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👽💚🐸🐛🍀📗🤢😱5月11日(土)、京都河原町三条下るLive House『DEWEY』にて👻『ザッパニモヲ 💐母の日LIVE』午後5時開場、6時開演。3500円👽筆者の語りあり。
●今回は初めての別会場での、そしてザッパ/マザーズの結成日である1964年の「母の日」から60年という節目における、ザッパニモヲの演奏です。チラシ画像はここ。恒例の手製のお土産をくじ引きで配布します。

●薔薇の肖像、その4
(ヒヨドリ)がグミの木から飛び立った。一昨日書いた小川沿いの木からだ。今日はその前を郵便局に行く際に二回往復した。正確に言えば二往復と少しの片道で、二往復した後にグミの木があったことに気づいて30メートルほど戻った。



●薔薇の肖像、その4_d0053294_21465839.jpg

一昨日も書いたように、その家にグミの木がある。今年のように1000以上の無数の実が成っているのを見たのは初めてのことだ。3メートルの高さほどに成長しているので去年や一昨年も実は成ったと思うが、わずかであったかもしれない。これも一昨日書いたが、その家には柿と柘榴の木もあってどちらもとてもたくさんの実をつけるのに、放ったらかし状態で鳥が全部食べる。今日気づいたが、グミの木の真横にイチジクの木があった。これも実をつけるがさすが家の人が食べるのではないか。グミ、柘榴、イチジク、柿と、これだけ実の成る大きな木が揃っていれば楽しい。今日はその家の前を二往復したのに、どちらの場合も30メートルほど行ってからグミの実が成っていることに気づいた。その理由は、小川を挟んで真向いの家にいつも目が向くからだ。花好きの60代後半とおぼしき男性がよく世話をしていて、薔薇その他、いつも見事な花が小さな花壇に咲いている。筆者はいつもそれに気を取られる。小川を挟んでいない分、よけいに目につくとも言える。今は軒下すれすれにまで成長して大きな花を咲かせている薔薇が数種と、数メートル離れると薔薇と間違えそうな、名前の知らない赤やピンク、白の大きな花が盛りだ。50メートルほど離れてもその花壇に目が行く。遠くからそれを見定めて歩き、その花壇の前に来ると少し立ち止まって薔薇を見つめる。そしてまた歩き出すのだが、30メートルほど行ってグミがあったなと思い出す。それが二往復ともそうであった。苦笑した。それで二往復すなわち4回通過した後、グミもしっかりと見てやろうと思い、わが家に向かっていたのに、踵を返して30メートルほど戻った。その時に鵯がグミの木から飛び立ったのだ。食事中であったのに悪いことをした。グミの実は少し減っているように感じた。鳥がせっせと食べているのだろう。いいことだ。それはともかく、グミに気づかず薔薇に目が行くのは、やはり花が見事であるからだ。何でも目立つものとそうでないものがあるが、それは人によって、また動物によって違う。鵯の眼には薔薇はどうでもいいだろう。蝶はグミに関心がなく、薔薇を目指す。それに、薔薇や美しい花を花壇で育てる人もあれば、鳥のことを思っているのかどうか、グミや柘榴、柿の木を植える人もある。花でも実でも、筆者は楽しい。それでいて自分で植物をうまく育てる才能や考えはない。そう思えば先に書いたグミの木に対峙する形で数種の立派な薔薇を育てている60代後半の男性は立派だ。筆者には真似が出来ない。その人の姿はよく見かける。定年になって終日家にいるようで、することがないので花の世話をしているといった感じだ。その花壇は幅が30センチほどしかないが、長さは6メートルほどあるだろう。そんな狭い花壇は、そのすぐ前に車一台通ればぎりぎりの状態で、花は車が恐くて道にはみ出して咲くことは出来ない。それもあって薔薇は軒下すぐの高さのところまで伸びて咲いているのかもしれない。せせこましいが、陽当たりがよい花壇だ。きれいな花でも植えようという思いは趣味としてはよい。定年になったから始めたのではなく、昔からそこはそうだ。よほど花好きと見える。また花はたいていは男性が世話をしている。それがどちらかと言えば知的な顔をした人ではないのがまた筆者には面白い。知的な人は花の世話など面倒臭く、書斎に引きこもってしかめ面をしている。そしてごくたまに花のことを思うだけで、それをしげしげと見たことがない。
●薔薇の肖像、その4_d0053294_21461291.jpg

