人気ブログランキング | 話題のタグを見る
👽💚🐸🐛🍀📗🤢😱5月11日(土)、京都河原町三条下るLive House『DEWEY』にて👻『ザッパニモヲ 💐母の日LIVE』午後5時開場、6時開演。3500円👽筆者の語りあり。
●今回は初めての別会場での、そしてザッパ/マザーズの結成日である1964年の「母の日」から60年という節目における、ザッパニモヲの演奏です。チラシ画像はここ。恒例の手製のお土産をくじ引きで配布します。

●俎板の鯉のぼり
板の恋」と書くと熱烈な片思いを連想させて面白いが、それは筆者がそう思うだけで、俎板に載せられた恋とはどういう状態を指すのかわからないと言う人が多いかもしれない。



●俎板の鯉のぼり_d0053294_0524032.jpg「好きな異性の前ではおとなしくなってしまう恋」としておけばいいが、俎板の鯉は包丁を持った人間に恋するのでおとなしくなるのではない。たぶん息が出来ず、また惨殺される恐怖を想像して失神するからで、ぞっとするたとえを言えば「ギロチン台の人間」と同じだ。先日畑の中に竿が立てられ、5匹の鯉のぼりがセットされたことを書いた。5日の「子どもの日」を数日過ぎると、5匹のうち、一番上と二番目に泳いでいた大きな2匹が撤去された。それで随分とさびしくなったが、ないよりましで、3匹が泳いでいる。とはいえ、筆者がその畑のそばを通りがかる3回に2回は風がないため、鯉はだらりと垂れ下がり、天を向いたままとなっている。そのような状態でもそれなりに派手できれいだが、やはり空を背景にたなびいてこそだ。筆者がその畑のそばを通りがかる時に5匹全部が水平に泳ぐほどの強い風が吹く確率はどれほどかわからないが、数日前は3匹が理想的な形で泳いでいて、ついに撮影した。その写真を今日は載せる。どうせ載せるのであれば、最初に見かけた時のように大きいものから順に5匹が水平に泳いでいる写真がよかったが、そういう状態に出会うにはたぶん畑の際で1,2時間は待つ必要があるだろう。運が悪ければ1,2日になるかもしれない。そこまでして撮るつもりはない。たまたま出会ったというのがこのブログに載せる写真で、充分計画を練っての撮影はまずしない。文章もたまたまであるからには写真もそうだ。それでたまたま遭遇した鯉に関する写真が4枚たまっている。どうせ載せるのであれば5月中がよい。本当は桂川に泳ぐ鯉を松尾橋の上から撮影し、その写真を4枚目にするつもりであったが、一昨日松尾橋の上からしばし川の流れを見つめたところ、水は透明で底がよく見えるのに、魚の影はなかった。川が駄目なら池がある。天龍寺の池には泳いでいるが、そこまで行くのが億劫だ。それで本物の鯉の写真は用意出来ず、仕方なくほかの鯉の写真にする。それがまず、「俎板の鯉」のように竿から力なくぶら下がっている鯉のぼりの写真が2枚で、もう1枚は「鯉パン」だ。どれもたまたま出会ったもので、恋焦がれて撮影したのではない。で、「俎板の恋」に話を戻すと、これが恋ですと誰もが見えるものはないから、俎板に載せることは出来ない。つまり、具体的なイメージが思い浮かばない。そこで「俎板の鯉」も比喩として使われるので、「俎板の恋」もどういう状態の恋かを無理にでも考える。筆者の年齢になれば苦しい恋に胸を焦がすことはまずないから、「俎板の恋」ではなくもはや「俎板の老い」の方を思い浮かべてしまうが、それは素敵な女性に出会わないからだ。老人ホームでは80歳の女性を巡ってふたりの男が殺し合いをした事件もあったから、何歳になっても恋心が燃え上がる場合がある。「俎板の恋」は若者だけのものではないということだ。だがそう思っているのはおめでたい男だけであるかもしれない。それに現実は高齢者の男の恋というのはまず金があってのことだ。先ほど「風風の湯」に行って来て以前話し合った70代の白髪頭の男性と10分ほどサウナの中で話に花が咲いた。その中で「風風の湯」は女湯はいつも満員なのに男湯はいつも10数名しか見かけないという話題になったが、なぜ女湯が満員であるかの理由を筆者が言った。それは今日家内と「風風の湯」に向かう時に気づいた。駅前ホテルの近くで「風風の湯」から帰って来た女性の3人連れと出会った。そのようなことがよくある。新緑の季節で駅前ホテルは夜になると全室に灯りが点っている。そしてそれらの客はどうやら大半が女性グループだ。若者だけではない。中年以上もよく見かける。男の3人連れは大学生程度の若者ならあるが、中年以降では絶対にないはずで、男は高齢になると女とは違って孤立する。そういう男性が恋に縁があるだろうか。それは想像しにくい。
