娼婦、売春婦のことを「パン助」とも言うようだが、「パンパン」では露骨過ぎるからか。あるいは、「パン助」の「助」は男を意味すると言ってよく、「パン助」は男娼の意味も含むと思えるから、「パンパン」では限定的になり過ぎると考えての訳語かもしれない。
今日取り上げるファスビンダーの映画『聖なるパン助に注意』は、去年買ったDVDセットから適当に選んで見たもので、内容についての予備知識は皆無であった。原題は「WARNUNG VOR EINER HEILIGEN NUTTE」で、「NUTTE」が「パン助」に相当する。辞書によれば英語の「NUDE」あるいは「NUT」の意味だそうだが、後者には「雌獣の陰門」の意味がある。また「NUTTE」は複数形のような感じがあるが、ドイツ語の「NUT」は「差し込みの溝」という意味で、「NUTTE」とは関係がないものの、つながりを暗示している。ドイツ語の「NUT」を思ったのは、セックスは差し込みの溝に嵌める行為で、同じ状態はボルトとナットの関係にもあるし、また映画のフィルムの側面の穴も撮影機や映写機にしっかり嵌ってこそ意味をなすもので、本作の「NUTTE」が「パン助」だけではなく、映画そのものをたとえているとも言えそうであるからだ。実際ファスビンダーは双方の意味をかけたのだろう。さて、昨日はイタリア映画の『イル・ポスティーノ』を取り上げた。その中でファスビンダーの享年を41とした。それを書きながらおかしいなと思っていたが、本作の解説書にははっきりと41歳と書いてある。誤植というより、解説者が計算間違いしたのだろう。それを鵜呑みにして昨日は書き、夜になってから気づいてその箇所を削った。それで昨日の投稿にファスビンダーの名前はない。今日彼の作品を取り上げるのは、『イル・ポスティーノ』と多少の関係があることに気づいたからでもある。本作は同作の23年前の1971年に撮影された。解説書によれば1月13日から2月25日までとなっている。ファスビンダーにすれば比較的長い日数を要したのか、平均なのかはわからない。103分のカラー作品で、色はとてもきれいでいかにもイタリアを思わせる。ヴィスコンティを意識したのではないか。使われたホテルのロビーには壁画がたくさん飾ってあり、柱や壁に騙し絵的な装飾が描かれていて、全体に安っぽいが貴族趣味が濃厚だ。その安っぽさはファスビンダーが気づいていて、本作の主役の監督役がそのことを口にする。これは本作の予算の関係でそうしたホテルしか使えなかったことを逆手に取ったはずで、不満足な状態をそのまま映画の効果として役立てようとするファスビンダーのしたたさが見える。即興性と言ってもよい。だがこだわりがなかったのかと言えばそうではない。こだわりたい理想はあるが、種々の理由でそれは中途半端なものにならざるを得ないことはよくあり、そういう制限の中で最大の効果を引き出そうとした。
本作の舞台設定はスペインの海岸沿いのホテルで、ファスビンダーがなぜイタリアを選んだのかはわからない。だが、ドイツとイタリアの合作になっているので、案外出資者がイタリア人であったからだろう。つまり、当初のスペインでの撮影予定を変更してイタリアでロケをしなければならなくなった。そのことは本作の最後近くで監督役が俳優相手に次のように語る。スペインのある人物が映画製作に50万マルクを投資すると言い、監督は残りをドイツの助成金に頼って映画を撮る契約をした。ところが出資者は雲隠れし、監督は50万マルクの借金をひとりで背負うことになった。つまり、ロケ地を仕方なくイタリアにした。イタリアでスペインに似た場所となればナポリのある南部だろう。本作は崖の上にあるとあるホテルが舞台となり、その部屋やテラスからは光の当たる断崖の岸壁が画面の中の遠くに、これ以上は理想的な構図はないというほどにうまく嵌め込まれて何度も登場する。その岸壁は誰しも雑誌やTVで見た記憶があるだろう。ナポリより少し南のソレントだ。「帰れソレントへ」の歌で日本では有名で、学校でこの曲を習った人は多いはずだ。ついでに書くと、ソレントから昨日取り上げたカプリ島への船が出ている。ファスビンダーは本作を撮る間にその島に関心を抱いたであろうか。たぶん自作の完成にのみ腐心し、観光する余裕はなかったに。