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●『江戸の異国万華鏡―更紗・びいどろ・阿蘭陀』
を染めたことはほとんどないが、それは友禅染めのキモノには織の帯を締めるというのがだいたいの決まりになっているからで、染帯ならば織のキモノを取り合えせる。それはさておき、筆者が友禅の師匠に2年師事した後、その近くにあった染色工房に勤務することにした。



●『江戸の異国万華鏡―更紗・びいどろ・阿蘭陀』_d0053294_22372692.jpg待遇が不満であったというより、思っていたことが学べなかったからだ。だが、その染色工房では先生と呼べる人は数か月のうちに社長と揉めていなくなり、残された社員で切り盛りしていかなくなり、筆者が実質的主宰者になった。それで数年そこにいてから独立したが、呉服業界が急速に不審となって工房が儲からなくなっていたことを肌身で感じていたからでもある。ま、その話はいいとして、筆者がいた染織工房は大きな2階建てで梅津にあった。以前は呉服問屋の寮であったので、部屋がいくつもあり、どのような大きな布を広げる仕事でも出来た。その工房で作った商品はすべて親会社の呉服問屋に納めていたが、初期はわが工房だけでは生産が間に合わず、呉服問屋の社長は別の工房にも発注していた。時々そうした商品を見せてもらったが、とてもわが工房では真似の出来ないものがあった。友禅のキモノに関しては筆者は作ることが出来たが、樹脂系顔料を使って引き箔の帯に直接描くようなものは技術もよくわからず、また絵の巧みさや配色のよさは逆立ちしても模倣出来ないものであった。それは作り手が京都図案家協会の会員で、染めることについては全くの素人だが、図案を描くことにかけてはプロであったからだ。だが、同時に思ったのは、完成作の帯は確かに色といい、図案もいいのだが、よき個性というものが感じられなかった。商品であるからそれでいいのかもしれないが、筆者は友禅作家を目指して仕事の合間に作品を作っていたし、作家の個性というものについては敏感であった。そこで思ったのは、図案家協会の人たちは世界中の古今の図案資料を手元に置いてそれらを自由に組み合わせることが出来るし、またそれを生業として図案を西陣の織屋などに売っている。だが、図案とはそういう組み合わせで新しいものが出来るとは思えない。そこにはもっと血の滲む努力と閃きがなくてはならないはずで、組み合わせと部分改変の作業で図案を作っているのでは、悪い意味での職人で、作品には誇るべき個性というものが宿るはずがない。染帯の話に戻すと、引き箔ではなく、洗っても大丈夫な特別な織り方をした帯地があり、そこにインド更紗を染めた名古屋帯が別の工房で量産され、それらをいくつか営業の人に見せてもらったことがある。そして、親会社の社長はそれを参考に同じようなものが筆者の工房で作り得るのであれば、白地の帯を提供すると言われた。そこで試しに2,3点の図案を描き、同じように筆で直接描き染めてみたが、結果を言えば全くの惨敗で、特にインド更紗の大きな特徴である深い臙脂色が似ても似つかぬものになった。どのような染料を試しても駄目で、ついに営業の人に訊ねてもらったところ、ヨーロッパから輸入した特製の染料を使っているとの話であった。まさかと思ったが、あり得る話だ。使用する染料が違えばどれほど七転八倒しても同じ色合いは出ない。それでインド更紗模様の帯を染めることは断念したが、今もその頃に見た深い臙脂色を思い出しては歯ぎしりする。文様図案を同じように描けても、商品としての完成作の味わいが劣れば売れるはずがない。その工房は同じようなインド更紗模様の帯を量産し、そのためもあってその色と模様の技術は誰も模倣出来ない境地にまで達していた。わが工房はキモノを主に染め、帯はたまにであったから、とても専門の染帯工房にはかなわない。
 深い臙脂色は、何度も濃い染料を重ねればいいようなものだ。それにはまず臙脂色を作り、そこに補色の緑などを多少混ぜで渋くし、それを絹地に筆で描いた後、蒸しを1時間ほど施す。そうすると染料は定着するが、濃い色の場合は定着し切らないので、水洗いして余分なものを洗い落す。そうすれば染めた時はかなり渋いと思っていた色がそうとう鮮やかに変わっていることに気づく。その変化を見越して予めかなり渋い色としておくが、あまりに濃度が高いと、水洗いの際に大量の染料が流れ出て、それが帯の白地を染めてしまう。そうなれば元も子もないから、濃い色を染めるには限度があり、2,3回同じ工程を繰り返して次第に深くて濃い色合いにして行く。たぶんそのような面倒な工程を経て本物のインド更紗に見えるような味わいのある色合いを出していたのだろうが、そのような手間をかけては当時1万円もしなかった染価と引き合わない。