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👽💚🐸🐛🍀📗🤢😱5月11日(土)、京都河原町三条下るLive House『DEWEY』にて👻『ザッパニモヲ 💐母の日LIVE』午後5時開場、6時開演。3500円👽筆者の語りあり。
●今回は初めての別会場での、そしてザッパ/マザーズの結成日である1964年の「母の日」から60年という節目における、ザッパニモヲの演奏です。チラシ画像はここ。恒例の手製のお土産をくじ引きで配布します。

●薔薇の肖像、その1
三」と変換されたのでどこかで見た字面だと考えると、「尚蔵」であった。今度はその意味を調べる。すると「蔵司の長官」とある。蔵司の長官の名前が「尚三」であれば面白いが、そういうこともあり得る。



●薔薇の肖像、その1_d0053294_23491436.jpg

それはさておき、「三の丸尚蔵館」にはまだ訪れたことがない。これを「三の丸蔵司の長官館」と書き変えると、「長官館」が「ちょうかんかん」となって、超いかんが、如何ともし難い。それもさておき、「尚三」ではなく「肖像」だ。「三の丸蔵司の長官超いかんが如何ともし難い館」には若冲の薔薇の絵もある。今はちょうどそれを思い出す季節となっている。筆者は薔薇が大好きというほどでもないが、鋭い棘がいっぱいあって、花の形がきれいなのはよい。薔薇を描く時、この棘は無視出来ない。薔薇らしくあるためにはこの棘を強調して描けばよいほどだ。痛々しくも美しいのが薔薇だ。薔薇の切り花を買うと棘を全部取り除いてくれるが、棘がない無防備な薔薇は薔薇らしくない。そのため、「薔薇の肖像」と題して写真を載せるとして、花だけ切り取るのは問題がある。だが、植物を人間にたとえると花が顔に相当すると思うのは誰しもだろう。薔薇の方はそうは思っていないかもしれないが、薔薇は物を言わないのでわからない。それに植物を人にたとえるのは無茶かもしれない。人の脳や手足が薔薇のどの部分かとなると、咄嗟に答えられない。それでも花が頭部で、茎が胴、葉が手足と思うのがこれまた誰しもであろうし、薔薇の花のみを薔薇の肖像としておくことのは妥当に思える。一方で花には雌蕊と雄蕊があって、生殖器であると言う人がある。匂いもあって色気が漂うところからその考えは否定し難いが、花が生殖器であるとすれば、頭はどこになるかと言えば、これは地中の根となる。それでは植物は逆立ちして性器を世界に向けて広げている破廉恥な生物ということになり、そういうエロティックな植物というものに関心を寄せる人はスケベエと言えそうだ。それを自覚しながら、予定では今日から6回に分けてここ10日間に撮影した薔薇の肖像もしくは性器のクローズアップ写真を載せる。昨日書いたように、天王寺公園内の薔薇苑で去年たくさんの薔薇の写真を撮り、その大部分を昨日と14日に投稿した。没にするのが惜しかったからだが、よく見直すとさほどでもない。特に花が小さく写って群れとなっている写真だ。それは薔薇と言われなければそうとはわからないほどで、ほとんど意味がない。それが不満で、薔薇とはっきりわかる写真を撮ろうと思った。ちょうど今頃は薔薇があちこちで咲いていて、決めればすぐに実行出来る。実際そうした。最初に撮ったのはスーパーのトモイチのすぐ近くで咲いていた真っ赤な品種だ。それをどのように加工しようかと迷った。いつものように500×360ピクセルにすると、花や葉以外のものがたくさん写る。それもいいが、薔薇だけに注意を引くにはまずい。それで花だけを切り取るとなると、長方形の画像では具合が悪いから、正方形にするしかない。それなら花だけを収める格好になる。葉や棘は無視だ。500×500ピクセルでは大きいから、250×250にした。それを横に2枚並べると500ピクセルで、一応定型にしている幅500にはなるが、高さは360に110足りない。それにふたつの薔薇の花の写真を横につなげば、双方が関係すると思われるから、縦にも並べて計4枚すなわち全体として縦横500ピクセルにすることにした。それはビートルズのアルバム『レット・イット・ビー』のジャケットを思わせ、4種の薔薇は相互に関係があるようでないとは思われるだろう。
●薔薇の肖像、その1_d0053294_23494573.jpg

