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●『官展にみる近代美術 東京 ソウル 台北 長春』
彩画と油彩画以外に水墨画、水彩画、木版画、木彫りなど全部で140点ほどの出品で、副題に「阪神・淡路大震災20年展」と小さく書いてある。6月29日に家内と見に行った。



●『官展にみる近代美術 東京 ソウル 台北 長春』_d0053294_1292896.jpg副題の小さな文字からすれば、あまり阪神・淡路大震災とは関係がないことがわかるが、本展が阪神・淡路の中では戦前から最も国際色豊かで外国人が大勢住んでいた神戸で開くべきものという学芸員の矜持が込められているのがわかる。チラシに大きく印刷される作品を見て即座に思ったのは、同じ美術館でかつて開かれた台湾の戦前の女性画家の展覧会『台湾の女性日本画家 生誕100年記念 陳進展』で、同展の感想をこのブログに書いた。今調べると、2006年7月で、もう8年も経っている。4年ほどかと思ったが、老いるほどに歳月の過ぎ去るのが早いことを今さらに思う。同展は題名からわかるように、戦前の日本画の教えを受けて台湾の風俗を題材に描いた画家で、本展はまた同じその陳進(チェン・ジン)の作がいわば目玉として紹介されたが、実際本展を見ると彼女の作品が日本人画家を除くと最も完成度が高く、また品がよい。ただしそれはいかにも日本画っぽいということで、そのことが彼女や台湾にとって喜ぶべきことかどうかはわからない。ただし、彼女はうまく膠と顔料を用いて端正な絵を仕上げていて、そのことのみを取り出すと、立場は日本人が西洋に学んで描いた油彩画と同じであると言えるし、また戦前の日本はそういうことを考えながら、日本画の技術を占領していた国や地域で教えたのだろう。これは西洋から受け取るべきものは受け取ってよく学ぶが、それだけではいかにも列島の劣等国らしい態度であるから、今度は逆に日本のいいところを世界に広めることを計画し、それにはまず近いアジアの占領地から地道にと考えたとも想像出来る。その結果がどうなったかの検証を行なうのが先の『陳進展』であり、また本展で、今後はもっと掘り下げた展覧会が開かれるかもしれない。それは日本と中国、韓国の仲が好ましい状態であろうとなかろうと、それこそ地道に行なうべきもので、しかも日本にその責任がある。というのは、本展は官展すなわち国家が主導した展覧会を紹介するもので、それを実作品を並べることで再考することは、かつて広めた文化活動の結果を再確認する作業で、いわば尻を拭いだ。まずそれをある程度実施し、その後は未来に向けての活動で、美術館が担う仕事はいくらでもある。とはいえ、本展は地味な内容で、普段より人の入りは少なかったであろう。それでも行なうべきもので、しかも神戸の兵庫県立美術館が最適だ。大阪や京都ではもっと人気がないように思えるし、見たい人は多少美術館が遠くても出かける。本展の人気が今ひとつであったのは、題名から内容がわかるからで、まず「官展」という言葉を好ましく思わない美術通はたくさんいる。日本は今なお官展が大流行りで、それに出品して受賞すると箔がつき、作品も売れていっぱしの芸術家になったと思う人が多い。あるいは有名になるには官展で受賞しないことにはどうしようもないと考えられている。官の権威はそれほどに大きい。そこで思うのは、日本の官展を輸出したその先の国や地域では今それがどう根づいているのかそうでないかだ。そうした知識は本展では全く紹介されなかった。まずは戦前の日本主導で開催した官展の実情を実作品で知るのが先で、そのことが戦後にどういう影響を同国やその芸術家たちに与えたのかという紹介は今後の課題だ。だが、筆者の考えるところ、そうした興味は研究は日本ではおそらく皆無ではないか。尻ぬぐいは戦前のみでよく、その後は知ったことかというのが日本であり、その美術界のように思う。それの考えられる理由は、日本の官展が面白くないのと同じかそれ以上に台湾や韓国の官展がつまらないからということもあるかもしれない。
