概略と正確の境は人によって思いが違う。1を言って10を悟ってくれるような人ならばいいが、10を言っても1程度しかわからない人がある。そのため、自分が正確で詳細と思っていることが他者には概略であったり、またその反対の場合もある。
筆者は毎日このブログに長文と言ってよいほどの量を書いているが、それは言いたいことを事細かに書いているかと言えば、そう思わない人も当然あって、最初から最後まで概略とみなす人もある。ところが、文章において正確、詳細ということはあり得るだろうか。見ればすぐにわかることを文章で表現することは難しい。と言うより不可能だ。そのため、いくら文字を多く費やしても、それは概略に留まるのではないか。となると、読む手間が省ける分、文章は短い方がいいことになる。長編小説は短編小説ほどに詳しく物語られているかと言えばそんなことはない。かえって文章を短くして曖昧な箇所を多く設けた方が、読者はそこに想像力を働かせる余地が出来て楽しい場合があり、詳細に語ろうとして結果的に焦点がぼやけてしまい、退屈感を与えることもある。話が急に変わる。富士正晴の本を読んでいると、登山道で方向を示す矢印の杭を悪戯ででたらめな方向に曲げてしまう者がいることについて触れている下りに遭遇した。昭和40年代か50年代にそんな事件が相次いで生じ、新聞に載ったことを思い出したのだが、登山する人はみなスポーツ好きでまっとうな心を持っていると何となく思っていた筆者はとても驚き、また人間の恐さを思った。同じ山を何度も登っている人ならばその方向指示が正しいか間違っているかはすぐにわかるが、そんな人ばかりではない。初めて登る人がその指示杭にしたがって進むと、いつまで経っても目的地に着かない。それどころか遭難する恐れがある。そういう子どもでもわかる悪さをなぜ山登りをする人がするのか。筆者はスポーツ嫌いだが、そんな話を知ると、ますます山登りはしたくなくなる。富士正晴がそういう事件に多少言及したのは、当時かなり話題になったからだが、その後人間はもっとましになったかと言えば、決してそうではないことは毎日のニュースを見ていればわかる。自分だけがよければ後の人が道に迷おうが死のうがどうなってもよいと考える、あるいはそこまで思いを馳せずに、気まぐれに方向指示杭を回転させてしまう人というのは、筆者には人間とは思えない。動物以下の邪鬼だ。そしてそういう人がいっぱしの登山を楽しむのであるから呆れて物が言えない。だが、方向指示杭の示す方向が間違っていたので道に迷って死んだとして、その責任を指示杭を回転させた者に負わせようにもそれはまず不可能だ。なぜなら当人はおそらく仲間と一緒に、あるいは誰も見ていない時にそういう行為をするから、犯人は特定出来ない。またそれだからこそ、そんな悪戯をする。同じような事件は最近もネットを賑わした。ただし、自分でそういう行為の写真を撮ってネットに曝すという正真正銘のアホであることを自ら明かしているので、罪は自分で償う分、まだかわいらしい。
さて、奈良の不退寺へ行ったことの後編を書くが、「その2」としたのは少し理由がある。これは「その3」の可能性を示唆している。簡単に言えば、筆者は不退寺の門の前まで行っただけで、中を拝観しなかった。着いたのが午後4時45分で、閉門まで15分しか時間がなかった。それではもったいないので日を改めることにした。そして今度はいつ行くかわからないが、借りを作った感じでいるので、いつかは訪れるつもりでいる。その時まで「その3」はお預けだ。不退寺を拝観していないのに今日は何を書くのかと言えば、その門に至るまでの往復の道のりだ。これがとてもハードであったが、歩き終わってみればそれはそれで楽しかった。家内もそう言った。博物館や美術館の内部を歩いた距離も含めると当日は10キロは少なくても歩いたと思うが、不退寺までの見知らぬ道は古くて落ち着いた雰囲気に満ち、長く歩いても疲れを感じさせなかった。不退寺は近鉄奈良駅から北西にある。その方面は全く知らない。それがまず行く気になった理由だ。京都から近い奈良とはいえ、見知らぬ道をそれなりに歩くのは旅行気分に浸れる。それにネットで地図を調べると、どうにか徒歩で往復出来る距離だ。これが片道8キロや10キロとなればバスを使うが、それほどの距離はない。松山に行った時、バー露口への道のりを調べて簡単な地図を手描きして持参した。それが大きな間違いで、自分で探し当てられなかった。それで不退寺で同じことを経験してはならじと、地図を印刷した。その1枚があれば鬼に金棒だ。その地図は最初の写真だ。青が歩いた道筋で、右端のやや下に「県立」という文字が見えるが、県立美術館からスタートした。その際を北上し、突き当りを左折、川を越えて右折すなわち北上し、最初の信号を左折、200メートルほど歩いてまた北上というように、北西方向にジグザグに道を選んだ。西日が強かったが、汗まみれになるというほどでもなかった。写真の上端中央辺りに赤い印のポイントが見えている。その左に検索窓に記入しているのは、WIKIPEDIAで調べた不退寺の住所だ。それをヤフーの地図に入れて調べたところ、その住所が赤い矢印として示された。つまり、写真上端中央が不退寺ということだ。ところがその場所に行ってみると、別の寺があった。