賭けるは掛けると音が同じで、○か×に賭けるなら×がいいかと言うと、たいがいの人は○を選ぶだろう。阪急梅田駅の改札口の上には大きな電子パネルがぶら下げてあって、そこには○と×のどちらかが光っていた
文字の読めない人にもわかりやすいという評判であったが、去年か一昨年に見なくなったような気がするのは勘違いだろうか。もちろん○が点灯している下の改札はこちらから向こうに行くことが出来て、×は向こうからこちら側に人が出て来られる。つまりこの大きなパネルは常に○と×が裏表で光っている。×は刀で切られ傷のようで何となく怖いが、怪傑ゾロは刀でZの形を刻むことで自分が登場したことを伝えた。これは名前の頭文字のZを使っただけで、怪傑オーチャンと名乗っていれば○を記したが、刀で真ん丸を刻むのは難しいし、それに刀で○を記すと何だか平和な感じがあって気抜けする。それはさておき、鷹峰に行ったのは6月末頃か7月に入ってすぐだったか、バスの1日乗車券を調べればわかるが面倒なのでこのまま書く。当日はかなり暑かった。ここしばらくは雨が多く、若干涼しかったのに、35度を越える日が戻って来た。西日が当たるガラス窓にビニール製の気温計を貼りつけてあって、それが日中は50度を指す。そこから3メートルほど離れたところに座って毎日パソコンを相手にしている。それもいいとして、鷹峰を数十年ぶりに再訪したのは源光庵を訪れるためであった。なぜ行く気になったかと言えば、5月に貼られた自治会の掲示板のポスターだ。何とかフォーラム開催の告知だったと思う。そこには真ん丸の窓の写真が使われていた。その窓からは新緑の庭が見えている。自治会の掲示板は市内各地にたくさんある。だが、みな観光客がめったに踏み込まない生活圏にあって、せっかく珍しいしい写真が使われていてもそれに気づかない。また気づいたとしても日本語なのでどこにある場所かわからない。筆者は禅寺かもしくは南禅寺辺りの金持ちの屋敷かと思い、ポスターの左端下の小さな文字を見ると、「源光庵」とある。知らない寺だ。これは行かねばならない。このブログで円形の窓の写真を毎月21日の投稿「○は○か」にたまに載せるからだ。源光庵を検索すると鷹峰にあることがわかった。だがそこだけ訪れるのは時間がもったいない。それでもう一か所長年気になりながら行ったことのない場所も訪れることにした。それにしても京都市内に30数年住みながら、知らない場所が多い。それを言えば一生かかっても無理だ。たまたま知って興味を持ったことで満足せねばならないし、また知らないことは存在しないも同然あるので、満足も不満足もない。また、知ってもその場所に行きたくなるとは限らないし、それは物でも同じだ。知ったからには絶対にほしいとなると、切りがない。源光庵に行こうと決めたのは、京都市内であることと、また拝観出来るからで、その気になればバスを乗り継いで2時間経たない間に着く。車ならもっと早い。たぶん嵐山からは30分ほど。だが筆者は鷹峰の急な坂を久しぶりに歩いてみたかった。そして歩いたことで感じたこと、出会ったことは
先月13日に投稿した。それはいわば今日の序で、写真の陽射しが真夏であることを確認してほしいが、幸い今もまだ同じような入道雲が湧き、この投稿が賞味期限切れにはならないと思う。
撮って来た写真の枚数が多いので投稿は3回に分ける。とはいえ、見物は円形の窓程度で書くべきことはあまりない。まず、この寺の斜め向かいに光悦寺がある。そこには昔家内と行ったことがあってその時も写真をたくさん撮った。紅葉がきれいな頃で、ふたりはコートを着ていた。今回は夏で鷹峰に向かって坂を上っていると汗ばむ。麓から源光庵に着くまで市バスが2台通過して行った。1日乗車券ではそれに乗れないかと思ったが、番号は青地に白抜きで、1日乗車券の範囲内だ。白地に黒は1日乗車券が使える範囲とそうでない範囲とに分けられていて、それがかりにくい。脱線ついでに書くと、四条大宮から西に向かうバス停では青地に白の文字表示の28番と白地に黒の29番がある。どちらも松尾橋を越え、28番は松尾大社前から北上して大覚寺まで1日乗車券が使えるが、29番は同大社前を南下し、停留所で言えば3つほど先の苔寺までしか1日乗車券は使えない。松尾大社から大覚寺までの距離と大社から苔寺までの距離は4,5倍は違うだろう。だが大社から南方向は1日乗車券が使える範囲がごく小さい。ともかく市内中心部以外の区域は1日乗車券が使えない場合があるので鷹峰もてっきり千本北大路から歩いて行かねばならないと思っていた。ネットで調べればすぐにわりそうなものだが、筆者は前もって調べることが嫌いだ。というより面倒臭がりだ。道に迷えば困るようなところは地図を持って行くが、それもかなりいい加減なことが多く、松山でも奈良の不退寺でも道にさんざん迷った。まさか鷹峰では迷うはずがない。坂道を上り切ったところが源光庵であることを知ったので気楽であった。それにしても長年の間に記憶は曖昧になるもので、光悦寺は源光庵のある場所と思い込んでいた。源光庵は坂の突き当りのほんの少し西側にあったとてもわかりやすい。そのため鷹峰の寺と言えば源光庵を指すだろう。光悦寺はもちろん光悦の因む寺だが、17世紀の建立だ。源光庵はもっと古く、14世紀だ。鷹峰の最もわかりやすい、またいい場所に先に源光庵が出来、それを光悦が気に入っていたので向い敷地を得て寺にしたのだろう。