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👽💚🐸🐛🍀📗🤢😱5月11日(土)、京都河原町三条下るLive House『DEWEY』にて👻『ザッパニモヲ 💐母の日LIVE』午後5時開場、6時開演。3500円👽筆者の語りあり。
●今回は初めての別会場での、そしてザッパ/マザーズの結成日である1964年の「母の日」から60年という節目における、ザッパニモヲの演奏です。チラシ画像はここ。恒例の手製のお土産をくじ引きで配布します。

●祇園祭の大船鉾を見に行く、その1
らかい道と呼べるものはもう京都市内にはない。アスファルトや石で舗装されて硬いものとなり、また雨の日でも靴底が汚れない。その代わりに夏は太陽の照り返しが大変だ。地球温暖化によって気温が次第に上昇しているが、昔が涼しく感じたのは地道がまだあったからだ。



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大阪市内でも万博の頃までそうであった。夏は夕方に家の前に床几を出し、涼みながら時間を過ごしたが、今は京都でもそんなことをする人は稀だ。玄関前に水を撒く人がいるが、アスファルトの上では却って昼間に溜められた熱気が攪拌されて暑くなる。今年も祇園祭がやって来て、15日の火曜日に家内と出かけたが、四条通りに並ぶ山鉾はビルよりはるかに背が低く、遠目にはおもちゃに見える。電気がなかった頃はさぞかし壮麗であったと想像するが、それはどの建物も茶色が主体で、人々は紺か茶色のキモノを着ていたから、山鉾の派手な赤や色とりどりの染織品は遠目にも目立った。それが今は女性の浴衣の方が派手なくらいで、昼間は山鉾がどこにあるかわからないほどだ。そして何より気になるのはどの道も舗装され、そこを山鉾が進むことだ。地道であれば山鉾の車輪に負担がより大きかったであろうか。それはどうか知らないが、地道はアスファルトより熱気を吸収するから、もっと涼しかったのではないだろうか。今の祇園祭りはアスファルトの熱気に屋台が利用する炎の熱、それに押すな押すなの観光客の体温によって、灼熱地獄と呼ぶにふさわしい猛烈な熱気の坩堝になっている。体力のある若い人が楽しむもので、高齢者は熱射病と同じ症状で倒れる可能性が大きい。ま、そのようなことは去年も書いたと思う。今年は特別に祇園祭を心待ちしたというほどでもないが、1年半前に京都駅前のヨドバシ・カメラ・ビルの1階北東の部屋で展示されているのを見た大船鉾の巡行があるというので、それがどのように組み上がっているかを見に行くことにした。今日から数回に分けてそのことを書くが、話題は大船鉾だけではない。15日はバスで出かけたが、どこで下りるかを相談しながら、四条大宮にした。家内はそれより4つ先のバス停で下りたがったが、大船鉾を見るにはかなり戻らねばならない。それに祇園祭の期間中はバス停の位置が変わったり、また停まらないバス停もある。四条大宮は山鉾が建つ範囲の西端よりまだ少し西だが、歩いてもしれている。出かけたのは午後5時頃で、四条大宮には6時15分ほど前に着いた。四条堀川の交差点は警官が目立ったがまだそれより東の四条通りは歩行者天国になっていなかった。6時からか6時半からか、それがわからないが、四条堀川交差点の東はもう車が少ない。歩行者天国になると四条通りを走るバスはどうなるのだろう。筆者がよく利用する3番系統は四条河原町交差点を四条通りから北へと曲がるが、山鉾が建つ区域をまともに通る。その区間は別ルートをたどるのだろうか。長年京都に住むのにそういうことがわからない。歩行者天国の時間帯は午後9時までと思うが、6時からだと3時間は通行止めでバスも走らない。大半のバス系統が四条河原町を利用するが、歩行者天国になるのは四条堀川から四条烏丸までの間のはずで、四条河原町は普段と変わらず、そこだけを見ていると祇園祭があることがわからない。山鉾巡行の先端を毎年行く長刀鉾は四条高倉より少し西にあって、そこが山鉾が建つ範囲の最も東だ。
●祇園祭の大船鉾を見に行く、その1_d0053294_11115345.jpg
 これは何年か前に書いたが、30数年前、交際していた家内と大阪から祇園祭を見に来たことがある。今でもそうだが、筆者は下調べをあまりしない。ましてや祇園祭と言えば行けば絶対に山鉾のひとつやふたつはすぐに見えると思っていた。そして阪急で四条河原町駅で下りて地上に出ると、どこにも山鉾がない。そこから四条高倉まではさほどの距離はないが、商業ビルの看板は夜になると派手に灯り、山鉾の提灯の灯り程度はかすんでしまう。それでその夜は山鉾を一基も見ずに大阪に戻った。祇園祭というからには大勢の人で混雑していると思ったのに、四条河原町交差点はいつもと何ら変わらず、祭りがある雰囲気がなかった。今はどうだか知らないが、30数年前はそうであった。ともかく、四条河原町で下車するのは間違いで、四条烏丸かもうひとつ大阪寄りの四条大宮がよい。