本作でもソレントの名所が映るのではなく、大半はホテル内やその近くで、それ以外はわずかにナポリ湾を走る船からホテルを遠くに臨むショットがあるだけで、全体に舞台劇の様相を呈する。ただし舞台では本作は不可能だろう。登場人物が多く、また舞台では生々し過ぎ、また登場人物たちのだらけ切った態度に観客は退屈する。映画ではカットを最小限の長さに縮めてつなげばよいからそうしただらけ具合に緊張感を持たせることが出来る。それでも103分もあって、本作にあくびを噛みしめる人は多いように思う。ファスビンダーの作としては面白くない部類に属するが、本人は本作を撮る必要があった。それは舞台での仲間たちと決別する意味においてで、最初は仲間が共同で舞台や映画をやっていたことが、次第にファスビンダーひとりが他の全員を動かすという形になり、そのことにファスビンダーも仲間も不満を抱いて行った。これは仕方のないことだろう。団体の中でひとりが目立って来るのはよくあることだ。ザッパもそうで、初期は自分のバンドを持ってザッパはその一員とみなされていたが、実際はザッパが他の全員を雇い、また自由に演奏してよい部分はそうさせていた。ファスビンダーも全く同じで、そのことは本作で描かれる。何から何までファスビンダーが指示するのではなかったし、またそうすることは不可能であった。自主的によいと思うことは進んでやってほしいと思っていたが、ファスビンダーの才能が際立って来るにしたがってみんなは指示を待った。それがファスビンダーには耐えられなかった。これはザッパと同じと言ってよい。ともかく、本作はそうした最初のファスビンダーの仲間たちがどのようにして映画を作り、またそれぞれがどのようなことを思っていたかを暴露する楽屋落ちとしての物語だ。これはファスビンダーに心酔する人にとっては興味深い内容だが、ただの映画として見る人は退屈だ。だが、撮影から40年以上も経って見ると、70年代のことがよく伝わるし、現在の映画作りとどう違うのか、またファスビンダーのような才能があるのかといったことを考えさせられ、ドキュメンタリーではないが、そのようにも楽しめる。ファスビンダーは次の段階に進むには本作を撮っておかねばならなかったが、それは愚痴を吐き出すことのほかに自己省察の思いもあったからであろう。
映画が始まって間もなくファスビンダーが白いスーツ姿で登場し、本作が映画の撮影を扱った映画であることがわかる。やがてヘリコプターで監督役ジェフが到着し、その恰好がジーンズに黒の革ジャンで、ファスビンダーを演じていることがわかる。ファスビンダー自身がジェフを演じると虚と実の区別がつかなくなり、他の俳優がぎこちない演技になったであろう。それに本作はドキュメンタリーではないし、自分たちの映画作りをドキュメンタリーにすることは不可能であったに違いない。ビートルズの『LET IT BE』のようにふんだんにフィルムを使うことは出来ないし、またあまりにも映画作りの仲間たちは個人主義で、各自裏でどう考え、また行動しているかわからない。それで実話らしく見える虚構を築くほかない。終始怒鳴り散らかすジェフは、想像し得るファスビンダーそのもので、しかも本作では製作主任のザシャを演じるファスビンダーがジェフ像を描いたのであるから、ファスビンダーは自分を冷静に客観的に見得たことになる。この仕組みからも筆者はザッパを思い出す。1960年代後半のザッパとバンドの関係は、本作のジェフと他の映画関係者とのそれときわめてよく似ている。ファスビンダーは仕事中毒で、誰も真似が出来ないほどの多作を続けて36歳で死んだ。ザッパはもっと長生きしたが、ザッパ36歳と言えばアルバム『ザッパ・イン・ニューヨーク』の頃で、当時ザッパが夭逝していても評価はさほど変わらなかったであろう。ザッパもファスビンダーに劣らず多作で、30半ばまでにもうやるべき仕事は全部やってしまったと言ってよい。ファスビンダーの夭折は惜しまれるが、死期を予想していたかのような猛烈な仕事の連続で、いつ死んでも悔いのないように一作ごとに全力を投入し、しかも絶えず次の仕事に取りかかっていた。ファスビンダーが多作であった理由のひとつは、映画の製作が終わってそれが公開されるまでに数か月の日数が必要であったからとされる。