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●『二つの綴織』
脂一色で刷られた法隆寺壁画の10円切手をよく覚えている。今は封書が82円だが、その切手が売られていた1960年前後は10円であったから、半世紀で8倍ほどになった。この10円切手は未使用ならば1000円ほどで売られていて、100倍の値打ちが出た。



●『二つの綴織』_d0053294_051578.jpgということは切手を買って長年保存しておくと銀行に預金するより得なようだが、さっぱり値打ちが上がらない切手もあって、同じ頃に発売された記念切手は今はチケットショップで額面でも勝ってもらえない。それで筆者ははがきや封書に貼って使っているが、半世紀経って価値が8分の1以下になったので大損だ。当時いくらでも増刷された通常切手の法隆寺壁画の10円切手の方が記念切手よりも値打ちが出たことになるが、それは大量に作られるものの方がかえって誰も大事にせず、半世紀も経てば貴重品になることを意味している。なので、今限定商品と銘打って売られるものは買わないことだ。さて、本展はMIHO MUSEUMで今月17日まで開催されている。7月18日の内覧会に行って来たので、その感想を書いておく。本展は辻惟夫館長の挨拶の中で普通の展覧会の3つ分ほどの豊かな内容とあったとおりの多彩な展示で、仏教美術、狩野芳崖、綴織に関心のある人は大いに楽しめる。題名にあるように、MIHO MUSEUMが所蔵する2点の大きな綴織をメイン展示として、その2点を製作するに当たっての下絵や参考になった仏画や仏像を展示する。2点の綴織とは、「MIHO悲母観音像」と「蓮華弥勒像」で、前者は以前にも同じ美術館で展示されたことがあるし、また製作した川島織物も独自に本を作って図版を載せている。そのため、川島織物にも同じものが所蔵されていると思うが、実際のところはわからない。MIHO MUSEUMが狩野芳崖の絵をそっくり再現した綴織を所蔵しようと決めたのは同館の母体である神慈襲秀明会が祀る本尊との関係だ。MIHO MUSEUMは神慈襲秀明会がらみのあれこれの宣伝を全くと言ってよいほど館内にポスターを貼ったり、また図録にチラシを挿入しないが、筆者はそのことに好感を抱いている。内覧会に招待されたはいいが、宗教の勧誘があるとなれば筆者は絶対に行かない。宗教団体が美術品や美術館を持つことは珍しくないどころかあたりまえになっているが、MIHO MUSEUMは言われなければ神慈襲秀明会の存在には気づかない。それで新興宗教嫌いな人でも気にせずに訪れる。だが、本展は「MIHO悲母観音」と題して、まるで神慈襲秀明会やMIHO MUSEUMが川島織物に狩野芳崖の「悲母観音図」を綴織にしてほしいと依頼したかのような具合で、作品は複数あるのかもしれないが、MIHO MUSEUMが注文したのは間違いがないようだ。そして「MIHO悲母観音」を手始めに、今後いくつかの仏画を綴織で再現して行くつもりなのか、本展では法隆寺壁画から「蓮華弥勒図」を選んで製作した。そのお披露目の展覧会だ。話を最初に戻すと、半世紀前の日本の10円の通常切手に顔のみ印刷される観音菩薩は鼻ががっしりとした特徴ある顔で、10歳前後の筆者は抹香臭ささと古式豊かな風格とでもいうものを感じていた。ついでに書いておくと、この次に発売された10円切手は派手な濃いローズ・ピンクを背景にした桜の花で、それを最初に見た時はびっくりした。そのローズ・ピンクは1960年代前半の日本の代表的な色となったと言ってもよく、ビートルズのシングル盤ジャケットにもよく使われた。蓮っ葉な感じだが、とにかく新しい感じで、法隆寺壁画の地味な臙脂色とはまるで正反対であった。
