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●祇園祭の大船鉾に乗る、その3
がのびてしまったように感じられる祇園祭についての投稿だが、今日は7月の最後で、山鉾巡行はとっくに終わったものの、祇園祭としてはその最終日で、どうにか今日の投稿は許されるのではないかと思う。ともかく、今日は大船鉾についての最後の投稿で、残りの写真を載せる。



●祇園祭の大船鉾に乗る、その3_d0053294_0314862.jpg麺と言えば月曜日に家内と四条河原町角のビルの7階で冷たいうどんを食べた。食べ終わる頃にひとつ置いた席に西洋人親子がやって来た。子どもは中学生と高校生らしき金髪の女子で、美人であったので、ついつい様子をうかがった。全員がHOTのうどんを注文したが、店内が冷えていたためだろうか。あまり冷たいものを腹に詰め込むと腸が冷えて体調を悪くすると先日家内が言ったが、真夏は冷たいものを食べないと熱中症になる気がする。筆者は素麺が大好きで、毎年どこかでもらってたくさんあるのに、今年はどういうわけかほとんど切らしていて、昨日の昼にガラスの鉢いっぱい食べたのが最後で、またどこかで買わねばならない。そうそう、スイカはその後3回ムーギョで買った。12分の1に切ったものが198円で、ふたりで一度に食べるのにちょうどよい。1玉980円で売っているが、冷蔵庫に入り切らないうえ、全部食べるのに数日かかる。ならば割高でも12分割の一片を買う方がよい。冷えたスイカも食べ過ぎると、飲み物と同じで腸を冷やしてよくないだろう。ともかく、今年はまだまだスイカを食べようと考えているが、数日前に家内は筆者を瓜好きと言った。そう言えばそうで、きゅうりは醪を切らすまでは「もろきゅう」にして毎日食べていたし、ニガウリはよく買う。ムーギョでは「まっか」も2個198円で売っていて、これは明日買うつもりでいる。家内はどういうわけか「まっか」を食べたことがないらしい。同じ大阪生まれであるのに信じられない。筆者が子どもの頃は夏の果物と言えばスイカか「まっか」であった。「まっか」は正式には「まくわ瓜」と呼ぶのかどうか、筒柄のレモン色をした甘い瓜だ。これが一時期あまり見かけなかったと思うが、マスクメロンのようには甘くないので人気がないのかもしれない。マスクメロンは高価でめったに口に入らないが、「まくわ」なら安い。マスクメロンのようなどろりとした軟らかさではなく、そこそこしっかりした果肉であるのがまたよい。ともかく、家内は「まっか」が嫌いで、また瓜類全般に好まない。夏は夏の作物を食べるのが健康にはよいと筆者は考えていて、夏は野菜が豊富なのが嬉しい。そして秋になると柿その他の果実が店頭に並び、それもまた楽しみだ。今年も干し柿を作ることを今から考えていて、そのことで苛酷な真夏をやり過ごしたいのだろう。また8月になればすぐにお盆が来て月末になり、9月になれば秋風間近であるから、酷暑を少しでも和らげるには秋の訪れを想像することだ。また筆者は8月生まれで、夏には強いように思う。暑いにはいやだが、36度の部屋で汗びっしょりになりながらもこうした文章を書くことがあまり苦にはならない。それで「風風の湯」に行くとサウナに合計40分も入っても平気なのかもしれない。また、今までに何度も書いたが、夏は暑いのがあたりまえで、汗をかくことが健康によいと思っている、。夏に汗をかかないでいつかくのか。そして夏に瓜が丸々と実り、どの瓜もおいしい。畑に大きなスイカが転がっている様子を今思い浮かべたが、はははは、実に楽しい。もっと日が照ってもっと大きくなれ。
●祇園祭の大船鉾に乗る、その3_d0053294_032467.jpg 食べ物話のついでに書くと、今頃が旬のズイキも大好きで毎日その酢の物を食べたいが、家内は全く食べず、また薄皮を剥く手間が大変と、筆者が束を買って来ると機嫌が急に悪くなる。直径1センチもない細いものは皮を剥かなくても全体が柔らかくなると筆者は主張するが、それなら自分で作れと言う。家内が勤めている時は筆者は自分で作ったが、今は台所に入ると家内のやり方と違ってややこしくなる。直径5ミリ程度の細いズイキなら皮を除いてしまえば中身がほとんどないと思うが、家内はズイキは絶対に全体の皮を剥くものと思っている。太さ数センチの太いものならそうだが、細いものは皮がないと言っても聞く耳を持たない。家内に言わせれば皮には「アク」があるからだが、細いズイキにそれがあるはずもないだろう。赤ちゃんと老人とでは肌の質が違うのと同じだ。しまいには家内は筆者が酢の物が大好きなのを女みたいと言うが、女が酢の物が好きというのは本当だろうか。家内は大嫌いで、女ではないのだろう。食べ物の話からどう大船鉾の話題につなげるかと言えば、大船鉾では祇園祭特製の和菓子が数種売られていた。求肥入りの鮎の形をした和菓子は京都の夏ではどの和菓子店でも売られるが、それを鮎ではなく、瓦の形にして祇園祭の鉾や五山の送り火をデザインした焼印を押したものがあった。5個で1000円だったと思う。期間限定商品で、買ってもよかったが、鮎型を最近食べたので買わなかった。形は違っても味は同じだろう。また大船鉾だけではなく、百貨店でも売られていたと思うが、大船鉾のみで買えるものもあったかもしれない。筆者は甘いものも大好きで、最近あまり食べていない大阪十三の喜八洲のぼたもちをよく思い出すが、思い出すだけで満足してしまう。もちろん目の前にあるとすぐに平らげてしまうが、なければないで平気だ。また甘いものは食べ過ぎない方がよい年齢になっていて、なるべくなら食べない方がよい。