蹂躙されたのかしたのか双方の言い分を聞いてもわからない場合がある。それで裁判の場で決着をつけたりするが、国同士であれば大国の言い分が通るだろう。毎年8月になると日本では戦争に関するTV番組がNHKで多くなるが、今年もそんな季節が到来している。
世界大戦で撮影された白黒映像を着色してより迫真的に見せることは10年ほど前にヨーロッパで始められ、ヒトラーの生涯をまとめたドキュメンタリーが放送されたが、先日は第1次世界大戦時のフィルムも同じ措置を施したものがシリーズものとして紹介された。それらを見ていないが、たぶん今日取り上げる映画に使用されたフィルムとかなりだぶるであろう。本作を京都文化博物館のフィルムシアターで先月18日の午後6時半から見た。字幕がなく、全編にわたって絶えず男性の英語によるナレーションがつき、もっぱら映像を見て理解するしかなく、途中でほんのわずかだが眠ってしまった。原題は『The Guns of August』で、英語表記であるところ、イギリスかアメリカの製作であることがわかるが、原作者は同名の本を書いたバーバラ・タックマンという女性で、しかも名字からユダヤ系とわかるアメリカ人だ。1962年に彼女はその本を出版し、ピュリッツアー賞を獲得しているが、日本では上下巻900ページほどで出版されている。筆者は読んでいないが、欧米では有名な本であろう。だが、大部を読みこなす時間がない人も多いはずで、またちょうど第1次大戦勃発50周年が2年後に控えていたこともあって本作が作られたと思える。それは第1次大戦前や大戦のさなかを記録した映像が各地に残っていて、それらを編集してつなげば、バーバラの書いた内容がよりわかりやすくなるという、映像時代の20世紀ならではのアイデアが浮上したのだろう。ただし、現在のように個人がいつどこでも映像を撮影出来る環境になかった当時であるから、本作をまとめるに当たってありあまる映像素材から厳選したというのでもなかったはずで、同じ場面が全然違う戦場を紹介する場面で使われていることが二、三度あった。それはたぶんどの戦場もさほど変化はないという考えもあったからと思うが、映像はあるものの、正確にどこでいつ撮影されたのかわからないものが混じっていたはずで、本作で使わないでおくには惜しいと考えられたのだろう。またどの場面も動く映像ではなく、写真を使っている場面もあった。戦争前のフランスのファッションを紹介する場面がそうで、ラルティーグの有名な写真が何枚か出て来た。映像は見ればわかるとはいえ、説明がなければいつどこで何を撮ったものかわかりにくい場合がある。時代が経つにつれ、また国を違えばよりそうなって行く。本作は戦争から50年後であるから、まだ戦争体験者が多く生きていたが、今年はちょうど100年後に当たり、バーバラの原作やまた本作の受け留め方が半世紀前とどう違っているのか、また変わらないのかが気になる。その一方で思うのは、バーバラは戦争勃発時に12歳で、それなりに戦争体験をしているが、東欧出身ということが対戦あるいは戦いをした国々をどう見たか、また本を書くに当たってもその思想がどうであったのかと思う。簡単に言えば、彼女に偏見がなかったのかどうかだ。原作本は客観的事実のみを書いているとされるが、本作でのナレーションを全部書き記したパンフレットを一読したところ、やはりドイツに対しては厳しい表現をしている。たとえば、「ドイツ帝国の好戦的な国民と、そのうぬぼれの強い指導者、フリードヒッヒ・ウィルヘルム・ビクター・アルバート・フォン・ホーヘンツォレルン、つまりカイザー・ウィルヘルム……」といった表現が映画が始まって間もない頃に出て来るが、そのことによって大戦はドイツの責任という見方を観客は誘導される。
