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●『よみがえる中国歴代王朝展』
「至宝が語る歴史ロマン 殷から宋まで」という副題で、JR京都駅ビルの伊勢丹の美術館で公開されている。百貨店の美術館では大体軽めの内容のものが多いし、特にこの会場でこうした硬派めのものが展覧されるのは珍しい。



●『よみがえる中国歴代王朝展』_d0053294_158258.jpgとはいえ、今では日本のどこかで中国の国宝クラスの出土品が観られる展覧会が開催されていると言ってよいから、まだそうした展覧会を開催したことのない会場で開催されるのは意外でもなく、むしろ日本中の展示会場をしらみ潰し的に使用する意味合いからも当然のことと言えるかもしれない。チケット中央には秦の兵馬俑の兵士がデザインされていて、展覧会の目玉品であることがわかるが、兵馬俑は1974年の発見以来、何度か日本でも公開されたことがあるにしても、等身大という比較的大きなサイズであり、しかも一級品であるゆえ、それが展示されるからにはそれなりに力の入った展覧会であることがまずわかる。日中の関係がかなりぎくしゃくしている昨今だが、こうした展覧会が途切れず、むしろ増えているのは、それだけ交流が活発になっている証であり、一方でこの展覧会を主催した存在が気になる。チラシを見ると、特別協力が中国文物交流中心実行委員会で、後援は中国大使館、社団法人の日中友好協会と日中協会、そして日本国際貿易促進協会、日本中国文化交流協会、NHK京都放送局と順に並び、特別協賛として国士舘大学、監修が国士舘大学文学部東洋史学専攻と記されている。京都以外に巡回があるのかどうか知らないが、特別協賛として名前が上がっている国士舘大学でも展覧されたのかもしれない。後援の名前の中に日本際貿易促進協会や日本中国文化交流協会があるのは面白い。最近の中国や韓国の日本に対する抗議行動を見て、中国や韓国の文化を嫌悪、拒否する日本人は少なくないだろうが、一時的な政治の関係ですべての関係を冷え込ませるのは大人気ない話だ。筆者の知人にも、中国や韓国がそういう態度で出るからには、なぜこっちがわざわざ中国や韓国の文化を享受する必要があるのかと言うのがいる。だが、たとえば街を歩けば中華料理は日本人に馴染み過ぎ、しかも日常的に漢字を使用してもいるから、今さら嫌中思想を抱いて中国的なるものをすっかり排除するのは全く不可能な話だ。それに、知らず知らずのうちに中国産の野菜をふんだんに食べてもいるから、政治でギクシャクしようが、経済や文化の面ではもう仲たがい出来ないほどにアジアは密接につながっている。また、中国には日本とは比べものにならないほどの歴史文化の長い蓄積があり、別にそれに対して日本が卑下することはないにしても、中国文化の流入があって日本の仏教芸術も花開き、その後の文化の多様性も生まれたことを思えば、大陸の文化を無視出来ないどころか、まだまだ大いに学べきことはいくらでもある。
 これまで、そして現在でもよく開催されている中国関係の美術展は大体ある時期や地域に的を絞ったものがほとんどで、こうした歴代王朝をひとまとめに扱う場合、総花的となるため、飛びきりめぼしい展示物が少ないことが予想出来る。兵馬俑にしても当然数体程度しかやって来ないことは明白で、それでは迫力が欠ける。かと言ってほかに何か面白いものがあるかとなれば、今まで観て来た数多い中国展でおおよそどういうものが古代中国に存在していたかはほとんどわかっている。ただし、かえって総花的にあれこれと取り揃えて展示されれば、中国美術にあまり馴染みのない人にはいい機会となる。1時間かそこらでざっと中国の古い美術品を概観出来るからだ。その意味で、今回の展覧会は学生向きであるだろう。またこの30数年、あらゆる中国文物の展覧会を観て来た人にとっては、今まで知る作品のヴァリアントがどのようにあって、またどう展示されていて、どういう説明があるのかという、もっと冷静で分析的な見方が出来る楽しみがある。筆者は後者として観たが、それでもけっこう面白かった。パネルによる説明がかなり教科書的で、それもよかった。中国の歴史に詳しくなければ、メモを取らない限りはほとんど印象に残らないものだが、発掘された文物は通常の意味での美術品とは違う場合も多く、歴史背景や用途の説明などは詳しくあった方がよい。今回の展示物は殷から宋までのものに絞られていて、紀元前3000年頃から元王朝が出来る13世紀半ばから選ばれていた。その中で最も目を引き、訪れてよかったと思えたのは、青銅製編鐘だ。これを実際に音楽のように奏でた録音が会場でBGMとしてずっと鳴り響いていたが、これはとてもよかった。愛知万博で『大地の塔』を訪れた時にも、風力の助けを借りて鳴る大型の打楽器が3、4か所に置いてあって、印象に残ったが、思わずそれを思い出した。だが、こっちの方はもっと音がよく、その聴いたことのない音の響きによって中国の古代王朝の儀式の空気が思い描ける気がした。
