苧麻は今でもわずかに限られた場所で売られている。それをまた少々ほしいと思うのは、今年2月に入手した古い伏見人形の「飾り馬」2体のたてがみの穴に植えつけるためだ。全体にニスがかけられていて、たぶん明治末期から大正にかけて製作されたものと思うが、黒馬なのでニスの黄ばみはさほど目立たない。
前の所有者は90代で亡くなったと聞いた。若い頃からの郷土玩具収集家で、伏見人形以外にもたくさん集めていた。筆者が買った2体のうち大きな方は前後の片脚に修復跡がある。それが石灰のようなものを使って黒い彩色部分にまで大きくはみ出ているので、まずそのまずい修復跡をきれいに直さねばならない。その気になればすぐなのに、なかなかその気にならない。かくて買った時に机の上に置いたままの状態で今は埃を被っている。ニスを取り除き、新しい苧麻でたてがみの束をいくつか埋め込むと見違えるような姿になるだろう。黒馬なのでたてがみの苧麻も黒く染めたかどうかだが、たぶんそこまで手間をかけていないのではないか。小さな穴には当初の苧麻の断片が埋まっている。それは黒く見えるが、染めたものではなく、長年の間に汚れたのだろう。土人形は時に風化しやすい紙や布を併用するので、100年ほど経てば作られた当初の姿がわからなくなるものがある。そういうものを修復する人はそれなりにいるようだが、筆者は自分でやる。郷土玩具は美術品としての価値が少ないので、まずい修復を施しても誰も謗りはしないが、なるべく作られた当時の姿に戻して長年保存されて行くのはいいと筆者は考える。「飾り馬」のたてがみに苧麻を植え込むのは今ではもうよほどの大型の、つまり高級品にしか行なわれていないと思うが、苧麻が身近にあった時代はその費用はしれたもので、安い材料でとにかくきれいに飾り立てようという意識が玩具製作者にあった。そうした自然の材料が入手し難くなった時点で郷土玩具は昔と同じように作るわけには行かなくなり、また無理に昔どおりに作ってもその味を理解する人が少なく、またとても高価なものになって、美術品として売らねばならなくなる。
もはや「郷土玩具」は日本ではほとんど死語になった。昨夜のTVで70代半ばの男性が若い頃にオメガの腕時計を貯金して買い、それを長年使用していたが、10年ほど前から動かなくなったのでそのままにしていたのを、同番組を見て修理を依頼し、時計は見事に蘇ったという番組をやっていた。後にも先にも自分用に腕時計を買ったのはそれ切りで月給に相当する値段がしたそうだが、高かったことよりも思い出がたくさん詰まっているので捨てるに忍びない。そこで40代か、男性の修理職人がそれを修理することになり、見事に仕事をやり遂げて持ち主に対面して手わたした。その時計は壊れているものならばネット・オークションでたぶん千円もしないだろう。だが、値段に関係なく、持ち主は物に愛情を注ぐ。他者から見れば薄汚れた価値のないようなものであっても、物には持ち主の長年の思いが染みついている。同番組に登場した時計修理職人は、普通は修理が終わるとそのまま発送するので、持ち主の喜ぶ顔を見たことがない。そのため、涙して喜ぶ持ち主の顔を見て、とても満足そうであった。「これほど喜んでいただけるとは」と話す職人はまた新たに仕事に情熱を燃やすだろう。番組ではその職人のこだわりが紹介され、出演者たちはそこまでやるかとみな驚嘆していたが、本当の職人は目に見えない箇所までていねいな仕事をするものだ。それがわかっていて修理された物を大事にしてくれる人ならばいいが、修理に持ち込む人はなるべく安くしてほしいし、どうしても直せないのであればもうゴミとして捨てる人が大半だろう。人形もその運命を免れないだろう。人形をゴミとして捨てるのはいやなので、供養してくれる寺に持参する人がいるが、出来れば人手にわたって大切にされ続けるのが理想だろう。筆者は伏見人形の「おぼこ」が好きで、4,5体持っている。そのうちの1体を苧麻を黒く染め、膠を煮て接着剤とし、頭部に貼りつけたことがある。