ただしそれも無理はない。第1次大戦の後、多額の賠償金を支払わされたドイツはやがてヒトラーによってまた大戦に突入する。バーバラはヒトラーの悪行を憎んでいたはずで、ヒトラーが従軍し、その後の思想を固めた第1次大戦について詳しく調べる気になったのだろう。バーバラの原作がドイツでどう読まれているのかが気になるが、ドイツから見た第1次大戦の記録本もあってよいし、また実際にあるはずで、それを基にして記録映像を編集して本作とは違うヴァージョンを作って見比べることは出来まいか。だが、ドイツの中でも思想はさまざまで、本作の見方にすっかり同調する人もあれば、そうでない人もある。それを言い始めると、ふたつの大戦に対してヨーロッパでは教科書その他、一致した見本的な考えがまとまっているのかどうかだ。ドイツは第2時大戦後多いに反省して、たとえばヘイト・スピーチに対しては法律で禁じていると聞くが、それをしてもなおネオ・ナチといった極右が登場するから、ふたつの大戦によってそれぞれに国が表向きは一致した意見を持っていても、裏ではわからない。その裏のつまり恨みはいつ噴出してもおかしくない。本作のナレーションにもあるように、第1次大戦以前のヨーロッパの戦いが当事国の民衆に記憶されていて、普段隠れているはずのその意識が、戦争が始まった途端、今度こそは仕返しをしてやるといった激情につながる。そのため、第1次大戦がなぜ起こったかを考えるに、確かにバーバラの原作は意義深いだろうが、それは近視眼的なところがある。とはいえ、それは止むを得ないことで、第1次大戦の実情を記述するのに、ヨーロッパの発祥から解き起こすことは無理で、どこかで区切る必要があるのは誰しも同意する。ただし、バーバラの原作からすればその要約と呼ぶこともはばかられる程度の本作のナレーションでは、わかりにくいところがとても多い。特にヨーロッパの国々の王侯がみな親類であることで、第1次大戦は親類同士の喧嘩と言ってよいように思うが、親類もいろいろで、近い遠いがあってそれぞれに利害の程度が違う。また、個人同士の喧嘩と違って、やはり国家となれば為政者や軍人がたくさんいて、意志決定や行動にばらつきがあって、予想どおりに事が運ばない確率が大きい。それは第1次大戦は最初数十日程度で終わると思われたものが、数年にわたったことだ。本作は戦争前、あるいは戦争が始まって間もない頃ののんびりとした国民の生活から、3,4年にもわたって膠着状態が続いた塹壕戦の様子へと、映像が一変して行く様子がとても印象的で、厭戦気分にさせるには効果的だが、NHKが毎年本作に似た記録映像番組を放送するのは、戦争経験者が激減して行く中で少しでも記憶に留めようとの考えからだろうが、映像を見慣れた新たな世代が本作をどう感じるかは想像がつかない。
本作を見てオットー・ディックスを思い出した。彼は第1次大戦に従軍してその悲惨な戦場を銅板画のシリーズにしたり、また油彩画に描いた。最初はドイツのためを思って戦った彼だが、戦場のあまりのグロテスクな様子にそれを凝視し、描くことでしか、悪夢のような記憶から逃れることが出来なかった。彼の作品はヒトラーによって否定されるが、そうなると今度はヒトラーを茶化す絵を描くという反骨ぶりで、戦争の恐さ、愚かさを知るには記録映像より迫力がある。本作はあまりに目をそむけたくなる映像は周到に省いたようで、戦いの場面は題名にあるように、もっぱら大砲から弾丸が放たれる様子ばかりで、負傷者や死者をほとんど映さない。そうした映像は第2時大戦ではより多く得られたが、同大戦後にまとめられた本作は第1次大戦ではまだどことなく前近代的な雰囲気があったことを強調したかったのだろう。それは第1次大戦中に戦車は戦闘機、潜水艦など、新兵器が次々と生まれ、毒ガスまで使用されたことを映像で示したかったからでもある。その新兵器の出現の点では、原爆を除けば第1次大戦においてすべて現われたと言ってよい。ディックスの銅版画にもガス・マスクを被った兵士が描かれるが。彼のその戦争シリーズの作品は第2次大戦を取材したものとも思えるほどで、それほどに第1次大戦は一気に戦争の趣を変える兵器が造り出された。そして、本作で印象深かったのは、男は戦場に駆り出され、地元に残った女たちが工場でせっせと銃弾や砲弾を製造した場面だ。日本も同じであったが、平和な時代にそういう姿を見るとどこか滑稽でしかもあまりに愚かで悲しい。その弾ひとつが見知らぬ女性の夫を殺すという想像を働かせれば作業をやめたくなるが、銃後にいる人たちも戦争に巻き込まれるということだ。ナレーションの中に、せいぜい10数日で戦争は終わると思って喜んで参戦した人たちのほとんどが帰って来なかったというのがあった。戦争はない方がよいと誰しも考えているのに、勃発するとまるでお祭りのような気分と言えばいいか、まともな考えが出来なくなる。そのひとつの原因は祖国が蹂躙されるのであればそれを防がねばならないという思いだが、戦争が始まると、客観的な見方は不可能だ。