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👽💚🐸🐛🍀📗🤢😱5月11日(土)、京都河原町三条下るLive House『DEWEY』にて👻『ザッパニモヲ 💐母の日LIVE』午後5時開場、6時開演。3500円👽筆者の語りあり。
●今回は初めての別会場での、そしてザッパ/マザーズの結成日である1964年の「母の日」から60年という節目における、ザッパニモヲの演奏です。チラシ画像はここ。恒例の手製のお土産をくじ引きで配布します。

●祇園祭の大船鉾を見に行く、その3
な行為とは言い難いが、ま、仕方がない。今日からまた大船鉾について投稿する。今日の写真は19日に撮った。大船鉾の組み立てが始まった様子で、「○は○か、その12」の最初に載せた写真からわかるように、車輪がまだ取りつけられていない。



●祇園祭の大船鉾を見に行く、その3_d0053294_22515348.jpg

もっとも、取りつけられてもそれが回転しないように、また車輪の前後に人が入らないように、木の柵で囲まれる。昨日大船鉾の巡行があって、もう新町四条下がるは普段どおりになっているはずだが、今年の祇園祭は大船鉾のひとり勝ちのような人気で、また巡行を2回に分けたので観光客にとっては祇園祭を長らく楽しめてよかったのではないだろうか。来年以降も祭りを前後に分けるのかどうかだが、本来は前後に分かれていたというから、たぶん今年と同じように開催されるだろう。もう復元される山鉾がないかと言えばそうではなく、2年前に書いた「布袋山」が期待される。その胴懸けは、製作費はさておき、デザインは若冲の布袋図を用いると話題が大きくなっていいように思う。若冲は布袋をたくさん描いていて、図案に採用することに問題はないだろう。現在の有名日本画家に下絵を描いてもらう手もあるが、布袋を上手に描ける才能はないのではないか。また、布袋にこだわる必要はないという意見もあろうが、せっかくの「布袋山」という名前であるから、一目でそれとわかるような胴懸けにした方がよい。胴懸けは染織品であるのが常識となっているから、その布袋の図案を刺繍で表現するか、綴織にするかの問題はあるが、若冲のたとえば水墨画を下絵に使うのであれば綴織しかないだろう。それはともかく、大船鉾は本体は燃えてしまったが、胴懸けなど飾りの品は別の場所に保管していたので難を免れた。そのため、復元されたとはいえ、胴懸けをまとった姿は150年前さながらで、他の山鉾に劣らない重みがある。これは体は新しくなったが、衣装は昔のままであって、頑丈さの点ではかえってよい。また、歴史的重みから言えば、やはり古色を帯びた古い装飾品が重要であり、前述の布袋山の復元にひとつの方向を示している。布袋山は本体も飾りものもなくなったが、御神体だけは無事で、それがあるからこそ復元しようとの思いがある。昔の布袋山の胴懸け類がどのようなものであったかの何らかの図のようなものがあればいいが、それらがないとなれば一から考えねばならず、また高級で重みのあるデザインと造りが求められる。これはよほどの人に任せなければ粋とは反対で、また悪趣味なものになりかねない。筆者は今年の祇園祭はついに四条通りより北に踏み込まなかったので、布袋山がどうなっていたかわからないが、胴懸けの製作にはまだ数年は要するのではないだろうか。また、鉾ではなく派手さの劣る「山」なので、大船鉾の復元のようには大きな話題にならないだろう。その意味では大船鉾は少し南に位置する「船鉾」の「大」ということで話題性は大きかった。「大舟に乗った気持ち」の言い回しのように、人々は安心して生活することを望むから、なおさら人々は関心を抱いたと思える。それに、京都盆地は今は船とは無関係な土地で、「大船」の言葉は珍しいように響く。
●祇園祭の大船鉾を見に行く、その3_d0053294_22513127.jpg さて、今日の最初の写真は左端に大船鉾の車輪が4つまとめられているのがわかる。その高さは手前の男性の背丈と同じで、170センチほどではないだろうか。これは鉾本体や鉾に乗る人たちの重量から経験的に割り出された大きさのはずで、現在の強度計算からも妥当なものだろう。車輪ひとつの重さがどれほどか知らないが、写真に見える場所から鉾建ての位置まで50メートルはあって、その間をどのように1庫ずつ転がして行き、また取りつけたのか、そのことを撮影してブログに書いている人があるかもしれない。車輪を転がして行くのはかなり危険な行為で、大勢の見物人が付近から排除されたのではないだろうか。また、途中で車輪が倒れると、破損につながるので、慎重を期すことは言うまでもないが、他の鉾が毎年やっていることであり、うまく取りつける方法は確立されているはずだ。それはそうでも、人の背丈ほどの車輪であるから、扱いを一歩間違えば大けがをする。最初の写真の右端には真新しい材木で作った階段のようなものが見える。その25メートルほど先、すなわち南に鉾が建てられているのはどういう理由かと言えば、狭い新町通りであるからだ。その狭い道に前の祭りでは屋台が東側にずらりと並んだ。ただし、それは山鉾の真横以外の場所で、山鉾と屋台が並ぶと人が歩けない。