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👽💚🐸🐛🍀📗🤢😱5月11日(土)、京都河原町三条下るLive House『DEWEY』にて👻『ザッパニモヲ 💐母の日LIVE』午後5時開場、6時開演。3500円👽筆者の語りあり。
●今回は初めての別会場での、そしてザッパ/マザーズの結成日である1964年の「母の日」から60年という節目における、ザッパニモヲの演奏です。チラシ画像はここ。恒例の手製のお土産をくじ引きで配布します。

●『南山城の古寺巡礼』
化される気がするので古寺は人気があるのだろう。先ほど寺の三門の大きな写真を思い出した。縦が2メートル、横は3メートルほどだろうか。白黒写真ながら鄙びた雰囲気があって、一緒にその写真の前に立った「あきらめワルツ」さんは、感嘆しながら「行ってみたい」と言った。



●『南山城の古寺巡礼』_d0053294_1211310.jpgそれがどこであったかしばらく思い出せず、いよいよ老化がひどくなり始めたかと思いつつ、今しがた去年見た展覧会を調べるとようやくわかった。MIHO MUSEUMでの『根来展』で、その出口の右脇に前述の大きな写真が飾られていた。もちろん根来寺で、和歌山のとても辺鄙なところに位置し、そのことを「あきらめワルツ」さんに言いながら、筆者は内心訪れることはないだろうと思った。車を運転する人ならその気になればすぐだが、電車とバス、徒歩で行くならば1日がかりだ。3日前に書いたように、それほどに和歌山は京都からは遠い気がする。先ほど根来寺をWIKIPEDIAで調べると、寺の周囲は開発で風情が失われつつあるようで、『根来展』の会場にあった三門の写真はそれだけを切り取ったため、いかにも古寺という感じが漂っていたが、目をそらすとラヴホテルが目に入ったりして心の浄化から遠ざけられそうだ。もっとも、寺を拝観した後、ラヴホテルに入って楽しむという若いカップルもいるはずで、この世は需要と供給の関係で成り立っていて、何に浄化を感じるかは人さまざまだ。さて、根来寺のある地域は筆者の家内の父の故郷から南西50キロほどあるが、山間の土地であるのは同じなので、その地方の出身者にすればあまり気質が変わらないと思っているのではないだろうか。今日取り上げる展覧会は「南山城」で、やはり山間部で、そういったところに関心のない筆者からすれば同じような地域に思ってしまう。だが実際は南山城から南西80キロほどが根来寺で、かなり離れている。南山城も筆者には縁のないところで、今後もぶらりと歩いてみようという気が起こらないはずで、そういう出不精にとっては本展はまことにつごうのよいものであった。もっとも、本展を見たことで南山城に行くことの代用にはならない。南山城に点在する古寺をその寺宝によってごく簡単に知るというのが本展の目的で、それだけでも南山城に縁のない人にはありがたい機会だ。ところで、本展に取り上げられた寺は11で、そのうち浄瑠璃寺と岩船寺には二度訪れたことがある。ただし20代半ばの昔で、どこをどう歩いて行ったかすっかり忘れている。ひとつよく覚えているのは、二度目に行ったのが、当時まだ交際中であった家内とその友人、そしてその交際相手と一緒で、4人で山道を歩いた。家内の友人の交際相手は結局結ばれることがなかったが、筆者より2,3歳上のとても優しい、また知的な男性で、今でもその人柄のような感覚をよく覚えている。その男性が浄瑠璃寺と岩船寺に行こうと計画を立てたのだ。浄瑠璃寺を目指して歩いている途中で筆者は大便を催し、どうにも我慢出来なくなって、生まれて初めて「野糞」をしたが、その臭いことといったらやはり生まれて初めて臭うほどであった。そのことを先日書いた串本出身のHに後年言うと、Hはしばしば「野糞」を和歌山でしたことがあるそうで、その強烈な臭さは全く同感と言っていた。せっかく山の清浄な空気を吸い、また寺のありがたい仏像を拝みに行くというのに、「野糞」をし、それが忘れられないというのは、先の根来寺近くのラヴホテルではないが、世界はいろんなものが隣り合わせになっていて、そのとおりに人間の記憶もあることを改めて思う。
