「
巴里」と書く人は今時はいないだろう。またどう読むか知らない若者も多いかもしれない。この映画を昔TVで放送された時に録画した。いつか見ようと思いながら、たぶん四半世紀は経った。だがどこかにテープはあるはずで、2か月ほど前にそれを探した。
2月25日の天神さんの縁日で
10号の油彩画を買い、それが「パリのセレスタン河岸」という題であったので、早速調べるとセーヌ河畔を描いたものであることがわかったからだ。セーヌがどっちの方向に流れているか知らなかったが、東から西、すなわち筆者が入手した絵では画面の手前から奥へと流れていることがわかった。何かのきっかけで興味が湧くものだ。昔筆者と交際する以前の家内は同じような年齢の女性たちからフランス旅行を誘われたが、その理由が結婚すればなかなか行けないからというものであった。結局家内は行かなかったが、それを今も悔やんでいる。やはり言われたことが正しかったと筆者に事あるごとに言う。それでパリに行きたいと最近はやけに言うようになった。筆者はもっとほかに行きたいヨーロッパがあるので、パリにさほど関心がない。だが、セレスタン河岸に立ってみたいと思うようになった。ついでにシテ島を一周するとか。それで昨夜はJALのツアーの広告バナーがパソコン画面の右端に見えたので、それをクリックしてフランス旅行がどれくらいかかるか調べた。最も安いのはひとり14万8000円で、最高は300万だ。もちろん最も安価なものでしか行けないが、それでも夫婦で旅費だけで30万、それにこまごまとかかるはずで、けちけちしても50万は絶対に必要だ。少しでも若い時に海外旅行しておいた方がいいとよく言われ、筆者もそう思うが、何が何でもパリに行きたいとは思わない。絶対に見たい名画もないし、フランス料理にもさっぱり関心がない。それはともかく、セーヌ河畔を描いた絵を買って少しはパリに関心が湧いたので、昔録画した映画を思い出し、必死になってたくさんのテープを調べると、予想に反して見当たらない。それで右京図書館に行くとちょうどそれがあったので借りて来た。そうしてようやくのこと長年気になっていた「巴里の空の下セーヌは流れる」を見た。それで思ったのは昔ほんの少しだけ見た時の印象と全然違っていて、筆者の記憶が当てにならないことを思い知った。そしてさすがの名画と思いはしたが、さりとてあまり書くべきこともないと思った。見てからもう1か月以上経つのに、今頃感想を書くのは昨夜フランス旅行がどれくらいかかるかを調べたことによる。それでこの映画で今思い出しているのは、誰が話したのか忘れたが、パリはこれから2000年先も街の様子が変わらないだろうというセリフだ。その言葉だけで監督がパリをいかに愛し、「パリ讃歌」になっていることがわかる。「パリ讃歌」ということは昔ほんの少しの場面を見た時にも思ったが、生まれ育ったところを愛するというのは珍しくないから、その自画自賛的なところはパリに世界中から観光客を呼び込もうという政府の戦略にも思えてあまり同調したくはなかった。本作は筆者が生まれた1951年の製作で、当時の日本を思えばパリがどのようであったかもだいたいは想像がつく。ようやく戦後からの本格的な復興をしようという頃で、まだ社会は貧しく、その分人々は未来に夢を描いていた。日本では長屋が健在で、隣り近所は仲がよく、何でも借り合いをしたという時代だ。もちろんそうではなく、暗部もあったが、戦争が終わって高度成長に向かって行こうとする気分が日本では支配的で、それはパリも同じであったはずで、本作からはそのことがよくわかる。とはいえ、寅さん映画のようなほんわかとした人間関係ばかりを描かず、冷たい現実も同じ程度に描くところが筆者にはたとえばバルザックやゾラの小説を思わせたが、その連想は間違いではないだろう。
また本作に描かれるその冷たい社会の部分はパリが石の街であることとは関係がないが、フランスに行って来た人の話やものの本によれば、パリは木造住宅がないので全体に冷たい印象が強く、旅行者は疎外感を覚えるということつなげて筆者は考えてしまう。どの都市でも似たようなものであると筆者は考えているが、石造りの高層の建物に暮らしている人たちの生活感は旅行者にはうかがい知ることはほとんど出来ない。それはほとんどの人が木造住宅に暮らしても同じと言えはするが、街の表情として閉ざされ感が違う。韓国や中国は玄関は鉄の扉がほとんどで、他者の侵入を拒絶しようという意志が強く見られる。そのため、彼らが日本へ来て驚くのはそのような扉がどの家にも見られないことだ。日本の木造家屋の扉は大男なら簡単に壊すことが出来る。日本が安全と思われるのは、そうした扉とは言えないほどの簡単な造作の仕切りで外部と内部を隔てているからだ。もっとも、そういう木造住宅は稀になって来て、今では頑丈なアルミやスチールの扉が主流になっているが、それでもまだまだ韓国や中国のようには拒絶感は少ない。パリを描いた映画を見ると、ほとんどの住民は5,6階建てのマンションに住んでいる。