染める技術もさることながら、儲けが出ないことにはお話にならないから、染色工房の運営は大変であった。筆者が描いた図案を基にした一点ものの手描き友禅のキモノが今なおどこかの人の箪笥に眠っていることを思うと冷や汗が出て来るが、もう古着として売られてしまったものもあるかもしれない。それはさておき、染色の世界に入った時からインド更紗は好きで、安物だがたまに大きな布を買って家に吊るして来たし今もそうしている。インド更紗からバティックの味に目覚め、今は後者の古い裂地の方がほしいが、前者の深みのある臙脂色を見ると、たまらなく手元に置きたくなる。そして思うのは、そうした更紗を染めた職人の顔だ。彼らはいわば無学文盲であったろうし、自分たちの染めている布が100年や200年後にまで珍重されることは夢想だにしなかったと思える。ところが、今では同じように味わいのある更紗を作り出すことはもう不可能となった。昔と同様の染め方は伝わっているとしても、作り手の感覚が違っている。それで今は樹脂顔料を用いたプリントばかりがインド民芸店に積み上げられている。一方、100年ほど前のものはボロ布と言えるものなら数万円であるが、まともなものでは10万や20万円台はする。そのうえ、かなり劣化しているのでちょっとしたことで裂ける。それでもそういう古い布にしかない味わいはあって、そうした本物を見るともうプリントの安物は買えなくなる。さて、今日取り上げる展覧会は昨日に続いてMIHO MUSEUMで見たもので、3月14日に内覧会に行った。今頃感想を書くことになるが、気になっていた。本展は「万華鏡」と言う言葉が入っているので誤解を与えやすい。万華鏡の展示はなく、更紗とびいどろ、そして阿蘭陀と呼ばれたオランダのデルフト焼きだ。これは中国の磁器を模倣した陶器で、肌が柔らかいので温かみがある。模倣品ではあるが、別の性格を持ったもので、そのところを日本の数寄者は好み、それをまた真似て作るということが流行った。更紗やびいどろも日本で好まれ、日本風のものが出来たが、インドからわたって来る更紗の中にも日本向けに作ったものがあって、国境はあっても案外融通が利いていたことがわかる。大きく分けて染色、ガラス、陶器の展示で、工芸展と言ってよいが、展示の導入部では長崎港や出島を描いた著色画やまたオランダ船の船首飾りの木像、銅版画も若干展示された。
●『江戸の異国万華鏡―更紗・びいどろ・阿蘭陀』_d0053294_22374584.jpg

 本展が企画されたのは、更紗の部門の最初に展示された「更紗千鑑」と題する実物更紗の断片を貼りつけた手鑑をMIHO MUSEUMが近年入手し、そのお披露目をかねてのことだ。更紗は小さな模様が連続したものが多いので、縦が10センチ、幅2,3センチの裂でも全体を復元出来る場合がある。連続模様でない更紗の場合は比較的大きく切り取って見本裂とし、それらを文様の系統ごとに分けるのでもなく、紙に貼りつけたものを束ねて閉じたものを手鑑とするが、実物でなく、木版画で再現したものも戦後は京都の出版社で作られ、そうした本でも古書店で数万円で売られている。もっとも、木版による複製はもう途絶えたからで、戦後は大判の写真を収めた豪華本がたくさん発刊された。それらはほとんどが京都の呉服関係者、特に図案家に歓迎されたが、高級なキモノや帯の売れ行きが激減してからは全く途絶えた。MIHO MUSEUMが入手した「更紗手鑑」は京都の呉服問屋か図案関係の人が所有していたものではないだろうか。貼付されている更紗は17から19世紀にかけてのものとされ、江戸時代に出島を通じて入って来たものを含む。江戸時代のそうした更紗は茶人に愛好され、茶入れや袱紗に仕立てられたのはよく知られるが、表装裂としてもよく使われたようで、逸翁美術館の呉春の鯉を描いた大幅には臙脂色が目立つ裂が使われている。今見ても更紗は異国情緒満点で、入手が難しかった江戸時代はそれを模倣する動きがあり、鍋島では木版を使って和風の更紗が作られた。その伝統は今なお健在で、伝統工芸展には必ず同地の更紗作家のキモノが並ぶほどだ。鍋島更紗は地を濃い臙脂た紺、黄色などで染めないものしか記憶にないが、インド更紗はたとえ白地が見えてもそれは染める華模様の面積との絶妙な均衡があって、白地でなければならない意味が感じされる。また、たいていは白地に細かい点を無数に描くなど、地と模様の区別がない。この全面を埋め尽くす感覚は日本にはあまりないもので、密教の曼荼羅くらいしか思いつかないが、それも日本の発明ではないから、鍋島更紗が色合いも模様の密度も風通しがよいのは和様化した結果だ。インド更紗が地と模様の区別がないほどにびっしりと染められているのは、サリーなど、使われる状態すなわち用の美を考えてのことだろう。日本で更紗を模倣してキモノが染められたかと言えば、御所解き模様はキモノ全体に細かい模様が埋まり、更紗を思い出させなくもない。