嘆きの声をほかの植物は聞いているかもしれないと想像しながら、今夜も雑草を何本か引き抜いた。昼間は隣家に勢いよく伸びている南天の葉をかなりむしり取ったが、数日すればまた伸びている。雑草も同じだ。
雑草とひとまとめに言うのは雑草には悪いので今思い切ってネットで調べることにした。………。30分経過。ようやくわかった。少なくても30年ほどはずっと気になっていた。オオアレチノギクという名前だ。これが筆者が毎日のようにあちこちで抜き取る雑草で、「風風の湯」の前庭の雑草もこれが8割ほど占めている。キクと名前がついているのでキク科で、また大荒地というからこれが生えているときれいな庭も荒地ということだ。この雑草は背丈が50センチまでなら抜きやすい。それ以上になると大変で、根が深くなって、力を込めても根元でちぎれてしまう。また50センチ以上になると花が咲いてすぐにタンポポのようにきれいではないが、綿状の種子が出来、引き抜く際に飛散し、庭はやがてもっと悲惨なことになる。なので、花が咲く前に抜くに限る。これは食べられるのであればスーパーに行かずに済むのに、山羊や羊、鹿は食べないのだろうか。それはさておき、今日は家内とまた「風風の湯」に行った。満月が昇るから、カメラをプラステッィクの桶に忍ばせた。ケータイやスマホ、カメラは風呂場には持って入ってはいけないと注意書きが脱衣場に貼ってあるので、脱衣箱にしまっておく。帰りは9時半で、その頃には満月はちょうどいい高さに上がっているはずで、「風風の湯」の前から撮りたかったのだ。一旦帰宅し、それからカメラを持って出かけるのはゆっくり温泉に浸かった後ではかなり億劫だ。それを考えてカメラを持って出た。予想どおりに満月はちょうどいい位置に昇っていて、3枚撮った。今日はそれを順に載せる。今日はひょっとすれば雨が降るか曇りかもしれないと考え、昨夜の月を撮っておいた。昨夜の投稿を済ましたのは深夜2時前で、これを書いている3階の南向きの窓際から明るい月が真正面に見えた。それをまず撮影し、2階の寝室で花柄のレースのカーテン越しにまた撮った。だが、それを使わずに済んだ。雨の多い頃なので、今月は無理かもしれないとあまり期待しなかったが、昨夜も今夜も見事に晴れた。そしてここ数日はとても涼しいので風呂上りのさっぱりした気分で見る満月は格別であった。最初の写真は玄関を出て右すなわち駅前方向に踵を向け、7,8メートルほど歩いたところで立ち止まって撮った。右の枝垂れは桜で、下方に斜めに走るのは手すり、左下の黒い四角は「風風の湯」の看板で、夜になると点る。これは駅の改札を出て真正面に遠く見える。ということは満月の真下の灯りが駅だ。右端にはホテルの部屋の灯りも見えている。赤いコーンが何個か並ぶのは艶消しだが、これは何のためだろう。工事中ではないから、車を侵入させないためではないか。左に緑が明るく光っているのは小さな公園だ。公園とは呼べないほど小さく、10人ほど立てばいっぱいになるだろう。そこに街灯がつけられた。枝垂れ桜が満開の時に同じ構図で満月を撮影すればよかったが、案外同じ場所には月は昇らない。2枚目は同じ桜の木の右手に立って撮った。葉ばかりでは雑草のように見える。3枚目は道を越えてホテル北の大きなガレージの前に立ったものだ。家内が何度も筆者を呼びながら手招きした。1,2枚目を撮って家内に追いつくと、電線が写らない場所なので絶好の撮影場所と言う。それはそうだが、今月は満月だけではなしに手前に何かを写し込みたかった。それでわざと満月を左上隅に置いてホテルの明るい窓がいくつか入る構図にした。最近は満室ではないが、8,9割の部屋の灯りは点いている。