筆者は四条大宮で下りて四条通りを東に進むことを薦める。それで15日は家内は大丸百貨店に行くというので四条通りの北の歩道を行くと言ったが、筆者の目当ては大船鉾で、それは四条新町下がるにあるから、南側を歩くのがよい。四条西洞院辺りで撮ったのが今日の最初の写真で、歩行者天国らしく見えるが、まだ信号が点り、バイクや車がわずかに走っていて、6時前であった。写真の左手前に見えるのは四条綾傘鉾で、その奥は郭巨山だ。新町通りはその郭巨山を数十メートル越えたところを南北に走る。それにしても普段交通量の多い四条通りがこのように山鉾が目立つ眺めは楽しい。ただし、背後のビルとアスファルトの道路には目をつぶっての話だ。これが江戸時代では四条通りの道幅は今の半分以下であったはずだが、どの家の屋根よりも山鉾は高く聳え、遠目にも目立ったはずだ。そしてその頃は地方からわざわざ祇園祭を見るためにやって来る人がどれほどいたであろう。筆者が不思議なのは、祇園祭を画題に京都の絵師がほとんど描かなかったことだ。たとえば上田秋成にしても大阪からやって来て珍しかったはずの祇園祭に言及した形跡はない。山鉾が建つ区域から1キロも離れて住むと、もう関心がなかったのかもしれない。筆者が20歳頃にはもうすでに宵山に数十万の人が集まるようになっていたが、それは東京オリンピック以降の話ではないだろうか。旅行ブームが起こってから地方からも見に来る人が多くなったはずで、それまでは地元の人だけが細々と、また静かに楽しむものであったと思う。ところが今年は京都が外国人に人気にある都市のナンバー1になり、また積極的に京都市が観光客を誘致したがっているので、祇園祭も今後はますます外国人観光客に見てもらうために宣伝が盛んになされるだろう。これも何年も前に書いたように、祇園祭は中京区や下京区のごく一部の人たちが携わるもので、たとえば右京区や西京区は何の関係もない。そのため、京都市内に住んでいても関心のない人の方が多いはずで、その意味で山鉾を所有する地域の人たちのお祭りだが、最も京都らしいかどうか、今はビルだらけになった地域、すなわち市内の中心で開かれる祭りであるから、外国人観光客には便利で楽しいもののはずで、今後そぞろ歩きをしながら宵々山や宵山を楽しむ人たちはますます国際色が豊かになるだろう。西洋人の女性が浴衣を着ているのを見るのはそれなりに面白く、風情もあって、祇園祭をきっかけに浴衣がもっと着られるようになると、京都は街並みや道路よりもむしろファッションの面で京都らしさを取り戻すのではないか。
●祇園祭の大船鉾を見に行く、その1_d0053294_0222519.jpg 山鉾が建つ区域は新町通りと室町通りが大半で、この2本の南北の道は呉服問屋が軒を連ねる。日本中のキモノや帯を生産していた京都であるから、呉服業で財を蓄えた店は多い。大丸百貨店がまずそうだ。大丸は早々と何でも売るようになったが、呉服にこだわり続けた会社は高度成長期に銀行の言うなりに大きなビルを建てたはいいが、弱肉強食の世界はどこも同じで、力のない会社は閉鎖の憂き目を見る。四条通りのずっと西の梅津には、筆者が京都にやって来る少し前に建った6階建ての小さなビルがバス停前にある。染色会社が勢いに乗って大きく出て、ビルを建ててさらに商売を拡大しようとしたのだ。だが、筆者の目からももう呉服業界は斜陽の一途で、ビルを建てるのは時流を見誤っていると思えた。実際そのビルは2年もしないうちに銀行の所有となった。だが資金を貸した銀行も得をしたとは言えないかもしれない。というのは、そのビルの1階の片隅にATMの機械を設置しただけで、ついに銀行の支店としてビルが利用されることはなく今に至っている。つまり当時新品であったビルはほとんど使われることなく無用の長物になった。筆者はそのビルをよく見上げる。どの窓にもブラインドが下りているが、それがところどころ外れているし、換気扇の覆いはどれも割れている。呉服産業が衰退し始めてビルを失って大損する人があったわけだが、中京の老舗はどうかと言えば、大なり小なり同じようなもので、キモノや帯を作って儲かっているところはもうほとんどない。これは京都市内が貧しくなったと言えそうだが、一方で任天堂やオムロン、京セラなど、呉服とは何の関係もない大企業が頑張り始めてどうにか市の財政は保っている。だが、それらの企業は祇園祭には関係しないはずで、祇園祭が盛況なのは、昔のように儲からなくはなったが、普段から始末して生活することに慣れている町衆がいるお陰で、大船鉾が150年ぶりに復活したのも同じような理由からだ。だが、外国人観光客に喜ばれ、周辺の店がそれなりに潤うのであれば、京都市が多少の援助を祇園祭に与えてもいいのではないかと思うが、祭りは宗教が絡み、税金を使うことは無理かもしれない。わが自治会では地蔵盆でも宗教的理由で参加しないという世帯がある。彼らはおそらく祇園祭にも無関心だろう。そういう筆者も大きな関心があるというほどではない。