岸恵子が主演した映画で記憶に残っているものがない。それでも昔から筆者は彼女の顔や雰囲気が好きで、美人のひとつの典型と思っている。今日取り上げる映画を先月23日に京都文化博物館のフィルム・シアターで見た。いつも夜の部に訪れる。その日は大船鉾を見た直後で、開演10分ほど前に館内に着いた。
いつも予めどういう映画かを調べないで見る。本作は1962年の製作で白黒だが、全く無駄がなく、最初から最後までスクリーンを凝視し続けた。南條範夫という人の推理小説を基に小林正樹監督が撮ったが、同監督について全く知識がないが、会場内でもらえるプログラムの説明によれば『人間の條件』を撮ったとある。この映画の題名は昔から知っているものの、見る機会がない。それがちょうど本作に合わせて7月下旬から8月3日まで、第1部から6部までの全話が順に上映された。1日でも欠かすと面白くないと考え、結局どれも見なかった。どうしても見たい場合はDVDを買えばよいし、また今はどうしても見たいとは思わない。それで本作は小林監督が『人間の條件』の次に撮ったもので、勢いがあるのは当然と思うが、公開当時はあまり人気を得られなかったらしい。だが、筆者はこれほどの名作はあまりないだろうという気持ちで見た。推理小説が原作であるし、また最後がどうなるかは半ば辺りで、あるいは推理小説好きには最初からわかるだろうが、わかったとしてもそれから後の展開が面白くないかと言えばそれは違う。最後の最後まで登場人物でさえ自分の運命がどうなるかわからず、彼らの不安に同調しながら、はらはらしながら見る。人気がなかった理由は、悪人ばかりが登場するからだろう。どの人物もみな大金を得るためにはどんなことでもする。人殺しも厭わない。それで岸恵子が演じる社長秘書の宮川だけは純粋無垢な心を持っているのかと最初は思わせるが、最後に近くなると、最も用意周到で、計画どおりに社長の3億円の遺産をすべてひとりで手に入れる。本作は宮川のナレーションを最初から最後まで伴うが、その言葉だけ聞いていると欲のない女性そのものだ。それが物語の展開とともに少しずつ変わって行く。最初から欲づくめの他の登場人物らがみな最後には望みを叶えられないのに、彼女ひとりが純粋に見せかけて計算づくで遺産をひとり占めしたことが最後近くで明らかにされると、そこで初めて冒頭の場面の意味に気づく。冒頭の場面は5分ほどだろうか。それから宮川が回想する形で本編というべき部分が始まる。それが終わると冒頭部分の続きとなり、それがまた数分続いて映画が終わる。冒頭の場面はサングラスをかけた宮川がひとりで銀座辺りを散歩し、宝石店を覗くところを数分描く。いかにも金持ちの雰囲気を漂わせるが、サングラスがどこか人目をはばかる様子がうかがえる。宮川は初老の男に声をかけられるが、それは彼女が秘書をしていた会社社長の弁護士だ。彼は遺産が誰の手に入ろうとも、その一部を財団法人に寄付してもらいたがっていた。ところが、その思惑どおりには事が運ばず、遺産のすべてが宮川の手にわたったので、彼女を怪しいと睨んでいる。だが証拠はない。それで彼女と別れ際に、遺産の一部を増やしたくないかと言葉をかけるが、その弁護士は悪いことをする勇気はないが、機会があれば積極的に儲けてやろうと考えている。そのことは、財団法人を作ってその理事に収まれば、資金は自分がどうにでも動かすことが出来ると言うことからもわかる。つまり、その弁護士もまた社長の遺産を狙っていたのだ。筆者が面白く思ったのはそこだ。直接遺産を受け取る権利のある者が裏でより多く獲得するために奔走するのはまだ理解出来る。だが遺産を管理し、しかるべき人物に手わたす仕事を引き受けている弁護士も機会あらばおこぼれを、いやそう呼ぶにはあまりに高額を手にしようと考えるのであるから、莫大な遺産を残しても赤の他人に吸い取られることがある。
血を分けた者たちが遺産金をもらうとしても、そこには醜い争いがある。少ない遺産ほどそうだと聞いたことがあるが、多くても同じだろう。また血を分けた者たちが優しき心を持っていて、その遺産を有益なことに役立てたいと思って財団法人を設立しても、そこに加わる他人が甘い汁を吸う。遺産はすべて国庫に入れるべしという法律が出来ても事情は同じだ。政治家たちが勝手に使うだけのことだ。そのことを本作の社長は知っていた。社長は胃癌であることを知り、3か月から半年の寿命しかないことを悟る。そして3億の遺産を自分の血を引く3人の子を探して、出来れば分け与えたいと思う。余命がいくばくもないことを知った社長は案外さばさばしていて、またたくさんのお金を儲けてもそれが虚しいことを吐露する。