そこまでして健康を気遣う必要はなく、おいしいものをたらふく食べてさっさと早死にする方がよいと言う人もあるが、それはそれで否定しない。だが、筆者の価値感では、毎日うまいものを満腹食べることは格好悪い。そうそう、自治会の会計監査役のFは朝顔の花が少しも咲かないと何度も口にし、その原因はたぶん肥料のやり過ぎと言った。朝顔の種子を蒔いたところに肥料を施すというのは聞いたことがない。肥料が豊富なら花がたくさん開き、実もよく育つかと言えば、どうもそうではないらしい。甘いものが植物にとっての肥料とは言わないが、砂糖が貴重品であった昔からすれば今は甘いものが溢れ過ぎている。それで元来酸っぱい果物もどんどん甘く改良され、今ではトマトはどれも甘い。先日の小学校での夏祭りで知り合ったHは苺をビニールハウスで大量に育てた経験を持つが、ショートケーキ用のやや酸っぱい品種はほとんどなくなって、甘い品種を洋菓子屋が使うと言っていた。ケーキのクリームが甘ったるいので、そこに酸っぱい苺が似合うはずなのに、今は何もかもが甘いものが歓迎される。甘いものを食べ過ぎて味覚が鈍感になっているのだろう。何でも時代とともに変わり、祇園祭もそうかもしれない。第一、街並みがすっかり変貌した。杉本家のような木造にすることはもう無理なのかどうか、人口が減少に向かう日本は高層ビルを建て尽くしても部屋があまるだけで、500年先は京都は江戸時代と同じような街並みに戻っていないとも限らない。月曜日に家内と冷たいうどんを食べた四条河原町角のビルの店からは、四条河原町交差点が眼下にあって、山鉾の辻回しが見える気がした。それは毎年TVがそのビルからその様子を撮影するからだが、昔なら鳥しか得られなかった眺望がたやすく得られる今は何だか味気ない。欲望が満たされ続けて行くことはそうなることだ。それが筆者の喜八洲のぼたもちを思い浮かべただけで食べた気分になれるということで、長く生きると何でも飽きて来る。
●祇園祭の大船鉾に乗る、その3_d0053294_0322094.jpg 飽きるのは何度も経験があるからだが、祇園祭は同じ京都市民でも傍観者でしかあり得ない筆者は、宵々山や宵山の混雑に紛れて汗をかきながら歩くことくらいしか経験がなかったところ、今年は初めて鉾に、しかも新調されたものに乗ったので祇園祭を多少見直すことが出来た。外から見るのと中に入って見るのとでは違いが大きい。とはいえ、中に入ることには切りがないことを人間は知っているから、外から見ることを発達させて来た。それで映像や写真を見ただけで実感した気になれるようになり、中に入っての感動がさほどでもないという妙な現象も起こっている。たとえば筆者が大船鉾の中で撮った写真を見て、来年あるいはいつか同じように乗ってみたいと思う人が多いかと言えば、写真を見て乗った気になる人の方が多いのではないか。そうであったところで筆者にはどうでもいいが、実感と想像の関係は複雑で、また年齢とも関係があって誰もが筆者の考えに同意するはずがなく、結局はその場その場で自分の思いを書くしかないことを再確認する。ともかく、今年の祇園祭は大船鉾を見るためだけに何度か訪れ、鉾に乗ることも出来たことは運がよかった。来年はどうするかはまた別の話で、筆者も関心がなく、今日は大船鉾の残りの写真を掲げることで祇園祭の話題をきれいに終わらせるが、さてきれいになるかどうか。今日の最初の写真は天井を見上げたもので、上下に2枚つないでいる。下が前方で、その続きが2枚目だ。手前に透明ビニールが丸められているが、これは船首の金色の御幣をくるんでいたものだろう。3枚目も上下2枚つないだ。これは下り用の階段を降り切ったところで撮った。若い女性に靴を入れていたビニール袋を手わたす。靴ベラがないので困ったが、靴を履くのにぐずぐずしながら写真を撮った。新町通りは南一方通行になっていて、靴を履いて幕の外に出ると踵は北を向いているから具合が悪いのではないかと危惧したが、通りの西端はひとりが北に向かって歩ける分だけ確保されていて、そのまま四条通りに出ることが出来た。その直前に撮った写真もあるが、似た写真を以前に載せた。それでこれは23日の宵山の数日前に撮ったものだが、大船鉾より少し北の西側で見つけた「幸野楳嶺生誕地」の石碑の写真を最後に載せておく。この石碑の際を大船鉾は通って巡行する。楳嶺の時代は大船鉾がどうであったかだが、彼が20歳の時に蛤御門の変があって鉾が燃えてしまった。それ以来の再興で、楳嶺が生きていればどう協力したであろう。楳嶺は大船鉾の絵をいくつか描いているようで、復元に際しての参考としては最も役立ったのではないだろうか。今調べたが、鉾の先頭に具える金色の御幣は毎年ではなく、隔年で龍の飾りと交換するらしい。その「頭龍」を取りつけた絵を楳嶺が残しているが、おおまかで復元にはあまり役立たない。それで原寸大の下絵を探しているらしい。舵に大きな龍の刺繍が施されているので、「頭龍」はそれと対になる。下絵が見つからなくても楳嶺の絵からおおよそはわかるので、来年はその姿が見えるかもしれない。そうなればまた鉾に乗ってみなければならない。その経験が麺が伸び切ったように味気ないものかどうかは、その時にならねばわからない。人間の思いも含めて何事も変化して行くからだ。
●祇園祭の大船鉾に乗る、その3_d0053294_0323587.jpg

by uuuzen | 2014-07-31 23:59 | ●新・嵐山だより
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