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●筋違橋から連想する筋違いな話
」は「いましめ」の意味だが、筆者は「筋誡」という名字を昔冗談で「筋違い」と言ったことがある。筋誡珠美さんは今でも山繭を紡いで自分で糸を染め、そして反物を織り上げているはずだが、織物は経糸、緯糸の筋が違えば模様が出鱈目になるから、「筋誡」という名字はいかにも彼女向きではないか。



●筋違橋から連想する筋違いな話_d0053294_04338100.jpgそれはさておき、昨日の投稿で「筋違い」という言葉を一度使った。今日の投稿を思ってのことだが、今日使う写真は最初の1枚以外は去年の今頃撮ったものだ。そんな古い写真を使うとは筋違いではないかと思われかねないし、筆者もそう思うが、少しは関係があるので使うことにする。さて、4月20日に心斎橋のとあるビルの2階の一室で開催された郷土玩具文化研究会に出席するのに、梅田から御堂筋を歩いたことは一昨日か3日前に書いた。研究会開催の場所が難波なら地下鉄に乗ったが、北心斎橋であったので1時間あれば充分と思った。実際そのとおりで、どの道をどう歩けば最も近いかくらいは知っている。今日の2枚目以下の写真を撮った日は大阪市内のどことどこに用事があったのか忘れたが、たぶん歴史博物館に行き、その後に国立国際美術館まで歩いた。これは北西方向に進むが、京都でよくするようにジグザグに道をたどった。大阪市内の中心部は京都と同じようにだいたい碁盤目状に道が走っているから、どこをどう歩いて目的地に向かってもさして距離は変わらない。それならばなるべく歩いたことのない道を行くのがよい。そう考えて歩いていると、目の前の交差点に見覚えのあるレトロなビルが見えた。2年半ほど前に投稿した『民都大阪の建築』という展覧会で紹介されたビルで、その実物を気まぐれに歩いて初めて見ることになった。このビルは一時かなり改造されたが、また元の姿に復旧された。持ち主が大阪の心意気を示したかったのだろう。ビルの名前を知らないし、またどこにあるかもわからない。中央通りより北であるのは間違いなく、たぶん四ツ橋筋より東であったと思うが、違うかもしれない。たまたま目についたので写真に撮り、1年ほどそのままスマート・メディア・カードに入っていた。それにしてもこのビルは色といい、細部のアステカ風の彫刻といい、個性があってよい。屹立する男根のようでもあって、一度見れば忘れ難い。今なら経費を削るだけ削って工期も短くするだろうが、そうして出来るビルは印象に残らないものが多い。細部にこだわるだけの余裕がないのだ。そうそう、今月3日は京都市内を家内と一緒に10キロほど歩いたが、岡崎の観峰美術館がなくなっていた。そこには何度か訪れたことがある。確かに古くなっていたが、立派な木造建築で、どこかの屋敷にお邪魔している感じがよかった。それがすっかり消え失せ、工事用の塀が取り囲んでいた。その隙間から内部を覗くと、地下を深く掘っていて、地下水で泥が濡れていた。そのすぐ脇にあった建築概要の看板によれば地下1階、地上3階のマンションが建つ。今は何もないから、塀から南を臨むと東山がよく見え、マンションが建てばその住民は絶好の眺望を得る。それをマンションは売りにするだろう。庭つきの屋敷の美術館がなくなって、どこにでもあるような鉄筋コンクリートのビルが建つ。もう元には戻らず、数十年後にはまた同じようなマンションに建て変わるだろう。かくて京都からは京都らしい建物がどんどんなくなる。観峰美術館はなくなったが、その隣りには収入の根幹を担う習字業の本部と言うか、別棟のビルがそのままあるし、また道を挟んで北側にも小さな事務所らしき建物があるから、商売にならない美術館だけを売却したようだ。観峰の館は東近江の五箇荘にもあって、たまに珍しい展覧会をやるが、まだ訪れたことがない。車に乗るのでなければ出かけにくいところは筆者にはほとんど縁がない。このブログの題名の一部「歩録」にあるように、歩くのがもっぱらだ。