情報が操作され、必ず相手国に非があるとどの国の元首も唱える。蹂躙している方が図々しくも蹂躙されたと言えば、それを調べる手立ては一般国民にはない。放送局が信用出来ないのは戦前の日本を見てもわかる。とにかく始まってしまうととことんやれという本能のようなものが人間にあって、お互いに数百、数千万単位の人が死んでもどう戦争を終わらせていいかわからない。塹壕の中で死んで行く兵士をディックスはよく描いたが、弾を避けるために掘った穴で死ねば、そこがそのまま墓地になって土を掘る手間が省けるようなものだ。そういう塹壕戦が第1次大戦ではフランスとドイツとの間で何年にもわたって続き、お互い止めようとは言わなかった。アメリカが参戦したためにドイツは敗北したが、当時アメリカのような強大な国がなければどうなっていたろう。
『八月の砲声』は、1914年8月2日にドイツがベルギーに最後通牒を送ったことから戦争が始まったことを意味する。ドイツはフランスに攻め入るのに、ベルギーを通過する必要があった。当時ベルギーは中立国で、ドイツは簡単にベルギーを通過してフランスに侵入することが出来ると侮っていた。ところがベルギーは市民がドイツ軍の進行を阻み、ドイツ軍は手こずった。そのため、市長や一般市民を見せしめで殺したり、また中世からの歴史がある町を破壊して行くなど、非道の限りを尽くした。戦争であるからそれは仕方がないと主張するドイツ国民が今もいるかもしれないが、戦後ドイツはベルギーにどのような保証をしたのだろう。ともかく、ベルギーを越えてパリまで数十キロという地点に到達した時、ドイツ軍は読みを誤り、旧式の軍備しかなかったフランス軍に敗退する。それがドイツの躓きの始まりで、その読みが正しければ第1次大戦の結果は違ったものになっていた。第1次大戦はドイツとフランスだけの戦いではない。戦争の勃発はオーストリアの皇太子夫妻が結婚記念日の6月28日にボスニアのサラエボに行った時にボスニアの青年によって射殺されたことがきっかけになっているとされるが、なぜボスニアの青年が皇太子夫妻に恨みを抱いたかと言えば、5年前にオーストリアが強引にボスニアを併合したからだ。これは民族主義から戦争が始まる見本のようなもので、ボスニアは今はボスニア・ヘルツェゴビナという国になっているが、90年代の民族紛争にしてもあまりにややこしく、筆者は同国を含む地図をまともに見たこともない。また、本作をより理解するためには第1次大戦前夜のヴァルカン半島の国境を知る必要があるが、ボスニアの隣りはセルヴィアで、皇太子が殺されたオーストリアは即日セルヴィアに宣戦布告したとパンフレットにある。バーバラの本にはボスニアとセルヴィアの関係が詳しく書かれていると思うが、本作のナレーションでは急にセルヴィアが登場し、ボスニア青年との関係がわからない。それはともかく、ドイツのカイザーは戦争が始まらないように各国に赴くが、ついにロシアも参戦し、ドイツは東でも戦うことになる。イギリスは様子を見ながらやがてフランス側につくが、日本は当時イギリスと同盟関係にあって、連合国側につく。本作はそこまでは描かず、連合国の戦力はアメリカの戦車部隊やおびただしい数のトラックの連なりを紹介する程度だ。結局アメリカの威力の前にドイツは恐れをなして敗北を認めるが、本作の最後に示されるのは戦死者や負傷者などの膨大な数字だ。あまりに数が多いと実感が伴わないが、第1次大戦はそういう莫大な数の人が犠牲になったものであることを強調し、またその原因は自分の主張が正しいと思って行動するドイツにあるというのが本作やバーバラ、そして第1次大戦後の戦勝国の論理であったろう。またそれをドイツが認めた形になっているが、大量殺戮兵器は人類全滅を簡単に可能にするほど進歩し、もはやヨーロッパ中で戦火が上がることはあり得ないとヨーロッパ人は自覚しているだろう。それでもどうなるかわからないのが人間で、ヨーロッパではないとしてもアジアではどうかと心配になる。バーバラの原作をつぶさに検討し、どうすれば戦争に勝てるかを考えている人たちはどの国にもいつの時代にもいるはずで、そうした人の考えを政治家が利用するかもしれない。本作を見て誰しも思うはずだが、政治家や軍部の人間は机の上で駒を動かすだけで、何万人もの人が死んでも涙ひとつ流さず、まだ戦いを続けて勝とうと考える。