使い切れないお金があるのに、命はもうわずかであれば、誰しもそう思うだろう。そしてその社長も人の子で、今まで産ませながら一度も面会せず、また面倒も見なかった3人の子を探し出させ、その人柄を見て遺産を与えるにふさわしいと思えば与えると言うが、3人のうちひとりは小説好きのか弱い女性で、また慎ましやかに暮らして人柄もよいのに、遺産が転がり込むかもしれないことを知ったタネ違いの妹によって殺されてしまう。そして姉になり澄まして社長の前に現われるが、姉を殺したことが警察に発覚し、逮捕されてしまう。その妹はストリッパーをしているが、姉とは全く正反対の性質で、悪知恵だけが働き、億単位のお金と引き換えに姉を殺すことを何とも思っていない。姉は少ししか登場しないが、文学少女は悪の前にはまるで蚊のようにはかない命で、遺産を手にするどころか、自分の本当の父親が誰かを知らずに死んでしまう。その彼女が殺されなければ、社長は遺産をすべて彼女に与えたかもしれないが、純粋な心の持ち主に大金が転がり込むはずがない。なぜなら、誰もがそれを得ようとするからだ。その執着の前に文学趣味などひとたまりもない。それどころか、文学に現を抜かしているものは、いとも簡単に悪の罠に嵌ってこの世から消えて行くということだ。とにかく、お金はほしいと思わなければ入って来ないもので、宝くじを買う人も当たってほしいと思うからだ。強烈にほしいと思う人にはよりたくさんの金が入る。そのことをストリッパーの妹に殺される純朴な姉の描き方から知るが、そうなれば少しの欲も表に出さない宮川が実は誰よりも金がほしいと思っていたことになる。彼女は姉を殺した愚かなストリッパーのような行動は取らない。人を殺すなど愚の骨頂だ。誰も傷つけず、誰からも恨まれない方法で、つまり完全犯罪の形で遺産をすべて自分のものにする。それは冷性さと計算高さだ。それを賢さと言う。彼女は誰よりも賢かった。だが、まずは社長に気に入られ、そのそばに仕える必要がある。秘書であるから美人であり、気配りが利く。そして社長は在宅で看護されるようになるが、その時に社長は会社に出るのではなく、自分のそばにいることを命じる。そうなれば大人であるから、どのようなことが起こるかは誰でも知っている。
社長には若い妻がいる。会社の社員であったのに手をつけたのだ。冷たい女で、社長と暮らす前か、あるいは暮らしてからか、社長の側近の男と肉体関係があって、子どもまで産んでいる。その子を他人に引き取らせ、また自分は社長との間に子はない。彼女は3億の遺産を狙っていて、全部は無理でも法律で定められた分はもらえると信じている。社長が他の女性たちに産ませた3人の子が探し当てられて社長の目の前に連れて来られると、自分の分け前は減るから、子どもが見つからないように画策するが、その悪事が社長の死後に発覚して、宮川が雇った弁護士によって法律に触れることを言われる。てっきり遺産はもらえると思っていたのに、分け前を増やすために法律に触れることをすると、もらえるはずの分までもらえないという条項が読み上げられる。その知識を宮川は知っていたのだ。妻にすれば秘書ごときがという思いがあった。せいぜい死の間際にいる社長の慰みものになって小遣い銭程度をもらえる程度と侮っていたのだ。そして妻は社長が体を求めることを拒み、社長は性欲を満たすために宮川に手をつける。それが何度も重なるが、社長の欲を満たすたびにお金ももらい、それが80万円ほどになる。四畳半一間に住む彼女にとっては大金だが、社長は自分の言うことを聞くならもっと与えようと諭し、裸で枕元を歩くように命じたりする。もちろん岸恵子の裸は見えないが、そうであるからこそ、その部屋で行なわれた淫猥な行為が思い浮かぶようで、余命が少ない男の本性もうまく描き出されていた。ここで思うのは、社長が会社に勤めていた間は宮川に手をつけなかったであろうことだ。そういう理性はあったのだが、億単位の金があるのに命が短いことを知った途端、今まで抑えていた欲望が爆発する。そして宮川は秘書という仕事の枠を超えて社長の言いなりになるが、そこには社長を憐れむ思いがあったかと言えば、そうではない。体を許した途端、給料以上の金が次々と支払われる。最初はそれを醜い行為と思ったが、すぐに慣れてしまい、ついには遺産を全部獲得する計画を立てる。金の恐ろしさと言えばいいが、3億を得た彼女がその後どのようにして暮らすかと言えば、本作の冒頭に描かれたように昼間から宝石を買うために車を自分で運転して出歩くといったことで、その贅沢な生活が本当に楽しいのかどうかだ。彼女が遺産を得た方法は、社長の子を妊娠したと告白することだ。