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👽💚🐸🐛🍀📗🤢😱5月11日(土)、京都河原町三条下るLive House『DEWEY』にて👻『ザッパニモヲ 💐母の日LIVE』午後5時開場、6時開演。3500円👽筆者の語りあり。
●今回は初めての別会場での、そしてザッパ/マザーズの結成日である1964年の「母の日」から60年という節目における、ザッパニモヲの演奏です。チラシ画像はここ。恒例の手製のお土産をくじ引きで配布します。

●源光庵、その2
を被せないことには雨風が堂内に入ってしまう。源光庵の円窓を見た時にまず思うのはそのことだ。三門にある円窓と同じ構造をしているのかどうか、三門ではもっぱら円窓は外から見るのに対して本堂内は内側から見る。それで蓋を取りつけるのは外側となって、三門ではその内部が外側と思えばよい。



●源光庵、その2_d0053294_0205439.jpg
今日は最初に本堂内部の円窓の写真を載せる。これは真正面から撮った。少し右手から撮ると、悩ましいことに円の左端に白壁の土蔵のような建物が写り込む。今日の最初の写真はそれをぎりぎり避けた。せっかくの円の向こうは樹木だけが見えてほしい。建物が見えれば興醒めではないか。円窓右の「迷いの窓」も写し込んだ2枚目は、右端に床の間があって、達磨を描いた掛軸が飾られている。自治会の掲示板に貼られていたポスターの写真と同じ角度で撮ったもので、寺ではなくてどこかの屋敷にも見える。右側の窓は障子を閉めれば雨風はひとまず凌げ、「迷いの窓」と呼ばなくても風雨の心配をしないで済むが、円窓はガラスが嵌め込まれていないから、蚊などの虫が入り放題で、夕方5時には蓋を締めるだろう。蝶番は円の上か左右の端に取りつけられているはずだ。2枚目の写真から「迷いの窓」との間の距離が蓋を収めるのにちょうどよさそうだ。あるいは半分ずつ左右から閉じるかもしれない。その方が蓋が大きくならずに済む。またその蓋は円より少し大きめの円ではなく、四角形であろう。円窓に蓋をするかどうか悩ましい時があるはずで、それには四角がよい。実際の蓋の形は庭に出ればすぐにわかるが、出ることは許されない。また「変なことを気にするな。それが迷っている証拠」と言われそうだが、あれこれと考える方が楽しいではないか。円窓の奥の庭は狭く見えるが、こうした大きな円窓を取りつける一般家庭は珍しくないので、円窓だけ見ていると一般家庭にも思える。電車の窓からでもたまに円窓を見かける。近年それは増えて来た。たいていは鉄筋コンクリートの建物で、円形の型枠を作る人は面白がりながらも加工は大変だろう。またそうして開けた円形にガラスを嵌めるのは常識で、円窓は年中外が見え、外からは中が見える。それは悪いことではないが、生活するのに多少落ち着かない。窓の外に他人の家の窓が見えなくても、何となく覗かれている気分がする。それで源光庵のように日が暮れると蓋をするのがよい。また日が暮れなくても台風の時は閉めるが、強化ガラスを嵌め込んだ円窓では蓋をする必要がない代わりに窓の外側は汚れやすい。それを掃除するのは年に一度といったことになり、せっかくの「悟りの窓」の汚れが気になって、円であるのに迷いが生じる。ということはやはり源光庵のように、蓋で開け閉めする方がよい。ガラスがあると安全だが、その1枚の薄い板があることが気がかりで、「迷い」は拭えない。だが駅舎にある円窓ではガラスを嵌め込まねば、その窓から時に飛び降りる人も出て来そうで、人々にそういう迷いを起こさせないためにもガラスを嵌め込むことに誰も不思議を思わない。これはガラスがあまりにも生活空間に増え、あってあたりまえと思っているからで、それがないことの清々しさがわかりにくくなっている。そうしたことも源光庵の円窓の前に坐した時に思った。この窓によって庭と堂内が通じていることが気分がよい。ガラスがあればその心地よさは8割方はなくなる。
●源光庵、その2_d0053294_0213239.jpg
 次に思ったのは、「迷いの窓」が障子で開閉するのに、「悟りの窓」に障子がないことだ。円の左右の壁内部に障子が収められているかもしれず、またそうであればその障子は格子状では「迷い」がたくさんあって具合が悪い。直径15センチくらいの円形の桟を縦横に組み合わせたものならいいが、そういう漫画的な図を思うのは「迷い」多き筆者である証拠だろう。それはさておき、何が言いたいかと言えば、「迷い」と「悟り」をセットで見せるのであれば、「迷い」の方も障子など使わず、白壁に四角を開ければいいことだ。だがそうすると円と四角が同列になる。それは面白くない。四角の窓は平凡で一般的なものを代表している。それに対し円窓は限られた人だけが経験し得る「悟り」の境地を意味するから、障子を思い浮かべることが不謹慎だ。円窓に対座してもうひとつ思ったことは、円の周囲が黒い漆でピカピカになっていることだ。それはかなり新しいものに見えた。この壁に円窓が作られた時からそのような太い黒塗りの縁であったのだろうか。何となく禅寺に似合わない感じだが、ツルピカにしておかねば雨風などの汚れが拭き取りにくい。清潔が肝心の禅寺だ。少しの汚れもないように保つには塗を施しておく方がよい。白木であればすぐに茶色になり、朽ちるのも早い。