それほどに狭いのだが、後の祭りでは新町四条下がるは大船鉾のみが建てられたから、屋台が前の祭り以上に出てもよかったはずなのに、1軒も見当たらなかった。これは屋台は前の祭りのみ許可したからだろう。それで今日の写真には屋台は写っていない。また、TVでさんざん報じられた大船鉾であるので、朝から大勢の人が繰り出した。これは仕事が終わる午後5時以降はさらに増加したはずで、また夜の方がいくぶん涼しくなり、提灯が点って風情があるから、人の出は多くなる。19日は巡行の5日前で、その日に組み立てが終わったのかどうか知らないが、組み立てはなるべく早く済まし、鉾の引き初めや鉾に乗ってのお囃子も稽古もする必要がある。引き初めは初めてのことで、また一発勝負でもあって、これはTVで紹介されたが、電線が邪魔をして鉾に乗った人が竿や足でそれを押している様子が映った。150年前は電線がなかったから、蘇った大船鉾としては初めての経験で戸惑ったといったところだ。電線の邪魔さ加減は最初の写真からも明らかだ。電線に慣れている人はそれを文楽の黒子のように思うことが出来るが、ヨーロッパの電線を地下に埋設している街からの観光客は異様に感じるに違いない。せめて山鉾が建つ区域だけは電線の地下化をすべきだろう。現市長は市内の派手な看板を徹底的に除去するために闘志を燃やしているが、その計画が完遂出来た後は、ぜひとも電線の地下化工事をしてもらいたい。嵐山もその話が数年前に持ち上がり、渡月橋南を試しに掘ったところ、書類には掲載されていない古い地下埋設物がいろいろと出て来たようで、早々に工事は中断され、アスファルトがまたきれいに貼りつけられた。つまり、掘ったはいいが、元の木阿弥で、電柱は相変わらず無粋にも林立している。看板の規制は大事だと思うが、都市の景観で言えば電線を見えなくするのも同じように重要だ。大船鉾の屋根に電線が引っかかって前に進めないとは、あまりにもおそまつな光景で、市長はそれをどう見たことか。
●祇園祭の大船鉾を見に行く、その3_d0053294_22544396.jpg 2枚目の写真は鉾の舳先が写っていて、確かに船型であることがわかる。船に4個の車輪をつけて転がすのは、まるで幼ない子が遊ぶ木製玩具のようだが、大人が熱心にやるお祭りは子どもの遊びと変わらない。そして歴史が長いとなると、なおさら熱意は増す。それにもうひとつ重要な要素は危険さだ。鉾は組み立ても動かすことも危険が伴う。優に建物の2階程度の高さはあり、それを縄だけで材木を結わえるのであるから、どこかに危うい感じがつきまとう。それが大人にとっては注意を充分尽くす理由にもなり、それが快感につながる。全く安全な乗り物を動かしても感動はない。製作も動かすのもすべて人の力による山鉾で、その素朴な在り様が人間やその愛おしさを思い出させる。2枚目の写真は右舷に胴懸けが取りつけられ、左舷がまだであることがわかる。木の骨組みに赤地の染織品が被さると一気に華やかさが増し、また祇園祭りらしさが出るが、それら染織品は京都の地場産業として日本の頂点にあったことを誇示するもので、祇園祭が「動く美術館」としばしば形容されることの意味を担っているが、前にも書いたように、浴衣は別として全国的にキモノ文化が廃れ、友禅も西陣織もさっぱりという状態になって、未来の祇園祭がどうなるか危ぶむ向きもあるだろう。筆者の予想では現在の胴懸け類をていねいに使い続けながら、どうにも使用に耐えないものになると、同じものを新調する。実際そのことは昔から行なわれていて、もはや新しい図案を生み出し、それを用いた現在の染織品を使うという動きは鈍化している。同じ染織品を復元して使用することは山鉾の見栄えを重々しく古風なものにするには効果があるが、今も生きて進展している染織を考えた場合、好ましい方法ではない。だが、祇園祭は今後もなくならないとして、その歴史の長さだけを誇示し、古く見えるほどによい胴懸けが使われ続けるのは、すでに死んでいるも同然と言えまいか。そのことは日本がもはやキモノを日常的に着なくなり、京都の染織業が著しく衰退した時点でもうすでに始まっていたと言える。今年の長刀鉾の稚児さんは西利の漬物会社の社長の長男が担当した。西利はここ20年ほどでさらに成長が目覚ましく、京都市内にいったいいくつの店があるのかと思わせる。呉服産業に代わって新たに京都を代表する企業が登場する。それが漬物屋であるというのは、京都らしいと言えばそうだが、漬物はいわば貧しい食文化の代表的食品で、粋ということとはほとんど縁がない。華麗な友禅のキモノや豪華な西陣織とは本質的に違う。西利が儲かるのは、それだけ京土産として幅広い人気があるためだが、衣食住のうち、今の京都は「食」で持ちこたえているということだ。だがそれは山鉾の胴懸けに反映させることは出来ない。さて、写真の3,4枚目は鉾の後方に回って撮ったが、実際の撮影順は4,3,2,1枚目で、今日は逆に載せた。
●祇園祭の大船鉾を見に行く、その3_d0053294_22545635.jpg

by uuuzen | 2014-07-25 22:56 | ●新・嵐山だより
●嵐山駅前の変化、その338(... >> << ●祇園祭の大船鉾を見に行く、その4

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