先に書いたように、1年半前に大船鉾の展示を見たことをこのブログに書いたので、その後日談として今年は展示場ではなく、地元にどのように鉾が組み上がるかを見ておきたかった。さて、西洞院通りを過ぎて新町通りに至るまでに、見慣れない細い路地があることに気づいた。路地は突き当りがある道を言うそうだが、その幅2メートルほどしかない石畳の道は突き当りに高い塀が見えていて、向こうに抜けられるかどうかわからない。だが筆者はピンと来るものがあった。1年ほど前のTV番組で、四条烏丸近くの路地が映った。正確に言えば路地ではなく、L字型に曲がっていて、そういう道を「辻子」と呼ぶそうだが、その番組で紹介されたのはそういう道で、しかも道の両脇は西陣のような古い家並みであった。四条烏丸と言えば今日の最初の写真から想像出来るように、どこもかしこもビルばかりで、車が入れないような狭い道はない。筆者はそう思っていた。ところがその番組では筆者が踏み込んだことのない狭い道が映り、木版画で有名な工房も紹介された。その工房は若い女性の摺り師がいて、何度もTVでは紹介されている。そのたびに筆者はまさか四条烏丸からすぐ近くとは想像もせず、四条大宮から東の中新道辺りかと思い込んでいた。
●祇園祭の大船鉾を見に行く、その1_d0053294_0225139.jpg

 その番組を見て以来、ずっとその狭い道を探し続け、四条松原辺りをわざわざ歩いたことが何度かある。仏光寺周辺ならそういう一画があってよいと思ったのだ。だが、その界隈はよく知っていてそんな道はない。そこで思ったのは、ひょっとすればビルを取り壊すなどして、新たに造った道ではないかということで、それほどに四条烏丸とは雰囲気がかけ離れた雰囲気であった。ただし、TVで見ると道幅は5メートルほどはあるように見えた。実際は2メートルで、人が擦れ違うのがやっとだ。さて、四条通りに面して木製の立て看板があった。これは正式にはどう呼ぶのだろう。史蹟の由来を書き記すもので、四条通りにあるのは珍しい。しかもまだ何年も経っていないものだ。その看板の上にはスチール製の名札もあって、その場所が有名であることがわかる。筆者はそのすぐ前の四条通りを毎週のようにバスで走りながら、また今まで数十回は歩いたはずだが、その看板に気づかなかったところ、まだ立てられて2,3年ではないか。では、看板が立つ以前はその道はどうであったのだろう。石畳が敷かれているのは祇園と同じ扱いで、たぶん同じ頃にその工事が行なわれたのではないか。つまり、その狭い道が整備されたのは2,3年前で、それで去年TVでその道が紹介され、筆者の知るところとなった。そのL字型の道は「膏薬の辻子」と言うらしいが、筆者は初めて知った。そして1年前から探しながら、意外にも祇園祭の大船鉾を見に行く途中で知った。それにしても立て看板が設置される以前はその道はどうなっていたのだろう。石畳が敷かれる以前はたぶん両脇の家は人が住んでおらず、立ち入り禁止になっていたのではないか。そうでなくても人を寄せつけない暗い雰囲気に満ちていたはずだ。あるいは私道ということで誰でも歩くことは許されなかったかもしれない。京都に長年住みながら、またその道のすぐ目の前をよく通りながら気づかなかったのは、それほどに京都は変化が激しいということだろう。ただし、「膏薬の辻子」は1000年前からあるらしく、変化という言葉からは最も遠い。にもかかわらずその言葉を使いたいのは、道の両脇の家並みが京都らしく整備されているからだ。それはたとえば鉄筋コンクリート造りやモルタル造りの家を格子が目立つ木造に造り変えるということだが、以前の姿を知らないので何とも言えない。それはともかく、京都がようやく古い木造住宅の価値を重視し始めたと言おうか、それが観光客を楽しませる大きな資源になることに気づき、「膏薬の辻子」を整備したことは嬉しいような悲しいような複雑な気持ちだ。また、京都市が石畳化に援助をしたのではなく、あくまでも地元住民が自主的に古い家並みを保存しようとしているのかもしれないが、この景観や家並みの問題はもっと行政が介入して、援助すべきところはして行けばよいと思う。京都市は条例によって店の看板を厳しく規制しつつあって、ようやく京都市内はごちゃごちゃした景観から少しでも落ち着いたものになりつつある。看板を規制した次は建物のデザインだ。前述した梅津の染色会社のビルは外国人観光客には関係がないのでまだどうでもいいが、山鉾が建つ区域のビルは高さを低くし、また京都らしいデザインにして行くべきではないか。山鉾が似合う、また目立つ街並みであってほしい。最後になったが、今日の2枚目以降の写真は「その2」で説明する。
●祇園祭の大船鉾を見に行く、その1_d0053294_0237100.jpg

by uuuzen | 2014-07-18 00:17 | ●新・嵐山だより
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