 筆者は韓国ドラマを半ば惰性で見続けているが、たまに日本文化の影響がよくわかって面白い。だが、演じている俳優もドラマを見る韓国人もそれがまさか日本から持ち込まれたものとは思ってもいないかもしれない。たとえばインスタント・ラーメンを食べる場面はよくある。アルミの鍋の蓋を皿代わりにして麺をすする場面がほとんどで、日本から見れば行儀が悪いが、韓国ではさほどそうは思われていないかもしれない。ということは、日本が半島を併合していた時期に行儀作法を学校で教えたにもかかわらず、それがあまり浸透しなかったと考えられるが、そういう見方は短絡的で、朝鮮の食事作法の歴史を知らねばわからないこととも言える。それはさておき、あるドラマでは即席ラーメンを食べた主人公が「今日は即席ラーメンを発明した人が生まれた日で、感謝しなければ」といったセリフを発する。その発明者の名前や国名は言われなかったが、韓国ではどう認識されているのだろう。まさか韓国人が発明したとは思っていないだろうが、案外わからない。また、日本人は当然日本人が発明したと思っているが、それは正確とは言えない。伊丹にある日清のインスタント・ラーメン発明記念館に行くと、即席ラーメンを発明した安藤百福の業績が詳しく展示されているが、安藤は日本名で、彼は元は台湾人だ。そして中国では麺を揚げる文化があり、それをヒントに即席ラーメンを生んだ。戦後の日本で発明されたから日本文化と言ってよいが、タネは中国だ。それが今では韓国のみならず世界中で食されているが、安藤は特許を取らなかったので、韓国で最初に韓国人が製造販売した即席ラーメンは韓国人の発明と本気で思われ、安藤のことを知らない人は大勢いるかもしれない。それが事実であれば果たしていいことかどうか。韓国ドラマではさらに日本から輸入して根づいたものが散見される。日本と全く同じ武具を身につけた剣道の練習や試合場面を含むドラマを見た時はまさかと思ったほど驚いたが、まさか本当にそれを韓国が発明したものと韓国人が思ってはいないだろうなと内心不安になった。それほどに韓国の事情は日本にいてはわからない。だが、剣道については日韓の学生試合があるのではないだろうか。戦前の日本が韓国で教えた剣道が全くそのままの形で根づき、今もそれなりに盛んであるのは、韓国人は日本から輸入されたものでもいいものはいいと割り切っているか、それとも日本渡来であることを積極的に知らせておらず、日韓の学生試合もないかもしれない。後者であるとすれば、もし韓国人が日本から教えられたものをそっくりそのまま保存していることに対して嫌日派は抗議することもあろう。そしてその延長上に考えることは本展だ。膠と顔料で絵を描くことを油彩画に対して日本では膠彩画と呼ぶことが増えて来ているが、膠彩画は漢字を使う国では理解される狭い国際語だ。膠彩画を日本画と同義と言い始めるとおかしなことになる。韓国が国土の東にある広い海を「東海」と呼ぶのに、日本では「日本海」と呼ぶのと同じようなことだ。膠で顔料を溶いて描くことは始めは中国にあった。そして朝鮮半島、日本と伝わった。となると、先の『台湾の女性日本画家 生誕100年記念 陳進展』という題名はあまりよくないことになる。「台湾の女性膠彩画家」とすべきという声が台湾の一部にはあるかもしれない。だが彼女は日本の画家に教えを受け、日本画と同じ画題や様式で描いたから、やはり「日本画家」と呼ぶべきだろう。台湾と日本は国交関係がきわめて良好で、陳進を日本画家と呼ぶことに抵抗のない台湾人は多いはずで、それはインスタント・ラーメンを発明した安藤百福でも同じだ。血よりもその後の生活を重視する立場だが、どの国のいつの時代の人でもそういう考えも持っているとは限らない。昨日書いたように、雄鶏が服を着て人間の言葉を話しても雄鶏だ。
