焙煎の具合でコーヒー豆の様子が違い、味も変わるが、生豆を買って自分で焙煎してみる気はない。それでも筆者は必ず毎朝に紅茶、午後にコーヒーを飲み、また味が銘柄によってそれなりに違うことを知っている。

コーヒー豆は今はアメリカンを飲んでいるが、若い頃から筆者は喫茶店でアメリカンを注文したことがなく、その味が今頃になってわかって驚いている。アメリカンは普通の半分ほどの味の薄さだと誤解していたが、そうではない。今飲んでいるアメリカンの豆は後味がとてもよい。飲んだ後にそれが口の中で強く残り、また酸味がないので気分がよい。その後味はかなり持続し、2時間ほどは口の中がコーヒーの香りで満ちている。こんな経験は他の豆ではない。飲んだ時の味はさっぱりしているが、その分後味がよいことを知った。それにしても同じ豆でも焙煎により味が違うのはあたりまえとはいえ、奥が深いものだ。何事もそうと言える。同じ曲であるのに場所や再生装置が違うとさっぱり感動しないことがある。絵画でもそうだろう。場所が肝心ということだが、これは出会いの状態がそうだということだ。今日取り上げる展覧会は伊丹市立美術館で見たが、4月か5月か記憶にない。この美術館はこじんまりしているが、筆者はとても好きでよく行く。だが展覧会を見てもこのブログに感想を書かないこともある。今日はかなり印象が薄れているが、書いておこうと思った。とはいえ、図録を買わず、またとても気になった作品があるというのでもないから、思い出すままだ。本展は副題が「ブリティッシュ・カウンシル・コレクションにみる英国美術の現在」で、まさにそのとおりの内容で、作家数が多く、また作品の傾向もさまざまだ。おもちゃ箱を引っくり返したと言えばいいかもしれない。現代美術ファンはとても楽しめる内容で、絵画や彫刻といった古典的とも言える技法の作品だけではなく、混合技法や映像作品、インスタレーションといった作品が目立った。筆者が知る名前の作家はおらず、会場でもらったチラシと目録を頼りに以下書く。まず、ブリティッシュ・カウンシル・コレクションは独自の展示場を持たない。普段は作品は箱詰めされてどこかの倉庫に置かれているようだ。本展会場には作品が詰められるその木箱の実物が1,2個置いてあった。展示会場を持たないのは経済的でよい。それに頑丈な箱がれば世界中どこへでも運べるし、またそのことを目的としたコレクションだろう。ブリティッシュ・カウンシルはドイツ文化センターのイギリス版だが、美術作品をたくさん所有し、それを世界各地で紹介することはドイツ文化センターにはない。今回が初めての日本での展示かどうか知らないが、まとまっての展示は関西では初めてのような気がする。また、どれほど作品を持っているのか知らないが、今回の展示はほんの一部ではないか。だとすれば、会場を違えば別の作品や作家が紹介されることになるし、また同じ作品であっても他の作家やその作品との組み合わせによって違う印象をもたらすであろうし、箱に保存される作品はコーヒーの生豆のようで、選択や展示場所という焙煎方法を変えれば、展覧会の味わいが違ったものになる。とすればそうした展覧会を毎回見たとしても筆者が書く感想は違ったものになる。それで今日の感想も全体的な印象ではなく、記憶する作品についてのみ述べる。
2階左手の会場1ではジェイク・アンド・ディの酢・チャップマンの21点組のエッチング集「渡しの大きな塗り飾りの本」が、部屋中央に斜めに立てられた壁面に上下2段で展示された。この作品は昔は子どもの漫画本にもよくあったのに今は見かけない、点を数字順に結ぶと絵が現われる遊びを用いたもので、しかもそうして表現される絵は子ども向きとは言えず、社会風刺が強い。この点結び遊びはどこで発祥したのだろう。筆者が20歳頃に発売されたジェスロ・タルのアルバム『THICK AS A BRICK』の新聞紙ジャケットの内部の記事にはこれがあった。それを見た時、イギリスの絵本が最初にその遊びを作り出したのかと思ったが、本展でその思いを新たにする。その向い側に展示されたのはマーカス・コーツの映像作品とその作品と関連する自画像の写真だが、彼は全身に泡や小麦や砂糖といったものをまぶす。泡は1、2分で状態が変わるので撮影は大変だ。彼の肉体はギョーザやてんぷらの中身のようなもので、実際食べてほしいというマゾヒズムに囚われているのかもしれない。同じ部屋の反対側の壁に展示されたコーネリア・パーカーの隕石に因む作品は持ち運びに便利な小サイズで、しかも地図好きには面白がられる。多色刷りのロンドンの地図に隕石が落下して焼け焦げた跡が見えるというアイデアだが、地図は1枚ものではなく、隕石が地中深くめり込む様子を表現するために本を用いている。