その写真を先ほどまたまた見つけたので修理前と後を1枚の画像に加工して今日は最初に載せる。これと同じ型の「おぼこ」は丹嘉が所有するが、苧麻の入手が難しいし、また高くつくのでめったに、あるいは全く作らないのではないか。天神さんの縁日などでたまに露店に並ぶ同じ伏見人形の「おぼこ」はどれもみな髪がほとんどなくなっている。それを見るたびに筆者は元の髪の状態にしてやりたくなる。きれいになった姿を見て筆者も満足なのだ。かわいい、きれいな女の子が丸坊主同然の姿ではあまりにかわいそうではないか。そう言いながら、苧麻がないために3体はそのままに放置している。いつかきれいな姿に復元し、大事にしてくれる人に譲りたい。この「おぼこ」は昔は子どもが遊ぶために買い与えられたのかもしれないが、筆者は大人向きの人形と思っている。笑顔にどことなくさびしさが漂っていて、じっと見ていると話しかけて来そうな気がして心が和む。
さて、今日は先日心斎橋で開かれた「郷土玩具文化研究会」に出席した時のことを書く。この会の存在は去年秋
「さがの人形の家」を訪れた際に知った。天神さんの縁日で知り合ったFさんの誘いで初めてその博物館を訪れ、一応会員たちに紹介された。その頃筆者は
「飾り馬」を10数体製作し終えたばかりであった。去年秋以降、伏見人形ないし郷土玩具については縁がさらに深まっていて、ついにと言うべきか「郷土玩具文化研究会」に入ることにした。年回費は4000円で、2か月に一度集まりがある。筆者の関心は郷土玩具全般ではない。大半は伏見人形のみだ。また収集に執念を燃やす方ではない。会員のみなさんはほとんどが筆者より年上で、それぞれ郷土玩具に造詣が深く、また収集歴も長いので、筆者は外野席で遠目に眺めるということになるのはわかっているが、それでも何か得ることもあるかもしれず、また2か月に一度ならば参加もつごうがつく気がしている。同会の会報は筆者の手元にすでに3冊あるが、今年2月発行の号の最後に、去年12月の「終い弘法」を訪れた際の集まりの様子が報告された。その集まりに、筆者はFさんに見せようと自作の「飾り馬」を持参していて、たまたま同会の会報の編集担当のKさんにその「飾り馬」とともに記念撮影をしていただいた。その写真のことは忘れていたが、筆者に送付されて来た同号の最後のページに載せられているのを見てびっくりした。そして、その時にはもう入会しなければならない気持ちになった。それはともかく、玩具の実物を前に情報交換はすべきで、ネットだけでは無理がある。郷土玩具の隠れファンは多いと思うが、「ゆるい集まり」と言ってよい同会は高齢化もあって若い初心者の参加は歓迎されるはずで、この下りに興味を抱いた人はコメントに書き込んでほしい。郷土玩具の愛好者はだいたい心優しい人がほとんどのはずで、収集品を見せびらかすといった雰囲気はない。確かに好きで集めた物を他人に見てほしい気持ちは誰にもあるが、その前にまず自分ひとりが楽しむという一種の閉鎖性、孤独が郷土玩具にはまとわりついている。であるからこそ、たまには同好の士が集まる場は必要だ。それはさておき、筆者が自作の「飾り馬」を手にした写真が載った会報の下の段に次回の例会案内があって、そこに今日の投稿の題名が書かれていた。少し引用する。「恒例の自慢の一品・思い出の一品・何だかよくわからない一品を会員の皆様の持寄りで行いす。…」 これを見て筆者は「何だかよくわからない」土人形を持って行くことに即座に決めた。掌にすっぽり収まってしまうその一対の小さな獅子舞の人形を7,8年前にネット・オークションで落札した。伏見人形以外はまず買わないのに、その時は違った。競ったが、2000円代で落札出来た。なぜその人形が気に入ったかと言えば、獅子頭の表情が上目使いで、筆者にある写真を想起させたからだ。その写真については以前このブログに書いた。その写真は八尾の家に置いたままであったが、最近持って来た。筆者が19歳頃にアメリカの『LIFE』誌で見かけたものだ。それが気に入って切り抜いておいた。写真家の名前はわからない。