●筋違橋から連想する筋違いな話_d0053294_0445131.jpg 今日はその歩いて得たことを書くが、話にまとまりがないのはいつも以上になる。先の続きを書くと、展覧会で知った重厚なレトロ・ビルの写真を撮った後、さらに道を北西へジグザグに採り、ようやく御堂筋に出た。すると目の前がスーパーだ。それが出来たことは知っていた。御堂筋沿いのビルの1階にスーパーがあるのは珍しい。たぶんそこだけだろう。それ以前すなわち1年もっと前に、その前を通りかかったのは正午過ぎで、近くで働いているOLらが制服姿で出入りしているのが見えた。それに店内の北端に休憩所があって、何人かが御堂筋の往来を見つめながら飲食していた。最近は店内で買ったものを食べてよい休憩所を持つスーパーがちらほら出来ている。これは何より安上がりで、ちょっとした休憩にはよい。近頃は安いコーヒーを飲ませるチェーン店もあるが、スーパーは弁当も売っている。ともかく、いつかその店内の休憩所を利用してやろうと思った。それが去年歴史博物館から国立国際美術館へと北西に向かって歩いている最中に実行出来た。店内で紙パック入りのコーヒー牛乳と半額のパンを買い、休憩所に行って北端の椅子に座って御堂筋を見ながら食べた。そのスーパーの付近でそのように飲食出来る場所はほかにない。店が少なく、ちょっとした休憩には持って来いだ。その日はカメラを持っていながら、スーパーで休憩中に写真を撮らなかった。それが心残りというわけでもないが、3日にまたそのスーパーを訪れ、同じ席に座って写真を撮った。去年はひとりであったが、今度は右手に家内が座った。「中之島まつり」を見た後、御堂筋を南下したことは一昨日書いた。その投稿で最後に載せた写真は淀屋橋から東を向いて撮ったものだが、その位置から休憩所を設けている御堂筋沿いのスーパーまで500メートルほどだ。淀屋橋沿いにはヴェローチェという安い喫茶店があって、そこに何度か入ったことがあるので、家内と顔を見合わせながらそこはパスした。どこで休憩するかを考え、蔦が絡まるレトロな丸福に行こうかと思ったが、それは御堂筋沿いではなくもっと東だ。それに正確に場所を知らない。その喫茶店も先に触れた『民都大阪の建築』展で紹介されたが、筆者は訪れたことがない。大阪市内は広く、まだまだ歩いたことのない道の方がはるかに多い。そう言えば同じことを『大阪を歩こう』と題するブログをやっているosakawalkerさんが書いていた。彼ならば先のレトロ・ビルがどこにあるか即座にわかるだろうし、丸福は訪れて店の写真も紹介しているかもしれない。それはさておき、『大阪を歩こう』については今日はぜひ触れておかねばならない。そのことを書くのが今日の目的のひとつでもある。
●筋違橋から連想する筋違いな話_d0053294_0443055.jpg 話を戻して、御堂筋沿いの喫茶で軽く食べた後、その店の北側の道を西へ進んだ。国立国際美術館は西梅田からさらに西にあるからだ。スーパーの北側の道は初めて歩いた。少し行くと、またレトロな石造りのオブジェが目についた。ステンレスの説明パネルがあって、昔はその道が川で、橋が架かっていたが、昭和3年に石造に架け替えられた。それが36年目にして川を埋め立てることになり、橋は不要となった。昭和39年と言えば日本が急速に変化し始めて行く頃で、川を埋め立てて道にした方が商都には便利ということになった。かくて八百八橋と呼ばれた大阪は橋が激減した。それはともかく、その親柱には「筋違橋」と彫られている。その名前が面白い。説明パネルを読んでもどう道筋が違っていたのか、つまり橋がどう架かっていたのかわかりにくい。