舵は完全な飾りだ。大船鉾には大きな舵があって、それは宵山の午後に本体に取りつけられた。取りつけられた状態の写真は次回に載せるとして、今日は大船鉾の宵山の午前中に撮った写真だ。この日はとても忙しく京都市内を回った。朝9時頃家を出て、帰宅したのは午後10時前であった。

市バスの28番が、松尾橋を西にわたって松尾大社前を渡月橋に至り、その橋を北に越えて大覚寺まで1日乗車券が利用出来るようになったのが今年4月からだ。それ以来筆者と家内はほとんど阪急電車で四条河原町に行かなくなった。市バスの時刻表を家で見て、家のすぐ近くのバス停に行くと、5分程度でバスはやって来る。バスに1時間も乗るのはしんどいが、帰宅するのに、阪急電車と同じように家のすぐ近くまで乗せてくれる。それが気楽だ。美術館や図書館のある岡崎に行くには阪急を利用して四条河原町で下り、そこから歩くというのが今までの方法であった。それが市バスの乗り放題チケットを利用すれば、まず28番で四条大宮まで行き、そこで四条河原町を通るバスに乗り代えて四条高倉で下り、次に5番に乗れば、平安神宮の大鳥居の真横のバス停で下りればよい。3本のバスを乗り継ぐが、雨に濡れることがほとんどなく、四条河原町から歩く必要もない。それはたとえば古本屋に寄らなくなることでもあって、行動範囲は狭まり、身体を動かすことがうんと減るので、運動になる新たなことを始めねばならない。それはさておき、阪急は嵐山から四条河原町まで往復460円で、市バスの1日乗車券の500円と大差ない。それももっぱら市バスを利用する理由だ。交通費を気にしなくていい暮らしぶりならいいが、日本は交通費と宿泊費が高い。夫婦ともに無収入のわが家ではそれをどうにか削りたいと思うのは仕方がない。わが家の経済の舵取りをしているのは筆者でも家内でもないが、どの家庭でもそうであるように、家内は貯金の目減りを気にする。家内は今年4月で定年になったので、それはなおさらだ。今まで家内が「稼ぐ人」、筆者が「使う人」でやって来て、その長年の習慣はそうたやすく変わらない。それで筆者は相変わらず「使う人」の側に徹しているが、「稼ぐ」ことのなくなった家内がそれに危機感を抱くのは、働いていた時以上のはずだ。家内が働いている時は電車の定期券があったので、家内の勤め帰りによく四条河原町で待ち合わせをしたが、定期がなくなると交通費に敏感になる。そういうこともあって、四条河原町に出るのに用事をいくつか作り、電車かバスのどちらを使えば合理的かを考える。そして今はふたりとも市バスの1日乗車券を使う。経済の舵取りはわが家は出鱈目で、よくぞ筆者と家内が乗る船が転覆しないものだと思うが、貯金の目減りを考えると、少しずつ沈んで行っている危うい状況と言ってよい。そこで筆者なりに計算していることもあるが、何事も計算どおりに行くとは思わない方がよい。特に人生航路はそうだ。

そうとはいえ、安定した生活を求めるのは誰しもで、大船に乗った気分のまま定年を迎えたいと思う。そのために保険会社が大儲けしているし、一方では「金こそすべて」と考えることが常識となっている。筆者は変わっているのかもしれないが、先の先まで物事を考えない。とにかく踏み出し、歩みながら考える。旅に出るとして、下調べを尽くせば途中で道に迷わず、時間を有効に使えるが、それでは味気ない。そう思うので、筆者は初めて訪れる場所はたいてい途中で道に迷う。ところがその迷ったことの方が面白い思い出になる。そしてそれでいいと思っている。連れ回される家内は大変だが、筆者が機嫌よくしていればそれが伝染し、さんざん遠回りさせられたことをいやな経験とは言わない。このようなことを書くと、わが家では筆者が舵取りをしながらその役目を充分に果たしていないことがわかるが、どんなに保険をかけても不安がなくなることはないどころか、かえってよけいな不安を作り出すのが人間で、もしものことをくよくよと考え過ぎない方がよい。人生の行き着く先が死という港であるからには、舟に乗っている間を楽しみ、その舟の大小を考えないことだ。先頃の大船の沈没事故では、90度ほどに傾いている船内で高校生たちが沈むのではないかと冗談を交わしていた。それは船内の放送にもよるが、大船であるから沈むことはないとの先入観も大きいだろう。