梨園という言葉が歌舞伎界を指すことは知っているが、歌舞伎を生で見たことがないので、なおさら筆者には無縁の社会に思える。その縁のなかった歌舞伎を今月11日の日曜日、京都の南座で家内と家内の姉妹と一緒に見た。義姉が招待券をどこかから4枚もらっていたためだ。
入場料が気になって南座を後にする時に館内のポスターを見ると3000円とあった。どんな演目かも知らずについて行ったが、何となく初心者向けと予想していた。そのとおりで、歌舞伎を初めて見る人には最適な入門編で、筆者にはちょうどよかった。第22回と聞いて、毎月行われているのかと思うとこれが全く違って年1回という。となると今年は22年目だ。さらに驚いたのは、第1回目から上村吉弥という女方が出演し、前半の司会は落語家の桂九雀が受け持っている。22年とは息が長い。1回目から見続けている人はいるのだろうか。20歳から見始めても42歳になっている。また、毎回初心者向きであれば、どれかの回を見ればいい。だが、毎年演目は違うであろうから、初心者だけが新鮮に見るというものでもないだろう。大阪の文楽も初心者向けの公演をしている。それと同じように歌舞伎もまずは興味を持ってもらうために格安で舞台を見る機会があるべきだ。そう言いながら、今回誘われなければ筆者は毎年このような機会があることは今後も知らないままであった。義姉と義妹は玉三郎の公演を南座で何度か見ている。歌舞伎ファンというほどでもないが、有名な役者なので一度は見ておきたいと思ったようだ。2万円近い入場料と聞いたが、それでもすぐにチケットは売り切れたらしい。今回は3000円であるから、安い分、内容もあまりよくないと思われがちではないか。だが、初めて見る筆者には何がよくて悪いのかわからない。結果を先に言えば、実に面白かった。最後は感動で多少涙ぐんだ。その感動は、書き割りの前できれいな衣装を着て演技するその様子がいかにも日本の様式美で、久しぶりにそれを実感した。そう言えば昨日のネット・ニュースに畳が日本の若者世帯には縁遠いものになって来ているとあった。フローリングが大流行というより、もうそれは流行ではなくすっかり定着した様子で、今後畳が復権することはないのではないか。畳がなくなると正座をする機会が激減し、女性は膝頭がきれいなまま成長し、足の長さも欧米人並みになる。もうそうなっているが、そんな時代に歌舞伎や文楽というのはきわめて特殊な文化で、劇場に足を運ぶのはごくわずか、すなわち畳好きと同じ程度だろう。フローリングの部屋で育つ子は畳をその後経験しないまま死ぬということも珍しくない時代が来るのではないか。あるいはもうとっくにそうなっているか。それはさておき、感動はしたが、あまりにもきれい過ぎるところに違和感も持った。書き割りは絵具が鮮やかで、そこに照明が強く当たっている。江戸時代ではそんな色合いは望めなかったはずだ。まず絵具の色が違う。それは伏見人形を見てもわかる。明治と戦後のものは全く別物と言ってよいほど色の鮮やかさが違う。現代の絵具を見慣れた人でもどぎついと思うほどで、江戸時代の人ならば卒倒するかもしれない。染料も同じで、化学染料の原色の鮮明さは江戸時代にはなかった。染料も絵具ももっと渋かったし、また電気照明がないため、書き割りとその前で演技をする役者の全体的色合いは翳りがあったはずで、見方によれば薄汚かったであろう。だが、色数が限られる古い伏見人形が何とも言えない深い味わいがあるのと同様、江戸時代の歌舞伎は想像を絶するほどに美しかったように思う。それでも今回感動したのは、先に書いたように、昔から連綿と伝わって来た様式美に触れることが出来たからだ。その様式を知ると歌舞伎は楽しめるはずで、今回は15分の休憩を挟んだ前半を桂九雀がいろいろと歌舞伎の決まり事を面白おかしく説明してくれた。それは毎回同じではないはずで、何年もこの鑑賞教室の舞台を見るに越したことはないが、興味を持った人は自分で調べればよく、また今はそれが可能になっている。