 本展のチラシやチケットに陳進の絵を使ったのは、2006年の彼女の展覧会を想起させるためと思うが、神戸に台湾人が多いことも理由だろう。それに最近MIHO MUSEUMでの展覧会では、台湾の故宮博物院から初めての海外出品として小さな仏像が展示されたが、台湾と日本の関係は韓国と日本とは比べものにならないほど良好な状態にあり、そのためもあると思える。そして、これは示唆的だが、本展では陳進以上の日本に同化したと言ってよい画家の作品はなく、戦前から台湾と日本の好ましい関係が築かれていたのではないか。それは韓国の方が日本の同化政策に抵抗したことを意味するが、前述のように剣道が子どもに教えらえれていることや、また韓国ドラマでは高級で秘密裡な会食の場所としては日本式料亭が必ず使われ、日本に対する強い憧れが国民一般に広がっていることを思わせ、親日派と嫌日派が入り交ざった状態は戦前からあまり変わらないようにも感じる。それで本展はまず東京で開かれた官展に出品された日本の画家の作品を並べ、次にソウルを紹介するが、戦前のことであるので現在の韓国美術とどう様子が違うのか、また内面は変わらないのかがわからない。それはさておき、陳進と同じような大画面の膠彩画がいくつもあったが、どれも傷みを修復した箇所がある。それが目立たない場所ならまだしも、人物画の顔であったりする。よほど戦後粗末に置かれた状態にあったのだろう。そしていつの日か再評価され、修復されたはずだ。また所有者は三星美術館が目立っていた。これはあのサムスン電子のはずで、同会社が急成長したことで文化に力を入れ、戦前の名作を所有することになったのだろう。そのほか韓国国立現代美術館や高麗大学博物館、それに韓国の個人蔵で、戦前の日本がソウルで開催した官展で受賞した作品はそれなりに大事にしかるべき機関に収まっているようだ。それはそうした画家が戦後の韓国の美術界で指導的な役割を担ったからで、陳進のように将来的には重要な画家については日本で生涯の活動を見わたす展覧会の開催が開かれることを期待したい。本展の第2章の「ソウル」で目を引いたのは、墨梅図といった文人画だ。その部門は当時の日本の官展ではもう時代遅れで、本展の「東京」で展示された日本画にその類は全くなかった。だが、韓国では日韓併合以前からそうした絵は描かれていたし、今なお韓国では文人が描くような水墨画が一般家庭にも浸透している。その様子や、またインテリアとして東洋蘭の鉢植えが盛んに愛好されていることは韓国ドラマからわかる。李王朝時代の文人趣味は現代の韓国の金持ちだけではなく、ごく庶民にとってもひとつの憧憬のようだ。戦前のソウルの官展に展示された筆と墨や顔彩で一気に描かれた絵が戦後もそれなりに命脈を保っていることになるが、日本はほぼすっかりその伝統は途絶え、日本画と言えば膠彩画を指すようになっている。韓国では本展を見る限り、陳進のような日本画的な膠彩画は戦後途絶えたかに見える。では戦後どういう絵画が盛んになったかだが、それを系統立てて紹介する展覧会がない。図録を買っていないので画家の名前はわからないが、「ソウル」の章では、絵の才能は生まれながらのものだと思った。ある若い画家がまともな絵の勉強をしていないにもかかわらずとてもいい絵を描いていた。小さな頃に絵好きを自覚し、独学しながらやがて官展に作品を発表したのだが、官展は面白くないというのは当たらないことになる。ましてや戦前では官展が唯一の広く名前が知れわたる機会で、誰もがそれに命をかけるほどであったろう。「ソウル」のコーナーでもうひとつ気になったのは、戦前のソウルを描いた作品やまたその街並みを模型で再現し、それを特殊なカメラを使ってまるで街中を歩いているような錯覚をさせる映像だ。これは戦前のある小説のナレーションがついていて、韓国人なら深く楽しめるだろう。模型で作った街ながらきわめて精巧かつ巨大な面積で、日本が併合して西洋風の建物を建てる以前はどれほど街のたたずまいが調和が取れていたかと思う。それは日本も同じだ。明治になって西洋に学んでから今につながり、ソウルも東京も高層ビルの林になった。街がそうなれば人の考えも変わる。そして美術作品も変わる。本展のように戦前の官展を紹介してもソウル市民はほとんど関心がないだろう。
