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●源光庵、その3
を結ぶのとはほど遠いこのブログで、毎回の投稿の半分は余談、もう半分は雑談だ。詩は晶で、散文はそれには含まれないと思えば気が楽だが、筆者は規則正しい形というものが好きで、芸術作品はみな晶と思っている。



●源光庵、その3_d0053294_1875349.jpg人生そのものが晶のように見えるのが理想だが、人間にとって時間の過ぎ去る速度は一定とは思えず、そのほかのことにもむらがあって、人生は余談、雑談のようなところがある。そう考えるとなおさら気楽で、今日も予断なしに気の向くまま書く。さて、源光庵については今日で終わりだが、昨夜「源光」とはとてもいい言葉だと思った。で、光の源とは何か。人間は太陽がなければ生きられないから、○という形を肯定の印と認識するが、その太陽はなぜ光るのか、その源は何であるかとなると、自ずと光っていて、まさか燃え尽きるとは思っていない。学校ではいずれ太陽は消えると教えるが、そんな遠い先のことを誰も考えず、また考えても仕方がない。それにたいていの人は太陽が消える前に人間は滅びているか別の星に移住しているかと考える。それはいいとして、光の源は何かを考えるに、原子は電子を含んで光っていて、人間もそう言える。となると、物質の存在が光であって、光の源は存在ということになるが、源光庵の円窓は、丸い穴という虚の存在でしかも光の源であり、さらには空っぽだが無尽蔵であるという意味を思い出させる。源光庵の見るべきものはその円相の形をした窓くらいなものだが、かえってそれしかないことによってたくさんのことを考えさせ、円相の掛軸や宝珠を描いた扁額が飾られていることはどれも○につながって、同庵を訪れる人に肯定的な思いを抱かせる。今「肯定」を変換するのに先に「校庭」が出たが、本堂前の庭を臨む軒下にいると、子どもたちの声が聞こえて来た。保育園かと思ったが、鷹ヶ峰小学校で、それがすぐ西に隣り合っている。その校庭は小学校が出来るまではこの寺の持ち物であったかもしれない。そう思わせるほどに寺域は全体にこじんまりしている。本堂の背後に庭はないと思うが、あってもごく狭く、拝観者は立ち入れない。本堂前の庭は筆者らが訪れた時は2、3人の若い植木職人が脚立に乗って樹木を手入れしていた。その庭の面積は本堂の半分ほどで、そのために本堂が大きく迫って見えるが、実際は本堂は普通の寺並みの大きさだ。道路に面した門から入るとL字型に正方形の石を菱形に傾けてつないだ参拝道があると「その1」で書いた。地図を見る入ってすぐに右に折れ、今度は左に折れる。なぜ一直線にしないのか不思議だが、門から正面に三門が見えるのは艶消しとの思いがあるのだろう。真っ直ぐには出来るが、わざわざ鍵型にしてあるように思う。そうすることで寺域に入った時、不安と期待が入り混じる。こう書きながら、本堂までの道筋がはっきりと思い出せず、道路際の門を入ってすぐに左に折れた記憶が拭い去れない。それほどにわずかな距離が、迷路に思わせる工夫が凝らされている。本堂の東端に南北を向く別の建物が接して逆L字型を構成するが、その別の建物の北端の縁側に女性が受付係として座っていて、そこで拝観料を支払った。その別棟を正式にはどう呼ぶのが知らないが、本堂とは小さな部屋でつながっているので、雨に濡れずに本堂に導かれる。その小さな部屋から本堂の円相窓を撮ったのが今日の最初の写真だ。円の内部に緑が写っておらず、蔵のような建物の壁が見える。この角度から緑が見えないのは不満だが、かえって見えない方がいいか。本堂に踏み入れてから一気に円窓内に緑が見えるからだ。建物ばかりが見える最初の写真の人工性は、あえてそう作ったものとも思える。
●源光庵、その3_d0053294_188667.jpg
 2枚目の写真は本堂の東端につながる南北に長い建物を右手に見たもので、左には本堂前の庭が少しだけ写っている。写真の中央奥は四角い穴があって緑が見通せるが、その緑は円相窓の奥に見える庭の一部だ。写真の四角い穴は障子を開けっ放しにしてあるからだろう。2枚目の写真よりもう少し南で撮ったのが3枚目で、宇治萬福寺で馴染みの魚の形をした開ぱんが吊り下げられている。銅製の雲型も開ぱんだと思うが、木製の魚型は胴がかなり減っていて、今も毎日打たれているのだろうか。だが、修行僧の姿が見えず、彼らが寝起きする僧坊もなさそうで、開ぱんの出番はないように思う。開ぱんは消耗品で、最近のネット・オークションで横幅2メートル近い大きなものが出品されているのを見た。落札価格は知らないが、たぶん1万円しなかったはずだ。個人の家にあっても邪魔なだけのもので、かといって禅寺は中古はほしくないだろう。居酒屋辺りが看板代わりに使う手もあるが、ばちが当たりそうな気もする。それはともかく、魚型の開ぱんは萬福寺のがあまりに有名で、源光庵も黄檗宗かと思ってしまうが、由緒書きによれば「貞和2年(1346年)に臨済宗大本山大徳寺2代徹翁国師の開創によるものであるが、元禄7年(1694年)加賀(石川県金沢市)大乗寺27代卍山白禅師が、当寺に住持せられ、これより曹洞宗に改まったのである。」