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●『007 ロシアより愛をこめて』
帯者という言葉は死語になりつつあるだろう。まだまだ男社会だが、言葉からまず平等を徹底して行こうという動きにある。「妻帯者」を残すなら「夫帯者」を作らねばならない。それにしても妻を帯びるとは妻の細々とした気遣いが男の外見に表われていることを言うのであろうか。



●『007 ロシアより愛をこめて』_d0053294_2312684.jpgそう言えばいつまでも独身でいる男性はよほど身なりに気を配っていない限り、埃っぽく、垢じみて見える。それが体に悪くて病気になりやすいのかどうか、女っ気のない男は早死にするとも言われるがそうとも限らないだろう。さて、今年2月末にクルト・ヴァイルの曲を取り上げたが、その頃に買ったDVDを一昨日ようやく見た。その感想を今日書く。なぜ今頃になってジェームズ・ボンドの映画を見たくなったか。それはクルト・ヴァイルの奥さんのロッテ・レーニャが出演していることを知ったからだ。『007 危機一発』の題名で昔TVで何度か見た記憶があるものの、当時はロッテ・レーニャの名前すら知らなかった。そ数十年経ってようやく気づくことはよくある。007シリーズの映画は筆者が中学生の頃に始まった。『危機一発』はその後『ロシアより愛をこめて』に改題されたが、その方が映画の内容に一致してわかりやすい。『危機一発』と訳した頃は007シリーズがいつまで続くか予想がつかなった。ショーン・コネリーが自分の役者としてのイメージが固定化されるのを嫌って同シリーズの出演を辞めたというニュースを知ったのはいつだろう。筆者が20歳の頃ではないかと思う。今調べると1971年の『007 ダイヤモンドは永遠に』が最後の出演作で、想像は当たっていた。当時筆者はショーン・コネリーの態度を007と同じように格好よく、とても潔いと感じた。ハードなアクションはスタントにやらせればよく、もう10年ほどは出演出来たと思うが、マンネリと思われるまでに辞めたのは正しかった。新しいボンド役になってからも同シリーズを見たが、ショーン・コネリーは圧倒的にバタ臭く、それがいかにも洋画を見ている感じがしてよかった。それはともかく、ロッテ・レーニャの演技は悪役にぴったりの個性的な顔つきもあってとても印象に残り、ボンド・ガール以上の存在感があった。こんなことを書けば美女目当てで007シリーズを楽しんでいる人は笑うだろうが、きれいな顔の女ばかりでは物足りず、その美女を引き立てる役として醜いと言えば語弊があるが、いわゆる美女の範疇には誰が見ても入らないような顔の女性を登場させる必要がある。その損とも言える役割をロッテは引き受けたが、それは悪役がかえって難しく、また悪役が光っている作品は悪役が本当の主役であると思っていたからであろう。韓国ドラマでも同じで、だいたいどの作品も悪役が登場し、しかもそれを演じるのは概して善良な役を演じる主役より実力がある。それを自覚しているからこそ悪役に徹し切れもする。存在感のある悪役を得て初めて作品は成功するが、本作ではロッテがその悪役に相当する。ただし、悪の親玉ではなく、使われ者のひとりに過ぎない。そのため、顔を見せない本当の悪役の親玉から失態を叱責されると、途端に弱気な顔を見せる。それが実にうまかった。女らしさと言えばいいかもしれない。これがロッテが悪の親玉という設定であれば彼女の演技はもっと狭いものになった。圧倒的な力によって使われるという存在で、命令に忠実にしたがうという役どころであるから、そこに一種の悲哀が漂う。映画の最後近くでは、ロッテは自分が消されないためにはボンドを殺さねばならないと悪の親玉から宣告を受けるが、ロッテはカーキ色の制服を着てナチ党員を思い出させつつ、上からの命令に恐怖で縮み上がる様子はナチによるユダヤ人虐殺を連想もさせ、ロッテを起用した意味をあれこれ詮索したくなる。ヴァイルはユダヤ人でナチ政権誕生とともにアメリカに移住するが、ロッテはユダヤ系なのだろうか。それはいいとして、本作のほとんど最後の場面でロッテはホテルのメイドに扮してボンドの部屋に入り、目的の物を奪おうとし、呆気なく見破られる。その時の彼女の抵抗はそれなりにボンドを真剣にさせるほどに凶暴なものだが、力はかなうはずがなく、いささか間抜けな雰囲気を漂わせて計画は失敗に終わる。その挫折は最初からわかっているもので、観客は安心して楽しむ。
