搭乗と呼ぶのはふさわしくないようで、チケットには「大船鉾拝観券」と印刷されている。「拝観」は外から見ることも言うので、この表現は正確ではないが、停まっている鉾に乗ってその内部を見ることは「搭乗」とは言いにくいのだろう。
ともかく、昨日書いたように、大船鉾に入るのに大人300円と聞き、これは後で家内と経験してみるべきと考えた。それで写真をたくさん撮ったので、今日から題名を少し改め、3回に分けて投稿する。23日の宵山の午後5時過ぎから6時頃まで列に並んだ。まだ提灯が点る前で、係員に聞くところによると、遅くなるにつれて人が多くなるので、今の間がよいと言われた。筆者らが並んだ時、1時間待ちと言われたが、待ったのは3、40分であった。また筆者らが乗り込む直前には後方に長い列が出来ていて、もう少し遅ければ1時間かそれ以上は待った。なので、並び始めたのはきわどい時間帯であった。6時半からは京都文化博物館で映画を見るつもりでいたので、どうしても6時10分頃には鉾から下りている必要があって、その計画はうまく運んだ。前に数十人並んでいる時、ケータイ電話を持った人が筆者の脇にやって来て係員に待ち時間を聞き、1時間から1時間半というのを聞いて、電話の相手にもう諦めた方がいいと伝えていたが、同じような人はほかにもいて、たぶん遠方からの観光客であったと思う。せっかく復元された大船鉾であるから、ぜひとも内部を拝観したいと思っていたのだろう。筆者は300円と午前中に聞いたので、初めて鉾に乗ってみようという気になった。鉾によって値段は違い、長刀鉾はもっと高かったのではないだろうか。300円ならとっくの昔に拝観している。500円でも大した違いはないようなものだが、毎年思うのは「いつでも乗れる」で、その「いつでも」が一向にやって来ない。ところが新調された大船鉾ならば少し話が違う。来年でもいいようなものだが、復元されて初めての年ならば話題性が大きい。それで生まれて初めて鉾に乗ってその内部を実感することになった。その話は3回に分けて書くほど材料が豊富ではないので、さてどうしたものかと思案しながら書いているが、まずは
一昨日の「大船鉾を見に行く、その3」の最初の写真から始める。そこには右端に新しい材木で階段のようなものが写っている。これは可動式で、宵山には鉾の真横に動かされて固定された。宵々山もおそらくその状態であったと思う。この階段は上り用と下り用に分かれていて、一昨日の写真で見えるのは下り用だ。つまり、南側から上って北側に下りる。この一方通行によって鉾内部の拝観は円滑に運び、また拝観者としても上りと下りとでは見える景色が違って楽しい。鉾と同じくこの階段も組み立て式のはずで、鉾とセットになっているが、拝観させるようになったのはいつ頃からかは知らない。戦前はそうではなかったのではないかという気がする。観光客が増え、また拝観させて料金を徴収することで、それを巡行の経費などに充てることが出来ると考えられたのではないか。だが、鉾内部を拝観させるのは関係者にとっては気の抜けないことで、鉾から乗り出して下に落ちたり、また急な階段からも落ちる人があるかもしれず、本当は関係者以外には見せたくないのではないか。
大船鉾は午後9時まで拝観させたようで、これは他の鉾より長いだろう。他の鉾は夜は特に浴衣姿の囃子方が勢揃いして各鉾に伝えられて来た祇園囃子を奏でることが多く、その点大船鉾ではいつその練習を鉾に乗って行なったのだろう。筆者が見た限りではそのような光景がなく、また祇園囃子も聞こえて来なかったので、鉾から比較的遠い場所で練習していたのかもしれない。大船鉾に祇園囃子がないことがまずあり得ないだろう。それは鉾に乗った時、浴衣姿の中年女性から受けた説明からも明らかだ。彼女によれば巡行時に鉾には40名が乗るとのことで、その大半は囃子方に違いない。また、鉾の復元の傍ら、囃子をどう復活するかの話し合いや練習が重ねられたはずで、復元はただ鉾を造る費用だけ捻出すればよいというものではなかった。さて、今日の写真の最初は鉾の左側に設置された木製の階段を上る一歩手前で撮った。ちょうどその場所で右手にいる若い浴衣姿の女性から拝観券を買う。それを階段を上る直前にもうひとりの女性に手わたしてパンチの穴を開けてもらう。この拝観券は最下段に「平成26年」と印刷されているので、あまったものは来年には使えない。はがきの半分の大きさで、やや厚手の紙を使い、表側に昔描かれた大船鉾の絵が印刷されている。この絵のとおりに復元されたが、逆に言えばこういた絵が残っていたお陰でかなり忠実な復元は可能であった。