 第3章「台北」は韓国よりはるかに緯度が低いことがわかる風景画が多く、日本画や日本の油彩画の教えが持ち込まれながらうまく民族性が出ていた。それを当時の日本国家はどう思ったことか。日本の美術家は仕方がないことではなく、むしろそれが当然で、そうあるべきとしたのではないか。風土と民族が変われば同じ画材を用いても美術は変わる。道具を与えて同じものが仕上がるとは限らない。それを使いこなす人間は先祖から伝わる血を持っていて、物の見方が違う。筆者は美術の先生とその教え子の作品を比べ見ることがたまにある。そして教え子の作がまるで先生そっくりであるとがっかりする。先生も教え子も小さな人間に見える。先生は自分の考えを作品で表現するのはいいが、それを絶対視するあまり、自分の見方や表現を他者に押しつけがちだ。そして教え子は先生の小粒に留まってまたそれに自惚れる。先生と教え子の作品が全く違うというのが理想で、それは先生から本当のことを学んだことを意味する。人間が違うのに作品がそっくりであることはおかしい。芸術の世界では似たものは不要だ。あるいは真似たものは価値が低い。一生費やして誰のものとも似ない作品を作るのが芸術家の役目だ。本展はそういうことも考えさせてくれる。陳進は台湾の風俗を描いたが、その描き方は日本画そのもので、日本の画家が台湾の風俗に取材した作と区別がつかないかもしれない。それは皮相的な見方と言う人もあるが、筆者は台湾らしい雰囲気に満ちた風景画の方が面白い。結局日本は日本画を国際的に広めようとしながら、それはうまく行かなかったのだろう。あるいは台湾では陳の教えを守っている画家が多く、日本画の台湾部とでも言うべき作品が現在の官展で並んでいるのかもしれない。いつの時代でも結論は出すのは早い。100年後に日本画は意外な形で、また意外な場所で広まっているかもしれない。そしてそれに貢献したのが本展ということにもなる可能性はある。さて、最後の「長春」の章は中国東北部すなわち満州の街だ。そこでも日本人は官展を開催した。そうした官展は写真図版入りの図録が製作され、それらを元に本展の実現が可能であった。写真があれば作品を探すことが出来る。ただし、満州での官展出品作は戦争が終わった後どうなったかは探索出来ていない。そのため本展では満州の官展に出品した日本人画家の満州に題材を取った作品がわずかに展示された。満州では日本人が引き上げた後、日本人や当時の満州人が描いた絵を歓迎したであろうか。とてもそういう時代ではなかったのではないか。6月に大阪心斎橋で郷土玩具の会合に出席した際に聞いた話がある。それはある女性が父の遺品を買ってほしいというもので、父は満州で郷土玩具を8万点も集めたが、日本に引き上げる時にすべて現地に置いて来た。持って帰ったのは文字の目録のみで、それを郷土玩具研究家に買ってほしいというのだ。図版があれば資料としての価値は計り知れないが、文字だけではほしい人はいないだろう。その話を聞きながら思った。8万点の中国の強度玩具が今日本にあればどれほど貴重か。中国人は億単位の金を出してもほしがるだろう。そしてその8万点はすぐに現地でゴミのように消えてしまったであろう。官展に並んだ作品を壁に飾って今も愛好している人はたぶんいない。そして今頃になってほしがってももうどこにもない。作品ははかないものだ、大事にしようとする思いがあって後世に伝わって行く。本展の開催には大変な苦労があったと想像する。ぜひ何年か後に本展の内容を充実させる展覧会を期待したい。繰り返すが、戦前の官展ではあっても、その時に蒔かれた種は今も育ち続けている。また一見そう見えないのであれば、その理由を分析するという方法論もある。面白い展覧会の切り口はいくらでもある。それを期待したい。
by uuuzen | 2014-08-10 23:59 | ●展覧会SOON評SO ON
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