 最初からわかっていることと言えば、昨日触れた『ウルトラマン』と同じで、悪は最後に滅びるという話を毎回007は提供している。それが次第に飽きられ、今も同シリーズは続けられているのかどうか、回を重ねるごとに新機軸を打ち出しにくく、また観客の動員数は減少したのではないだろうか。本作はシリーズとしては2作目で、しかもシリーズ中の最高傑作と言われているそうだ。だが、今回見て古さは否めない気がした。一番おかしかったのはあらゆる武器を装着したアタッシュ・ケースをボンドが手わたされる場面だ。そのケースの仕組みが逐一観客にわかるように説明されるが、それらの武器が後に活躍することは誰しもわかる。伏線を張るのはもっとさりげなくあるべきだと思うが、本作にはそれがなく、後で出て来るなと思うことはすべてそのとおりに事が運ぶ。ケースを手わたされた時、ボンドは使うことはないだろうと言う。そう言いながらイスタンブールに向かう際はそれを携えて行く。仮にそうしなければボンドは別の手段で敵を撃退することになるが、そうすれば予め武器を潜ませたケースを登場させる必要はない。そんな無駄なことは映画ではやってはならないということなのだろうが、そこが映画と現実の大きな差でもある。現実においても後のことを考えて物を買ったり、用意したりするが、それが使われないことはよくある。たとえばこのブログでも同様で、感想を書こうと思いながら展覧会やDVDを見るが、その全部に言及することはない。映画はたとえば2時間という区切られた中で起承転結を設けねばならないから、ある場面は後の場面をうまく説明するように用意され、無駄な、つまりどこともつながっていないような場面はない。それはよくわかるのだが、本作のアタッシュ・ケースに内蔵された武器のすべてが後に実にうまくその役割を果たすのはあまりに無駄のない描き方で、その非現実性が三流の映画や小説に思わせる。娯楽作品であるからそれでもいいという意見があるだろうが、もっとどうにかならないものかと思う。結局本作も昨日書いたように、低予算につきものの安直さが目立つ。だが本作は低予算ではないだろう。ともかく、筆者には本作のアタッシュ・ケースは怪獣の気ぐるみの背中のチャックのように、恥ずかしいものに見えた。怪獣映画が面白いのはそういう作り事の裏事情が伝わるからでもあるが、その点は007シリーズも同じで、現実にはあり得ないような派手な挌闘が続いたり、また美女とのベッド・インの話が出て来る。見て楽しければ何でもありで、特にハラハラドキドキさせるアクション場面は後のアメリカのTV番組の『刑事コロンボ』にはない肉体派の男っぽさを前面に押し出したもので、最初の邦題『危機一発』から連想されるように、乗るかそるかの命がけの博打を連想させつつ、常にそれに勝つボンドであるから、遊園地のジェットコースターのように安全を保障されたものとして安心して見られる。『ウルトラマン』もおそらくこのシリーズに学んだ部分があるだろう。
 美女を見たいのは男は誰しもで、007シリーズではボンド役相手の飛び切り美人を選ぶために世界各国にある美人コンテストの入賞者に目をつけたようだ。本作ではダニエラ・ビアンキというイタリアの女性が選ばれたが、ミス・イタリアではなく、2、3番手であったようだ。それでスペインだったか、そこにも目をつけ、同国のミス・コンテストの優勝と準優勝の2名をセリフはほとんどないが、肉体を見せびらかすのに最適な女性レスラーといった役割で登場させ、つかみ合いの喧嘩をさせた。ビアンキは知的でおとなしい雰囲気であるので、その反対に野生的な美女の出番がほしいと製作者たちは考えたのだろう。ふたりの女性の挌闘は本作のストーリーにはなくていいものだが、美しい女が肌も露わに取っ組み合いをする様子は当時としてはまだきわめて珍しいものであったろう。女子プロレスが日本で登場するのは10年もっと以降ではないか。女性の肉体美は本作のタイトル・クレジットで使われる。中東のベリー・ダンサーのくねらす肌に俳優たちの名前が順に投影されるもので、その場面からすでに色気たっぷりで男はどんな女が登場するのかと期待する。またベリー・ダンサーは本作がイスタンブールを主な舞台にしていることと関係があり、派手なアクションや女性の肉体美のほかに、当時はまだ少なかった海外旅行気分を味わわせてくれる。映画で求められるものはどれも盛るという姿勢で、その点では確かに金がかかっている。本作が日本で上映されたのは1964年春で、ちょうどビートルズ人気が沸騰し始めた頃だ。翌年のビートルズの映画『ヘルプ!』でも雪や常夏の場面を撮るために海外ロケをしたが、当時のイギリスはエキゾティシズムを重視していたのかもしれない。それはいいとして、本作は題名からはロシアが舞台になるかと思えば、当時はケネディ大統領時代で、ソ連とアメリカは冷戦のさなかにあった。ソ連でロケをすることは不可能ではなかったであろうが、原作の小説がソ連を敵国とみなしているから、許可を出すはずがない。またソ連でロケせずに済む内容であるかもしれない。冷戦が終わってやれやれと思っていると、ロシアはウクライナの一部を領土として併合したがっていて、それ以外にもこの半世紀でヨーロッパの国境がどれほど変わったことか。