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●「SUMMER WINE」
にさくらんぼ、天使の春のキス。わたしのサマー・ワインはこんなもので出来ているの。とまあ、どんな味がするのやら、甘い果実酒もいいが、そう言えば今年は梅酒を作ろうかと思いながら、まだ腰を上げていない。



●「SUMMER WINE」_d0053294_1155565.jpg

それよりも一昨日らっきょうの酢漬けがなくなった。2年前に漬けたもので、そのさらに2,3年前に漬けたらっきょうの酢漬けの残った汁を使い、しかもらっきょうを漬ける前の作業を手抜きしたこともあって、食べ頃になっても渋味が強く、失敗作と思うしかなかった。それが2年目に入るとどうにか味が馴染み、どうにか普通に食べられるまでになり、カレーライス一皿に4,5粒を添え続け、ついに一昨日大きなガラス容器が空になった。その中にはまた汁が残っていたが、さすがにそれは家内が捨てたようだ。「サマー・ワイン」という甘くて大人っぽい曲を今日は取り上げるというのに、らっきょうの話では全く色気がない。そう言えばさくらんぼは今が旬で、昨日尼崎のスーパーでは店先でおじさんがやけくそ気味に「さくらんぼ250円」と怒鳴っていたが、誰も振り向かなかった。さくらんぼは小粒でいくらでも食べられる気がするのに対し、苺はここ20年ほどできわめて大きな粒のものが出回るようになり、そんなものを10個も食べればお腹がいっぱいになる気がする。本当に苺とさくらんぼで果実酒を作るとして、問題なのはどういうリキュールを使うかだ。高級なものを使えばよりおいしく仕上がるというものでもないはずで、また漬ける果実の品種にもよる。どんなさくらんぼや苺でもいいというのではなく、より適するものがあるだろうが、ま、うるさいことは言わない方がよい。さて、「サマー・ワイン」をこのカテゴリーに取り上げようと思ったのはブログを始めた当初だ。それから10年近く経った。2年前に『キミドリさんとペンギン君』のブログにこの曲について少し書き込んだ。今調べたところ、6月27日で、ちょうど今頃の季節だ。それで今日を逃せばまた来年の今頃となるので、今日書くことにした。それにしても2年前の6月からこっち、筆者は何をして来たのかと茫然とする。2年が全く無駄ではあったとは思わないが、無為徒食そのもので、傍から見ても格好悪い生活をして来た。それが明日から直るかと言えばやはり今日と同じような日になるのはわかっている。2年も経てば渋いらっきょうも甘酸っぱくなるし、果実酒も飲み頃になる。それが古い人間ではそうではなく、古さ加減が2年分増すだけで、中には若い人が羨ましいと露骨に言う人もある。筆者は負け惜しみではなく、若い人を羨ましいとは思わないが、それでも物事が何でも新鮮に見える状態でいたい。先日郷土玩具の会が終わった後の飲み会で、筆者の真正面に座った男性が花柄のシャツを着た奈良寺町の陶芸家で、その人は筆者を若く見たのか、そのようなことをまず口にし、次に自分のことを確か62か3と言い、もう高齢であることを自覚しているふうであった。その時筆者は「同じ年齢ですよ」と言えばよかったが、まだ今後も会う機会があると考え、そのことを口にしなかった。それはいいとして、その人は何でも幅広く、底は浅く関心があるそうで、また郷土玩具はもうほとんど買わないようであった。その理由を訊くと、手に入れた時の喜びがもう予めわかっているからで、ある玩具を見た時にどの程度の価格がわかり、またその時に入手の気分が萎えるのだろう。それには筆者もうなづいた。筆者もそうで、どんな伏見人形でもほしいという時期はもうとっくに過ぎ去った。これはどのような収集家も同じはずで、ある程度収集し、また見続けると、これぞと思う名品に目が行くようになる。女性を見るのも同じだろう。女性経験が一度もない、あるいはきわめて少ないまま40や50になった男は、ころりとつまらない女に騙されるのではないか。そんなうぶな男を手玉に取った殺人事件が先年あったが、男を騙すのはいとも簡単と多くの女性が思っていることを男はしかと胸に刻んでおかねばならない。
