喩えにもいろいろあるが、隠喩と暗喩は同じ意味で用いられる。また「隠」や「暗」があれば「直」の喩えがあるのはわかるが、直喩と隠喩の区別がつきにくい場合がある。隠喩、暗喩は英語ではメタファーで、イタリア語ではメタフォだろうか、メタフィーノだろうか。
隠喩、暗喩という言葉を日常会話であまり使わないのと同様、イタリアでもその言葉は文字が読み書き出来てなおかつ学がある人しか使わない。そして庶民は難しい言葉をたくさん使う人間のことを訝ることが少なくないが、若い女性を相手にした場合はなおさらで、その女性の周囲にいる世間ずれした大人は、「言葉巧みに下心を隠している」と思う。今日取り上げる映画にはそんな面白いやり取りの場面がある。本作は右京図書館にDVDがあったような気がするが、炎天下に借りに行くのはしんどいし、行っても誰かが借りている可能性が大きい。それでDVDより安い中古ビデオを最近買って見た。見たくなったのは、アマゾンからドイツの歌手ウテ・レンパーの最新アルバムの宣伝メールが届き、それがチリの詩人パブロ・ネルーダの詩にメロディをつけて歌っているものであったからだ。レンパーが惚れる詩をたくさん書いたネルーダに関心が湧き、本作にネルーダが登場することを知った。もちろん本人はとっくに死んでいるからよく似た風貌のフランスの俳優を使っているが、ネルーダより男前でまた優しい雰囲気だ。本作はイタリアの島を舞台に描かれる。その島はナポリ湾にあることが画面から何となくわかるが、ひょっとすれば
スウェーデンの医師アクセル・ムンテが住んだカプリ島かと思って調べるとやはりそうであった。カプリ島は「青の洞窟」が日本のTVでもよく紹介され、それを見るためだけに島を訪れる人が多いようだ。今年の夏休みに行って来た人もいるだろう。筆者は泳げないのでさほど関心がないが、島の内部は歩いてみたい。それにムンテが住んだサン・ミケーレの別荘を訪れたいが、時間はたっぷりあるのに経済的余裕がない。今後もないはずで、あきらめワルツの気分だが、本作でカプリ島の海岸がよく映り、何となく行った気になれたのがよかった。砂浜は少なく、岸壁が背後に迫っているが、その岸壁は全面が水平の縞模様で島が古生代のいつかに隆起したか、あるいは大きく浸食されたことがわかる。カプリ島は東西に細長く、イタリア半島に近い東半分がよく開発され、西半分は古い時代の雰囲気が色濃いらしい。サン・ミケーレの別荘はちょうど中間の北端にある。本作で描かれるように、1950年代は水の便が悪かった。ということはムンテも水の確保に苦労したろう。現在はどうなのか知らないが、たくさんの観光客が訪れるのであるから、ムンテ時代の10倍か100倍ほどの水は必要なはずで水道設備が出来たかもしれない。本作はカプリ島だけでロケされたのではなく、別の島も使われた。それはトラットリアが必要であったからで、なぜカプリ島のそうした店を使わなかったかだが、観光客が多く、もはや50年代の雰囲気をたたえる店がないからかもしれない。本作は1994年の製作で、たぶん島の東半分はネルーダが住んだ50年代とはそうとうに雰囲気が変わってしまっていると思う。またそれが原因かどうか、本作は島の各地を観光地としての宣伝になるようにたくさん撮影しておらず、ネルーダの家と砂利の多い坂道、そして海岸やトラットリアの内外程度で、カプリ島とはわかりにくい。島の美しい場所をたくさん盛り込まず、人間模様を描くことで島の美しさを表現しており、その隠喩が見どころになっている。ネルーダは天才詩人と言われ、当然隠喩に長けていた。そういう彼が島の純朴な若者マリオと出会い、心を通わせ、詩作について訊かれるままに答え、マリオは隠喩の方法を知って詩を書くようになるという物語だが、ネルーダが島に滞在したことのみ事実で、ほかは想像だ。
アクセル・ムンテはパリやその他の土地で医者の仕事をしながらこの島に惚れ込んで土地を買い、島民の手助けを得ながら住めるように土地を整備した。ちょっと掘れば古代ローマの遺物が出て来るような島で、ムンテは古い歴史の堆積に包まれながら静かに生活したかったのだろう。その生涯はローマ時代の古くて長い時代からすればまるで一瞬のようなものだ。それは本作も同じであるし、ネルーダもそうだ。みな一瞬の人生を生きては消えて行く。それでもカプリ島の美しさは変わらない。そういう変わらない美しい自然に取り囲まれて生きて死んで行くことを幸福と考える人がいつの時代でもいる。ムンテは一瞬の人生を過ごしたが、彼が整備した棲家は今も健在で観光客が訪れる名所になっている。それに彼の書いた本『サン・ミケーレ物語』は名著として今後も忘れ去られることはないだろう。