こういうことは源光庵を知って初めて考えたことで、筆者にとっては鷹峰はまず光悦寺であった。源光庵まで300メートルほどのところで歩道際の干からびた側溝に光悦寺の案内書が落ちていた。雨に濡れた形跡はないが、多少は皺が寄っているので1,2日はそのままになっていたものだろう。光悦寺に行った帰りに捨てたものか、うっかり落としたものかわからないが、その印刷物は筆者が40年近く前に訪れた時のものとはデザインが違っているものの、同じ白黒印刷で、また大きさまで一緒に見えた。なぜそう言えるかだが、京都と奈良の寺社を紹介した美術出版社の本に訪れたいくつかの案内書が挟んであって、その本を繙くたびに見るともなしにそれらの表紙を見るからで、光悦寺のものは有名な竹製の光悦垣が印刷されていた。落ちていた光悦寺の案内書は拾って探すと、すぐに出て来た。B6サイズの1枚もので、「本阿弥光悦翁旧跡 光悦寺縁起」と題されている。表側には光悦の木像、裏面には光悦垣の写真がある。この寺の見物はこのふたつだけと言ってよい。光悦垣の写真はわざわざ「紅葉の」とあって、紅葉の季節が見物ということだ。たぶん案内書を捨てた人は思ったほど光悦垣の眺めが美しくないと思ったのかもしれない。光悦の木像は全体が黒ずんでいるが、どういう顔をしていたかがよくわかるし、またこの像の顔は一度見れば忘れない。有名人をこうした木造にすることは珍しくなかった。利休が大徳寺の三門に据えつけた自身の木製の立像や上田秋成の坐像も有名で、それらはキモノ姿であるから様になったのであって、現代のスーツ姿では貫禄が出ないだろう。また木像ではなく写真で充分と思われるようになった。そう考えると写真は味気ない。
源光庵でもらった2枚折りの縁起書きの裏面に簡単な地図が印刷されていて、源光庵へは市バスを使えば「源光庵前」で下りればよい。また西に鷹ヶ峰小学校があり、付近に民家がどれほど多いのかと思うが、静かな環境で学べるのは市内では珍しいことのはずで、自慢してよいだろう。東は下り坂で玄琢という地域だ。そこは名前だけは昔から知っているのに歩いたことがない。わが家の近くに昔東京から転居して来たサラリーマン一家があって、数年前に定年退職して宮城県に戻ったが、その奥さんから昔聞いたことがある。京都に転居する際、不動産屋から玄琢か嵐山を紹介され、迷った挙句に嵐山を選んだそうだ。関東人からすれば聞き慣れない玄琢より嵐山の方がいいと思ったのだろう。だがその奥さんは嵐山にあまり馴染まなかった。玄琢に住んでいればどうであったかと言えば、同じ京都であるから同じことになっていたろう。さて源光庵についてだ。5,6段の石段を上って門をくぐると、石畳が敷いてある。それは禅寺では馴染みの正方形を45度傾けてつなげたデザインで、同じものはあちこちで見ることが出来る。門をくぐってL字型にその道は曲がっていて、全体で80メートルほどだろうか、山門が見える。門の両側の上部は白枠の大きな円形窓があって、それが門全体をロボットの顔に思わせる。そのロボットの口から奥へと進むわけで、寺内部は内臓ということになる。大きな円形窓は初めて見たが禅寺では珍しくないものかもしれない。先日TVで番組案内を見ていると、男優が中国の少林寺を訪れていた。拳法で有名な寺で、その山門は全体に赤が目立ちまた大きさは源光庵の3倍はあったが、両側に円形窓があるのは同じであった。窓とはいえ、開閉は出来ないかもしれない。あるいは門の内部の2階に上がることがたまにあって、その時には風通しの意味もあって塞いでいる内側の板を持ち上げる構造になっているかもしれない。もしそうだとすると、この窓から人が覗く様子を想像すると面白い。ジャック・タチの映画『ぼくの伯父さん』に同じような場面があった。家全体が顔になっていて、円形窓に立って動く人物のシルエットが、家の目玉が動いているように見えた。つまり、建物の円形窓は遊び心を感じさせ、頬が緩む。だが、筆者が見に来たのは自治会の掲示板で見た庭の緑が見える円形窓だ。それは400円を支払って寺に上がり、二番目の大きな部屋すなわち本堂内の左手にあった。最初の部屋は4.5畳程度であったと思うが、ガラスを嵌めた横長の額が鴨居の上にあって、ガラスの照りを防ぐために斜めから撮った。たくさんの宝珠を描いた水墨画で、筆者のホームページやブログは宝珠をデザインの要素に取り込んでいるので、それを無視するわけには行かない。左端には「福寿如意」と「程山八十二」と書いてあるようで、「程山」はこの寺の住職なのだろう。82歳の作で、もう亡くなっているかもしれない。宝珠は球体で円形窓を連想させる。筆者が「○は○か」を半ばシリーズ化して毎月書いているのは宝珠つながりでごく自然なことであったかもしれない。この水墨画のある部屋から本堂は丸見えで、また筆者らが訪れた時は誰もいなかったので、すぐに本堂内に入り、円窓に相対した。向かって右には普通の四角い窓があるが、これは「惑いの窓」で、円窓は「悟りの窓」とされる。○か×で言えば、四角は×ということになる。×型の窓を作るのは大変で、四角の対角線を結べば×になるから、四角を×とするのは理にかなっている。では家中四角だらけのわが家は全く×だらけで、そんな空間で生活していれば、悟ることがなさそうだ。それで筆者は円形のものをあれこれ撮影したがるのかもしれない。悟ってしまえば円も四角も気にならない。それも味気ない。