を訪れたついでに長年若干気がかりであった詩仙堂にも行ってみようと考えた。
●詩仙堂、その1_d0053294_23355925.jpg

by uuuzen | 2014-08-24 23:38 | ●新・嵐山だより
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