それは先ほど思い出したファスビンダー回顧展の冊子に書いてある。この冊子は1992年11月30日に京都ドイツ文化センターで買ったが、読むのは今日が初めてだ。また、買ったことを長年忘れていて、見つけたのは去年で、それからまた存在を忘れていた。そのように人はすぐに忘れるもので、2,3か月前に撮影された映画を見てそこに監督の思いがあることを確認しても、すぐにそのことも忘れてしまう。ファスビンダーはそう思って矢継ぎ早に映画を撮ったと言える。冊子には、「…新しい作品は可能な限り素早く作られなくてはならない。ムチ打たれる馬車馬の様な仕事であり、そして満足することはない。…」とあって、これはザッパにもそのまま当てはまる。ザッパの最新録音がレコードになってファンの手元に届くのは映画と同じように最低でも2,3か月はかかった。ザッパの新しいアルバムを手にすることは大きな喜びであったが、手にした途端、現在のザッパはそれとはどれほど違う仕事をしているかが気になって仕方がなかった。そしてザッパは常に2年ほどレコードより先走った仕事をしていた。話を戻して、ファスビンダーが最初に思った演劇や映画はロック・バンドのように各自が自由に振る舞える部分を含むものであった。それが映画の成功によって仲間はファスビンダーを畏怖ないし反抗するようになり、ファスビンダーは新たな体制を作り上げる必要があった。その新体制はまだ見えなかったが、ともかく本作を作って過去の仲間と決別しようとした。ただし、全員をその後映画に使わなくなったかと言えばそうではない。これもザッパと同じだ。
楽屋裏の事情は一般人にはわからない。だがそれだからこそ一般人には興味深いかもしれないと考えてザッパは仲間との行動を時には隠し撮りし、また仲間たちとの経験からシナリオを書いて生々しくそれを音のみの演劇として録音した。そうしたザッパの音楽によって、ザッパとバンド・メンバーとの葛藤や緊張が聴き手にわかることとなったが、それの映画版が本作だ。ザッパは音楽にするネタが不足していたのでメンバーの行動を記録し、そこから事実を再現したかと言えば、そうとも言えるしそうでないとも言える。まずザッパは24時間作曲のことを考えていた。したがって、作曲のネタは周囲の出来事からもっぱら得るしかないとも言える。バンド・メンバーの生態は一般人とはかなり違う特殊なもので、それを再現するだけでも一般人には面白いだろうという思いもあったからだが、そこには一般人を蔑むのではなく、自分たちが特殊な世界にいるはぐれ者という自覚の方が大きかった。またバンド・メンバーの行動は、メンバーが変わってもさほど変わらず、ザッパはほかのところから作曲のネタを探す必要があったが、それはファスビンダーも同じで、ザッパも彼も楽屋裏を描いた作品は少なかった。またザッパとファスビンダーが決定的に違うのは、ザッパはホモではなかったことと、麻薬をやらなかったことだ。ファスビンダーは演劇仲間と集団のSM行為をしていたとも言われ、また本作に描かれるように、仲間たちはホモもいれば平気で違う相手と寝るといった男女がいた。これを一般には性が乱れていると言うが、ザッパのバンドと同じように、一般人とは違う特殊な世界で、一般人の尺度では推し量れない。それに70年代最初はまだヒッピー文化が健在で、若者はコミューンを作った。それを最初は信じていたファスビンダーだが、本作からわかるように、彼は自分ひとりが大きな責務を負い、また仕事を果敢にこなしているのに、ほかのメンバーは仕事もろくにしないのに金を寄越せなどと要求することにほとほと疲れ切っていて、平気で女を殴ったり罵倒したりする。まさにひどい悪党そのものだが、唯一信じているのは映画への夢で、その実現のためにはどんなことでもしようという覚悟だ。とはいえ、本作ではその映画作りも仲間たちの好き勝手な行動ややる気のなさによってほとんど頓挫しかねない状態にある。ホテルに滞在しているとまず金が出て行く。それなのにフィルムは届かず、セットはまともに作り得ず、また予定した俳優は怒って去ってしまう。ファスビンダーは臨機応変にメンバーに対応してもらいたいのだが、前述のように逐一指示してもらわねば動けない俳優もいる。とても映画は作れないと思っているのに、最後の最後でついにクランク・インし、次に1,2分の場面を挟んで全員でそのフィルムを見る場面がある。メンバーのひとりがジェフに向かって「いい映画だわ」と口にし、ジェフもそれに納得だ。混沌とした状態からジェフがついに映画を仕上げたことはファスビンダーの映画作りそのもので、毎回のそうした苦労を本作で描き切ったということだ。