それと同じように、この『イル・ポスティーノ』という映画もカプリ島の美しさを讃えるものとして長く記憶されるに違いない。本作の題名は英語では「THE POSTMAN」で「郵便配達員」だ。それを演じる主人公のマリオはマッシモ・トイロージという俳優で、深刻な病を抱えていたにもかかわらず最高の演技を見せようと頑張り、撮影が終わった10数時間後に息を引き取ったという。筆者はそのことを知らずに見たが、マリオはかなりしんどそうな感じで、病気であることは何となくわかった。享年41であったという。41は若者とは言えないが、マリオは長らく独身であったので、心は若者のままだ。彼の父は老いた漁夫で、ふたりで慎ましく暮らしている。父は漁師になれと息子に言うが、読み書きが出来る息子はそれを拒む。今は日本でも多い「引きこもり」と言っていい。読み書きが出来るとはいえ、いつか文筆家になろうと考えて創作に励んでいるのでもない。そういうマリオを父は叱りもしないが、これはもう諦めているのか、あるいはマリオが病弱のため、そっとしてやっているのかもしれない。そういうマリオは仕事を見つける。郵便局が配達人を臨時で募集したのだ。島に滞在し始めたネルーダ夫妻に毎日たくさんの手紙や小包が届き、それを届けに行く人材が必要になったからだ。条件は自転車を所有していることだが、マリオは自転車を持っている。局長との面談ですぐに採用が決まり、帽子と鞄をもらう。ただし、給料はなきに等しく、月に一度映画が見られる程度の額だ。配達した時にもらえるチップが収入と言ってよいが、マリオが配るのはネルーダにのみだ。ネルーダの評判は当時島にも伝わっていたという設定で、無学な人が大半の島では彼がどれほど偉いのかはわからないと思うが、ネルーダについてのニュース映像が島で上映され、彼が女性に大人気のチリの国民的詩人であることをみんなは知る。またネルーダは共産党員で、本国に入ることを拒否され、それでイタリアが受け入れを表明した。ただし島の外を出てはならないという制限があった。ネルーダがカプリ島に滞在したいと言ったのだろうか。そうだとすれば『サン・ミケーレ物語』を読んでいたからではないか。それは充分あり得る。またムンテが死んだのは1949年で、ムンテがもう少し生きればネルーダと会ったかもしれない。ともかく、本作はネルーダとマリオを通じてカプリ島を礼賛していて、『サン・ミケーレ物語』を読めばさらに立体的に島の雰囲気が楽しめる。
マリオはネルーダに郵便物を配達し始め、すぐに彼の1冊の詩集を買う。それを読みながら理解出来ないことが多い。そして少しずつネルーダに質問する。ネルーダはていねいに答えてやり、マリオは隠喩の作り方を覚える。わずかな語彙しかなくても、マリオにも詩の心が理解出来るのだ。筆者はここに最も感動した。マリオはネルーダにサインを求めると、ネルーダはマリオの名を書かない。それがマリオには不満だが、まだそこまでふたりは仲がよくなく、あくまでもマリオは一介の郵便配達員に過ぎない。またそのことをマリオは自覚している。このネルーダとマリオの関係は、『サン・ミケーレ物語』にも出て来る。ムンテの邸宅作りの手伝いをした老漁師は無学ではあるが、ムンテはこれぞ人間であるといった最大の賛辞を贈っている。こざかしい知恵で金儲けするといった手合いとは正反対の、古代から何ら変わらずその土地に生まれては死んで行った人たちで、そういう人に囲まれてムンテは生きたかった。ネルーダはカプリ島から出はしたが、ムンテと同じように島の人の真心や島の自然を忘れなかった。それがマリオという人物像に凝縮されている。島でネルーダが詩を作る場面がある。そばにマリオがいて、彼は漁の網についての何か形容詞はないかと訊ねる。マリオは少し考えて、「悲しい」と答える。これは父を初め、古代から伝わる島の唯一の生きて行く術と言ってよい漁を蔑んでのことではない。「網が悲しい」とは何と含みのある表現だろう。漁られる魚は悲しいが、漁る人も悲しい。大漁は漁師にとって喜ぶべきことだが、日本でも一年に一度は漁られる魚介に感謝を捧げ、その霊を慰めるお祭りをする。さて、ネルーダには若くて美しい、二度目か三度目の妻がいるが、ほかに若い女性は登場しないのかと思っていると、突如いかにも島の女と言うべき情熱的な女性ベアトリーチェが登場する。島のトラットリアを切り盛りする叔母の手伝いをしていて、島で一番の美人と呼ばれている。店が暇な時にたまたまマリオは彼女が店内のサッカーゲーム機でひとりで遊んでいるところに遭遇し、ゲーム相手になる。彼女はぶっきら棒で、マリオに関心を示さない。島にはろくな若い男がいないのだろう。危険な漁以外に産業がないではみな本土に働きに行く。マリオはたちまちベアトリーチェに一目惚れし、ネルーダにそのことを伝える。