九雀の説明で最も時間が割かれたのは上方と江戸の三味線や浄瑠璃の差だ。上方は太棹三味線で、江戸はそれを使わない。そのため、三味線の音は江戸の方が軽く、華やかだ。浄瑠璃は上方は義太夫、江戸では常磐津と呼んで、やはり声の出し方がかなり違い、上方より高い声を出す。江戸にはまた清元もあるが、これは耳の肥えた人でなければ常磐津と区別がつきにくいらしい。また上方と江戸では裃の色や詞を書いた本を載せる漆塗りの台の形地や色が違う。今回は上方と江戸の聴き比べが行なわれ、鑑賞教室としては努力を惜しまない態度が見えた。また九雀は南座が400年の歴史を持っていることを説明し、そのほかあれこれと興味深いことを言ったが、南座の舞台の真上に唐風の破風が取りつけられているのは、江戸時代の南座は舞台のみ屋根があったことを示すためと説明した。そして、観客は芝の上に座って見たので雨が降ってくれば大変であったとつけ加え、最後に「芝居」は芝の上に客がいたためと笑いながら言ったが、それは本当らしい。舞台だけが別世界のように華やかで、客は芝生に腰を下ろして見たのであれば、なおさら舞台上の出来事は現実離れして思えたであろう。今は客席にも天井があって雨でも困らないが、それは舞台と一体感になれる効果を増すので、書き割りや役者の衣裳が鮮やかな色合いになったうえ、強い照明を当てる必要を生んだのではないか。あるいはそこに映画の経験が影響しているかもしれない。映画のスクリーンは光の明暗を映し出し、客は真っ暗な座席からそれを眺める。それと同じ効果が歌舞伎にも文楽にもあるように思う。客席と舞台を隔絶するには、舞台を極力明るくするのがよい。もっとも始終そうであるべきというではない。夜の場面なら全体に暗く、あるいは役者だけに照明が当てられる。そのことで昼間の場面との差は強調され、客は舞台の演技をより人生の縮図のように思うだろう。今回九雀が花道の舞台寄りの場所である「すっぽん」を説明しながら、そこに一旦沈んでお化けの姿でせり上がって来たが、その間は九雀にスポット・ライトが当てられ、館内は真っ暗であった。館内には非常灯やまた赤い提灯がたくさんぶら下げられているが、それらはずべて消され、一瞬本当に写真の焼きつけの暗室のように真っ暗になった。そういう仕組みを江戸時代にはどうしていたのかと思うが、ロウソクと黒子たちを使ってそれなりに劇的な効果を上げていたのだろう。南座には舞台のせりが大小でいくつあるのか九雀が説明していたが、7つではなかったかと思う。今回は「すっぽん」のほかに中央のせりが何度か使われた。その効果は確かに印象深く、西洋の舞台でも同じものがあるとは思うが、それは日本を真似たものではないかと思った。舞台が動くのはオペラも同じだが、今回は書き割りが一部だけ別のものに変化する場面があって、部分を変えるだけで全く別の場所に役者が移動したことを表現するその合理性に感心した。また、背景は布に描かれたものの場合はその全体が天井近くに巻き上げられ、予め舞台上に用意してあった書き割りに場面を譲るし、青で横段の霞を描いた「霞幕」と呼ばれる書き割りの前に設置される部分的な幕の背後はひとまず隠しておくべきものが待機しているなど、役者の演技だけではなく、舞台の裏方たちの技術あってこその歌舞伎であることを実感させた。そうした視覚的な要素以外に音楽的な効果が加わって初めて歌舞伎の味わいがある。筆者が感動したのは書き割りと役者の演技とそして三味線や浄瑠璃が一体となった様子であって、このどれも欠けてはならないものであった。確かに浄瑠璃は何を語っているのかほとんどわからないが、その全体的な調子はわかる。それが書き割りの景色や役者の身のこなしと相まって人間が感じ入る情緒の典型を表現する。