●『二つの綴織』_d0053294_1941548.jpg 法隆寺壁画が焼失したことは当時の子どもでも知っていたが、それがあまりに惜しい出来事であったので、10円切手の図案に選ばれたのだろう。筆者は10代か20代半ばには法隆寺壁画の燃える以前の白黒写真や日本画家による模写作業を撮影した写真を雑誌や本、新聞などで見たが、10円切手の観音菩薩が法隆寺壁画のどの壁のどの場所にあったものかまでは関心がなかった。法隆寺壁画は京都の便利堂が原寸大で撮影していたし、また日本画家たちによる模写も全部ではないが残されているはずで、焼ける前がどのような色合いであったかはおおよそわかる。壁画が燃えた時、模写作業は完成していなかったが、たぶん仕上がったものや部分模写などは寺の外に出されていたのではないだろうか。こう書きながら、そうした絵を筆者は見たことがない。便利堂の写真は貴重な資料ではあるが、彩色がわからないことには復元は難しい。本展ではその法隆寺壁画の全点が大きな一室に展示され、とても迫力があった。それを見るだけでも訪れた甲斐がある。それらの模写は片岡球子が強く推し進めたもので、愛知県立芸術大学の学生たちが何年か費やして完成させた。その方法についての説明はなかったが、前述した便利堂の写真と日本画家による模写を参考にしたのだろう。それしか方法がない。原寸大の模写であるので、それらの図版は本物の壁画を撮影したように見える。肝心の顔部分に大きな剥落のある壁画もあるが、全体に何がどのように描かれていたかはわかる。もっとも、全体に傷んでいるので痛々しい感じもするが、1000数百年前のものであればそれも仕方がない。図録には第1号壁から12号壁までの全点の図版が収録されるが、半世紀前の10円切手の図案になった第6号壁に描かれる3体のうち、右に立つ観音菩薩の顔が最も状態がよく、また美形でもある。そのために切手図案として選ばれたと思うが、本展に出品された「蓮華弥勒像」の綴織は2号壁の坐像で、額中央から鼻にかけてV字型に剥落とひび割れがあるが、全体に華麗な色合いはよく残っていて、綴織として再現するには最もふさわしい。10円切手の図案はどこにもひび割れがないように描かれているが、これは切手の原画製作者が修正したからで、「蓮華弥勒図」の原画と同様に顔に傷がある。双方の顔を比べると、好みによるが、6号壁の観音はやや厳めしく、2号壁の弥勒は大きな赤い蓮の花を手にすることもあって、やや優しい。さて、切手図案でも修正が施されたのであるから、綴織の「蓮華弥勒像」も当然そうすべきだが、その程度が問題だ。復元模写がなされているのかどうか知らないが、本展に並んだ模写は焼ける寸前の状態を想像して描いたもので、1000数百年前を再現していない。現在の絵具の知識を用いて描かれた当初の姿を再現することはかなり可能だと思うが、それがありがたみがどれほどあるかという問題がある。たぶん薄っぺらな感じがすると不評を買うだろう。とはいえ、焼ける直前の額から鼻にかけて剥落とひび割れが目立つ顔では悲しい。そこでひび割れは全部なくし、また点状の汚れも取り除いて綴織の下絵を作った。最も手を加えたのは弥勒の素肌だ。それが荒れていてはかわいそうだ。ところが、出来上がった弥勒の顔は模写とはかなり違って、黒目がぱっちりとし、また唇も鮮やかで、ぱっと見は同じ絵とは思えない。小鼻が横に張り出ているのは10円切手の観音と同じで、それはインドのグプタ王朝ぼ影響のもと、唐で花開いた当時最先端の仏画の様式であるらしいが、そう言われると消失したのがあまりにもったいない。それにしても写真技術の発明まで焼けずに持ったのが幸いで、またコンピュータ時代になって描かれた当時の姿を再現することも簡単になった。
 法隆寺壁画の模写はひび割れも忠実に描いているが、時の経過で偶然出来た傷まで正確に再現する必要があるのかどうか。肝心なのは絵の部分で、そこに見られるひび割れや絵具の剥落はそのまま描くべきだろう。だが、地の部分は仏像の部分よりかは重要度が低いものの、絵の一部と見ることは出来る。一部であるから模写はそこそこでいいはずだが、本展に並んだ模写を見る限り、枠の端まで手を抜いていない。とはいえ、模写する際には仏像の顔が最も神経を使うはずで、次は手足や胴体、そして天蓋や蓮華座といった付属物、そして地となる背景部分であるはずで、また背景部分を多少写真とは違えて描いてもまず誰にもわからない。そう考えると、本展の壁画模写は昨日取り上げた意味のあまりない写真を拡大模写する画家の油彩画と共通する部分がある一種の現代芸術作品ということも出来る。壁画の模写では敦煌のものが有名で、その模写展は昔日本で開催された。それを見た時に思ったのは、やや手抜きしたのではないかというラフさだ。法隆寺壁画と比べると明らかに細部にさほどこだわらずに割合速筆で描いた印象があった。