同じ理由で安全を尽くしているとされる原発はどのような地震にも大丈夫という盲信が生まれた。大企業でも潰れることがあると今の日本人は思うようになったのはとてもいいことだ。誰しも最後は自分の力と運に頼るしかない。それで危険に常にまとわりつかれている人生であるからには、その危険を忘れよと言うのでないが、まずは楽しむことが大切だ。また、どんないやな経験でも、それが過ぎた後では忘れるか楽しむことは出来る。話の脱線ついでに書くと、家内は数か月に一度は筆者ほどの強靭な精神の持ち主はいないと言う。それはどういうことを思ってのことかと言えば、筆者は訊ねたことがないのでわからないが、半分は家内が自分にそう言い聞かせて経済的に苦しい状態を真剣に思わないようにとの暗示をかけるためで、もう半分は筆者と家内が乗る人生の船が、ボートにもならないほどの小型で、また今にも底板が抜けそうなくらいにオンボロだが、筆者が全くそのことを気にしていない悠然さをさらに鼓舞するためだ。ふたりとも、どんなことがあってもどうにかなると思っていると言えばいいかもしれない。実際はにっちもさっちも行かないという経験をしたことがないので、楽天的でいられるのだが、大船でも沈没するのであり、本当の大船とは自分の心に宿す人生の舵取り以外になく、とにかく心の持ちようだ。

さて、今日は記録的猛暑で、しかも朝9時に地元小学校に行って夏祭りの準備を1時間半ほど運動場で行ない、また午後5時からはその夏祭りに参加して9時から10時まで後片づけをした。11時半に3階に上がると気温計が39度を指している。そのような状態で今日は何について書こうかと思いながら、夏祭りの準備で知り合った隣りの自治会の副会長との話がいろいろ蘇り、そのことが今日の先のふたつの段落に影を落としていることに気づく。その男性から聞いた興味深い話はいつか書くかもしれないが、定年後の人生の舵取りに誰しもそれなりに夢を抱き、また行動して悪戦苦闘することを思う。そのことに大船鉾の話題がどうつながるかだが、今日の写真を撮った23日は大船鉾の関係者に鉾の際で多少言葉を交わし、またほかにも鉾に関わっている人を2,3見ながら、70代と思しき町内の人たちがとても誇らしげであったことを感じた。150年ぶりの復元で、何代にもわたって悲願であったことになるが、それを実現させたのは地元の人たちのつながりが固かったからだろう。単なる自治会の運営でさえもそれなりに大変であるから、鉾を再興するのはどれほどの人々の結束があったのかと思う。そして中心になったのは60代以上の人たちと思うが、それは高齢化が進んでいる現在、あたりまえとは言えるものの、鉾を抱える京都の町の特殊性を浮かび上がらせつつ、会社勤めをしていた人たちの定年後の「やり甲斐」という問題を表わし、興味深い問題がそこにはある。嵐山では祇園祭に相当する古い祭りがなく、またわが自治連合会はせいぜい40年という新しい地域であって、定年退職した人たちのつながりは強くはない。今日の夏祭りは毎年行なわれ、筆者は今年で連続6年目として準備や片づけに携わったが、顔ぶれの大半は昔から同じ人で、高齢者の中でも地域の活動に参加する人はごく限られている。自治会によって差はあるとしても、おおよそはそうだ。そこに祇園祭の山鉾を所有する町の人たちとの差がどのようにあるかだ。嵐山は観光客の多いところで、その中でも筆者が所属する自治会が阪急嵐山駅があって最もそうであって、それなりにボランティアで何か出来そうな気がするが、現状では自治会の運営でも華々しいとは言えず、ましてや観光客に優しくといったことはまだ誰も自覚していないだろう。定年退職した人の中には英語が得意な人もいるはずで、そうした人が外国人観光客へのもてなしを心がけて何らかのボランティア活動を始めれば、そのことが自治会の活動にもいい影響を与える気がする。大船鉾のやや北西の家の中は大船鉾の御神体が飾られ、またその部屋の壁には大船鉾の舵が展示されていた。舵は木製のはずで、それが波に龍や宝珠の刺繍を施した布で覆われていて、竪琴が中に入っているように見える。宵山の午前中はこの舵は本体に取りつけられず、御神体と一緒に飾られていたのは、御神体と同じほどに重要なものとの考えからだろう。舵がなければ舟はどう進むかわからない。大船鉾の町衆の舵取りがあって鉾の復元がかなったのであり、舵の展示は誇らしげな町衆の思いを代弁しているようにも思えた。「あの、御神体を見るのは有料ですか」「いいえ、どうぞ中にお入りになってご覧ください」「鉾に乗るのは有料ですよね」「はい、ひとり300円です」「何時まで上れますか」「今夜9時までです」 このような会話を交わして御神体のある家の中に入った。ただし、御神体である神武天皇は撮影が許されない。それでその横の舵を撮った。それが今日の3枚目だ。