 中国美術関連の図録はたくさん所有しているが、その中で実際に展覧会には訪れず、古書で入手したものが2、3あり、そのうちの1冊に『曽侯乙墓』と題するものがある。この1冊はたまに開いて見る。それほどに収録されている図版の作品には迫力がある。この『曽侯乙墓』展は1992年に東京国立博物館でのみ開催された。曽侯乙墓は1978年に湖北省の随州で発掘されたが、紀元前5世紀の戦国時代前期に「曽」という国の「乙(いつ)」という支配者の墓だ。この時に発見された出土品から87件を展示した展覧会だったが、図録には発掘状況の生々しい写真が何枚かあって、それがいかにも貫祿充分の中国を感じさせつつ、いつどこで何が出土して来るかわからない途方のなさも痛感させる。その途方もない圧力をそのまま具現化しているのが、『曽侯乙墓』展の目玉として図版の最初に掲げられている青銅製編鐘だ。だが、これは参考図版となっている。実物の代わりに複製品が展示され、それが実際に館内で鳴らされた。つまり、今回の会場で鳴っていたBGMもそれとほぼ同じものであろう。今回展示の青銅製編鐘も複製だったと思うが、それは大小35個の銅鐸型の鐘をぶら下げている梁が黒塗りのおそまつなもので、近寄って見ると端の方の塗料が何かにぶつけたためか、剥がれて白木が覗いていた。『曽侯乙墓』の図録にある参考図版の編鐘の梁は朱色の漆で緻密な文様が描かれ、また青銅の飾り板をかなりたくさん取りつけているので、まるで豪華さが違う。それにこれらの鐘や梁を支える、ギリシア神殿のカリアティードのような女性像をかたどった柱が、『曽侯乙墓』図録で見るものに比べて若干差がある。それは、編鐘を並べてぶら下げる際、全体はL字型になるのだが、Lの曲がり角に立つ女性像の両腕は実際は他の女性像と同様に自然に両腕を上げて左右対称の体型となっている。それなのに今回の展示では片腕が不自然な形で曲がり、しかも異様に長かった。これはなぜそのように複製したのかわからないが、デフォルメにしてもかなりおかしく、複製者の考えミスではないかと思えた。この編鐘の出土状況写真を見ると、ほとんど風化もなく、また梁が朽ちてもいないから、複製を作る時にわざわざ形を違えて作ることはなかったはずだが、複製であることを示すためにあえて一部の形を変えたのかもしれない。それはさておき、『曽侯乙墓』図録によると、実際の梁は木製ではなく、全部青銅製で、鐘の重さと合わせれば4.5トンほどある。これでは運ぶのは大変で、百貨店でので展示には無理があるかもしれない。そのために鐘や女性像のみ青銅で複製し、全体の重さを半分程度に減らしたのだろう。実物の梁はまるで鉄筋コンクリートの建物の図太い基礎に見える、その表面にびっしりと緻密な文様を埋めているから、なおさら畏怖感が増している。それは美しいと言えるものではなく、もっと底知れない不気味さに近い感情を観る者に伝える。それでも観たことのない珍しさも手伝って、ただまじまじと見つめてしまう。図録のカラー写真ですらそうで、この図録を入手してから、たまにその編鐘を眺めてはどんな音が響くのかとよく考えていたものだ。ところが、今回は全く予期せぬ形で実物に対面し、しかも音まで体験出来たから、あまり期待して行ったわけではないのに、思わぬよい経験をした。こういうことがあるから、展覧会巡りは欠かしてはならない。
 筆者にとって、今回の展示品の目玉は編鐘であったが、1992年に東京で展示されて以来、各地を多く巡回しているのであろう。10数年で兵馬俑並みにポピュラーな存在になったのかもしれない。曽侯乙墓からだけでも15000点の出土品があって、しかも保存状態のよいものが多いというが、同じような墓がまだ中国の地面の下にどれほどあるかわからず、今後も日本での中国の文物展示の材料には全く事欠くことはないと断言出来る。せっかく会場でメモを取って来たのでもう少し書こう。チラシ裏面にはこうある。「…中国全土の博物館、研究所が所蔵する青銅器、玉器、陶器、石彫、木彫の祭器から遊具まで広範囲なジャンルの重要文物102点を一堂に展示します。…戦国時代の大編鐘、漢時代の金縷、銀縷の玉衣など、日本の国宝に相当する一級文物25件を含む名品中の名品が一堂に並びます」。これを読む限りは青銅製編鐘は複製ではないようだが、明らかに『曽侯乙墓』図録の参考図版とは違っていた。そのほかに気になった展示物を順に書こう。まずコーナー1は『初期王朝の諸文化-中国文明の創成』と題されていた。そこで目についたものに「銀製鍍金埋葬用仮面」があった。これは契丹族が北方に建てた政権の遼(916-1125年)時代のもので、似たものは南米のコロンビアやペルーなどからもよく出土しているが、遼では埋葬の際に金や銀で仮面を作る風習があった。