 筆者のうろつく範囲に薔薇はたくさん咲いている。ムーギョやトモイチへの往復で即座に思い出せる場所がいくつもある。最初に撮ったのは前述のようにトモイチのすぐ近くで、その写真はその後に撮影した花とは違って、やや横向きだ。横から見る方が薔薇らしいと思ったのだろう。バスから降りてすぐに見かけて撮影した。つまり、心の準備があまり出来ていなかった。本格的に薔薇を求めて撮影を始めたのはその翌日からだ。2,3日で50枚ほど撮った。それらをどのように加工してブログに載せるかはさほど単純な問題ではない。まず撮った順に250ピクセル四方に切り取った。そうして得たものを順に縦横2枚つなぎ合わせればよいようなものだが、それでは面白くない。なぜかと言えば、だらだらといつまでも撮影を続けてしまいそうであるからだ。つまり、どの4種1枚の写真も途中を感じさせ、始まりも終わりもわかりにくい。それはきりりと引き締まった薔薇の姿には似つかわしくない。それで約束事を設けることにした。花の写真も大事だが、それをいかに見せるかはもっと大切だ。それを言えば去年天王寺公園の薔薇苑で撮った写真の加工もそれなりに美意識を働かせた。さらにそれは撮影段階から始まっているし、またたくさん咲いているどの花を選ぶかもそうだ。まず薔薇の花に遭遇する。1本の木には100や200の花が咲いている場合もある。それらをざっと眺めてどれかひとつを選ぶ。どの花もうまく撮影出来る場所に咲いているとは限らないから、この選択はさほど難しくない。選ぶのはなるべく完全な形をしているものだ。ただしそう決めたのは前述のトモイチ近くの赤い薔薇を撮った翌日だ。横向きでは写真を正方形に切り取る場合、花以外の余白部分が大きくなる。それはそれで撮った場所や時刻など、筆者にとっては個人的な思い出が多くなって面白いが、他人が見る場合は薔薇の花以外の要素に注意が削がれる。それもいいが、「薔薇の肖像」となれば、人間の証明写真と同じで、花のみが目立つべきだ。そのため、最初に撮った赤い薔薇の写真は没にすることにしたが、愛着があるので違う機会に使う。さて、話を戻して、離れた場所で同じような品種が咲いている場合がある。ところが植物園でない限り、品種の名札はない。「薔薇の肖像」写真を撮るのであるから、名前は大切だ。あるいは欠かせないが、筆者は図鑑を作るつもりはない。自分の生活圏内、行動範囲で遭遇出来る薔薇を撮影し、しかるべき方法でそれをブログに載せるだけのことだ。なぜブログに載せるかの理由は、先に書いたように、去年の天王寺公園で撮った薔薇の写真があまり面白くないと思えたからで、もうひとつの理由はこのブログの右欄にサムネイルと言うには少し大きい写真が、投稿順に10点自動的に掲載されることだ。その10枚は毎日変わるが、いつも全体に地味で、何となくそれが気に入らない。それでその10枚を華やかにするには花の写真に限ると思った。「そうかい?」と言われそうだが、たまには色鮮やかな写真を載せて爽快になりたい。薔薇の花を見つけるのは簡単で、遠目にもすぐにわかる。またたいていは道沿いに咲いているから、住民の了解を得なくてもさっと撮ってしまえる。庭の奥へ5,6歩踏み込まねばならないところに咲いていることがあるが、それは潔く諦める。家の人が表に出ていればお願いすることも出来るが、そんな場合は少ない。薔薇の花をどういう角度で撮影するかについては真上からと決めた。それは円形に近いから、正方形の内部に最も大きく収められる。真上から見ると蕊が見え、いかにも性器という気がするが、もちろん女性器だ。撮影しながらどこか後ろめたいドスケベエになった気分が去らないが、科学的に観察していると自分を納得させる。ともかく、そうして50種ほどの写真を2,3日で得た。それをどのようにブログに載せるかはその段階で考えた。そして4枚1組で500×500ピクセルのサイズに加工することにし、そして40品種を選んで10枚にまとめた。
●薔薇の肖像、その1_d0053294_23495961.jpg