●俎板の鯉のぼり_d0053294_052147.jpg それでも「俎板の恋」はどちらかと言えば男に似合う言葉だ。男湯に若い女性が入るとどの男も黙り込むが、女湯に若い男が入ると女性たちは歓声を上げるらしい。一昨日だったか、そんな話を耳にした。男湯に眩しい裸身の女がやって来ると、まず男たちはぎょっとして声が出ない。それは「俎板の鯉」と同じ状態と言ってよく、また「俎板の恋」のようにおとなしくなる。それで高齢者の男性の恋は他愛ないものと言えるかとなれば、先の老人ホームの事件のように時に陰湿になるから、女性から見れば高齢者の男の恋心は気持ち悪いということになり、そう思われていることを自覚する男はますます「俎板の恋」になる。「俎板の恋」は想像だけの恋で、行動を伴うことはほとんどない。すなわち「俎板の老い」と同様で、「俎板の恋」を女たちは気持ち悪がらないでもらいたい。その恋心が生きる気力になっているのであれば大目に見るのが美徳というもので、若い女もいずれ高齢者になるから、老人の恋を冷やかに見ない方がよい。「俎板の恋」は恋焦がれて何も手がつかない状態をも連想させるが、そういうことが高齢になると少なくなるかどうかは人による。筆者は年齢を自覚していない方なので、家内に言わせると若い時のままらしいが、それはもちろん悪い意味の方が大きい。「いい年齢」という言い回しがあるように、ある程度の年齢になればすっかり大人の風格を持つべきとされる。「いい年齢をして何てことをするの」という表現は、行動を振り返れと相手をたしなめる場合に使うのであって、世間では「いい年齢」という見方がある。それを気にしていない人は変わり者として嫌われることがほとんどで、それこそ恋する相手からは相手にされない。そこで「いい年齢」の大人は恋などすべきではなく、百歩譲って恋するのは本能で仕方ないことであっても、「俎板の恋」に甘んじて、妙な行動を起こすなと暗黙のうちに監視が行き届く。そういう世間体を知っている高齢者はそこでますます「俎板の恋」に留めて、恋心を相手に届かせようとはしない。それこそが「いい年齢」の大人のすべきことで、「いい年齢」という言葉は諦めの気持ちを抱く時にも効果がある。それでも恋心に火がつくとそれを抑えられないのが人間で、そのことには年齢は関係がない。筆者はいつも何かに夢中になっていたい方で、その思いを恋と言えば、恋がなくては生きて行けない。夢中になる対象はさまざまだが、結局は人間性だ。たとえば気に入った物があるとする。物は必ず人間がデザインしたり、作ったりするから、物の向こうの人間を見つめていることになる。それは女への恋心とはいささか違い、人間愛とでも呼ぶべきものだ。そういう恋とは別に、女に恋して「俎板の恋」状態になることはほとんどない。最近で言えば、先日紹介したCHRISTINE LAKELANDの演奏中の姿が笑顔を絶やさずにとても恰好よく、久し振りに恋心のようなものが沸き起こった。それこそ「俎板の恋」そのもので、ただ音楽を聴くだけで、芸能人に対するファン心理と同じようなものだ。それは罪のないことだ。そのために昔から芸能に携わる特別な人間がどの国にもいる。これが生身の女に恋するとなれば家庭騒動のもとで、くれぐれも注意せねばならないが、高齢でしかも金欠となれば、誰からも相手にされず、「俎板の老い」をまじまじと見つめるだけの日々となる。その老いの境地に追々入って行くばかりの筆者だが、まだ足はふらつく年齢ではないので、散歩はするし、気になるものに目を留めることも多い。今日の写真もそうして撮ったものだ。