それがメープル材の額に収められているので、ジョセフ・コーネルの作品を思い出させる。その点では隕石の落下は過去のことで、パーカーの作品を鑑賞する者は安心感を持つが、それと同時にいつ何時隕石が落下して来るかわからない現実を思い出し、背筋が寒くなる。広げられた地図本にたぶん焼いた石炭か鏝のようなもので焼き跡を作ったのだろうが、空いた穴の周囲は奥ほどに小さくなりながら、どのページもわずかに文字や街路が見えている。そのこともまた不気味さを感じさせる。見開かれたページの地図の下には何重にも過去の都市があるという想像をさせるからだ。そしてどの時代の都市でも隕石が落ちて来る確率は同じだ。市販されている地図にわずかに手を加えて題名をつけるだけで作品になる思想はデュシャンから始まったが、パーカーはイギリス人らしく、面白がらせながら恐怖を与える。「国会議事堂に落下する隕石」は国会議事堂を含めた地図のページに焼き跡を入れたもので、そこには風刺が最大限に利いている。「バッキンガム宮殿に落ちる隕石」を製作すると不敬罪に問われるのかどうかだが、それはないはずだ。日本で同様の手法を用いて誰かが、「青瓦台に落ちる隕石」と題する作品を発表すると韓国との関係がさらに悪化するだろうが、ま、パーカーのようにユーモアがほしいものだ。パーカーの作品の隣りはサイモン・スターリングの写真作品「シャクナゲを救う」で、ヨーロッパにその植物があることを初めて知った。ヒマラヤの麓辺りが原産地と思っていたが、ヨーロッパでも広範囲に見られるようだ。「7本のシャクナゲをスコットランドのエルリック・ヒルから救いだし、1763年にクラース・アルステーマによってもたらされる以前に植えられていたスペインのロス・アルコルノカノカレス公園へ移植する」という副題どおりの組写真で、ここにはスペインからもたらされたシャクナゲがスコットランドで増殖し過ぎて困っている様子が見える。7本程度を元の場所に移植してもシャクナゲには何の変化もないと言えるが、人間によって移植されたものを人間によって移植し戻すことは珍しくないし、またしばしばそれは恩返しの意味もある。よく言われることは、中国や朝鮮半島にはもはやない文化財が日本で大切に保存されていることだ。文化は一旦失われると再現が困難なものがある。ところが移植された先に完全な姿で残っていれば、それを最初に産んだ場所での復元に役立つ。それとは逆に、欧米の大きな博物館に展示されるエジプト時代の作品やアフリカの民族芸術作品を現在のアフリカ人が略奪されたものであるから返せと主張するスターリングの写真からそういうことを考える自由もあるが、半分は面白い発想を実行するという遊び心、もう半分はシャクナゲの伝達経路の再確認であろう。
1階のロビーに置かれていたTVモニターで上映されていた作品はウッドとハリソンというふたりの男のパフォーミングだ。数分程度見続けてようやく落ちがわかるが、作品のひとつは、ふたりが引っ張り続ける数本のロープが、最終的にはある一点から見ると椅子を線描きしたように構成され、そこで観客は笑みを浮かべることとなる。会場2は2階右手奥で、ローラ・ランカスターの油彩画が面白かった。どれも無題で、また具象画だが、写真を見て描いたものだ。そしてその写真はネット・オークションなどで入手したもので、誰がいつどこで写したものかわからない。またどれもきれいに撮れたものではなく、ピンボケの没写真と言ってよい。つまり、撮った本人も撮られた人も記憶にない写真で、そのどうでもいいような写真を拡大して描く。それは写真と同じように記憶に残らないどうでもいい作品かと言えば、そうとは限らないのが絵画の不思議だ。筆者もフィルム・カメラ時代はそういう没写真をあえて集めていた。いつシャッターを押したかわからない写真も写真屋は枚数稼ぎに焼いたもので、そういう写真にも代金を支払っているからもったいないというのではないが、アルバムには貼れないそういうどうでもいい写真を集め始めると、それなりにまとまったものとなって個性のようなものがまとわりつく。そうした写真が何の役に立つかわからないまま集めたが、ローラはそこに着眼し、それをそのまま描くことにした。画家はもはや描くものがなくなったなどと言われ、ほかの素材や表現に向かう美術家が多いが、まだまだ描くものはあるということだ。この部屋で一番気になったのはライアン・ガンダーの作品で、2点出品されたが、部屋を対角線で結ぶように離されていた。それは彼の注文であったのかたまたま会場の広さの関係でそうなったのかわからないが、彼の2点の間に別の人物の作品があれこれ並ぶので、まず最初の作品を見て「ふーん」と思い、しばらくして次の作品を見ると「え?」