 11の寺のうち、もうひとつ訪れたのは2年前か、親類の食事会のついでに見た「酬恩庵(一休寺)」だ。この寺については写真つきでこのブログで数回連続で取り上げた。意外であったのは、その寺も南山城に属することだ。京都市内から車で行ったのであまり遠く感じず、とても浄瑠璃寺や岩船寺と同じ地域とは思えない。言い代えればそれほどに南山城は広い。京都国立博物館でもらった目録には地図が印刷されていて、それによれば一休寺から浄瑠璃寺までは直線で13キロほどあり、歩けない距離ではないが、たぶん5時間はかかる。11の寺のうち、以前の展覧会で見た寺があることに気づいた。海住山寺で、これは浄瑠璃寺の北方5キロにある。近いようだが、その間に木津川が流れていて、山を下り、川をわたり、山を上るという形になる。早くて2時間はかかるだろう。それはさておき、海住山寺の紹介をどの展覧会で見たのか思い出せない。本展を見ている間からそのことが気がかりになっている。本ブログの展覧会についてのカテゴリーを見てもわからないのは、見た展覧会を取り上げるとは限らないからだ。それでどうしても気になるので、今徹底的に調べてわかった。奈良国立博物館で2年前に見た『解脱上人貞慶』展だ。鎌倉時代の解脱上人は南山城に縁が深く、海住山寺をそのように呼び、寺を整備した。同上人は笠置寺にもかかわったが、この寺は本展で取り上げられた11の寺のうち最も東、木津川の上流に位置する。それにしても2年前の展覧会で見たことが、あまりにも記憶が薄れていた。今回は別の切り口で海山住寺が取り上げられたが、このことでもう忘れないと思う。ただし、それも向こう2年が限度か。それをもっと長くするには同寺を訪れるに限る。『解脱上人貞慶』展では寺から見下ろす下界の風景が壮大で面白かった。それとほとんど同じ写真が今回も使われたところ、この寺の売り物として、下界の眺望があるのは間違いない。海住の山寺という名前であるから、下界が海のように広々と見えるという意味を含むのではないか。だが、山寺となると、車に乗らない者は大変だ。JR関西本線の加茂駅から北3キロだが、国道163号線からはその半分の距離で、これは誰しも車で行くだろう。こうなると筆者にはお手上げだ。それはともかく、南山城に縁がないと言いながら、そうでもないかと思えるのは、L字型に曲がった木津川流域の南山城のちょうど中間すなわちL字型の角の部分が近鉄京都線の木津川台駅で、ここには知人が住んでいて、二度訪れたことがある。だが、この駅付近には11の寺のどれも位置せず、最も近い神童寺でも北東4キロだ。これは直線であって、実際は山地であるから、道が曲がり、また木津川を越えねばならないから、徒歩ではその倍にはなるだろう。
 そのように近くて遠い南山城から11の寺が選ばれ、それらひとつずつに展示が分けられ、見やすかった。現物を持って来るのが困難な場合があったようで、原寸大の仏像写真などで間に合わせられた展示もあったが、筆者のように寺ファンでないような者でもひとつやふたつは行ったことのある寺が混じり、南山城を知るにはいい機会であった。展示の章立てを書いておくと、第1章「南山城の歴史と文化」、2「瓶原と海山住寺」、3「笠置山と笠置寺」、4「浄瑠璃寺と岩船寺」、5「南山城の古寺」、6「一休禅師と酬恩庵」で、小展覧会が6つ集まったと思えばよい。2と3に関しては2年前の奈良国博での『解脱上人貞慶』展にはとても及ばない。6は同寺を訪れて寺宝館も見たので新鮮味に乏しかった。寺宝館に展示されていない作品がたくさん持って来られたのはよいが、それらの大半は原在中の絵で、一休の時代からかなり下り、ありがたみに乏しかった。館内が広いので何となく埋め草的に原在中の作品をたくさん持って来たという感じがした。4は浄瑠璃寺の肝心の有名な仏像は全部持って来られるはずがない。この第4章は両方の寺を合わせて11点の展示数で、最少であった。その分写真を飾っていたが、どちらの寺も実際に訪れなければ感動を味わえない。5は11の寺のうち、比較的有名でないものがまとめられた。禅定寺、寿宝寺、蟹満寺、神童寺、観音寺、金胎寺で、このうち禅定寺のみかなり北で、宇治市南部の東隣りの宇治田原町北西部にある。