典拠するに足る本がキャプテン・ビーフハートについて書かれているのかどうか。ビーフハートの「マジック・バンド」のメンバーがそれなりに親分のビーフハートについて思い出を書いているのだろうが、筆者はまともに読んだことがない。

先日はYOUTUBEでビーフハートの曲をかなりうまくカヴァーしているバンドを見かけたが、やはりオリジナルの迫力に欠ける。ビーフハートのヴォーカルの魅力が大きかったからだ。だが、彼の音楽はその味だけに留まらない。白人でブルースを元にした音楽を演奏するミュージシャンはアメリカなら誰でもと言ってよいほどだが、ビーフハートにはどこに由来するかよくわからない曲が少し混じる。それが絶妙の隠し味となって、ビーフハートの全体像を誰も真似の出来ない異質なものにしている。これは否定的に見ればブルース・ミュージシャンになり切れない白人の弱さと言えるが、肯定的に言えば黒人にはかなわない狂気めいた知性だ。こう言えば黒人には知性がないかのような人種差別的な発言に聞こえてしまうが、意図してか無意識か、白人のブルース・ミュージシャンは黒人には本質的にある独特の粘りっ気のようなものを得られない代わりに、その分いかにも白人らしい要素を持ち、その質の違いによってそれぞれが住み分けられている。そしてビーフハートのその質は、白人の中でも飛び切り風変りで、音楽以外の関心に大きく由来しているように見える。筆者はビーフハートの初期の強烈に響く低音の声が好きだが、それを取り去ってもなお価値を認めたい。また、ザッパと本格的に共演した1975年以降の、いわば後期マジック・バンドは洗練されているがその分味気なさを感じる。その時期に佳作はいくつかあるが、絶頂期は60年代末期から70年代初頭で終わっていたと思う。となると、その後のビーフハートは抜け殻同然であったかということになるが、YOUTUBEで見る1978年以降の演奏する姿はそういうように見える。それが悲しくもあり、また人間はみなそうなる定めにあることを身をもって示してくれているようで、目を逸らすことが出来ない。それに、すっかり枯れたようなその姿は空威張りをしない態度を示していて、とても好感が持てるほどだ。偉そうぶらない有名人は少なくないが、78年以降のビーフハートは威張るといった考えから遠くあった。森から切り出したばかりの木のようにどこか素朴で、それが痛々しいほどだが、言い代えれば幼ない子どものように純粋で無垢ということだ。そういうところはザッパにはなかったと言ってよいが、最晩年、癌が深刻化してからはいささか違った。
筆者がビーフハートのLPを初めて見たのは大阪心斎橋の三木楽器店で、輸入盤の『TROUT MASK REPLICA』であった。発売されて間もない頃のはずで、筆者は20歳になっていなかったと思う。ジャケットの裏表を何度か見ながら、いったいどういう音楽なのか全く想像出来ず、裏ジャケットのメンバーの写真が強く印象に残った。そのアルバムがビーフハートのものであるとしっかり思い出したのはザッパの曲を聴き始めた1972年のことで、ザッパの『HOT RATS』の見開きジャケットにビーフハートの写真が載り、また1曲歌っていることを知り、やがて『TROUT MASK REPLICA』を買った。そうなると立て続けにほしくなった。ところがなかなか入手出来ないものがあって、新作の発売に追い着いたのはザッパとの共演アルバムの発売前後で、3、4年要した。全部と言っても当時10枚に満たない。その中で一番よいと思ったのが今日取り上げるギター曲を収録する70年発売の『LICK MY DECALS OFF,BABY』で、その考えは現在まで変わらない。また、別の意味で驚いたのは74年発売の2作で、特に後者の『BLUEJEANS & MOONBEAMS』は否定的に語られることが多いが、筆者はそれなりに好きだ。ビーフハートらしいギクシャクした曲ではなく、ストレートなブルース、物悲しい本来の意味でのブルースが詰まっていて、そういう部分をもビーフハートが持っていることに多少ほっとさせられる。同アルバムではJ.J.ケール作詞作曲の「SAME OLD BLUES」のカヴァー曲が収められているが、同曲は74年発売のケールの3枚目のアルバムの最後に入っていて、ビーフハートがいち早くそれを聴いてカヴァーしたのだとすれば、その目のつけどころに驚く。ケールの同アルバムは5月発売で、それはビーフハートの同アルバムの半年前だ。