と驚く。またこの2点は最初が箱入りの黒い極楽鳥の剥製で、2点目はそれを撮影した新聞記事だ。その記事は捏造したものと思うが、じっくり読めばさらに面白いのかもしれない。2点とも「四代目エジャートン男爵の10枚の羽毛がついた極楽鳥」と題され、同じ2010年の製作だが、あくまでも別々の作品で、やはり離して展示するのだろう。剥製の極楽鳥の頭のてっぺんから伸びる長くて細い16本の羽毛は作り物と思うが、その先端のそれぞれ色の違う楕円形の羽根は全くそうだ。同じ部屋では絶えずやかましい音が流れていたが、3台の速度を変えたメトロノームを鳴らし続けるマーティン・クリードの作品だ。円形のメトロノームで、中心が光るが、そのタイプのものは初めて見た。「一つは速く、一つは遅く、もう一つはそのどちらでもない速度の時間を刻む」と題名にあって、短い間だけ聴いていると出鱈目なようだが、3個の音のリズムは一定の時間で繰り返されるしたがって3個の発する音はばらばらだが、調和してもいる。それを何の比喩と考えるかは自由だ。
地下は会場3で、そこで最も印象に残ったのは音楽についてのハルーン・ミルザの作品「タカ・タック」で、トルコであったか、イスラム圏で撮影した映像と、派手に装飾されたポータブル・プレイヤーが回転し続けるミックスト・メディア・インスタレーションだ。イスラム圏では音楽は禁止されているが、街中には音楽と呼べるものがあるとする作品で、ハルーンが注目したのは屋台の鉄板で作られる食べ物だ。お好み焼きを作る時に用いるコテのようなものを両手でうまく操りながら、若い男が注文をこなす。その動きは慣れたものであるから、いわば茶道のように無駄がないが、コテを鉄板にリズミカルに当てながら作業し、その一連の音が音楽のように聴こえる。おそらくどの注文も同じ時間と同じ音を立てるはずで、それは完成された曲と言ってもよい。禁止されている音楽ではあるが、それを人間から完全に奪い去るのは不可能ということだろう。コーランの詠唱も音楽と言ってよく、いい声でいい抑揚で唱える者が歓迎されるはずだ。キンキラに飾り立てられたレコード・プレイヤーは無音で回転していたが、欧米では音楽は氾濫し過ぎているからだろう。それに慣れた耳がイスラム圏の屋台が発する調理の音に敏感に反応したとも言える。反対にイスラム圏の人が欧米のレコード音楽を聴いた時、ハルーンのように何かを発見して作品を作ろうとするだろうか。会場4は会場3の奥の工芸館地下だ。そこで筆者は32分の映像作品を最初から最後まで見た。ジェレミー・デラーの「あなたを傷つける様々な方法(エイドリアン・ストリートの人生と時代)」で、TVモニターは大きな板絵に取り囲まれていた。その絵はジェレミーの製作ではなく、宝塚大学造形芸術大学の有志が描いた。エイドリアン・ストリートの名前は初めて知った。彼はイギリスのプロレスラーで、今も生きている。エイドリアンの父は炭鉱夫で、息子もその道に生きるしかないと高をくくっていた。だが、息子は苛酷で惨めな仕事に愛想をつかし、10代半ばでレスラーとしてデビューする。かなりの美形で、またボディビルで鍛えた肉体は素晴らしかった。インタヴューに答えてエイドリアンは父をろくでもない男といったように蔑んでいたが、よほど父は屈折していたのだろう。またエイドリアンはそれにめげずに体を張って生き抜いて来て、その30分ほどのドキュメンタリーは感動ものであった。リングで彼は女装し、相手の尻や胸を触ったりして気持ち悪がられるという同性愛を演じたが、それはプロレスは見て楽しむ娯楽であり、客を喜ばせるほどに人気者になるという考えからだ。化粧や衣装に毎回凝り、それを自ら仕立るという器用さとデザイン感覚の持ち主で、その点が女性っぽいと言えるかもしれないが、本展がらみで言えば、彼は全身が芸術家であると言った方がよい。試合ごとのリングまで引率する妻は元女子プロレスの有名人で、ふたり揃って派手な演出をして人気をさらったというのも微笑ましい。悪役ぶりを演じているようで、実際は繊細で真面目、また不屈の闘志を持っている。肝心の勝負に弱ければ問題にならないが、その点は抜かりがなく、ローマ時代に生まれていればグラディエイターになったと発言している。とにかく体を使うことが好きで、何度も骨折して手術をしたが、老いた今でも筋肉トレーニングを欠かさない。日本で試合をしたことがないので日本での知名度は低いだろうが、イギリスの労働者階級からのし上がった世界的に有名なプロレスラーとして、本作の映像を見る者は誰しも彼のファンになるだろう。