たぶんアンデス辺りの辺鄙なところで撮られた。10歳くらいのふたりの貧しい身なりの女の子が果物皿を掲げて上目使いにカメラマンらを見ている。砂利道であるのに裸足だ。果物は木になっている、つまり無料のものだろう。筆者はこの写真を見て何とも言えない気持ちに囚われた。カメラマンは果物を買ってあげたのだろうか。外国人と見るや駆け寄って来て果物を買ってもらおうとする子どもは貧しい地域ならどこにでもいるが、この写真に見える子どもの表情はどこか怯えがあり、また逞しくもある。相手の心はこちらの接しようでどうにでも変化するだろう。そう思う筆者はこの子たちが持つ果物を全部買ってあげたくなるが、彼女たちはそんなことを望んでおらず、少しでも売れればいいと思っているに違いない。現実の厳しさをよく知っているので、大きな夢を描かない。果物を全部買ってくれる人があっても自分たちの生活が変わらないことを知っている。彼女たちの望みは少しでも多く売って両親を喜ばせることだ。
このふたりの女の子と入手した一対の獅子舞の土人形は上目使いという点だけが共通し、その上目使いの奥の思いは違う。獅子舞の人形の方は相手を見返す不敵さが強く、小さいが獰猛と言ってよい雰囲気に満ちる。それは郷土玩具ではとても珍しい。人形は先の「おぼこ」のように優しい笑顔である場合はほとんどだ。このように相手を斜めに睨みつける例は知らない。そこでどこの産地か、あるいは誰が作ったかを知りたく、先日の会合に持参することにした。結果は好事家の私製ではないかと示唆されただけで、会員のどなたも御存知なかった。手びねりで作られているので、ふたつは形と大きさが違う。どことなく拙さがあって、知的障害者の手作り品かと思わないでもないが、そう思わせるのは人をあまり信用しないような上目使いだ。こういう表情は虐待を受けた動物が人間に対して見せる。その点であまり自己を語らない知的障害者が作ったかと思うのだが、そうだとすれば何となく心が痛むと同時に、その人の才能に驚嘆する。これと同じものを筆者が造るのは簡単だが、それは模倣でしかない。アンデスの貧しいふたりの女の子とこの獅子舞の人形との共通点が上目使いだけと先ほど書いたが、案外そうでもなく、どちらも虐げられた者特有の表情だ。前者は貧しさに虐げられ、後者は作り手の何らかの虐げられた思いが反映している。こうなると、もう郷土玩具の範疇を越えて芸術作品の領域に入っている。筆者の関心はそういうところにある。作り手の内面が色濃く滲み出たものが面白い。そういうことを郷土玩具で求めるのは間違いと言う人があるかもしれないが、玩具は安価なものだ。量産せねば生活を支えるのは無理で、作り手の生活感は不可避的に表現される。伏見人形の古いものでとてもさびしい表情をしたものがあって、筆者はそういうものを好むが、そこには作り手の人生に多くを望まない思いが看取出来る。つまり、金を儲けるといったことではなく、ひたすら人形を作っている時だけが慰みという心の状態だ。したがって、経済的に裕福な玩具製作者の作は人間味がこもったものにならないと思っているが、それはつまるところ、日本の郷土玩具が絶滅したことを意味する。民藝が日本から消えたのと同じだ。また鶴見俊輔が語っていたように、外国にはまだまだ民藝品があって、先のアンデスの女の子たちが作るようなものの中に、不敵で逞しいものがあるような気がする。ついでに書いておくと、昨日はもうひとつのTV番組を見た。10数年前に製作された映像で、大阪釜ヶ崎で暮らす病弱の父の面倒を見るまだ10歳にならない女の子の生活やフィリピン出身の母親の家庭などを紹介していた。経済的に最底辺の暮らしにもかかわらず、あるいはそうであるからと言うべきか、どの子もみな健気で、どこかさびしさと恐れを隠した笑顔を絶やさなかった。虐待する親であってもそばにいてほしいと子は思う。郷土玩具は物を言わないが、それを集める人は自分の目が黒い間は自分の手元で庇護してやろうと思っている。今日は「子どもの日」だ。郷土玩具収集家は収集品を子どものように大切にする。