 そうそう、郵便局に二度目に向かったのは昼ごはんを食べてしばらくしてからで、午後1時少し前であった。前述の花壇を見た後、100メートルほど行くと左手に畑が2か所ある。その2か所目の来た時、かすかにまた管弦楽曲が聞こえた。一昨日と同じ時間帯だ。前回は山手から聞こえて来た。ところが今日は畑の向こうの保育園からで、全くの反対方向だ。しばし畑の前に立ってどこから聞こえて来るのかを確かめた。どうも保育園らしい。それで郵便局とは反対方向に道を折れて保育園の玄関前に行ったが、また別の方向から聞こえる。保育園の真向いに住宅が数軒あって、そのどれかの2階で大きな音でステレオを鳴らしているのかもしれない。そう思ってその付近をうろついたり、しばし立ち止まったが、やはり違う。保育園よりずっと先だ。50メートルほど行くと阪急の踏切があって、それを越えるとすぐに小学校の正門がある。ようやくわかった。校庭から鳴り響いている。昼食の時間帯で、校内放送でクラシック音楽をかけているのだ。一昨日と同じくバッハの「G線上のアリア」で、踏切を越えたところに立ちすくんで聴いた。見慣れた小学校がまるで違ったように感じられる。実に気持ちがよい。またしみじみとした気分になった。だが、小学生はそういう音楽をどう思っているだろう。誰がそんな音楽を鳴らすことを決めたのかと言えば、児童らではないはずで、やはり校長か教頭だろう。一昨日筆者がかすかに耳にしたのはその校庭で鳴っていたものだ。それが反対方向の山手から聞こえたのは風のせいか、それとも山に反射したものが聞こえたのかもしれない。山全体から鳴り響いているように錯覚をしたが、一昨日筆者が立ち止まって聴いていた場所と校庭との距離は200メートルほどだ。その間には家がたくさんあって、道は一直線ではない。校庭のスピーカーは体育館の屋根に近い高さにあって、風に乗るかして山に反射するのは当然であろう。そう言えば「G線上のアリア」は薔薇によく似合う。果物をおいしく育てるにはモーツァルトの音楽をかけるとよいといった話を聞いたことがある。薔薇の切り花を育てている農園では案外クラシック音楽をかけて花に気分よく育ってほしいと思っているかもしれない。音楽は人間が作るもので、植物にわかるはずがないと科学者は言うはずだが、手間をかけた分きれいに成長してくれると信じる人間の性は永遠になくならない。迷信めいたことでもそれなりに意義がある。学校の給食時に「G線上のアリア」はいかにも高踏的で、児童たちは寛ぐどころか緊張するのではないかとの意見もひょっとすればあるかもしれない。だが、給食時でなければいつ彼らはそうした曲に触れるだろう。一生縁のない子もいるはずで、自宅のTVでよく流れている流行歌を学校にまで持ち込む必要はない。そう思うと、やはり薔薇を育てるにもバッハやモーツァルトの音楽は効果的なのではないか。人間は薔薇を美しいと思う。そして「G線上のアリア」もそう思う。そのふたつを結びつけるのは自然な考えで、また薔薇が機嫌よくその音楽を聴くのも自然ではないか。
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 「G線上のアリア」を最後まで聞かずに郵便局に向けて歩き出すと、校内のチャイムが鳴り始めた。それが終わると同時に「G線上のアリア」も中途半端に消えた。何事にも終わりがある。それはいきなりだ。そして終わったことに人間は注意をいつまでも払わない。郵便局に着くまでに左手に保育園がある。その前を通り過ぎる時に、向こうから体格のよい40代の女性が大きな乳母車に2,3歳の子どもを6人も載せてやって来た。天気がよかったので食事後に散歩して来たのだろう。6人の子どもたちはみなどこかさびしげでおとなしく、その様子が借りて来た子猫の集まりに思えた。保育園の玄関扉の前には自分の子を自転車で迎えに来ている若い母親がいて、保母さんから引きわたしを受けていたが、先の乳母車がその場所まで10メートルほどに接近した時に筆者は乳母車と擦れ違った。子どもたちは母親か父親が迎えに来るまでにまだかなりの時間があるのだろう。笑顔を絶やさず、いかにも包容力のある保母さんのようで、乳母車の子どもたちは孤独ながらも安心しているだろうが、やはり他人より両親がいいに決まっている。乳母車に6人も押し込まれ、2,3歳ではまだ他の子と仲よくなるには早過ぎる。むしろ、いやなことをされる子はされっ放しとなって、いい思い出を育まない場合が多いのではないか。保母さんたちは怪我をさせないようにするのに必死で、子どもたちの精神衛生まで気が回らない。また2,3歳では精神と呼べるものを持っていないと思いがちではないだろうか。乳母車と擦れ違った直後、30代らしき父親が2,3歳児を胸に抱きながら小さな乳母車を押していた。乳母車には生まれて数か月ほどの赤ちゃんが眠っていた。保育園とは関係がないと思うが、乳母車にいる子がとてもかわいらしく、筆者の顔はほころんだ。筆者にもそんな赤ん坊の時代があり、息子にもあった。誰にでもある。大人はそれをきれいさっぱり忘れ、赤ん坊をかわいいと思う。保育園を過ぎると郵便局まで100メートルもない。右手に新築中の大きな家があるが、その手前は最近建った家で、道路に面した庭端に薔薇が数本植えられたばかりだ。細い金属の棒を組んだ高さ2メートルほどのフェンスがあって、そこに沿って薔薇は成長するはずだが、今は苗木からまださほど大きくなっておらず、高さ50センチほどだ。花はちらほら咲いている。ただし、まだ貧弱だ。花より目立つのは種苗業者が苗木に取りつけていたカラー写真の名札で、それが花とは違ってフェンスのこちら側すなわち通行人に丸見えの状態でぶら下がっている。あえてそうしているのだろう。まだ立派な花が咲かないので、せめてこういうきれいな花が咲くのですよという意志表示だ。その名札を手に取って見ると、京成薔薇園の文字が印刷されていて、東京から通販で買ったことがわかる。1メートル少しの間を取って何本かが植えられていて、それらがフェンスの高さにまで育ち、またその向こうの家の壁がほとんど見えなくなるまでには何年かかるだろう。薔薇を育てるには理想的な庭で、陽当たりも風通しもよい。薔薇は蕾の形が面白いが、それは大きく咲いた花の周囲にたくさんつく。その様子は大きな乳母車を押す体格のよい保母さんと乳母車の中に詰め込まれた6人の2,3歳児のようだ。そして保母さんがいずれ老いると、今の2,3歳児の中からまた保母さんが出現する。それも薔薇と同じだ。
●薔薇の肖像、その4_d0053294_21464065.jpg