今日の写真は家内と待ち合わせをした高島屋に向かうまでの間に市バスを途中下車して撮った。慌ただしい行動予定を組んでいたので、飾りつけの終わった大船鉾を撮影出来る時に撮っておこうと思った。昨日の写真とあまり変わりがないようだが、舵以外が取りつけられた完成形だ。4枚目は中央に立って左右を向いて撮った2枚を合成している。中央の写真接続部が山型に折れ曲がっているのは、至近距離から撮った写真の歪みで、実際は直線だ。それほどに新町通りが狭いことを表わしている。透明ビニールは無粋だが、祇園祭の最中に夕立があることは珍しくなく、貴重な胴懸けなどの装飾品を保護するためには仕方がない。20年ほど前はパールトーンという防水加工の京都の会社が祇園祭の山鉾の染織品に防水処理を施したことがTVで何度も同社の宣伝に使われた。筆者も染めたキモノをよくその会社に持参し、防水加工を施してもらったが、近年はとんとその会社名を聞かなくなった。それほどに、何度も書くように、京都の呉服産業が衰退した。パールトーン加工をすれば胴懸けをビニールで覆う必要はないはずだが、どの山鉾もそれを施したとは限らないし、また防水加工をしたうえでさらにビニールで覆うという二重の慎重さが求められているのだろう。巡行の際、全く雨の心配がない場合はこの覆いは取り除かれる。また山鉾の前後にたくさんぶら下がる提灯は宵山までの飾りで、また昼間見てもあまりきれいではない。23日は夜9時には市バスに乗ろうとしていた。そしてバスが四条新町を通り過ぎる時、車中から大船鉾の提灯が点っているのが一瞬見えた。当夜はその様子を間近で撮影出来ないこともなかったが、もはやその体力がない気分であった。歩き回ることに慣れている筆者であるから、実際はその写真はもういいかと思ったのだ。また、市バスの1日乗車券を使い慣れてしまい、なるべくバスに乗るようになっているので、四条河原町から3つ先の四条西洞院のバス停まで乗り、そこで下りて提灯の灯る大船鉾を見ることは出来たが、筆者が心配したのは28番のバスの最終だ。それは9時台で、しかも1本逃すと30分は待たねばならない。それでなるべく早めに四条大宮まで行っておこうとした。全くどうでもいい話をつけ加えておくと、当夜は四条河原町から初めて乗る系統の市バスを利用した。少しでも早く四条大宮に行くためだ。ところがそのバスは四条堀川を北上するので、四条大宮からひとつ手前の四条堀川で下りた。28番は堀川通りを京都駅から北上し、四条堀川を左折して松尾橋や嵐山に向かう。筆者は四条大宮でその系統に乗るより、ひとつ手前の四条堀川がいいと考えた。ところが、28番が停まるはずのバス停が見つからない。四条堀川は大きな交差点で、京都駅に向かう28番が停まるバス停は京都でも有数の大きな屋根つきだ。それと同じものが反対車線にもあるかと言えば、翌日ネットで調べてわかったが、バス停の標識がひとつ立っているだけの、つまり最も素朴で小さなバス停だ。これは同じ交差点にあるバス停でも、京都駅に向かう人はたくさんいるのに、嵐山に行く人がきわめて少ないからだろう。利用客の多さに応じてバス停は豪華さが違う。ともかく、四条堀川交差点西南のバス停は暗闇の中で探すことが出来ず、仕方なしに四条大宮まで歩いた。その間に28番がやって来て筆者らを追い越す可能性はある。それで焦りながら大急ぎで信号をふたつわたり、500メートルほど歩いて四条大宮のバス停にたどり着いた。その途端目の前に着いたのが28番であった。蒸し暑い夜で、それを逃せば不快指数最大の状況でもう30分は待たねばならなかった。市バスに舵を取られっ放しの人生であるようだ。