とあり、「本堂は、元禄7年の創建であり、卍山禅師に帰依した金沢の富商、中田静家居士の寄進により建立」と続く。4枚目は2枚目の写真の左手に見える庇を支える柱の1本を捉えた。虫食いがかなり進み、100年以上前の材木だろう。本堂も同じような状態になっているのかどうかだが、風化が進んだ材木は取り替えるであろうし、そうした場合、創建年代は昔のままを唱えてもいいのだろうか。このことで思うのは4枚目の写真の奥に見える本堂前の庭だ。天龍寺のように有名な庭もそうだが、石や岩は庭が作られた当時のままとして、樹木や草木は新しいものに変わって行く。そうなれば昔のままの庭とは呼べないのではないか。そのことは以前天龍寺の曹源池について書いた時にも疑問を呈したが、寺の維持管理は途切れることはないから、創建当時の様子は長年伝達され得る。書かれたものがあればもっと正確に最初の庭の状態もわかりそうなものだが、すべて書き尽くすことは無理だ。そうなれば書かれたことにこだわり過ぎ、つまり頼り過ぎて、次第に最初の姿とはかけ離れたものになって行きやすい。庭の見るべきポイントだけ伝われば、全く同じではなくてもかなりの部分は当初の姿が保たれるだろう。庭でそうであれば、建物はもっとだ。そして一部の木材を新しいものに交換することはたやすいもので、その作業を全木材に適用しても創建当時と同じ姿を伝えて行くことが出来る。4枚目の写真のすぐ後方にトイレがあった。筆者はそこに行かなかったが、本堂からは最も遠い場所で、トイレの北隣りは台所であったと思う。その前にたたずんでいると、近所に住む人らしき30代の女性がやって来て、受付の女性が応対した。彼女は住持の奥さんではないか。住持一家の生活空間がその南北に長い建物に充てられているようで、そこは私的な場所であるから、トイレ以外は拝観者は立ち入れない。となると、結晶のごとき禅寺も晶に含めるにはいささか躊躇する空間があることになるが、人間の生活があってこその禅寺であり、晶の中に晶らしからぬものを含む状態も全体として晶と言うべきであろう。
●源光庵、その3_d0053294_1882444.jpg
 晶は異物を含まず、分子や原子が規則正しく並んでいる。その一方で結晶は、たとえば雪の場合、核となるものが必要だ。それは塵のようなもので、それを中心に水分が凍って整然とした形が出来上がって行く。そのことを小学生時代に習った時、変な気がした。晶を結ぶのに塵が中心に必要とは、晶は純粋でないように感じさせる。異物があって初めて結晶作用が開始されるとは、純粋の意味を考え直させ、何が純粋で不純かわかりにくい。結晶以上に純粋なものはないはずなのに、その中心にいわばゴミが陣取っている。「清濁合わせ飲む」という表現があるが、結晶はそれと同じようなものではないか。だが、それは雪の結晶を思った場合であって、鉱物の結晶は塵を格としていない。それで宝石は高価で、塵や汚れは表面に付着する。それは人間が扱うからで、宝石の結晶の美しさに比べて人間は穢れの塊みたいなものだが、人間も細胞レベルで見れば宝石の整然さは持っていて、結晶的部分はある。あるいは全身が結晶の塊と主張する人もあるだろう。話が妙な方向に進んで来た。源光庵を訪れて本堂の外観や庭の写真を1枚も撮らず、虫食いの多い柱を撮ったことの言い訳を書くべきかと思いながら、余談雑談に終始している。余談雑談が濁とすれば清に相当するまともな談を書かねばならないのに、ま、余談雑談が筆者にとっての実談でと言い訳しておこう。4枚目の写真は左中央に斜めに走る小径が見える。帰りはそこを歩いて表玄関に至った。本堂の裏手を除いて一周した形だが、庭はもっとじっくり見るべきであった。光悦寺と同様、紅葉の季節が一段の風情があるそうだ。それでも筆者はもう行かないだろう。鷹峰に行くとすれば醪を買いに行くか、その醤油屋の手前にあった和菓子屋やその向いの御土居が目的だろう。家内は当日御土居というものが京都市内にあったことを初めて知ったが、今日京都文化博物館の常設展で御土居についての説明があり、それをじっくり読んで来たようだ。ついでに書いておくと、伏見に醸造会社が多いが、家内に言わせると醪は醤油屋が作るもので、伏見では手に入らないとのことだ。自分で麹を買って醪を作ることが出来るようで、試したい気がしないでもないが、筆者なら結晶のような仕上がりは無理で、雑菌を増やして腐らせてしまいそうだ。またそこまでして食べたいというほどではない。それでまた鷹峰に行って醪を買おうかと先日家内と話したのはいいが、改めて考えると、そこまでしてという気になれなかった。車があると便利なのにと家内が言うが、筆者に言わせれば醪を買うだけのために車をそこまで走らせるのはもっと大変な気がする。ネットで調べると東北の醪が通販で売られていて、それを買うのも面白いかと思っている。
●源光庵、その3_d0053294_1883589.jpg

by uuuzen | 2014-08-22 23:59 | ●新・嵐山だより
●○は○か、その13 >> << ●鷹峰を歩く、その帰り

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