仮面とはいえその表情は土地柄を示し、ここではいかにもモンゴロイド的な風貌を漂わせていた。先日の兵庫県立美術館での『新シルクロード展』でも似た金製の仮面はあった。紀元前4000年には鉱物から銅を抽出する技術があったとされるが、紀元前2000年の新石器時代末期の「斉家」期に石器や骨器とともに青銅器の出土がある。だが、青銅器の発達は殷(紀元前1600-1046年)以降のことだ。それまでの玉器になり代わって青銅器が登場した格好だが、鋳込みすることでどのような複雑な形のものでも作れるという点で、今のプラスティックに似た自在な造形感覚を得た気分であったろう。それらの青銅器は今の技術でも復元出来ない精巧なものが多く、数千年経っても進歩しないどころか、全く逆に衰退してしまう技術があることをよく示している。こうしたびっしりとした細かい文様で表面が埋め尽くされた青銅器を観るのは好きで、それは日本美術にはついになかった感覚の産物だと思う。会場では次に周王朝(紀元前1046-771年)、そして春秋戦国時代(紀元前770-476年)、孔子など思想家を優遇した斉の時代の紹介へと続き、有名な中山王国の出土品である金や銀を象嵌した猛獣の青銅品の3点ほどの展示へとつながっていた。中山王国は紀元前5世紀から3世紀初頭まで続いた河北省西部の強国で、1981年5月に筆者は兵庫県立近代美術館で『中国戦国時代の雄 中山王国文物展』を観ている。その時の図録の表紙にもなった「金銀象嵌屏風台座 鹿を食う虎」は今回も来ていた。当然一級文物指定をされているが、日本ではまず文化と呼べるものがない時に中国でこれほど驚くべき技術と迫真に迫る対象の捉え方をした造形作品が生まれていたことを今さらに驚く。
 コーナー1の圧巻は前述した青銅製の編鐘だったが、コーナー2は『巨大帝国の誕生』となっていて、秦、漢から魏晋南北朝時代(紀元前221-589年)までが対象だ。まず兵馬俑が数点立っていた。右端に位置していたものは、下半身のみで、これは初めて目にしたが、まだ復元途中なのだろう。あえて復元を途中でやめているのかもしれない。顔料がよく残っており、また内部の状態を見るのにつごうがよく、何千体もある中でこうしたものが数点はあってよい。兵馬俑と並んで重要なものは、金縷、銀縷の玉衣で、前漢時代のものだ。玉をうすく切り、縦横数センチ程度の長方形にカットし、縷、つまり金や銀、銅の金属糸で結びつけて遺体全体をすっぽりと覆った衣だ。出土した時にはばらばらになっていたものを元どおりに結びつけたそうだが、白っぽい、そして真珠のように輝く数千枚の玉片に覆われながら、全体が角ばっているためにまるでロボットのように見える。男子用のものは急所がきちんと収まるように突起状に構成されているためにそれとわかるが、いかに天国へ行ってもそこで安泰に暮らしたいからといっても、これを作った身分の低い職人の思いがどんなものであったか、それを想像すると、何となくおかしくもあり、また悲しくもなる。前漢はまだ身分制度がはっきり定まっていなかったというが、金縷や銀縷は身分と財力に応じて選ばれた。これは当然あることだが、金持ちでも差があったわけだ。やがて漢民族は内乱を起こし、それに乗じて黄河流域の中原地方に北方から遊牧民族が侵入して戦乱が頻繁に生ずるが、漢民族は南方の江原へ移住して以後300年間の戦いが続く。そしてコーナー3の『激動する東アジア-三国から宋まで』の展示となっていた。これも簡単に書くと、6世紀後半から10世紀初頭の隋(581-619年)、唐(618-907年)の再統一期、10世紀後半の宋による政権、そして現代中国につながる中国と北アジアの一体化が進展した遼(916-1125年)による史上初の中国内地支配といった時期を知る文物の展示で、陶磁器や小さめの金属器の展示が主になっていた。唐は平和な時代で、あまり説明の必要もないが、遣唐使からもわかるように、海のシルクロードが急速に発展した時期で、アラブ、ペルシア、東南アジアなどの国々の商船が南の広州の貿易港などに集まった。だが、この時代は宦官の専領が目立ち、農村が疲弊した。そのため979年に新たに中国は統一されて宋が成る。この国は文人官僚を手足とする皇帝中心の独裁政権で、1126年に首都は陥落した。宋時代には長江下流域の開発が進み、中国経済の中心地となったが、茶や陶磁器、紙幣が出現し、小説や劇などの庶民文化が栄え、木版印刷、火薬、羅針盤の三大発明が実用化もした。こうして書いて来ると、あまりにも内容が多く、やはり総花的な展示で茶を濁すことはとうてい不可能なことがわかる。今後は陶磁器以外にももっと時代や地域を絞った中国文物の展覧会の時代が到来するだろう。
by uuuzen | 2005-10-28 23:56 | ●展覧会SOON評SO ON
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