中庭がありはするが、住民はみな個人的な庭を持たず、内部の調度や部屋数は別として、日本の戸建住宅に住むという感覚がない。映画によってそういうマンション内部の部屋の様子はおおよそ想像がつくが、建物の道からは大きな扉で隔てられていて、その内部は旅行者には無縁の世界だ。先に書いたように日本でもそれは同じだが、道を歩いていて家の中の声が漏れ聞こえて来るという点に関しては、外と内を厳密に区別しない日本の方が上だろう。2000年経ってもパリが今のまま少しも変わらないというのはおおよそは本当かもしれないが、それは街が美しいので、変える必要がないという思いと、誰もが同じようないわゆるビルの中に住むので、変えようがないという考えからだ。5,6階かもっと階が多いのか知らないが、パリは建物の高さを揃える法律があるらしく、よほどの大金持ちでない限り、パリ市内に平屋の庭つきの木造住宅をかまえることは出来ないのではないか。それはパリ市民に貧富の差があまりないことを示しているかと言えば、そうではないだろう。地区によって住民の質は違うはずで、また同じ地区内でも建物によっては家賃がかなり異なるだろう。それは日本でも同じだ。それはいいとして、2000年経っても変わらないはずとパリ市民が思っているパリは、それだけ観光客にとっては入り込みにくいことを意味しているだろう。もちろん公園やセーヌ河畔といった公共の場は別だ。そうした場所しか観光客は訪れないし、また訪れることしか出来ない。そしてたとえばいかにもパリという橋や公園を歩きながら、地元住民が暮らしているビルを見るが、そこはすべて拒絶の意志を露わにしている。知り合いがいなければ当然なのだが、筆者が言っているのは建物の構造だ。2000年経っても変わらないとして、それは歴史と美観を重視したい思いによる。だが、住居の内部は別で、時代に応じた家電製品が占めるし、家具調度もそうで、しかも身なりも同様だ。つまり、2000年先も変わらないというのは幻想に過ぎないと言える。それでもその言葉が現実味を帯びるのはいかにパリの街区が合理的かつ美しく出来ているかという国民の自負のためだ。そして、その自負はやはり旅行者に拒絶を匂わせている気がする。先に「パリのセレスタン河岸」と同じ場所を歩きたいと書いた。そのことは今ではGOOGLE EARTHのストリート・ヴューによって疑似体験することが出来る。実際筆者はそれをしたが、現地に赴いたとして、筆者が想起するのはパソコンで体験した街並みの様子の追体験の割合が大きいと想像している。昔と違って映像情報が簡単に手に入るようになり、そのために現地に立った時の感動が小さくなっている気がする。それで筆者は名所旧跡に行ってもあまり誰も注目しないところを見たり、感じたりしたいが、それにはパック旅行は不向きで、自分で好きなように歩いて好きなように時間を潰す方がよい。
さて、本作はジュリアン・デュヴィヴィエ監督の作で、白黒で2時間の長さがある。同名の挿入曲は誰しも一度は聴いたことのあるシャンソンの名曲で、筆者はその中でとても好きな下りがある。「Sous le pont de Berry,Un philosophe assis(ベリー橋の下で哲学者が坐っている)」で、橋の下と言えば普通はホームレスだが、それをあえて哲学者と表現したように思う。そこにはホームレスを見つめる温かい眼差しがある。ホームレスも含めて人間であり、それがパリの街の住民だという意識だ。そしてこの歌詞の部分によって冷たい表情の石造りの建物ばかりのパリがにわかに人間味を帯びて迫って来る。この映画にはホームレスは登場しないが、慎ましやかに生活する人たちはたくさん出て来る。主役がおらず、誰もが重要な役で、また少しずつ絡み合う。パリのある1日を描いた人間絵巻といったところで、慈悲も無慈悲も平等に描く。無慈悲を言えばたとえば老婦人だ。彼女は身よりがなく、少ない年金を頼りにたくさんの猫をアパートで飼っているが、猫に与えるミルク代に事欠く。前借りを断られ、足を棒にしながらあちこち歩いて恵みを求めるが、宝石で飾り立てた連中は誰も耳を貸さず、わずかな小銭さえ寄越さない。途方に暮れたまま部屋に戻ると、たくさんの猫は飢えのために凶暴になり、喧嘩を始める。そういうさなか、ミルクがようやく届けられる。朝はちょっとした手違いで届けられなかったのだ。つまり、老婦人は誰にも見捨てられた存在ではなく、親身になってくれる隣人がいるという設定だ。このような老婦人は今では日本でも多いだろう。本作ではこの老婦人を憐れな存在と否定的に描いているのではない。誰しもそのような老婦人の境遇になる可能性はある。映画ではミルクが届いたので観客は安堵するが、監督はミルクが届けられないように描くことも出来た。だが、そうしたように描くと、あまりに殺伐とする。せめて映画は後味のよさがほしい。観客は誰しもそう思う。そのため、本作は現実的でありながら、やはり映画ゆえに全体的には作り物めき、また製作時代のムードの反映もあってパリやその住民を美化し過ぎる。とはいえ、そう思われないように現実の不条理さを描くことを監督は忘れない。