気になったので調べると、売茶翁が永谷宗円を訪れた湯谷に近い。湯谷には息子の車で7,8年前に訪れたことがある。宇治から山道を10数キロ走ったところで、禅定寺はその湯谷から北に3キロほどにある。宇治田原は京都市内からさほど遠くないのに、これほどの山奥の人里があるのかと思わせるほどで、そういう場所であるから禅寺が建てられたのだろう。もとは東大寺の末寺で、「平安時代半ばの巨大な十一面観音立像が圧巻である」とチラシに書かれる。巨大とは3メートル近いもので、この仏像が本展の展示の目玉となった。チラシやチケットに印刷されるのはその仏像で、筆者には湖北の同じ十一面観音立像と見分けがつかない。同じ平安時代であればそれも当然であろうが、仏像に詳しい人が見ると地域性がわかるに違いない。それはともかく、息子の車で行けば苦労のない湯谷で、車を使えば禅定寺はまるで近所であるかのように身近に感じるだろう。そう思えばいかに自分が時代遅れの不便な人間かと思うが、平安時代、あるいは江戸時代の売茶翁にしても、みな歩いたのであるから、車ですぐにというのが異常過ぎる。それではありがたみも少ない。「古寺巡礼」というからには、歩くのがあたりまえではないか。
 古寺というのは創建からどれほどの年月を経たものを言うのか知らないが、海住山寺は天平年間、笠置寺は白鳳時代とされ、古寺の中でも最古寺と呼んでいい。南山城が古くから開けていたことは第1章で示された。三角縁四神四獣鏡や人物埴輪など、古墳からの出土品、そして高麗寺跡からの発掘された軒瓦や塼仏が最初に飾られていたが、高麗となると渡来人が住みついたのであって、飛鳥時代の大陸との関係が見えて面白い。チラシから引用すると、「奈良時代には瓶原(みかのはら)の地に「恭任宮(くにきょう)」が設置され、そののち山城国分寺が置かれた。また近年、神雄寺という奈良時代の寺院跡も発見され注目を浴びた」とあって、地道ではあるが瓶原は発掘によって新たに明らかにされることが増えている。古い歴史はチラシにもあるように、木津川を水運に使ったためで、本展に取り上げられた11の寺のうち、禅定寺以外はみなL字型の木津川沿いにある。そして笠置寺や海住山寺が上流に位置し、下流にある寺ほど時代が下がっての創建となって、一休寺は最下流沿いの山辺ではなく平野にある。そのようにして地図と照らし合わせて南山城の古寺を眺めると親近感が湧いて来る。本展は近年京都国博がこの地域の寺を調査し、その成果を発表するもので、発掘によって新たなことが今後判明するはずで、数十年に一度は同じ地域の古寺を取り上げた展覧会が開かれてよい。また「古寺巡礼」、しかも「祈りと癒しの地」と副題を添えるからには、仏像や仏画の展示が中心になるし、チラシに印刷されるのもそうした作品だ。今回は国宝は「海住山寺五重塔初層内陣扉絵」と浄瑠璃寺の「四天王立像のうち多聞天立像」のみで、重文は25点とかなり多く、どの寺も古寺の貫禄を示している。南山城の木津川流域のL字型の曲がり部から西部は南北に高速道路が整備され、「関西文化学術研究都市」が造られて今後発展が期待されているが、京都市内に住む者からすれば馴染みがうすい。その北部10キロほどに同志社大学のキャンパスが設けられ、1,2年生はそこで学ぶようだが、京都市内とはあまりに違った環境のため、不人気とも聞いた。筆者は昔精華町にあった温室に写生に出かけたことがあるが、近鉄京都線の狛田駅で降りて西に1時間ほど歩いた。山をところどころ切り開いた殺風景な土地で、今から思うにその頃から南部では学研都市建設へ向けて下準備の工事が始まっていたのだろう。気になって調べるとその温室は「京都フラワーセンター」という名前で、その後「花空間けいはんな」に変更され、しかも閉園になっている。近くに住む人の施設としてはよかったが、車がなければ利用しにくく、筆者が訪れた頃とさびしさは変わっていないように想像する。だからこそたまに訪れると心が浄化される。
by uuuzen | 2014-07-09 23:59 | ●展覧会SOON評SO ON
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