川を埋めて道路を作っただけで、今の道が川と思えばいいが、筋違橋の架かり具合がイメージしにくい。どうせなら説明パネルにその様子を図示してほしいが、親柱の形がいかにも重厚で、また男根にも見えて面白い。写真には写っていないが、説明パネルは2本の親柱の間にある。橋は親柱を最低4個は必要で、説明パネルのある場所が橋の片方の端と考えてよいだろう。では残り2個はどこか、それで来た道を振り返ると緑の金網の向こうの空き地に1個が見えた。その写真が今日の3枚目だ。その親柱と2個並ぶ地点を結ぶと、その線は道を斜めに横切る。そこでなおさらかつて橋がどのように架かっていたのかわからない。それにもう1個の親柱はどこに行ったか。たぶん緑のフェンスのこちら側で、そこは道路の中となって人や車の往来に邪魔だ。それで撤去されたのだろう。もったいない話だ。緑のフェンスの向こう側の1個の隣りに並べておいてもよかったのではないか。そう思ってネットで「筋違橋」を検索したところ、『大阪を歩こう』の投稿に行き着いた。その投稿記事によれば、道が出来た時は木造建築の寿司屋の前にまるで昔の筒型ポストのようにドカンと置かれていた。その寿司店が転居した際、寿司屋は自分の駐車場に運んだらしい。その現在の様子もosakawalkerさんは撮影している。その調べ具合に驚く。よほど大阪を歩き回らないことにはそうした写真は得られない。移転した先は道路からかなり奥の駐車場内であるため、せっかくの記念になる石碑と言ってよい親柱が人目に触れない。だが、もっと邪魔者扱いされて砂利に粉砕されなかったのがまだ喜ばしい。移転先は靱公園の南西角で、そこはめったに歩かず、たぶん2,3回だ。だが、気に留めておいていつかまた市内をジグザグに歩いた時には見つけ出したい。さて、今日の最初の写真について書く。その中央に男根のように聳え立つドリンクは、2週間ほど間ほど前に自治会のとある人の家にお邪魔した時に差し出された。よく振って飲めと言われ、そのとおりにして飲むと不思議な舌触りで、またコーヒーの香りは強烈であって。それほど強いのは初めてで、ミルクの味ともよく合っていた。不思議な感触はグニュグニュとして寒天のもののような気がした。そういうもので固めているのでよく振って飲むのかもしれない。そのコーヒー飲料を3日に家内と大阪に出た途端に思い出した。喉が渇いていたのだ。曽根崎から西天満を歩く間、数軒のコンビニに入って確かめたが、同じ容器の同じような製品はあるが、グリコ製はない。ほとんど諦めていたが、御堂筋を南下していると、通りの向こう側に1年前に入ったスーパーが目に入った。ちょうど信号が青で、急いで横断し、店内に入ると、そのグリコ製があるではないか。それと1年前と同じ半額のパンを買い、1年前と同じ店の北東隅のカウンター席に着いた。ガラスのすぐ向こうは地下鉄の出入り口で、時々人の頭が見えたかと思うと、全身がにゅっと視界に入って来る。ようやく見つけた抜群においしいはずのその「泡リッチ」とかいうコーヒー飲料は、何度も振ったにもかかわらず、前回とは舌触りが全然違った。あまり冷えていなかったからかもしれない。前回はきっとほとんど凍らせていたのだろう。グニュグニュ感が面白いのに、それがなく、家内に飲ませてもどこがおいしいかと言った表情だ。強く求めていたのに、それが手に入るとさほど感激しないことはよくある。だが、それとこのコーヒー飲料の話は筋が少し違う。
●筋違橋から連想する筋違いな話_d0053294_0452984.jpg

by uuuzen | 2014-05-08 23:59 | ●新・嵐山だより
●嵐山駅前の変化、その319(... >> << ●『棗の木の下/砂』

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