社長は自分にまだそういう能力があったことを喜び、胎児にも遺産相続の権利があると言う。これはあくまでも宮川の子だけにであって、宮川に受け取る権利はない。最後近くで明らかにされるが、その子は適当に見つけた男との子で、妊娠したことを知った途端、その男ときれに別れる。それは当然遺産を当てにしてもらえば困るからだ。宮川のその行為で明らかになるのは、清純な秘書を装っていたのに、大金のためには誰と寝ることも平気ということだ。岸恵子は本作で悪女を演じたが、当時彼女は久我美子と有馬稲子との3人で「にんじんくらぶ」を設立していて、演技派への脱却を図っていた。「にんじん」は「大根」より色がついているところから選ばれたが、清純な役しか回って来ないことへの不満があった。そして本作で岸恵子は悪女を見事に演じたが、ごく普通の若い女性が大金が手に入るという状態の前で、どうでもいい男の子をもうけることさえ厭わないという設定は、筆者には稀なことではなく、たいていの女性はそうであろうと、何だか女の本性を見た気がした。当時の観客もそうであったのではないか。現実をあまりにもえげつなく提示されると、身も蓋もないと白ける。だが、宮川がそれほど悪人とは思えないのは、姉を殺したストリッパーのように後先を考えずに行動するというのではなく、どこまでも賢く、冷静であるからだが、それこそ秘書の鑑で、また死の間際の老人を毎夜喜ばせたのであるから、遺産を全部もらって当然と誰もが感じるからではないか。先に書いたように、遺産はどっち道、誰かのものになる。そして本作を見ればわかるように、宮川が一番もらうに値している。誰かがもらわねばならないとすれば彼女しかない。
社長は自分の子を秘書が身籠ったと信じて死ぬ。今ならDNA鑑定が行なわれるかもしれない、また当時でも宮川の行動を調査して他の男と関係していたことを突き止めようとする者がいるだろう。そこを描かないのは推理小説としては少々まずい気がするが、宮川が毎晩社長と寝ていることは誰もが知っていて、彼女が妊娠したとなれば、それは社長の子と信じるほかなかったのだろう。彼女は胎児に遺産が与えられた後、本格的に行動する。妻の隠し子を暴き、妻に遺産相続権がないことをみんなに悟らせる。ストリッパーは逮捕されて権利を失うし、現われた大学生の長男は札つきに悪で、社長がまだ生きている間に社長から息子とは認められない。結局宮川の胎児が3億を相続するが、その子は産まれてすぐに死に、その遺産を宮川が得た。その経緯に何か企みがあることを察知する弁護士だが、証拠がない。宮川はその弁護士を嫌悪しているが、誘われるままに喫茶店に入って少し話をし、そして別れる。もう二度と会うことはない。その後宮川がどういう人生を送るかは別の物語だ。男なしでは生きて行けないから、誰かをつかむが、彼女が3億も持っていると知ると、気が変わるだろう。彼女の将来は決して薔薇色には思えない。3億だけ持ってひとりで生きて行くことが楽しいだろうか。家族を持つと、彼女の3億をほしがる者がたくさん出来る。自分の子であるから与えてもいいようなものだが、そうではないことは社長の人生を見ればわかる。社長は数か月の間、宮川の肉体を楽しんだことで遺産を全部彼女に与えたことになる。宮川も似たようなことを経験するだろう。本作は東京オリンピック前に撮影されたので、道路標識や走っている車、街角などが、いかにも懐かしい。筆者は当時8,9歳で、大人のことはわからないが、都市の匂いはよく記憶している。本作では東京の帝国ホテルで喫茶する場面が何度かあった。犬山の明治村にそのホテルの一部が移築されたこともあって、帝国ホテルのデザインはそれなりに知っているが、映画の中で人が動き回る空間として見ると、実際にそこに入ったことがあるような気になる。写真とは違う映像のよさだが、白黒であるのが少し残念だ。だが本作のスリルは白黒であることによって倍増している。宮川がサングラスをかけて登場するのは、彼女が光を避けている後ろめたさの表われと見ることが出来るし、全体に黒っぽさが印象的で、それは人の心の色を思ってのことだ。そのため、本作をカラーで撮ると完璧さからは遠いものになるだろう。当時岸恵子が何歳であったのか知らないが、映り方によって肌が荒れたと言おうか、やつれて見えた。それも役柄作りの一貫であったかもしれない。80年代、90年代になっても彼女の美しさには少しの衰えもなかったと記憶するが、今は何歳でどうしているのだろう。「にんじんくらぶ」の3人の女優のうち、有馬稲子も筆者は大好きで、目の前に岸恵子とふたり並ぶと、どっちに目を移していいのか迷う。