おかしいなと思ってすぐ近くで庭の手入れをしている80歳ほどのおばあさんに訊ねた。すると、山並みに沿って少し西へ行ったところがそうだと言う。その少しは筆者にすれば100か200メートルと思って不思議ではない。なぜなら、WIKIPEDIAに書いてある住所は正しいはずで、その場所を地図上におそらく10メートルほどの誤差の範囲で記されているはずだ。おばあさんに礼を言ってさらに西へと歩を進めた。閑静な古い住宅地で、家の外に出ている人や道で擦れ違う人は皆無だ。最初の写真はその赤い矢印から左方向は青が3本重なっている。これは筆者が迷ってまた元場所に戻り、さらにまた同じ道を歩いたことを示す。つまり、100や200メートル歩いても不退寺は見つからず、不安になったのでおばあさんがいる場所に戻ったのだが、運よくおばあさんはまだ庭の作業をしていた。本当は戻る途中で別の誰かに出会っていればその人に訊いたが、とにかく人通りがない。閉門の時間が迫っているので焦り、ほとんど小走りになって戻り、おばあさんの姿を見つけた途端、10メートルほど離れていたが筆者は大声で「見つかりませんでしたよ!」と、まるでおばあさんのせいのように言った。おばあさんは必死になって説明してくれた。その様子を後で家内に言うと爆笑していたが、不退寺へ行くのに家内は常に筆者の後方50から100メートルを歩き、不退寺が見つからないので戻った時は筆者の後をついて来なかった。それに、またいつものように道に迷ったのかという呆れ顔で、何が何でも筆者は自力で正しい道を知らねばならないと思った。何しろ不退寺であるから、諦めて駅に戻ることがあってはならない。家内に不退寺に行くとは言わずに歩き始めたから、いつになれば目的地に着くのかと、筆者以上に内心不安であったかもしれない。
おばあさんは最初に道を訊いた時と同じ言葉を最初は繰り返した。それは山沿いの道を行ってもいいが、途中でややこしいので、一旦南に歩き、二条通りというバス道沿いに西へ進み、バス停で3つほど先に「不退寺口」というのがあるので、そこまで行けば必ずわかるというものであった。おばあさんの立っている場所から二条通りに出るには100メートルほどだ。だが、南に行くことはせっかく北、西へとジグザグに歩いて来た筆者にすれば「退く」ことであって、容認出来なかった。それでおばあさんの忠告を無視して、断固山沿いの道を行きますと言ったのだが、かわいそうにおばあさんは冷や汗をかいているのは丸わかりで、「わたしももう何十年もそっちの道は歩いていませんから詳しく教えることは出来ませんが、寺が近くなると、石の道標がありますから、それを目当てに行ってください」「あの、途中で右の山手に学校の門とグランドがあり、左は墓地でしたが、それから先はどう進めばいいのですか。学校の向こうですか」「そう、学校を越えてまだ先です。確か墓地の前には狭くて小さな橋があって、それを越えました」。そこまで聞いてまた元の道を歩き出し、途中で家内に出会い、どんどん先を進んだが、確かに学校の南の墓地の前に板を敷いた橋らしきものがあった。そこを通って墓地の向こうに出られるとはまず誰も思わない。それから何度か道を折れながら西へ行くと、ついに「不退寺」と彫った小さな路標が道に際にあった。それで安心したが、振り返ると家内がいない。半ば立腹しながら学校まで戻ると、家内は門の前で学校の先生2,3人に取り囲まれている。その姿を50メートルほど離れて目撃し、大声で呼び寄せた。家内は不退寺へ行くということを知らず、またおばあさんに二度目訊ねた後、筆者は家内に学校の校庭のさらに西に目指す寺があると簡単に伝えて先へ先へと言ったので、取り残された家内は学校の中に入って行き、出口がないので校門に戻り、そして出会った先生たちに「この辺りに寺はありますか」というとんちんかんな質問をしたらしい。その付近にはほかにも寺があって先生たちは面食らったはずだ。家内と合流してまた西へ進むと、またわからなくなった。「不退寺」という路標があったにもかかわらず、それらしき寺がいっこうに見えて来ない。そこでまた庭先で作業しているおばあさんを見かけて訊ねた。今度は明確な答えだ。笑顔で「右に進んで突き当りの右の奥」と返って来たので、もう迷うことはないとさらに小走りになって先を行くと、ついに田んぼ沿いの道の奥にそれらしき門が見えた。最初の写真では左上隅に近い場所だ。それにしてもWIKIPEDIAはひどい。間違った住所を誰かが書き込んだ。優に700メートルほどはずれているではないか。赤い矢印が正しく不退寺の真上に表示されていたなら、おばあさんを困惑させることもなかった。筆者は片道で思っていた倍を歩いた。帰りは違うルートを辿ったが、最初のおばあさんが歩けと言った二条通りだ。確かにその道の方がわかりやすく、また距離も短い。だが、不退寺の正しい場所を知らなかったので仕方がない。それに最初の写真の地図上で青が3本線となっている区間は、筆者にとってはとても印象深い、いかにも奈良らしい道で、それは家内も同じように思った。二条通りは店が多く、どこにでもあるような地方都市の風情だ。山沿いの道は歴史街道で、1000年以上前から変わっていないに違いない。たまにはそういう道で迷うのもいい。以上、不退寺への道を退かなかったことの概略を記す。