 で、男が若い頃にそこそこの数の女性と付き合い、結婚し、還暦を迎える頃になった時、女性に対して評価が厳しく、めったなことには理想の女性と思わないかと言えば、それは人によりけりだ。筆者を例に挙げてもいいが、筆者がTVなどで見る美女をいいと言うと、家内はどこがいいのかわからないと筆者の美女判定の基準を訝る。つまり、年齢を重ねて基準が厳しくなったかと言えば、案外そうでもなく、若い頃から好みは変わっていないように思う。だが、TVで美女を見てあれこれ言うのは勝手だが、たとえばその女性が眼前に出現すれば自分の年齢を思ってこそこそ隠れるかもしれない。そのことを思うと自分の年齢に見合った女性を意識することになるが、60代の美女というのはめったにおらず、かといってAKB何とかはさっぱり関心がなく、またどれも普通の子ばかりで、世の中から美女がすっかり消えた、あるいはその基準がなくなったと感じるばかりで、結局筆者がTVでいいなと思う美女は年にひとりいるかいないかで、その少なさを先の加齢による女性を見る厳しさかと思わないでもない。ついでながら断っておくと、筆者がいいなと思う女性は10、20代では絶無で、30代でも難しいかもしれない。若い女性に関心がないというより、自分の年齢を思えばわが子のような年齢の女性に憧れるのは罪深いという自省が働く。それにこっちの老いを感じさせられるのはいやで、無理して若い女性に接近する必要はないと考える。ま、筆者の女性観はどうでもよい。なぜこんな話になったかと言えば、今日の「サマー・ワイン」でデュエットするナンシー・シナトラとリー・ヘイゼルウッドのふたりの声だ。この曲を初めて聴いたのはラジオのヒット・パレードで、1967年だと思う。当時ナンシー・シナトラはヒットを立て続けに放ち、「にくい貴方」「シュガータウンは恋の町」などいくつかの名曲がある。「にくい貴方」は不思議な曲で、これをラジオで最初に聴いたのは小島正夫の「9500万人のポピュラー・リクエスト」で、DJの小島はこの曲の原題の独特のニュアンスを面白そうに語っていた。そんなちょっとしたことを40数年経っても覚えているのは意外でも何でもない。若い頃は何でも吸収しやすく、誰でもそういうことを老いてから思い出しては感じ入る。それで「サマー・ワイン」にしても最初に聴いた時の感動というか、印象のまま40数年経ち、今こうしてその頃すなわち筆者が16か7の頃の気分を思い出しながら、聴き直しているが、何か加わったものや減ったものがあるようには感じない。これは過去を懐かしがっておらず、半世紀前も今も筆者の頭の中は変わっていないように思う。ただし、今は還暦を過ぎた年齢という現実があって、それを基準にすれば本曲は40数年前という人生で言えばはるか遠くで、そのことを傍から見ると、筆者はただの老人でしかないということになる。そこでわざわざ本曲を取り上げて言っておきたいのは、誰でも老いるから、若い頃がよかったなとか思わず、今も当時のことを鮮明に思い出せることを喜べばよいということだ。そしてつけ加えるならば、当時の青春もそれなりに苦しかったから、今の方が気楽でよいという心の余裕もある。そしてもうひとつつけ加えておきたいのは、筆者は60年代のヒット曲、つまりオールディーズの大ファンで、毎日どればかり聴いているのでは全くなく、常に聴いたことのない、筆者にとって新しい音楽を求めていることだ。その態度は青春時代には特にそうだと言えるが、筆者にとってのその意味での青春は死ぬまで続かせたい。
 今調べると、ナンシー・シナトラは1940年生まれ、リー・ヘイゼルウッドは1931年生まれで、11歳の開きがある。本曲を歌った時、ナンシーは27、リーは38だ。当時筆者は16で、ふたりとも大人に聴こえた。特にリーの声はどういう顔をしているのかと思わせながら、まず音楽業界で生き抜いて来た貫禄を感じさせた。ナンシーの父はフランク・シナトラで、そういう大御所の娘とデュエットするほどの男であるからにはそれも当然だが、ナンシーの歌声と実によく似合いつつ、曲の仕上がりがとてもよく、当時のビートルズなどのロックにはない大人のムードを楽しんだ。歌謡曲でも男女が歌詞を分けて歌うことは珍しくないが、当時の洋楽ではソニーとシェール以外には男女のデュエットはあまりなかったように思う。そういうところに覚えやすいメロディと艶のあるアレンジで聴かせる本曲は、日本ではいざ知らず、アメリカでは普段はロックを聴かない人たちに大いに歓迎されたのであろう。本曲をU2のボノとアイルランドのバンド、ザ・コアーズの女性歌手が歌っているYOUTUBEを先ほど繰り返し見ながら、新しいアレンジの施しようのないほどに本曲が完全であることを改めて思った。そのほかにもいろんな男女がこの曲をカヴァーしているが、結局一番いいのは原曲で、リーの名前はこれ1曲で永遠に記憶されるだろう。作詞作曲はリーで、WIKIPEDIAによれば最初1966年にリーは別の女性Suzi Jane Hokomと歌ったようだ。そのヴァージョンをYOUTUBEで探して聴くと、アレンジは同一で、女性の声もよく通ってなかなかよい。リーがなぜこの曲を改めてナンシーと歌ったのか。リーの売り込みと勘繰ることも出来るが、レコード会社の誰かが目をつけたのだろう。本曲はシナトラがかつて社長であったリプリーズから出たが、娘を歌手として世界的に有名にさせようという考えがシナトラやワーナーにあって、曲をいろいろと探していたのではないか。そして本曲をナンシーとデュエットさせるともっとヒットすると目論んだのだろう。