それは文通で知り合った男性に会うためにパリを訪れた若い女性と、パリでアトリエをかまえている彫刻家の男性だ。前者は相手の男性に会うことが出来るが、男性は大金持ちではあったものの、下半身不随を隠していたことを告白する。そのため、女性の前から姿を消す。文通の現実をよく示していて、今も同じようなことは毎日無数に起こっている。また今なら金持ちであれば下半身不随でもいいので、結婚したいという女性がいるかもしれない。後で離婚して慰謝料をせしめればよいとドライに描くことも出来るし、そういう女性は1950年代のパリにもいたであろう。それを匂わすのが、彫刻家が気に入っていた酒場の女だ。彼女は金だけが目当てで、彫刻家の恋心を踏みにじる。そして彼女に罵声を浴びせて店を飛び出すが、女に冷たくあしらわれた腹いせが最後の切り札になって、いつ誰でもよいから通りすがりの人を殺すことを考える。それでもフランス映画らしく、そういう男でもまだ優しい心が残っていて、道に迷った幼い子と一緒にひと時を過ごしたり、また家に無事帰らせることをする。男は幼い子を橋のたもとまで一緒に歩き、橋を越えて川岸を真っ直ぐ歩くと植物園があると言うと、子どもはそこは知っている場所と返事をするが、その植物園は筆者が所有する絵に描かれるセレスタン河岸より下流で、3,4キロほどだろうか。ともかくこの映画によって絵に描かれる風景の彼方に人間の営みがにわかに色濃く感じられ、絵がまた違って見え始めたのは面白い。話を戻して、彫刻家が人を殺す設定は、監督は芸術家を快く思わなかったためか。あるいは映画の彫刻家は作品製作に行き詰まり、また金も乏しいという現実に打ちひしがれ、夢をなくしたのだろう。それでも人を殺めるとは無茶な話だが、得てして人間は魔が差し、そういう理不尽なことをするということを描きたかったのだろう。
理不尽は偶然と仲がよい。この映画は偶然をうまく筋書きに取り込んでいる。彫刻家が刺した人物は、文通相手と面会するために田舎から出た若い女だ。彼女はあえなく死んでしまう。彼女のその運命は予言されていた。彼女は占い好きで、パリで女性占い師に未来を見てもらっていた。恋は成就しないが有名になる。また大金持ちになるということを言われ、これは映画を見ている人にも首をかしげさせる。女の文通相手は大金持ちだ。彼と結婚出来ないのであればどのようにして金持ちになれるというのか。また有名になるとはどうしてか。彼女は殺されて新聞の三面記事を飾った。それが有名になるとの予言的中だ。また金持ちは彼女がたまたま街角で買った宝クジが大当たりしたためだ。これは物語としてはかなりおおげさで、現実らしくないが、そうであるからこそ却って観客には現実らしいと思わせる。日本でも今でも宝クジは大人気で、それはまさかあり得ないというきわめて稀なことに自分は遭遇出来ると考える人が多いからだ。この映画で面白いのは、田舎出の若い女が、男に重大な欠陥があるという非情さにまずで出会い、そして人生に二度はないような大きな出来事に同時にふたつ遭遇することだ。本来ならば失恋したのであるから、彼女は宝クジに当たって大喜びするというのが、観客のほとんどが求める筋立てだろう。ところが監督はそれでは夢物語過ぎる、すなわち現実を美化し過ぎると考えた。それで意味もなく殺され、しかも本人は宝クジに当たったことは知らないことにした。つまり、若い女はパリに着いたその夜に急死し、失恋の苦しみをさほど味わわないままに逝った。宝クジに当たる大幸運は殺された大不運によって帳消しで、人生に大きな幸運が舞い降りることはないという描き方だ。それでは夢も希望もない映画になってしまうので、本作ではいわば主役としていい家族を登場させる。それは平凡な労働者だ。賃金上昇の交渉が行き詰まって工場の門の内側で他の工員とともにストライキしている。その父を心配して自転車で駆けつける少年が登場する。彼は当日が両親の銀婚式で、それをお祝いしようと計画し、今まで小遣いを貯金して来た。ストを続行すればみんなでするせっかくのディナーが台なしになる。すでに料理は注文してあるのだ。そこで料理屋は一計を案じ、料理をその門まで運ぶことにする。ここら辺りは住民同士の人情味溢れる普段のつき合いのよさがあってのことで、寅さん映画の世界に通じている。夜を徹してストをするはずであったのに、他の工員から今晩は帰宅してよいと薦められ、その言葉にしたがって父親はいそいそと家路に急ぐ。だが、彫刻家の殺人事件の現場に駆けつけた警官が発砲した銃弾はその父親に当たってしまう。これも偶然だ。せっかく家族の待つ家で銀婚式を祝おうとしているのに、そういう運の悪さに見舞われる。だが、それが現実であることは誰しもよく知っている。とはいえ、この父が死んでしまうとそれこそパリは殺伐とした街に思われる。父親は一命を取り留め、また家族と一緒に仲よく暮らせる希望を描いて映画は終わる。2000年経っても同じような人間模様はパリだけでなく、どの都市にも村にもあるはずで、映画もまた相変わらず撮影されている。