その意味でボンド映画は永遠とも思える。さて、筆者は一度しか見ていないので本作の登場人物が今ひとつよく理解出来ず、物語の組み上げ方が少々まずいのではないかとの印象を持っているが、原作とは違ってロシアが悪者ではなく、ダニエラ・ビアンキ演じるロシアからやって来た女性タチアナとボンドが協力して悪者をやっつけるという設定で、「ロシアから愛を込めて」の文句は皮肉ではなく、文字どおりそのままタチアナのボンドに対する愛情表現だ。もちろん両者は写真でしかお互いを知らないが、会った途端に意気投合し、ベッド・インする場面も用意されている。その部分のみ取り出すとえらく則物的な恋愛映画になるが、則物的であるほどにボンドの動物的逞しさが強調され、またどれほどの美女でもそういう男にはイチコロという世間一般の考えが用いられている。とはいえ、その後のフリー・セックス時代を経て日本にも蔓延したポルノとは全く違い、女性は素肌を見せることをまだまだためらった時代で、エロティシズムはきわめて健康と言うか、ほとんど感じさせない。
 筆者が購入したDVDは特別編で、製作者のドキュメンタリーなどがついている。それによればビアンキはロッテ・レーニャが普段はとても優しいと語っている。それが演技となると見事に悪役に徹していることに感心するが、ロッテが選ばれたのはどういう経緯かまでは報告されておらず、せっかくロッテ目当てで見たのに不満が残る。ひとつ面白い場面があった。ビアンキも語っているが、ロッテは牛乳瓶の底のような分厚いレンズの黒縁の眼鏡を」かける場面がある。それでかえって文字が見えなかったそうだが、監督が眼鏡をかけさせたのはなぜだろう。筆者はその眼鏡の場面を見て即座にヴァイルを思い出した。ヴァイルは1900年生まれで1950年に亡くなっていたが、ロッテは財団を作るなどしてその作品の保護に努めた。日本ではいざ知らず、ヨーロッパではロッテとヴァイルは戦前から有名で、戦後ロッテがどのように過ごしているかも映画関係者ならば気遣っていたのではないだろうか。ヴァイルの『三文オペラ』はもともとイギリスのオペラを下敷きにしたものだ。その点でヴァイルはイギリスではヨーロッパのどの国よりも馴染みであったと思える。そしてヴァイルのオペラで歌うにはもう年を取り過ぎていたロッテであるから、映画に起用されることを望んでもいたかもしれない。ともかく、ロッテが分厚いレンズの眼鏡をかける場面はヴァイルを連想させ、滑稽味があった。それはロッテが出る他の場面でも盛られていて、憎々しげな悪役に染まり切っていない。それはビアンキが言うように本当は優しいロッテの性格を慮ったものかもしれないが、それよりもむしろ女性は結局は弱いものという当時の一般的思いを代弁してのことだろう。日本では妻帯者という言葉があたりまえに言われていた時代だ。最後に書いておくと、タイトルが出る前にいきなりボンドの仮面を被った男が殺される場面があって、その意表を突く表現方法は本作が初めてであったらしいが、その最初の場面の謎がその後すっきりとするかと言えばそうでもない。前述のようにどうも話の筋と言うか、登場人物の所属がわかりにくい。それは監督も感じていたようで、場面のつなぎをあちこち入れ替えたそうだ。その編集作業によって新たに撮らねばならない場面が出来た。それを追加で撮るには日数や多大な経費がかかる。それで済めばよいが、俳優のスケジュールが合わないといったこともあるだろう。そこでスクリーン・プロセスを応用し、ロッテを少し喋らせ、背景を合成してうまくまとめ得たことが特典映像のドキュメンタリーからわかった。スクリーン・プロセスは最後のボンドとタチアナがヴェネツィアのゴンドラに乗る場面でも使われた。実際にロケすることも出来たであろうが、1分に満たない場面であれば合成でよい。円谷英二が見ればそういう場面は即座にわかったであろうが、映画館で一回しか見なかった当時の観客はまず見破れなかったのではないか。DVDで各場面を静止させてつぶさに観察出来るようになれば荒探しが始まる。そして実際そういうまずい点をあれこれ見出す人がいるが、そういうまずい、いわば失敗箇所を含むところも観客へのサービスと言えるかもしれない。完璧とは瑕疵のないことを言うが、欠点も楽しめるのであればそれは傷とは言えない。ちょっとしたうっかりが死につながるボンドではあるが、ヒーローが死んでは話にならない。どこまでも安心して見られるものがいつの時代でも好まれる。
by uuuzen | 2014-05-12 23:59 | ●その他の映画など
●『円谷英二 特撮の軌跡展』 >> << ●嵐山駅前の変化、その320(...

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