それにはナンシーの歌手としてのイメージがあるが、彼女は金持ちの育ちだが、可憐でうぶという印象ではなく、この曲の歌詞に似合いそうなすれたところを感じさせる。それは顔つきからの想像で実際はどうかと言えば、案外父の眼が光っていて男は近寄りにくかったのではないか。本曲の歌詞の男を騙す悪女のイメージは、ナンシーの歌声からは感じられず、やや硬く歌っているところが、歌詞の世界のどぎつさを大幅に弱めている。だがそれがかえってよい。男を知り尽くしたように感じさせる女がこの曲を歌えば、いやらしさが前に出て曲が持つ果実酒の香高さが失われる。最初の「苺にさくらんぼ、天使の春のキス。わたしのサマー・ワインはこんなもので出来ているの」という歌詞からして、まだどことなくうぶさ加減が残っている若い女性でなければならない。その点、最初に歌ったスージ・ジェイン・ホウコムは大人過ぎて本曲の世界がより現実的に聴こえる。それでは夢がない。
 リーの名前はロック・ギターの原点と言ってよい。デュアン・エディの曲で見かける。50年代末期のことで、ヒット曲をいくつかプロデュースしている。どういう曲が格好いいかを熟知している男がビートルズ全盛時代に、それとは違う味のある曲を提供したことになるが、70年代になると激しく大音量のロックが全盛となって、管弦楽器を使った本曲のような凝ったアレンジの曲は鳴りをひそめてしまう。今から考えると惜しいことだが、当時の筆者はビートルズやそれに続くロックに熱を上げていたから、レコード産業は10代や20代の若者の趣向に沿わねば経営が成り立たなかった。かくてリーの音楽も1970年までが全盛となったようだ。それをU2のボノがカヴァーするのであるから、真の名曲は時代を越えて聴き続けられる。さて、歌詞だが、女が自分のサマー・ワインで男を誘い、すっかり酔っ払った男は女の言うままに「silver spurs」を脱いで彼女に手わたすが、太陽の眩しさで目を覚ました時には「silver spurs」とお金もなくなっていたという話だ。これはビートルズの「NORWGIAN WOOD」の影響が強いように思う。同曲はジョン・レノンが1965年に書き、また男女のデュエットではないが、女の言うままに寝入って目覚めると女が消えていたというのは同じだ。ただし、リーはノルウェー風ではなく、「silver spurs」という典型的なアメリカの男を思わせる道具を持ち出す。これは「銀の拍車」で、ブーツの後ろに銀製の歯車がついていて、カウボーイが履く。この一語は女性が繰り返し歌う「苺にさくらんぼ、天使の春のキス。わたしのサマー・ワインはこんなもので出来ているの」と好対照を成している。デュアン・エディはカウボーイのイメージが濃いギタリストで、またリーは南部の出身で、「silver spurs」のついたブーツは身近な存在であったのだろう。歌詞の最後は「サマー・ワインがもっとほしいという思いを残して(あいつは去った)」で、男は金目のものはみんな奪われたが、女が恋しいということだ。この最後の一行がとても鮮やかで後味がよい。女は男を騙したのではなく、男はまた騙されてもいいから女に会いたいほどに酔わされた。つまり、本曲は男のラヴ・ソングで、手の届かない女を思い出している。最後に書いておくと、歌詞には少しわかりにくい表現がある。「She reassured me with an unfamiliar line.」で、男がすっかり酔って起き上がることが出来ず、足も見えなくなった状態の後で歌われる。そのように酩酊したというのに、女は男をreassureさせた。それは何によってかと言えば「an unfamiliar line」だ。「見慣れないやり方でおれを安心させた」。酒で酩酊した後にふたたび覚醒させられたのだが、「見慣れない」は男にとってであり、女はその方法はお手の物のようだ。WIKIPEDIAはこの一行にはコカインのほのめかしがあるとしている。コカインはどうかは知らないが、薬物であるのは作曲された66年からして大いにあり得るし、またこの曲ではそう考えた方がよい。女は酒と薬によって男をすっかりいい気持ちにさせた。その恍惚感を男が忘れられず、また「サマー・ワイン」を飲みたいと言う。やはり女は恐い。たくさんの女を知っていたと思える本曲の男でさえもイチコロにしてしまう女がいる。先頃日本の歌手が女と薬を使ったセックスに溺れてついに逮捕された。薬の恐さは本曲がすでにやんわりと伝えていたと言える。そうそう、筆者は昨日も今日も赤ワインを飲んだ。スーパーで買った400円ほどの超安物だが、口に合う。そして相変わらず咳は出るが、薬は飲まない。
by uuuzen | 2014-06-30 23:59 | ●思い出の曲、重いでっ♪
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