胆力も栄養摂取に関係しているのだろうか。先ほど日本がサッカーのワールドカップに敗退したことの原因というのでもないが、ある芸人が肉をたくさん食べていないからではないかとネットで発言していた。瀬戸内寂聴も3,4年前にTVで肉が大好物で毎日良質のステーキを食べていることを明かしていた。
行動の源は体力で、それには肉食に限るという考えだ。筆者は菜食主義というほどでもないが、肉は好んで食べない。歯の隙間に肉の繊維が詰まって後でほじくるのがいやであることも原因だが、肉を毎日食べないことには活力が出ないとは思わない。ところが、精神力を強調するのは今の日本では時代遅れで、まずは充分な栄養を摂れとうるさい。TVのコマーシャルでは健康食品がダントツに多い。みんなそれだけ健康を維持したいのだが、先日ネットにサプリメントの摂り過ぎは早死にするとアメリカでの研究が報告され、その記事を読みまがらあたりまえと思った。だいたいサプリメントは手抜きあって、労を要さずして目的の健康を手軽にほしいという考えがもとになっている。いつも書くように、便利なものには必ず不便もある。食品メーカーはそれを隠し、いいことづくめであることを宣伝し、多くの思考能力に乏しい人たちはコマーシャルを見てすぐに電話するという仕組みだ。筆者は一切サプリメントを用いないし、これまで一粒も手にしたことがない。肉もあまり食べないから、菜食すなわち草食系ということになるが、女性は好きな方で、今でも男性能力は旺盛だ。瀬戸内寂聴が肉食主義者として、それはそれで個人の好みの問題であるから筆者は非難しないし、また最初に触れた肉食を薦める芸人にしてもそう思う。その芸人は財産を蓄えても仕方がなく、生きている間に好きな物をたらふく食べたいと発言しているが、そういう人がいてもいい。70、80になっても毎日厚さ2,3センチのステーキを平らげられるというのは、それなりにあっぱれなことだ。筆者は遺す財産もないし、金も乏しいので草食系でいるしかないところがあるが、肉が好きでたまらないのであれば、そういう人生をこれまで歩んで来たはずで、どんな人でも自分の思いどおりに生きている。ワールドカップではアジア勢が全滅でそのことからしてやはり普段食べる物に勝敗が左右するのではないかと思ってしまうが、そんな単純な問題ではない気がする。肉を食べなかった明治以前の人が体力が少なく、胆力にも欠けていたかとなると、そんな馬鹿な話はないと筆者は思う。むしろ今の方がそうした力は減じているのではないか。それはさておき、めったに病気しない筆者は昨日微熱が生じ、今日はとうとうほとんど1日の半分は寝転んでいた。それに昨日は3リットル近い水分を摂ったのに、今日はほとんどほしくない。夏風邪を引いてしまった。昨日はかなりハードに動き回ったからでもある。微熱は朝からあったが、筆者は薬が大嫌いで、いつも自力で治そうとする。今日は分厚い布団を被ってたくさん汗をかけば翌朝には熱は引いているのではないかと考えているが、さてどうなるかわからない。それで奈良に因むことを毎日投稿しているが、今日はとうとう腹をくくって展覧会の感想だ。これはそれなりに思い切る覚悟が必要だ。発熱しているというのに、たまたま展覧会について書く回りになって、いささか気分が重いがそこは胆力を発揮する。本展は会場内が撮影OKで、一回の投稿では載せ切れないほど撮影したので二回に分ける。これは例外的なことで、さて書くべきことがあるのか心配するが、いつものように雑談主義で行けばどうにかなる。