そのことによってありがたみが少ないという気と、ひょっとすれば本物がそのように描かれていて、本物を描いた人の気持ちになって描いたのではないかということだ。敦煌壁画は実物が残されているので模写とそれを比べることは出来るが、一般人は敦煌窟に入ることはもう出来ないだろう。それはさておき、敦煌壁画の模写とは違い、法隆寺壁画はもっと厳粛な感じがする。1000数百年の間に被った無数の傷まで再現するというこだわりによることと、絵が左右対称性が強いからだ。それでいて観音や弥勒の顔はどれも少しずつ違っていて、立像では第3号壁の観音が最も優しい表情でよいように思う。これを綴織に再現すれば狩野芳崖の「悲母観音図」と向かい合う形になってよい。ところで、綴織にMIHO MUSEUMがこだわるのはなぜだろう。1000色以上もの糸を使って織り上げることは、流麗な線や色に限りなく近づくことは出来るとはいえ、微細に見ればデジタル的な格子画面で、絵の方が簡単でしかもいいように思う人がいるだろう。綴織にする際に模写を多少修正し、ひび割れなどを取り除いたが、その下絵の方が実物の壁画に近いではないか。それをわざわざ膨大な手間をかけて綴織にするのはなぜか。そこには神慈秀明会の本部が実務上は左京区にあるとされ、開祖が京都人であるからではないか。また「悲母観音図」の実物が手に入らないとなればそれとそっくりな綴織に目を移すしかないし、それを「MIHO悲母観音像」として所蔵すれば次もまま綴織ということになる。それに、模写絵よりもそれを綴織にする方がはるかに手間を要し、ありがたみが増す。「絵」は「糸」と「会」で、織物こそ本物の絵という見方も出来る。織物には描いた絵にはない重厚さがあり、染め物ではそれがかなり劣ってしまう。
 本展で初めて見たが、狩野芳崖が「悲母観音図」を6,7年要して描くのに、どういう下絵をどういう経験を経てどれほど描いたかを示す写生や関連作品、小下絵や数点の墨と淡彩で描かれた重文指定される原寸大下絵が展示された。決定稿に辿り着くまでどのような試行錯誤があったかは作家ならば大いに関心が持てることだが、展示を見ながら芳崖の鬼気迫る、また祈るような気持ちがよく伝わった。原寸大の下絵の観音の顔は本画と同じで、またどこか男っぽいのに対して、小下絵ではまるで手塚治虫の漫画に描かれるかわいい女性の笑顔となり、また球体内部の幼児も観音と向き合わない。ほかの下絵も同様に女性っぽさがあるが、芳崖は奈良で多くの仏像を写生し、また性別を超えた観音図を描こうと思うに至ったのだろう。画面左下隅には尖った岩山が見えるが、それは妙義山に上って写生した後で思いついたもので、1点を完成させるためにどれほどの時間と思考が必要であったかを思い知る。本展は1「MIHO悲母観音像」、2「蓮華弥勒像」、3「二つの綴織の制作」の3章仕立てで、1の最初に葉芳崖の「悲母観音図」への影響を示唆するために、泉屋博古館や台湾の個人蔵など、どれも小さいが、さまざまな楊柳観音立像、そして白衣観音図などの水墨画の展示があった。2の最初は「半跏思惟像の誕生と伝来」と題し、龍谷大学所蔵のガンダーラの石造浮彫や平山郁夫シルクロード美術館、大阪市立美術館、藤井斉成会有鄰館、そしてこれは初めてのことだが、台湾故宮博物院所蔵からは金銅製の菩薩像が出品されるなど、粒揃いと言える。法隆寺壁画の模写を展示する部屋の次は第2章後半の「観音と弥勒、日本での展開」と題して奈良、滋賀、大阪、京都の寺から仏像や仏画が借りられた。仏教美術専門の美術館としては先年龍谷ミュージアムがオープンしたが、同館に本展を巡回してもよさそうだが、何しろ目玉はMIHO MUSEUMが信仰に大いに関係して所蔵を自負する2点の綴織だ。それを省いて全体を再構成しても焦点がぼやけるから、MIHO MUSEUMこだわりの企画展だ。今までの企画展も大なり小なりそうであって、独自性を打ち出さねば開催する意味がないという自負が見られる。そのうちネタ切れしないだろうかと心配もするが、同館は世界中の美術品を集めているので、切り口はいくらでもあるのだろう。
by uuuzen | 2014-08-14 23:59 | ●展覧会SOON評SO ON
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