話を戻すと、「風風の湯」の玄関前に行くのに、筆者と家内はいつも先の看板の左脇を越えて芝生に踏み込み、一直線、つまり最短距離で向かう。本当はぐるりと迂回して石段を下り、コンクリートの道を通らねばならない。それがどうも面倒で、仕切りとなっている竹を越えて芝生内に入る。周囲にはツツジの低い木などがあるが、それを越えなくても一直線に玄関にたどり着く。芝生に入ると雑草が目につく。それで今日もオオアレチノギクを4,5本抜いた。そこは先日抜いたのでもうないはずだが、数日で同じように伸びて来る。筆者が風呂桶を持ってしゃがみ込み、雑草を抜き始めたのを見て家内は呆れ果てた。雑草を手にして玄関に着くと、家内は当然言う。それをどうするの。それはそうだ。玄関脇に庭に散水するためのホースが置いてある。20メートルほどはあるだろう。それを器具に巻きつけてある。そのすぐ際に雑草の束を置いた。明日の朝から昼までの間、勤務する誰かがそれを見る。そして片づける。ついでに庭のあちこちの雑草を抜けばいいが、まずそんなことはしない。それどころか、いったい誰がこんな雑草をこんな玄関前に捨てたのかと怒るかもしれない。散水ホースがあるということは、庭をきれにすることは一応しているのだろう。では雑草は生やしっ放しでいいのか。水やり行為は雑草を成長させてもいる。まさか従業員が雑草を知らないわけではあるまい。雑草にすればそう言われるのが心外かもしれないが、どことなく刺々しい雰囲気のある葉がにょきにょきと生えて来れば、誰でもそれを雑草と認める。大荒地菊といういかにも雑草の王様のような名前だ。毎日抜けば作業は少なくて済む。数日から1週間を置いて作業する筆者でも大変であるから、筆者が抜かないのであれば今頃玄関前の芝生には人の背丈ほどのオオアレチノギクが密生している。先週の金曜日は露天風呂の庭でオオアレチノギクとオニタビラコを見つけた。50センチほどのものが全部で20本ほどか。それを2か所に分けて置いた。翌朝作業員がわかるような場所を選んだ。さすが今日見るとそれはなかった。そして狭い庭でもあるからだが、1本も雑草は見当たらなかった。あればまた抜いたが、裸で雑草を抜く姿を想像した家内は恐い顔をした。よけいなおせっかいはやめておけということだ。確かにそうだ。誰も喜ばないだろう。作業員は自分の失態を咎められた気分になる。それに入湯客も筆者が裸で雑草を抜いている格好を見るのは気分がよいことではない。やるならば誰も見ていない時だ。それくらいはわかっているので先週はなるべくそういう頃合いを見計らった。筆者も裸で変な作業をしているところを見られたくない。それはさておき、雑草が1本もない露店風呂の庭は見ていて気持ちがよい。女風呂にも同じような庭があるから、きっと雑草も生えている。そして誰もそれを抜こうとしない。そこで想像する。肉がだぶついたおばちゃんが裸で雑草を抜く。やはりその恰好は見られたものではない。恐いものを見た時のように悲鳴を上げてしまいそうだ。そうそう、抜かれる雑草は殺されるも同然で、根が土中から離れた途端、人の耳には聞こえないほど小さな声で「キャッ」とか「殺生!」とか、悲しい声を上げているかもしれない。今日は馬鹿らしい雑草談義になってしまった。風呂から帰って夕方にトモイチで買った100円の缶ビールをグラスに注いで飲んだ。天国のような気分だ。脱衣場で体重を測ると今日の昼に食べ過ぎたので65キロを超えていた。これはまずい。サウナに4回出入りし、合計30分入って1キロ落とした。それでも腹が少し出ているので今夜は100円ビールを飲んだだけで、食事を抜いた。サウナでは3週間前に顔見知りがふたり出来た。今日はさらに話が弾んだ。ひとりはわが自治連合会区域内の自営業で小柄で白髪、逞しい体、75歳と聞いた。もうひとりは大覚寺の近くに住むと言うが、公家のように物腰が柔らかく、また身振りも言葉使いも上品、そして長身できちんと整髪している60代後半だ。ふたりは「風風の湯」に通って半年ほどで、その間に知り合った。筆者は新参だが、すぐに打ち解けた。ま、筆者は誰とでも話を合わせる。3人でサウナの中で大声で話し合っているうちにすぐ10分ほどは経ってしまう。また来週と挨拶をして先に出て、家内が待っている休憩室に向かい、2,3分くつろいでから表に出た。目の前に月が突如見え、これ以上明るくないというほどに照っていた。