 わが家からムーギョ付近までの道のり以外に従姉宅付近、そして普段は通らない旧街道沿いなども歩いて撮影したが、小さな花は対象にしなかった。握りこぶしより大きなものだけを選び、また枝の先端に3,4個まとまって咲いている場合はそのひとつだけ撮影しても隣りの花が写り込むので、基本的には除外し、ひとつだけ咲いているものを選んだ。その限定は現実の咲き具合から遠くなるが、たくさんの写真を載せるのには何らかの決まりは必要だ。また、単独で咲いている大きな花ばかりを選んだので、時としてそれがかなり下を向いている場合があった。あるいは頭上高い場合は真上から写すには背が届かない。そのため、しばしば花のすぐ下の茎を左手で持ってよく見える角度に向けて撮った。筆者の左の手首が写っているものが目立つが、歌舞伎の黒子と思っていただきたい。50点ほどの薔薇の写真をすべて250ピクセル角に加工した後、はたと困ったのはどういう規則で4種を選んで1枚に組み合わせるかだ。そこで、50種の花を白、少し黄味がかった白、うす紫、ピンク、青味がかった濃い赤、朱色系の濃い赤、橙色、そして黄色というように、色のなだらかな変化として並べた。これは花の形を無視しているが、ブログの写真を華やかなものにしたいことが目的であるから、色を優先する。50点ほどをそのように色ごとに並べ変えると同じ、あるいはきわめて似た品種がわかりやすい。そうしたもののどちらかは省き、またあまり出来のよくない写真も除外して40点に絞った。それをどのように組み合わせるか。並べた順にその頭から4種ずつ組み合わせると、最初の1、2枚は白かそれっぽい花ばかりとなる。それでは華やかさに欠け、退屈だ。4種で1枚の写真は、それ1枚のみで色の多様性を見せてくれるのがよい。加工した写真には全部番号を振ったが、選んだ40種を白から赤、黄色へと並べ変えたその番号の列を紙に記し、最初と5枚目、9枚目、13枚目というように、4つごとに4枚を選び、順に左上、右上、左下、右下に配置した。そうして得た10枚は筆者が普段よく歩く地域の薔薇の代表的肖像群と言ってよい。10数か所で撮影したので、どこかの家の好みが強く反映したものではない。おそらく100枚を撮影して40枚に絞ってもほとんど全体の雰囲気は変わらないであろう。となると、その10枚はわが家の南部2,3キロ以内の人々の好みや風土を反映していると考えてよい。これが中京や上京では少し差があるかもしれないが、顕著な差となれば数百キロは離れなければならないのではないか。それはともかく、無作為に薔薇の花を撮影し、似たものを除外して色順に40種を並べると、それは地域ないし特定の場所の薔薇相関図とでも言えるものとなる。その基本的尺度はもちろん地元であって、最初に作り上げた10枚40種だ。これが別の地域や場所ではどう変化するか。それに興味があったので、早速別の場所でも撮影した。2回目は嵯峨のとある喫茶店だ。そのことについては後日触れるとして、3回目は24日に訪れた天王寺公園内の薔薇苑だ。今度は花のみを拡大して撮った。それぞれ50種ほど撮り、40種に絞って10枚40品種の写真に加工した。それら合計で30枚120種で、中途半端な数に思えなくもないが、毎日5枚投稿しても6日かかり、終了は来月に入ってしまう。昨日TVを見ていると、大阪中之島公園の薔薇園が満開であることがわかった。24日は梅田に出ながらそこまで気づかなかった。TVでは今月下旬までが見頃と言っていたので、写すならば明日か明後日には行かねばならない。だが、わざわざその写真のためだけには行かない。たまたま出かけた時に遭遇したというのがよい。それに中之島の薔薇は来年も咲く。自分で規則を作ったので、来年以降であっても今年と同じように薔薇相関図を新たに撮影することは出来る。これは他人でも可能で、筆者としては規則を作ったことが楽しい。
●薔薇の肖像、その1_d0053294_23503167.jpg