もっとも、胴懸け類が残っていたので、その大きさから舷や舵の大きさがかなり正確に割り出される。この拝観券は右に縦書きで「大船鉾拝観券」、下に横書きで「公益財団法人 四条町大船鉾保存会」とあって、これによって筆者は公益法人を作って復元したことを知った。150年前はそういう仕組みはなかったはずで、四条町の町衆が費用をどうにか工面していたのだろう。そのことは今も変わらないだろうが、たとえば鉾に乗せて拝観料を得るといったことから、収入の道はわずかにしろ、工夫次第で今後も考えられる。それはともかく、拝観券はなかなかよいデザインで、復元された最初の年のものとして入手出来たのはよかった。それにしても拝観券は「平成26年」の文字を入れなければ、たくさん印刷して毎年使えることが出来るのに、それをしなかったところ、来年はどのようなデザインになるか気になる。また、この券は何枚が売れたかだが、筆者が券を買った時、テーブルに着いていた女性は「正」の文字を紙に小さく記入していて、それが朝9時から1時間ごとに区切られていた。その用紙を見ながら女性に話しかけたが、1時間当たりどの時間帯もだいたい100人強で、夜9時までの拝観では1300名ほどという計算になる。宵々山やまた宵々々山でも拝観出来たかもしれず、そうなればざっと4000名といったところか。となれば120万円の収入となって、まあ多少は諸経費の足しにはなる。仮に1時間当たり120名の拝観となれば、5分で10名だが、下りることを急かされないので、10分以上も居座る人もあるし、また2分ほどしかいない人もあって一概には言えない。筆者の感覚で言えば5分で7,8名は入れ変わったと思う。となればやはり1時間で100名少しで、チケットの売り子が記録していた「正」の字の1時間ごとの合計とおおよそ合致する。
チケットに穴を開けてもらった後は白いビニール袋を手わたされる。それに脱いだ靴を入れて階段を上がる。これが雨の日ならば、屋根はついているものの、かなり濡れるだろう。そうなれば鉾の内部も濡れるが、組み立てられていた間は雨がなかったと思う。2枚目の写真は階段の途中に立って右手すなわち艫側を見たもので、午前中にはなかった舵が取りつけられている。これがあってようやく船らしい。拝観券の絵は艫側から鉾を見たもので、大船鉾は後ろ姿がどうやら見物のようだ。鉾が組み立てられた場所からほど近い家の玄関扉には、祇園祭のポスターが貼ってあって、その写真は船鉾の舳先を真横から見たものであった。金色に輝く鳳凰の飾りが取りつけられていて、船鉾は船首側が立派なようだが、それは
「大船鉾を見に行く、その1」の4枚目の写真からもわかる。一方の大船鉾の船首には金色の御幣が取りつけられている。これはたぶん革製で、それに金箔を貼ってあるが、先端は多少それが剥げている。何しろ少なくても150年前のものであり、いくら大切にしてもその程度の剥落は仕方がない。その程度の部分であれば修理は簡単だと思うが、剥がれがひどくならないうちに手直しが施されるだろう。船鉾の船首の鳳凰は大船鉾では船尾にあって、舵の上部を両脇で取り囲んでいる長方形の垂れ幕の三枚に大きく刺繍で表現されている。その様子は2枚目の写真からはわかる。3枚目はもう少し階段を上ってから撮った。こういう角度で撮影するには鉾に乗らねばならず、それが300円とは安い。それはともかく、3枚目の上部に見える小さな部屋は御神体を祀るのだろう。その部屋の屋根は平らで、欄干があるので人が乗ることが出来る。巡行の際に人が乗って後方の安全を確認したりするのかもしれない。またこの部屋や欄干は全部白木のままだが、拝観券の絵では色がついている。部屋はたぶん黒漆で縁取られ、壁は金箔を貼っている。また欄干はすべて朱塗りで、その方が胴懸けの朱色地と調和して美しいが、予算が足りなかったのか、今年は白木のままだ。来年以降これが絵と同じように色が塗られるかもしれない。ぜひそういう姿を見たい。ただし、白木は新しい間はとてもいいもので、今年乗っておいてよかった。今後も白木のままだとして、それは年々色がくすむ。そうなる前に漆を塗ってほしいものだ。背後の提灯に「四」の一字を書いたものがあるが、これは拝観券にもあって、「四条町」のロゴマークだろう。4枚目は3枚目と同じ位置から船首側を見て撮った。木製の階段は上りと下りが分かれていると書いたが、それは地上から半ばの踊り場から下で、踊り場の上からは階段はひとつで、下りて来る人と鉢合わせにならないように鉾内の係員が誘導してくれる。この階段は飛行機で言えばタラップで、その上にいる限りはまだ搭乗したとは言えない。明日はその搭乗しての内部写真を載せる。