 さて今日は嵯峨の「ラビアンローズ」とその近くで撮った薔薇の残り20種の写真を載せる。そのためにはこの段落を仕上げねばならない。今日思い出したが、「その1」と「その2」に載せた40種の薔薇は嵐山と梅津を回って撮った以外の写真を含む。その数はたぶん3種で、京都のわら天神近くの西大路通り沿いで撮った。ついでに思い出したが、その日市バスに乗りながら、西大路四条を少し上がったところで真っ赤な薔薇を見かけた。バスを待っている間に気づけばよかったが、少し距離があったのでわからなかった。車中で思ったのは、立命館大学の国際平和ミュージアムで展覧会を見た後、戻って撮影しようということであったが、2時間少し経ってから西大路四条に戻った時はもうその薔薇の咲く場所まで歩き気がしなかった。家内と一緒であったからで、筆者ひとりなら行ったと思う。あるいは記憶をたどると、薔薇のことを思い出した時はすでに西大路四条の交差点から、つまり薔薇咲く場所からは少し遠いところにいた。それほどに筆者の記憶は緩くなって来ている。それは最初に書いたことからも明らかだ。今日はグミの実が大量に成る木の前を二往復しながら、二往復ともそれに気づかず、薔薇を見ていた。それはグミが気にならないというのではないはずで、単に筆者の注意不足、記憶の薄れだ。さすが二往復した直後、30メートルほど過ぎて「あれっ、グミはどこだったかな」と思い出して後戻りしたが、それと同じようなことがどうも最近は頻繁に起こっている気がする。それでもこうして思い出して書いていることは認知症の予防に多少は役立っているのではないか。顔や体に皺や染みが増えることは脳細胞も老化している。薔薇の花にたとえれば、もう筆者は外側の花びらはすっかり縁が茶褐色に染まっている。そんな薔薇の肖像は誰も振り向かないから、来年はそんな枯れ始めた薔薇ばかり撮ってやろうか。それを今日の写真と同じようにして載せると、みんなギャーと叫んで眉間に皺を寄せるかもしれない。老化に向かうとそんな悪趣味をしがちになる。これは長年生きて来て、精神も崩れて来るからだろう。だがそうなった時からが面白いという意見もある。芸術家が老齢に達した時に今までになかった勢いを得るのは、もう残り少ない人生で、何がどうなってもかまわないと腹を括るからでもある。薔薇もきっとそうで、枯れ始めた頃からが本性を現わすと見ることも出来る。ところで薔薇の実には鵯が飛来するだろうか。ジャムにして食べられるからには甘いと思うが、鳥は食べないのかな。雀や燕は無理としても、鵯なら何となく食べそうだ。薔薇の実は種子が多いはずで、鵯はそれを空からぺっぺと吐き出す。それがわが家の裏庭に落ちていつの間にか勝手に薔薇が育つ。そんなあり得ないことを想像しながら、あり得ないことなどないとも思う。
●薔薇の肖像、その4_d0053294_2147537.jpg

by uuuzen | 2014-06-06 23:59 | ●新・嵐山だより
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