奈良県立美術館での本展は5月25日が最終日で、その日に奈良に出かけた。筆者はついで主義者で、あるひとつの用事で出かけることをめったにしない。大阪人らしく合理的なのだ。せっかく交通費と時間を使って出かけるからには、3、4つの用事を作ってなるべく全部済ませたい。そういう筆者の態度は母はいいようには思っていない。たとえば母の家に立ち寄るのもついでであるからだ。ほかの用事はせずに、ただ会うために出かけろと言う。確かに、「ついでに寄りました」と言われて嬉しい人はいないだろう。それはさておき、筆者の「ついで主義」はこのブログにもよく表われている。たとえばこうして書く枕に相当する部分だ。本論とはまるで関係ないことを長々くどくどと書いて、ついでだけがあって本論がないと言ってもよい。それでもそのついでが筆者には楽しく、堅苦しい論文を書く気はない。それでまたついでに書いておくと、昨日は「牛突猛進」という題名にした。これはTVのニュースで見た神戸の山手の猪の映像が気になっていたからだ。猪が放送局の男性に噛みつき、怪我を負わせた。それで猟友会が出動してその猪を仕留めた。死んだ猪が横顔を踏みつけられている様子が一瞬映った。それを見て猪が憐れになった。もう死んでいるのであるから顔を踏みつけることはないではないか。猪も生きるのに必死で、また地元ではかわいいと思う人が餌を与えている。その餌の肉を頬張っている猪の映像も紹介されたが、人間は勝手なもので、人を襲ったとなれば殺す。その猪は行動も人間が招いたものだ。猪つながりでもうひとつ思い出す。福島原発周辺は猪が増えているという。捕獲しても肉を売ることが出来ないからだが、猪にとってはありがたい世の中になった。では牛突猛進としても、牛は人間が毎日大量に食べる。高級な品質のその肉を食べる人は金持ちということで、羨ましがられたりする。日本で牛肉がたくさん食べられるようになったのは戦後のことで、それはアメリカのうまい戦略であったとよく言われる。一旦覚えた美味はなかなか忘れることは難しい。それでどんどん肉が消費され、それに伴って体格は欧米人並みになって来た。もう半世紀ほど経てばワールドカップのサッカーで上位に勝ち抜いて行くことが出来るだろう。猪の肉では駄目で、牛に限るという考えがすっかり定着したのはやはり敗戦国であるからだろう。これが日本がアメリカに勝っていれば、戦後間もなく、寿司ブームがアメリカで湧き起ったのではないか。どっちにしろ、健康食が見直され、肉をあまり食べずに魚がよいということになって来ているのに、日本では肉崇拝は廃れない。さて、いい加減に本論に入ろうと思うが、本展は奈良では珍しく、滋賀県立近代美術館でならふさわしかった。現代美術の収蔵品が多いからだ。チラシを見ると、今年4月から7月までは奈良で『現代アートをテーマに、美とふれあい感動を身近に体感していただき、奈良らしい文化芸術の創造と発展を推進するため、「国際現代アート展なら2014」(前期・後期)を開催いたします』とあって、本展はその前期に相当する。後期も見た方がよかったのだろうが、筆者の想像では前期ほどに人は入らなかったのではないか。「奈良らしい文化芸術」とは何かが気になるが、筆者が知る限りでは本展のようなアメリカの現代美術を紹介する展示はめったにないか初めてのことで、これはこれからアメリカ現代美術が似合う街にして行きたいという思いの表われか。奈良と聞くとほとんどの人が鹿と仏像しか思い出さない状態を奈良の人たちは苦々しく思っているのかもしれず、本展は待ち望まれたものであるかもしれない。滋賀県立近美が開館した時、どういう作品を購入するかが考えられ、ひとつの柱として現代美術が選ばれた。京都や大阪にはあまりないものを展示して存在感を出そうという思惑だ。それはそれなりに当たったが、新たに購入する資金がほとんど乏しく、当初の考えは尻すぼみになって来た。現代美術作品を美術館が購入しようというのは、アメリカその他外国の画商の売り込みの影響が大きいだろう。戦後牛肉を食べましょうという洗脳と同じで、ようやく美術に関しても欧米の最先端の作品を持っていないことには世界的に見て恥ずかしいと考えるようになった。牛肉と対比するとアメリカ現代美術の需要はとてもよく理解出来る。これはアメリカの属国になったことを恥じていないばかりか、進んでアメリカになろうとして来たことであって、原発の問題にしても根は同じだ。そしてついにと言うべきか、奈良でも「奈良らしい文化芸術の創造と発展を推進するために」国際現代アートを紹介したいということになった。とはいえ、鹿と仏像だけでは物足りないと奈良の人たちが思ったとしてもそれを責めることは出来ないだろう。だがその一方でこの美術館が去年は「やまとぢから」と題して藪内佐斗司展を開催したことを思うと、その展覧会と本展がどういうつながりがあるのかと首をかしげる。そう思いつつもついでに見ておこうと筆者は行動した。