●俎板の鯉のぼり_d0053294_0531921.jpg 最初は前述したように、ムーギョへの往復で必ず通りがかる畑に立てられている鯉幟だ。今までこんなことはなく、今年初めてだ。そのためにも1枚は写真を載せておくのはよい。写真を加工する際にポールの角度を少し傾けて垂直にしたが、その際ポールにギザギザが生じた。これがアナログの写真ではそういうことは起こらないから、デジタルにも欠点はある。またこの写真は空が真っ青であるべきなのに、撮影当日は曇りであった。それがいささか残念だ。2枚目は18日に鄭周河写真展を見た帰り、立命館大学平和ミュージアム近くで見かけた。同館の周辺は大きな家ばかりで、道も整然としている。写真からわかるように、瓦屋根がきれいで、中庭に鯉のぼりを立てている。庭はあまり広くはないようで、鯉がはためくと樹木に絡んだりしないかと少し気になる。またこの鯉のぼりは屋根より高くもあり低くもあって、いささか中途半端な高さだ。この家の付近は田畑はないから、1枚目の写真のように悠然と空に泳ぐ様子を見ることは出来ない。そう思えば鯉のぼりは田舎のもので、市街地では無理がある。校庭はいいと思うが、国旗を掲揚しても鯉のぼりはどうなのだろう。PTAがうるさく言うこともあるかもしれない。それに小学校の校庭ではためかせるとしても、その鯉のぼりを経費で買うことは許されず、PTAからの寄付という形になるだろう。そして寄付となればまた誰のものを受け取るかの問題が生じるかもしれない。そういうこともあって小学校の校庭で鯉のぼりを見かけないのかもしれない。3枚目はわが家のすぐ近くで先日見かけた。ピンボケだがあえて使うことにする。2枚目と比べておもちゃのような小さな鯉のぼりで、しかも家のたたずまいがかなり違う。玄関扉に至るまでに植え込みが繁茂し過ぎていて、視界をかなり遮っている。それでも小さな子がいるのだろう、小さな鯉のぼりを掲げている。その様子が愛らしい。この鯉のぼりは風ではためかないと思うが、それが重要ではなく、家を出入りするたびに子どもが見上げる位置にあるのが重要だ。屋根より高くある必要はなく、色鮮やかな鯉が目に留まるだけでよい。さて4枚目は「鯉パン」で、これは京都では有名なパン屋の志津屋で見かけた。昔は家内とよくこのパン屋に入った。それを2週間ほど前に思い出し、京都大丸の南向いにある店に入った。そこでは買ったパンを食べることが出来る。当日はそうはせず、ほかの飲食メニューを頼み、買った2個の「鯉パン」は持って帰った。その1個を皿に載せて撮影した。ピンク色の表面はイチゴ味で、大きな丸い目玉はクッキーだ。「子どの日」頃の限定商品のようで、数日前にもその店に入ったところ、もう売っていなかった。それでいい。5月以外にも買えるのであれば季節感が薄らぐ。ところで「鯉パン」と勝手に呼んでいるが、商品名があったと思う。欲を言えばピンク色のほか青色があればよい。それは着色剤を使わねばならず、作っても売れ行きは悪いだろう。自然の甘い食材で青色となると思い浮かばない。緑なら豆で出せそうだが、甘さが問題だ。だがイチゴのように甘くなくてもいいではないか。イチゴは緋鯉で、緑を真鯉と考えれば、真鯉はむしろ甘くない方がよく、イチゴ味とセットで販売するにはかえっていいように思う。ひょっとすれば筆者が知らないだけで、ピンク色以外の、たとえばイカ墨を使った黒い「鯉パン」などがあるかもしれない。それがあれば2個を皿に並べて「俎板の恋」を思いながら食べるのは楽しそうだ。
●俎板の鯉のぼり_d0053294_0525038.jpg

by uuuzen | 2014-05-23 23:59 | ●新・嵐山だより
●嵐山駅前の変化、その321(... >> << ●緑のタペストリーと絨毯、その19

 最 新 の 投 稿
 本ブログを検索する
 旧きについ言ったー
 時々ドキドキよき予告

S M T W T F S
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30
以前の記事/カテゴリー/リンク
記事ランキング
画像一覧
ブログジャンル
ブログパーツ
最新のコメント
言ったでしょう?母親の面..
by インカの道 at 16:43
最新のトラックバック
ファン
ブログトップ
 
  UUUZEN ― FLOGGING BLOGGING GO-GOING  ? Copyright 2024 Kohjitsu Ohyama. All Rights Reserved.
  👽💬💌?🏼🌞💞🌜ーーーーー💩😍😡🤣🤪😱🤮 💔??🌋🏳🆘😈 👻🕷👴?💉🛌💐 🕵🔪🔫🔥📿🙏?