半年もあれば充分だが、当時ケールはさほど有名ではなかった。それにケールは83年以降はほぼ10年間、売れずに活動を停止するも同然で、ほんの一握りのミュージシャンを除いて、ブルースでは飯が食えなかったのだろう。ケールと同様のことがビーフハートにも言える。74年以降さっぱり売れず、無一文同然となったビーフハートをザッパが手助けする形で一緒にツアーに出た。そして78年以降の復活ということになるが、それもアルバムを3枚出しただけで、音楽活動は停止し、画家人生に埋没する。ビーフハートにとっての作画と音楽活動の関係を論じた書物があるのかどうか。筆者はアルバムに載せる絵以外はあまり知らず、音楽のように明確な印象を抱きにくいと思っているが、それは誰しも似たようなものではないか。やはりビーフハートは作詞作曲する音楽家という評価だ。

話を戻して、ビーフハートがJ.J.ケールのアルバムを聴いていたとするならば、ケールの歌声をどう思っていたのか気になる。ビーフハートとケールはブルースで共通しても、発生はまるで正反対で、ビーフハートの黒人ばりの低い声が大好きな人は、ケールのささやくような歌では物足りないだろう。最近また筆者はケールの音楽を頻繁に聴いているが、どこがよいのかと言われれば、その優しい人柄がよく表われているところだ。つまりは音楽が威張っていないことだ。ではビーフハートの音楽はそうではないのかと言えば、それも違う。やりたいようにやってそうなったというのがビーフハートの音楽で、そこに嘘がない。その点ではケールと同じなのだ。ケールがビーフハートの音楽をどう思っていたかわからないが、ビーフハートはよいと思っていたに違いない。自分とは正反対の音楽だが、いいものはいいのであって、また正反対であるから惹かれもする。それはともかく、筆者はビーフハートによって初めてケールの音楽に触れ、実際にアルバムを買ったのはそれから10数年後のことで、えらく遠回りをした。今となってはビーフハートもケールもこの世におらず、人生の不思議さと虚しさのようなものを感じている。さて、ビーフハートの曲を聴いた人は誰しもまず思うことは、メンバーがよく練習し、複雑なリズムとメロディをうまく演奏していることだろう。ビーフハートはヴォーカリストで、楽器はアルト・サックスとハーモニカを演奏した。作曲にはピアノを用いたようだが、充分弾きこなすというほどではなかったようだ。ではどのようにして作曲したか。これが謎めいている。ザッパのように楽譜が書けたとも思えず、ザッパもメンバーに対して行なったように、口でメロディを唱えてそれを演奏させたのがほとんどだろう。メンバーはビーフハートの頭の中にあるイメージを具現化したと言えばよく、少しずつ演奏して行く間に形が整って行ったに違いない。そうなれば、先ごろの佐村なんとかの事件と似たことになりそうだが、ビーフハートの場合は歌うことが出来たから、メンバーはそれに音を合わせるという行為でよく、やはり作曲家はビーフハートであって、メンバーはその補助を多少したという程度に留まるだろう。そして、ビーフハートは強烈な個性の持ち主で、そのカリスマを前にメンバーは異論を唱えるといったことを考えられなかったに違いない。それでも各楽器はその担当者が個性を発揮するから、ビーフハートの音楽の幾分かはメンバーのお蔭を被っている。
そのことが最も言い得るのは今日取り上げるようなギターないしそれを中心とするインストルメンタル曲だ。ビーフハートにはそういう曲がたまにアルバムに含まれる。本曲はLPのB面の3曲目に収められていて、A面4曲目の同様のインストルメンタル曲の「PEON」と対を成す格好となっている。この2曲がそれぞれいわば薔薇の棘のように強烈で、耳慣れない曲の合間にあって、薔薇の花のような清涼剤的な役割を果たしている。他の曲も2分程度の短い曲で、ビーフハート以外には誰も書かないような個性を持ち、よくぞ1970年にこういうアルバムが作られたものだと思わせられるが、こういうアルバムは一回限りの火花のようなもので、同じ強烈さを保ちながら、全く耳新しい音楽をやり続けることはまず不可能だ。それをビーフハートは知っていたはずで、78年以降に3作しか残さなかったのは、年齢にもよるが、水で薄めたような作品を量産しないことを決めたからではないか。その一種の潔さは本曲を収録するアルバム全体にも言える。どの曲も2分前後の長さに言いたいことを凝縮し切っている。ある1曲の中間にソロを入れ、10分程度の長さにすることも出来たであろうが、アルバム『MIRROR MAN』以外にはそのようなことは行なわなかった。