漆塗りは高価なようでかえって安価に済むだろう。ついでながら、この円窓に触れることは出来ない。昨日の最後の写真が最も接近して撮ったもので、それ以上は近づけないように柵で仕切られていた。それで今日の最初の写真はカメラのズームを最大にして撮り、しかも円を縦いっぱいになるように写真を切り取った。写真を撮っていると、中学生の男女4,5人がタクシーの運転手と一緒に堂内に入って来た。修学旅行生だ。運転手は何度も来ているようで慣れた素振りで説明していたが、それはもっぱら天井板についてだ。血天井で、手の形や血の染みがたくさんついている。伏見桃山城の遺構で、由緒によれば「慶長5年7月(1600年)徳川家康の忠臣・鳥居彦右衛門元忠一党1800余人が石田三成の軍勢と交戦したが。武運拙く討死し、残る380余人が自刃して相果てたときの恨跡である。」 380人の血と言えばそうとうなものだが、この血天井は今となっては油か水の染みと区別がつかない。それであまり不気味でもないが、筆者は撮影しなかった。それはともかく、彼らの霊が惑わないためにも大きな円窓が同じ部屋にあるのはよい。運転手は同じ血天井は養源院にもあると説明していたが、それを筆者が見たのは光悦寺を訪れた頃で、その日のことは昨日のようによく覚えている。説明してくれたのはたぶん住職であったと思う。筆者と家内のふたりだけで、住職は笑顔を絶やさなかった。筆者がそこを訪れたのは宗達の白い象を描いた杉戸絵を見るためで、血天井には関心がなかった。説明を受けながら足元にたくさんの蚊がやって来るのに閉口したが、今年は蚊が少ないと先ほどネット・ニュースで読んだ。たぶん今の養源院では蚊はあまり飛んでいないように思う。養源院は三十三間堂と隣接し、京都国立博物館とは向い合わせだが、その時以来訪れたことがない。血天井は同じく伏見桃山城の遺構のはずで、手指の形がはっきりと板に染み込んでいた。その様子は源光庵よりわかりやすいと思う。
●源光庵、その2_d0053294_0224939.jpg
 昨日の2枚目の写真は3枚目の宝珠の絵がかかる部屋の床の間で、円相の掛軸が見える。いかにも禅寺ということで、宝珠とはセットだ。この掛軸は写真からでは署名がよく見えないが、円の両側に「無一物中 無尽蔵」と書いてある。代表的な禅語だが、蘇東坡に由来するそうだ。何もない中に尽きることのない蔵がある。お金は持つほどにほしくなるそうだが、金のない人の方がかえってさばさばして心が豊かであったりする。何事も持てば持つほどにそのことが気がかりで、心が休まる時がない。それに持つほどに感動が薄れる。1000枚のCDを持っていたとして、それが倍や10倍になってもさほど感動はない。本も同じだ。それがよくわかっているはずなのに、新鮮な感動がほしいために絶えず新しい何かを探している。中学生が堂内にいたのは5分ほどで、すぐに元の静けさが戻ったが、今度は60代らしき男性のふたり連れが入って来て大型の一眼レフで円窓の写真を撮り始めた。それが終わると何も用がないかのようにそそくさと出て行った。たぶんあちこちの寺を梯子しているのだろう。そう言えば帰りがけに門の外に三脚を立ててこちら側を撮影しようとしているカメラマンにも遭遇した。中に入ればいいものを、遠慮しているのか400円の拝観料が惜しいのか、出入りするのに邪魔な形で門の前を塞いでいた。失礼なおっさんだなと半ば睨んでやったが、相手もこっちを邪魔するなといった表情で睨んでいた。素人カメラマンはだいたいが図々しい。芸術行為に携わっているのであるから、多少のことは何でも許されると勘違いしている。ま、帰りがけの話は今日はそれ以上はしないでおこう。今日の3,4枚目の写真は本堂の向かって左奥であったと思う。掛軸は観音図で拓本だ。右側の文字が細かく、写真からは読み取れない。拓本であるからには、木か石かで出来た原本があるはずだが、それがこの寺にあるのかどうか知らない。また拓本であれば同じものが何枚もあるはずで、地道に探せば入手も出来るかもしれない。筆者の想像では開山当時の中国製で、300年ほど前のものではないか。この拓本と関係があるのかどうか、本堂西に霊芝観音が安置されているとのことだが、3枚目の写真に見えるのは大黒戎の木彫りと山型のふたつ折りの小さな衝立で、霊芝で出来た観音像は見当たらない。霊芝は大きくても直径30センチほどの平たいもので、それで観音像が彫れるとは思わないが、霊芝観音がどのようなものかネットで調べても画像が出て来ない。まさか3,4枚目の拓本の観音像の原本がそれでもあるまいし、たぶん観音に見れなくもない形をした霊芝であろう。つまり、見立てだ。霊芝自体が比較的珍しいもので、また長寿のシンボルだが、霊芝全体が観音に見えるのか、あるいは表面に観音らしき像が見えるのはなおのことを珍しい。由来書にはこうある。「卍山禅師が、天和元年(1681年)の春、京都洛南宇治田原の山中にて御感得された霊芝自然の観音像であり、第111代後西天皇は、殊の外尊祟厚く、宮中にて御供養されたもので、世に広く信仰され、開運霊芝観世音と唱う。」
●源光庵、その2_d0053294_022472.jpg

by uuuzen | 2014-08-20 23:59 | ●新・嵐山だより
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