さて、奈良国立博物館での展覧会を見た後、県立美術館に行くと、さいわい本展は午後7時まで開催中であることを知った。それで不退寺へ先に行くことにした。その寺の門前に着いたのは5時15分前で、拝観を諦めてまた県立美術館に戻った。そうしてゆっくりと見たが、普段は午後5時までなので運がよかった。内部はこの美術館にしては少し多い目の人が入っていた。現代美術を好む奈良県人が多いということか。それは早計で、筆者のように他府県から来ている人を考慮しなればならない。またついでになるが、本展を見た2,3日後に知り合いのAの個展を訪れた。筆者が30を少し超えたくらいから知っていて、日本画家だ。長らく学校で教えていたが、体を悪くし、好きな外国旅行もままならなくなった。その病は糖尿で、人工透析をしていると聞いた。それが20年ほど前のことだが、個展は2年に一度の割合で開き、欠かさず案内が来るので筆者も欠かさず訪れる。Aと知り合ったのは京都市の銅版画の市民アトリエであった。その講師のひとりでもあったが、それも辞めて自身の創作だけに没入している。Aは創作のかたわら、ほとんど全世界と言ってよいほどの旅行好きで、先ごろの個展で知ったが、台湾の故宮博物館にはもう5,6回訪れていて、美術の知識も全世界的だ。そういうところが筆者とは話が合う。昔、奈良であったと思うが、Aとばたりと会った。お互い展覧会を見に来ていたのだ。Aは銅版画を一時やっていたこともあるので、版画についても興味がある。そこで筆者は見て来たばかりの本展について話すと、しっかりとAも見たとのことで、今さらに驚いた。まだ透析は続けているはずだが、体力があまりないというのに、展覧会を見ることにかけても貪欲だ。東京にもしばしば訪れているようで、また日本の古代の造形にも関心があり、筆者は昔一度しか訪れていない大阪府南部のきわめて辺鄙なところにある博物館に近々行くとも語った。で、Aの作品を筆者は昔から見て来ているが、琳派などの装飾芸術と現代アートから影響を受けていて、幅広い知識からしてなるほどと思わせられる。筆者はここ数年は上方の文人画に関心があり、現代芸術とはあまりにかけ離れた気分の境地と言おうか、筆者の内部でどう辻褄を合わせればいいのか自分でもわからないようになっているが、ま、そのことはあまりに話が脱線するので別の機会に譲る。どんな表現にしても、技術と胆力がまず重要で、技術を磨く過程で肝っ玉も大きくなって行くのではないか。そしてその技術は年月を要して身に必ずつくというものではなく、そのような人は初期作からしてその才能が光っている。それはともかく、Aは筆者の絵の才能とでも言うべきものを、市民アトリエの第1回目で見たはずで、その時に筆者が作った作品はドライポイントによる自画像であった。あまりに板をガリガリと鉄筆で彫るので、一緒に大きな机を使っていた他の3名はえらく困った顔をしていた。筆者のその自画像が最も早く仕上がったこともあって、試し刷りの代表として選ばれた。それにインクを埋めて、インクを拭き取り、プレス機にセットしたのはAであった。Aは筆者を自我意識の強い男と見たろう。Aはとても上品な物腰で、いかにも京都人らしい。そうそう、Aの個展で同席した若い画家から個展はがきをもらった。それを見ると、大阪心斎橋で郷土玩具の友の会の例会が開催される日が含まれている。それで見に行きますと言ったはいいが、例会のあった今月22日は西天満の画廊はみな休みで、「ついで主義」は空振りとなった。ああ、洟汁が止まらず、体温が高いというのに、胆力を信じてどうにか今日も書き終えた。