そして隠喩に満ちた恋文を書いてほしいと言うが、ネルーダは取り合わない。だがマリオはベアトリーチェが脇を通り過ぎる時に、「蝶が羽を広げたようだ」と口にする。それはマリオが咄嗟に思いついた言葉で、そういう表現を聞いたことのなかったベアトリーチェは舞い上がる。ネルーダの詩が女性に熱狂的に支持されたことと同じ効果があったということだが、マリオのそうした言葉を彼女の叔母は信用しない。それどころか口の上手い男は必ずその後に手を出すと思っている。イタリアではそうだろう。だがベアトリーチェはマリオを純粋と思い、詩がわかる男を見定める。マリオはネルーダの愛の詩から飛びっ切り激しいものを選んでベアトリーチェに贈るが、彼女が乳房に隠していたその紙を叔母は見つけ、司祭を訪ねて読ませる。司祭はその内容に驚愕し、叔母も卒倒しかねないほどだ。だがマリオとベアトリーチェは結婚する。これは実に楽しい展開だ。隠喩を知ったマリオが別人のようになって島一番の美女を手に入れる。マリオに遂に人生の春がやって来た。映画ではマリオは何歳くらいの設定だろう。ネルーダは1904年生まれで、本作では40代半ばだ。それから考えれば30歳くらいと見るのがいいだろう。
ネルーダはマリオの結婚に立ち合った時、電報を受け取る。本国に戻ってよいという許可が出たのだ。早速彼は荷造りを始めるが、マリオの失業を気遣う。そして、ネルーダは自分の立場が微妙で、いつまた国外に住まなければならないかを予想し、滞在した家や家財をほとんどそのままにして帰ることをマリオに告げる。ネルーダが島を引き払った後、マリオは失業するが、ベアトリーチェの店の手伝いをする。叔母にしても男の手が加わったので損はない。ネルーダが共産党員であったのと同じように、マリオもその思想に共鳴する。島では選挙のために票をほしがる議員がいて、自分が当選した暁には島に水道を引くと口先ではうまいことを言う。そして投票前には、店にたくさんの男を連れて来て彼らは今後水道工事のために長期滞在するので店は大繁盛すると口にするが、その言葉をマリオは信じない。叔母とベアトリーチェは口車に乗せられ、借金をして店を大きくするが、議員は当選した途端、掌を返す。どこの国でも同じで、政治家は自分が当選することしか考えていない詐欺師だ。島の無学で純朴な人たちはひとたまりもない。そういう現状があったからこそ、マリオは共産党員になるが、尊敬する「友人」のネルーダも同じ共産党員だ。ネルーダが帰国してから、マリオは彼の動向を新聞で知ることが出来た。パリにやって来た時には立ち寄ってくれるかと思ったがそれはなく、また島の感想をインタヴューされた記事を読んでもマリオのことは書かれていない。叔母は餌をもらって飛び立つ鳥の例を挙げながら「そんなものだ」と言うが、マリオは多忙なネルーダを気遣い、自分は彼から多くのものを受け取ったと言う。やがて一通の手紙が届く。島に置いて来た荷物を送ってほしいとの依頼で、マリオに対しての私信は一行もなく、また秘書が書いたものであった。マリオは家を訪れ、埃まみれになった荷物の中に当時として珍しかったと思うが、録音機を見つける。ネルーダは以前戯れにそこにマリオの声を吹き込んだのだ。「島で一番美しいものは?」の質問に、マリオは口ごもりながら「ベアトリーチェ」と答える。それを再生しながらマリオは今度こそは思いのたけを吹き込んでネルーダに送ろうと考え、同じく共産党員である郵便局長の手伝いを得て、その録音機を野外に持ち出し、あるいは舟に乗せて島のさまざまな音を録音する。この場面は本作で最も美し、また感動的だ。マリオは島の本当の美しさをたくさん知ったのだ。さて、数年後にネルーダは島を夫妻で再訪する。ベアトリーチェのトラットリアに行くと様子が違ってひっそりしている。するとそこにひとりの少年がいる。マリオにそっくりだ。ベアトリーチェも姿を現わし、マリオについて話す。マリオは自分の党員としての行動が彼を喜ばせると考え、大会に参加した。3人の労働者が全員の前に出て一言述べる予定であったが、マリオの番になろうかという時、警官が押し寄せ、マリオは銃に倒れた。ベアトリーチェは妊娠していて、大会には行くなと言ったが、マリオはわが子を見ることなく世を去った。ネルーダは島の海岸を歩き、海に向かってたたずむ。その姿を次第に小さく捉えながら映画は終わる。本作が悲しいのはマリオの早死にもそうだが、またその20年後、ネルーダの最期が失意のどん底にあった状態で死んだことを知るからだ。それでも死の間際のことは重要ではない。そこに至るまでにどれほど感動し、愛したかだ。ウテ・レンパーのネルーダの詩を歌うCDはまだ購入していないが、その前にネルーダの詩集を入手したい。