 今日はそうして加工した写真を5枚載せるが、どれも幕の内弁当か干菓子のようで、また似ている。撮った順に4種ずつ1枚に並べる写真の方が次にどういう配色が来るかわからないので楽しいとも言えるが、筆者なりの厳密な規則にしたがっているから、たとえば今日の1枚目はいずれ投稿する嵯峨や天王寺公園の1枚目と比べると、微妙に色合いが違って、薔薇が地域によって植えられている品種すなわち地域の好みの差とでも言うようなものがわかる。筆者が撮影した大きく分けての3か所は数百キロも相互に離れていないから、目立った差はないが、それでも植物園という特別な場所の特徴は出ている。個人の家で植える薔薇は、よほどの通でない限り、入手困難な品種はないはずだ。植物園はその点が違うだろう。わざわざ来てもらうからにはあまり一般家庭では見かけない、それでいて豪華な品種をなるべく選ぶ。それはどのような色かと言えば、日本の企業が長年かかって開発を続けている青だ。真っ青な薔薇はその企業の特許で、一般には出回っていない。見られるのは真っ青ではなく、赤みが混じった紫だ。それも比較的珍しく、薔薇と言えばもっぱら白、赤、そしてそれらの中間色だ。それは最初からわかっていることだが、地域ごとのわずかな色のばらつきの差を撮影して確認するのはそれなりに満足感がある。今年はわかっていながら撮影しなかった場所として、万博公園の日本庭園前がある。そこだけで100種はあるのではないか。また一昨日は阪急の新伊丹駅前にもたくさん咲いているのを見かけた。規則を作ってしまうと、後はそれにしたがって機械的に動けばよい。結果がおおよそわかっていることを実行するのはつまらない。120種も薔薇をあちこちで撮影するともう充分という気にもなる。それに不思議なことに、どちらを没にしようかと迷い、消してしまった方の写真をよく覚えている。そういう写真は形がどこか歪で、代表的なものとは言いにくい。だが、歪なものがかえって面白く、印象に強い。選んだ全120種の薔薇からすれば、最初にトモイチの近くで撮った赤い薔薇はその変なものに相当するが、最も薔薇らしいと言えるかもしれない。ついでに書いておくと、その薔薇はもう廃業した店の前に咲いていて、放ったらかしにされている。陽当たりがよいために枯れずにあって、そのほとんど野生状態であるのがよい。また店は荒廃箇所が目立ち、昭和レトロの雰囲気を漂わせているが、それも薔薇を印象づけるのによい。わが家からムーギョ、トモイチに至るまでの間で見かける薔薇はほとんどが洒落た家の庭に咲く。いかにも薔薇を咲かせて住民は自分の上品さを誇示しているかのようだ。それはそれで明るく楽しい光景だが、忘れ去られたような場所でも見事にたくさんの花を咲かせる薔薇の方が強烈だ。荒廃した場所であっても、光と水さえあればどうにか薔薇は生きて行く。その逞しさがよい。その点、植物園の薔薇は確かに見事だが、それはあたりまえの姿で、感動もあたりまえのものしか覚えない。このように書けば、最初に写した赤い薔薇の小像的肖像が見事な写真に思われそうだが、ごくありふれた形だ。それに引き替え、真上から撮った薔薇は薔薇とは思えない形のものがたくさんある。それは今日の写真からもわかる。
●薔薇の肖像、その1_d0053294_23503085.jpg

by uuuzen | 2014-05-27 23:50 | ●新・嵐山だより
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