それはビーフハートが即興演奏に弱かったからではない。自分ひとりで演奏するには、『TROUT MASK REPLICA』にいくつか収められるように、詩の吟詠という形を取るしかなく、またそれは詩がまとまった形を持っているのであればいつもほとんど同じものになった。それと同じことが楽器の演奏を伴う歌になった場合にも当てはまった。つまり、ビーフハートの複雑で変わっている音楽は、詩が中心であり、楽器の演奏はそのムード作りの機能を持っている。そのため、ステージで演奏してもレコードに収録されるヴァージョンと同じになる。それはビートルズと同じで、ビーフハートの音楽はレコードで楽しむものと言ってよい。では、今日取り上げるような詩を伴わない曲はどう考えればよいかだが、「ONE RED ROSE THAT I MEAN」(わたしが考えるひとつの赤い薔薇)という題名が詩となっていて、その短い言葉から音楽を聴く者は自由に想像する。これはビーフハートが言葉少なに曲を書き上げたことになるが、赤い薔薇の花の前で言葉を失ったと考えるのもよいし、薔薇の持つ雰囲気を言葉ではなく、また絵として描くのでもなく、エレキ・ギターの音色として表現したかったとするのもよい。そして、それは音楽家であることを表わすが、楽譜に書いて自分がギターで演奏したのではないから、作曲家と言い切れない曖昧さを感じさせる。だがそれこそがビーフハートの謎めいた持ち味で、そのことが赤い薔薇の神秘性と相まって、ほかの作曲家のギター・ソロ曲では絶対に味わえないような典雅さとでも言うようなものを醸し出している。
本曲を演奏したのはズート・ホーン・ロロという長身のギタリストで、ソロ・アルバムも出している。彼はビーフハートについて本を書いているが、筆者は読んでいないから、本曲についてどう書いているのかは知らない。この曲は78年以降のマジック・バンドに入ったゲイリー・ルーカスも演奏していると思うが、一音たりとも編曲していないはずだ。そうなると、演奏家による個性が出ないようだが、それを言ってしまうとクラシック音楽は誰が演奏しても同じことになる。YOUTUBEでは本曲をカヴァーしているギタリストの演奏をいくつか聴くことが出来、どれも演奏者の個性がよく出ている。もっとも、演奏の技術がズートほどには至っていないものが目立ち、もっと多くの演奏がなされることが期待される。またズートの演奏は1か所ごくわずかにリズムが遅れる。それがこの曲の演奏の難しさを物語ると同時に、機械による演奏でないことを実感させ、薔薇の命のはかなさのようなものを想像もさせる。それにしてもビーフハートは自然が好きであったようで、その点はJ.J.ケールと通じている。「赤い薔薇」と言えばきざなヤクザのイメージがつきまとうが、そう言えばポール・マッカートニーも『RED ROSE SPEEDWAY』というアルバムを作ったことがあって、そのジャケットでは赤い薔薇を口にしていた。ビーフハートの場合はポールとは違って、もっと強烈でしかも似合っている。そこがビーフハートの特質で、黒人のブルース・ミュージシャンではまず赤い薔薇に寄せた曲を書いたりはしないのではないか。それはザッパももちろんそうで、ビーフハートは都会人ではなく、どちらかと言えば中国の昔の文人のように、静かな自然の中での隠遁を好む。そういう音楽家があたりまえに優しく響いて来るような曲を書かず、これ以上風変りはないというほどの時代の流行に無関係な作品を遺したのであるから面白い。さて、今日は本曲を収録するLPのジャケット写真を載せる。どこかの屋敷内で撮影したマジック・バンドのメンバーは最も手前のビーフハートの顔がすっかり落書きされて実相がわからず、また他のメンバーはヤクザ者といった雰囲気がある。この写真を見てアルバムの音楽を聴くとさらに驚かされる。ビーフハートは日本ではまず絶対に出現しないような人物で、アメリカの広大さ、奥深さがよくわかるような気にさせられる。さて、今日は最後にもう1枚写真を載せる。「薔薇の肖像」と題してすでに2回投稿したが、最初に撮影したのが今日載せる薔薇の写真だ。先日書いたように、それは忘れ去られたような古ぼけた店の前に忘れ去られたように咲いていた。陽当たりがよい場所なので、放ったらかしでも毎年たくさん咲く。筆者が意味したい赤い薔薇はこの写真だ。それをちょうど今の季節、本曲を聴きながら眺めるのは何とも満ち足りた気分だ。