だが、やはり日本では同じ色合いは出せなかったようで、実物の更紗を切りつないだパッチワークの小袖が作られ、本展でも数点展示された。それらは復元が不可能なはずで、似たものを友禅の技術で染められなくもないが、あまりに細かい模様のため、とんでもなく多大な労力を要するし、またそうして作ったものが実物にかなわないでは意味がなく、古き更紗の貴重さを改めて噛みしめるしかない。本展の更紗を縫い合わせたキモノは松坂屋コレクションとなっていて、これは初めて知ったが、他にどのような作品を所蔵しているのか、おそらく百貨店であるので、呉服を昔は主に扱っていて、その研究を兼ねて収集されたものだろう。京都や大阪ではまだまとまった展示がないように思うが、見落としたかもしれない。
 本展図録の5分の3は更紗に充てられている。残りがびいどろと阿蘭陀だが、前者は透明なものより色のついたものが印象に残りやすい。先日韓国ドラマを見ていると、部屋のガラス扉4枚のそれぞれの中央がB4サイズの縦ほどの大きさに桟で区切られていて、しかも黄色であった。それを見ながら日本でも同様の色板ガラスが製造され、建具に使われるといいなと思った。ところが数回後のそのドラマでは4枚のうち1枚が、黄色が多少剥がれて、シートを貼って色ガラスに見せていることがわかってがっかりした。3か月前の25日の天神さんの縁日で、色ガラスを使った窓を売っている家具職人と少し話をした。ピンクや黄色、青など、見ていて楽しかったが、訊くとどれもシートを貼ったもので、色ガラスではなかった。一見他人の目をごまかせるが、所有する本人はまがい物と知っているから楽しくない。筆者の年齢になると、もう本物に囲まれて生活したい。それも残りの人生を考えると長くて20年だ。たったそれだけの年月しかないのであればますますまがい物はもういいと思う。それでその家具職人の名刺をもらいながら、調べもしていない。では本物の時代性を持った色ガラス板が簡単に手に入るのだろうか。小型の窓や扉の中央に嵌め込むステンドグラスは古道具屋で簡単に手に入るが、そういうものではなく、ガラス切りで容易にカット出来てしかるべきところに嵌め込む色板ガラスだ。技術的には簡単なはずだが、需要がないのだろう。だが話は逆で、作れば知って買う人が出て来るし、また使い道が発見される。話を戻して、本展のびいどろはみな容器だ。いかにも涼しげで、鑑賞にも最適で、たまにこうした古いガラス容器を見るのは楽しい。1か月前に京都市役所前のバザーでガラスの花瓶を買った。高さ30センチほどのアールヌーヴォー風の曲線の胴体をしている。ずしりと重く、色は赤、青、黄の3色が縦方向に垂らされて相互に入り混じっているので角度によって色合いが異なり、また七色に見える。300円の札がついていたが、厚い底の内面にほんの少し白い線状の傷がある。それを指摘して200円にしてもらった。これを家に持って帰って見ると、その傷はてっぺんまで伸びていて、何かに強くぶつけると真っ二つになりそうだ。その花瓶を光が通るように窓辺に置き、たまに角度を変えて毎日眺めているが、とても楽しい。たぶん昭和30年代に流行ったもので、当時はそれなりに高かったろう。200円なら買い物で、それでガラスの楽しみが味わえるならいい。本展のびいどろはみな薄手の仕上がりで、また色合いは不純物を含むためか、どれも植物染料のように味わいがある。庶民には手の出ないもので、また手に入れても飾る場所もないし、もちろん使えばすぐに割ってしまう。それで100円ショップの食器を愛好する人も多いが、そのようなものを使うと、人間まで100円の価値になってしまう気がする。高価な美術品は手が出なくても、探せば格安で古くていいものがたくさんある。最後の「阿蘭陀」では、まずオランダの焼き物の中国風の文様をつけた皿や壺を紹介し、次に乾山窯の作品を展示して、日蘭の共通性と差異を感じさせようとしていた。作品数がさほど多くないので比較が無理なところもあるが、洋の東西がつながっていることはわかる。好奇心はかえって昔の方が大きかったかもしれない。そしてわずかな情報によって想像をたくましくし、より創造的な作を生み出した。情報過多となれば、最初に書いたように、京都の図案家のように、無思想のつまらない図案を量産しがちだ。どんな模様でもただ組み合わせればいいというものではない。小学生にでもすぐに真似の出来る模様であるだけに、それを使うことは思想が欠かせない。それが欠如する図案家が多かったので京都の呉服業界は内部から腐って行った。
by uuuzen | 2014-08-15 22:35 | ●展覧会SOON評SO ON
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