本作は一度見ただけでは眠くなってわかりにくい。とはいえ二度見る気もしないというのが正直なところだが、どのセリフも動きも凝縮されたもので、無駄を省こうとした思いはよく伝わる。それに、これはファスビンダーの場合だけなのかどうか、映画作りの現場の難儀さをあますところなく描き、その混沌の中から映画を紡ぎ出した彼の才能を改めて思い知る。本作のジェフの演技を見ながらファスビンダーはどれほど自分の内面を覗き込んだであろう。ジェフは腹立ちを爆発させながらも好きな男と寝たり、女をドライヴに連れ出したり、他の仲間と同じような勝手な行動をするが、実際はその陰で決定的に他の仲間とは違う冷静さを持っていたことになる。そうでなければ本作を作り得ないからだ。そのことを示すエピソードがファスビンダー回顧展の冊子に書いてあるので引用する。「…ただ多くの仕事をしたばかりではない。彼は常に仕事をしつづけていた。仕事と私生活の間に区切りなどそもそも存在しない。彼はそういうタイプの芸術家であった。彼はパーティのただ中に突然となりの部屋に消えてしまい、そして翌朝になって夜のうちに書き上げた新しいシナリオを自慢気に友人に見せるというようなことができたのである。彼はいかなる点においても仮借なく生きた。そして他人に対してもそうであった。…」 本作はこのことをよく伝えてくれる。つまり、ファスビンダーはやる気のない仲間に当たり散らし、製作を絶望視しながらも這い上がり、見事な作品を作る自分を映画という形で残しておきたかった。それゆえに本作が彼にとって重要な作であったことの意味がわかる。先に書いたように本作は楽しくない。むしろジェフの独善があまりに赤裸々で他のメンバーがかわいそうに見える。だが同情ばかりしていていい映画が撮れるはずがない。それに数十万マルクという借金は自分の腕にかかっている。自分の指示どおりに動いてくれないメンバーに当たり散らすのはもっともだろう。仲よし子よしの状態で活動が出来るのはいわばアマチュアの段階だ。プロの世界に踏み込んだファスビンダーは冷酷にならねば映画など撮れないことを知った。そういうことに思いつくと、本作は急に輝いて見える。だがそれは創作行為の厳しさを知っている人に限るかもしれない。そこで筆者が思うのはザッパにしてもファスビンダーにしても、彼らの作品の理解は、いわゆる一般人の生活にどっぷりと嵌っていては無理ではないかということだ。アウトローになれというのではない。それに誰もがそういう人生を歩むことは出来ない。だが、言い換えれば誰もが疎外を感じることがあるし、正真正銘のアウトローの気持ちは理解出来るだろう。その部分においてザッパやファスビンダーの作品は理解し得るし、特に本作はそうと言ってよい。登場人物はそれぞれ個性の強い者ばかりで、その個性は本作を一度見ただけではわからない。そしてセリフにしてもファスビンダーの他の作と関連しているものがあったり、またじっくりと考えねば理解出来ないものもある。それはファスビンダーが冷静に本作を作品として作り上げたからで、技巧性を誇るところが彼にはあった。そこもまたザッパと同じで、多作であったにもかかわらず、やっつけ仕事というようなものがなかった。自身に仮借がなかったのだ。「聖なるパン助に注意」とは、文字どおり金で寝る女や男に注意せよという意味と、映画は聖なるものであって、与えられた条件下で最大の効果を発揮するように監督は作るべきという警句を意味してもいる。筆者はザッパと同じく男色に興味は全くないので、ファスビンダーのそうした側面は理解出来ないが、子どものような純真さを抱き続けたところは、前にも書いたが、彼が眼前にいると抱きしめたい思いがする。本作を撮った直後にファスビンダーが結婚するイングリート・カーフェンがわずかに登場するが、彼女は一時的にせよファスビンダーの求めているものを与え得たのだろう。だが、結局ファスビンダーが信じるものは映画しかなかった。