今回は自由席で、早い者順に好きな場所に座ったが、ほとんど開幕寸前に体格のよいジーンズ姿の若い欧米の娘がひとりやって来て、最前列の右端に座った。館内に入る時に確保した英文のチラシを読むと、わかりやすい言葉で説明されていて、彼女はそれと同じか似たものをどこかで読んで訪れたのだろう。彼女の席は舞台を眺めるにはあまりよくはないし、また浄瑠璃はさっぱり耳慣れないはずだが、全体として夢幻的な美しさをたたえていたことは感じられたはずで、それで充分ではないかと思う。夢幻を言えば能の方がもっとそうだが、歌舞伎の舞台の華やかさ、また日本の自然美や建築美の表現を見れば、それらが形を変えて日本のさまざまな文化に息づいていることを知ったであろう。ましてや京都であれば、古い寺はたくさんあるし、和菓子屋には歌舞伎の舞台そっくりの色と形の「食べられる」菓子が並んでいる。そして欧米人には変化に乏しいと言われる握り寿司にしても、それが完成された造形美であることを改めて知る。そのように彼女の心を想像しながら、一方では写実的な絵ではない書き割りというものがかえって現実の特別の瞬間の味わいをよく感じさせてくれるものであることを知り、彼女もそう思っていると確信した。さて、筆者らが見たのは初日の朝11時からの開演で、午後2時からも行なわれた。休憩を除けば1時間半ほどであったと思うが、後半は九雀の登場はなく、歌舞伎から抜粋した場面をとっぷりと楽しむことが出来た。役者はふたりで、ひとりは先に書いた上村吉弥で今何歳なのだろう。本当の女かと見紛うほどで、前半に少し登場した時は九雀はわざわざ男ですよと断っていた。そうしない限り、外国から来た人は見間違うだろう。もうひとりは上村吉太朗という平成13年生まれの子どもだ。「歌舞伎鑑賞教室」には今回連続5回目の出演というから、遅くても6歳から舞台に立っている。プログラムには「関西を地盤に近年の進境は著しく、今後ますますの活躍が期待される」とあるが、筆者も全く驚いた演技で、とても子どもとは思えなかった。それほど練習に練習を重ねているのだが、学校の勉強はどうなのかと一瞬心配になった。それはそこそこでよいと思っているのかどうかだが、梨園という社会はそうなのだろう。野球選手かゴルファーか忘れたが、若くしてプロの道に進もうとしている者に向かってどこかの大学の女の先生は大学を出ておくべきとTVで多少嘲笑気味に言ったことがある。大学の存在で飯を食っている人はそう言うだろう。だが、大多数の大学出は大学で学んだことを活かすことのない道に進む。それは国家としては大きな無駄、損失ではないか。また、大学に進んでいてはとても身につかない技術がある。「鉄は熱いうちに打て」で、大学生になってしまうともはや遅い場合がある。そのひとつは歌舞伎役者だろう。今回の上村吉太朗を見てそう思った。彼は大学に行って歌舞伎の学問を学ぶかもしれないが、それで演技に深みが出るかどうかだ。そうなるとも言えるし、そうならないとも言える。どっちにしろ、物心がつく前に演技指導を受け、歌舞伎のイロハを学び始めたのは、そうしない限り、昔の名役者に肩を並べるまでには到底行かないと思われているからだ。歌舞伎は日本で大学が出来る前から始まっている。そういう伝統の長い世界に対して茶々を入れる必要はない。中卒か高卒で親方に仕込まれた方が早く一人前になれたし、人生は楽しかったかもしれない。そう考えて大学で失った貴重な時間を取り戻したいと思っている若者は多いではないだろうか。だが、そういう徒弟制度は急速に失われ、今や畳部屋さえ味わう機会がない。話を戻して、吉太朗が演じたのは『三ツ面子守』で、これは赤ん坊をあやす娘が翁やひょっとこの面を瞬時に被り直し、そのたびに踊りの所作を変える。仮面をつけ変えてくれるのは黒子ではないがそのような補助役をする大人の男性で、ふたりの息がぴたりと合わなければ仮面を落としてしまうし、また今自分がどんな仮面を被っているかわからなくなり、仮面に応じた動きが出来なくなる。それを吉太朗は見事に演じ分けていた。上村吉弥は『雷船頭』の女船頭を演じた。これは雷神と若者が登場する。雷神は肉襦袢を着て虎の褌をしているが、色気たっぷりの女船頭との絡みが見どころだ。場所は両国橋が遠くに見える設定で、書き割りのほかに天井から多少柳の葉が垂れ下げられたのは、遠近の表現と少しでも本物らしさを味わってもらおうという演出で、筆者は演技よりもそういった舞台美術の工夫に目が行った。